過去記事事件資料

2010年5月 6日 (木)

石川県警察本部長宛上申書【平成21年9月10日】

上申書
石川県警察本部長殿

平成21年9月10日
郵便番号927-0431 石川県鳳珠郡能登町字宇出津山分10-3
廣野秀樹

 下記の通り、上申します。

 初めまして県警本部長殿。この書面の内容はもともと金沢中警察署刑事課長宛に提出する予定のものでした。今年の3月頃から予定していたのですが、なかなか考えをまとめることが出来ず、考え抜いた末の判断として、予定の変更をした次第です。
 時刻は2009年9月10日の午前1時40分を過ぎたあたりです。事情もありまして、この書面は取り急ぎ本日中に書き上げます。
 まず、求める趣旨から明確にしておきます。
1.2006年10月10日当時金沢中警察署刑事課長の職であった者、及び金沢中警察署山出警部補の辞任を求める。
2.極めて不適切な職務執行により被った不利益及び慰謝の措置として金壱千万円の支払いを求める。

 以下、その理由及び事情についてかいつまんだご説明をさせていただきます。
 まず、私の現在の状況からお話ししますが、今年の3月の中頃から失業状態で、失業保険の給付を受けているものの来月で切れます。母親が8月の31日に脳溢血となり珠洲市の病院に入院しておりますが、左半身が麻痺状態の寝たきりで回復の見込みもありません。その問題の協議で遠方の母方の親戚が11日に集まることとなりました。この書面は、現在及びこれまでの経過を理解して頂くために親戚の人に読んでもらう意味も含めて作成します。
 刑事課長らの処分を求めることは私自身よくよく考えたうえでの結論であり、それ故、予定していた期日のぎりぎりまで考えもまとまらず踏ん切りがつきませんでした。
 2006年10月10日当日の問題につきましては、一通りの事実を次のブログサイトに掲載してあります。改めて書くとなると時間も掛かる上、書面が膨大に膨れあがってしまうので、とりあえず今回はホームページのご紹介というかたちにとどめさせて頂きます。
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20061010/1160485787

 山出警部補らの対応は私に計り知れぬ衝撃を与え、理解に苦しみ続けてきました。当時金沢地方検察庁宛に、事件関係者らの告訴手続きを行っておりましたが、衝撃から立ち直ることができないばかりか、日々に戸惑いを募らせ、十分な取り組みもできないまま公訴時効を迎え、今日に至っております。
 山出警部補は私をストーカーと決めつけ、逮捕勾留をちらつかせたうえ、被害者方に連絡を取らないなどという誓約書を書かせました。これは一見するとまともな職務執行に見えます。唯一絶対的な根拠は、AKさんが会いたくないと金沢中警察署に申し出たことと思われます。
 山出警部補自身、そのとき、確か2年前の4月から一月に一回はAKさんの自宅を訪問し、膝を突き合わせて話をしている間柄で事情は知悉しているという自信満々の態度でした。そういうことも言われたので警察の立場を尊重し、信頼に向けた理解に努めましたが、いたずらに苦しみ抜き、他のことにも満足に手がつかず、心身ともにすさみ続けただけでした。
 長い間考え続けて、確信に近づきつつある結論は、山出警部補がAKさんの立場も真意も全く理解せず、勝手な暴走で事態を一層深刻に紛糾させたという事実です。警部補一人の判断で行えたこととも考えにくく、指揮体系としての監督責任もあると考えますので、金沢中警察署刑事課長においても同様の対応を求めます。辞任というのは自ら警察官を即刻辞めることです。中途半端になると予想される処分より、潔く即刻警察官を辞めて頂きたいと切に希望します。

 次に、平成4年に私が起こした傷害・準強姦事件について再捜査を求めます。こちらは金沢西警察署に自首出頭したことで、捜査、取り調べを受け、懲役4年の実刑判決を受けました。この事件の問題性の一環として、私は金沢地方検察庁に、供述調書を作成した関係者らを共謀共同正犯による殺人未遂事件として、告発、告訴をして来ましたが、受理されることはありませんでした。最終的な金沢地方検察庁の対応は、金沢地方裁判所に再審請求をしてください、というものでした。
 日が変わって一昨日になりますが、9月8日の午後、金沢地方検察庁に電話を掛けました。前任の担当者であった高松さんから「ハセ」という人が引き継ぎで後任になると聞いていたのですが、当日は不在で庁舎に戻るのが17時頃になると言われたので、岸田という人と話をしました。取り次ぎの人には、上司の人をお願いしたのですが、明確な役職などは明らかにしてもらえませんでした。捜査官室の大きな机に座っていた戸澗(とま)さんは、だいぶん前にいなくなったと聞きましたが、戸澗(とま)さんの後任のようなお立場ですかと尋ねたところ、曖昧な返事でしたが、概ね認めるような返事でもあったと思います。その岸田さんに当面今後のことについてご相談したところ、私がまず警察の方から明確な回答をもらった上で、方向性を見極めながら再度、金沢地方検察庁に連絡をするということになりました。

 仮定の話としてですが、警察が18年前の事件について再捜査をし、関係者らを逮捕送検しても、それは通常の刑事手続きであり、なんら問題はないとのことでした。
 ただ、この時も確定判決を受けた過去の事件に関しては裁判所に再審の手続きをするのが通例というような言い方もされました。今から資料を探してみると言われていたので、どこまで事情を把握されているのか、非常に心許ない気がしましたが、警察が捜査を進めることについては、全く問題のないような対応でした。

 私は以前、金沢西警察署に相談に行ったことがあり、その場で「文句があるのなら、裁判所に言え」と言われたことがありました。岸田さんにその話をしたところ、普通はそうなる、と言われました。また、それと近い時期に、AKさんからは「文句があるのなら、警察に言え」と言われたことがありました。あれから10年ほど経過した現在でも同じ警察に「文句があるのなら、裁判所に言え」という趣旨の回答が出るのであれば、それに従う他術はありませんが、それはずいぶんと無理がある上、不適切だと考えておりますので、素人の考えではありますが、事情と経過に即して、意見を述べておきたいと思います。

 まずこの問題は誰も相手にしていないという事実があります。マスコミや政党、衆参両議院、大学などにも長い間に渡ってメールを送信したりしてきましたが、アクセス状況から見て、全く相手にされていないと判断する他はありません。あり得ない話だと思われているのか、所詮他人事なのか、面倒な関わりを持ちなくないのか、理由もわからず、これも長い間、気を患わせ考え続けてきた大きな問題のひとつです。3ヶ月ほど前でしょうか、能登警察署の刑事が二人、自宅を訪ねてきて、あちこちにメールを送っていることで、被害者の実名を出していることに、問題視する声が沢山警察に舞い込んできているという報告は受けました。

 結局、AKさんらが沈黙している以上、被害者の立場が最大限に優先され、犯罪者としての烙印を押された私は、全く取り合ってももらえず、見向きもされないのです。警察がそんなに間違った判断をするはずがない、という揺るがぬ負託と信頼もあるいは大きいのかもしれません。私は平成15年からインターネットを使って、事件に関する情報を公開しております。AKさんらの実名も早い段階から出していました。ご本人の意向も確認していなかったので、そのあたりの話し合いを含めてAKさんの自宅を訪問したところ、近いうちに連絡を入れると言われたものの音沙汰がなく、一週間ほど経ってから再度自宅を訪問したところ、自宅前に待ちかまえていた金沢中警察署の山出警部補らに、言語に絶する酷い扱いを受け、ストーカーと決めつけられたのです。これは社会生活を送る上でも、深刻な陰を落としました。

 また、昨年の10月頃には、派遣先の会社で上司の人から、別の問題もあったのですが、「自分のことを心配しろ」と言われた上で、度々警察が会社に来て社長にお前のことを聞いていると、深刻そうに言われたこともありました。この問題については、今年の3月に山出警部補に電話で話をしたところ、「これだけは言いておくぞ。わしはそんな汚いマネをせん。」と非常にしつこいぐらいに繰り返していました。同じ石川県の警察が会社に話を聞きに来たことはまず間違いのない事実のはずですが、それを同じ警察官で、あれほどの暴挙をやってのけた山出警部補の口から、汚いという言葉出たのは、いったいどうなっているのかという、不信感を掻き立てられ、警察の不適切な立ち回りが、自分の不利益としてのしかかってくるのではないかという、不安な気持ちにもなりました。

 平成4年の事件のことですが、谷内孝志警部補が独占的な取り調べの担当で、見込み通りの大悪人に仕立てた供述調書一式を、こしらえてくれました。最近考えるようになってことですが、それは弁護士や裁判所の度肝を抜くほど、問題性の高いものであったように思えます。谷内孝志警部補からの具体役な質問で、唯一記憶に残っているのは、「なぜ、警察署に出頭したのか」という質問で、これだけは熱を入れて真剣に問いかけてきました。あとは半日ほど私の話を聞きながらノートにメモを取り、そのあと同じぐらいの時間を掛けて、もくもくと作文のような供述調書の作成に没頭していました。読み聞かせの時、私がその表現はおかしいと指摘しても、薄ら笑いを浮かべ、「おんなじ、意味や」というだけで、とりつくしまもありませんでした。
 それでも私が話した具体的な事実は、ある程度供述調書に書き込んでくれていたので、一定の理解はされているのではないかと、ある程度の期待はしていたのです。これも警察官を信頼してしまったための、取り返しのつかない悲劇、災難の始まりであったのかもしれません。

 これも10年以上経ってから徐々に考えるようになり、大きくなってきた見解なのですが、被疑者であった私のみならず、なにより被害者及びその家族をナメ腐りないがしろにした、皮相なデタラメな捜査で、誠にはかりしれない不満と屈辱をAKさんに与えたのではないかと言うことです。ある程度の資料を見れば、大方は誰にでも判断できそうな問題ですが、思い上がりと無能に支配された欠陥捜査官の目には、なにも映っていなかったのかもしれません。そればかりか、被告発人、被告訴人らに便宜の供与を受け、手心を加えて事実をねじ曲げていたのではという疑念も払拭は出来ません。
 ちなみに、当時は別の連続空き巣事件の捜査で金沢西警察署の刑事課はずいぶん忙しかったそうです。手柄の掛かる未解決事件に目が向きすぎて、男女間のもつれの自首事犯など適当なやっつけ仕事で、処理されてしまったのかもしれないと考えることもあります。なお、その空き巣事件も解決には至らなかったと聞きます。

 本件は、私の不当判決の基礎となった金沢西警察署の問題だけでなく、AAさんを殺人未遂の被害者とした告発の事実、そして法律的には無理があると思いますが私を殺人未遂の被害者とした告訴の事実とも重なる問題であり、事件です。それをいきなり裁判所に持って行けと言うのは、どう考えても無理があり、また適切ではないと考えています。
 そのあたりを明確にした回答をお待ちします。なお、私はこのまま仕事が決まらない可能性も高く、生活保護でも受けなければ生きていけないか、親戚の人にも多大の負担を掛けてしまいそうです。これまでにも迷惑を掛けてきましたが、そのあたりの事情も含めて、喫緊の対応をお願いいたします。

 また、これまでにもインターネットで資料や情報を公開して来ましたが、プログラムを使って状況と条件に応じた柔軟な対応の出来るサイトの構築を進めています。これだと条件設定で、特定の部分の表示、非表示の切り替えが出来たり、一元的な情報の管理もしやすくなるからです。
 現在のところ、主なブログサイトは次の5つです。
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/
http://hirono-hideki.blogspot.com/
http://blog.goo.ne.jp/hirono_2005/
http://hirono-hideki.cocolog-nifty.com/blog/
http://sites.google.com/site/hirono0001/

 これからメインにつかうレンタルサーバは、準備が整い次第、「はてな」と「ココログフリー」のブログでご案内をする予定です。
 次のふたつのエントリに比較的最近の私の問題に対する認識がまとめあります。金沢中警察署の刑事課長宛に提出する予定でしたが、現時点ではアテにも出来ず、郵送料金の無駄にもなるので提出しない考えです。なお、すべての資料はコピーするなり、ご自由にお使いいただいてかまいません。
http://hirono-hideki.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-6c72.html
http://hirono-hideki.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/test-45fc.html

 回答を受けた上で、これから先のことを考えていきたいところですが、18年前の事実を現実の事実として評価、認定されるところから初め、Aさん家族にも謝罪できれば、と希望しています。金沢西警察署にいたとき、2ヶ月足らずの間に120キロほと離れた宇出津から13回ほども面会に来ていた母ですが、もう歩行はおろか、自力で立ち上がることもできないかもしれません。
 AKさんも、男性の平均寿命に近づきつつあるはずです。AAさんの後遺症の程度はわかりませんが、両親がいなくなったらどうなるのかと考えています。莫大な損害賠償を警察に支払ってもらうことが、今となっては唯一救いの途なのかもしれません。それにしても、市民が納得いける妥当な賠償、保障を求めたいと考えており、また、その税金の負担は関係者らに求償されるべきと考えております。そのあたりも、情報公開の重要な趣旨の一つです。
 その他、その都度経過をご案内致しますので、当面は主にhttp://hirono-hideki.cocolog-nifty.com/blog/のブログをご覧頂きたいと思いますが、むやみに更新するようなことはありません。時刻は5時を過ぎたところですが、今回はこれで切り上げたいと思います。以上宜しくお願い致します。

                                                                     以上

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年10月5日に個人サーバで公開したデータ(事件の概要)

10月5日 (日) 12:54:14,  事件というのは平成4年の4月1日の起こりました。私が起こしたのです。この外形的な事実関係については、これまで一切の争いはありません。
 罪名は傷害と準強姦罪。後者は追起訴になり、併合審理を受けました。
 被害者は同じ会社に勤める女性事務員、AA。当時21歳です。私はその当時27歳でした。彼女との関係はその前年6月頃に私が、K輸送から事件の舞台になったIセンターに移ってからのことです。
彼女と個人的な関わりを持つようになったのが、9月の中頃からで、10月の5日の夜の電話で、私は彼女に初めて交際を申し込みました。それから事件に至る半年ほどの間には、実に様々なことがありました。その積み重ねが、事件へと結びついたのです。
 彼女は、私が出頭した金沢西警察署から石川県立中央病院への搬送中、救急車内で、意識を失い、少なくとも3ヶ月ぐらいの間は、意識を失ったままで、意思表示をすることが出来ない状態だったようです。
一応意識が戻ったと聞いたのは、その年、6月30日の公判の時でした。この公判が結審になり、8月3日に懲役4年の実刑判決を私は受けたのです。
逮捕拘留から実質審理を受ける間だ、当人である被害者から話を聞くことが出来ない状況だったので、判決の基礎となった事実関係は、会社の同僚や、上司らによる供述と、被害者の両親によるものでした。
要約すると、私が一方的に彼女に好意を抱き、執拗に交際を迫り、いい返事をもらえなかったことから立腹し、ついには殴る蹴るの暴行に及んだ、というものです。
 両親のことはとりあえず、除外します。しかし、この事実は、両親の供述というものは、極めて感情的なもので、法的効力を持つような信用性は、乏しいものだという印象を導きました。
「知らぬは親ばかりなり」という印象です。しかしながら、本件では、幸いなことにこの通説を覆すような事実経過が、存在します。この点につきましても、後日ご説明したいと考えております。
 両親の供述供述調書も、私は見ておりますが、具体性がありません。それもそのはず、通常、自分の娘の会社のことは、ほとんど何も知らないものと言えるからです。ある程度の、会話はあったと思いますが、それによると彼女は、親切で優しい人たちのいる会社などと話していたそうです。
 警察としても、会社内の問題であり、会社の関係者の話を重視し、それを中心に捜査を進め、刑事手続きを進めたことは想像に難くないところです。
 どのような経過があったのか、私は当日に身柄を拘束されているので、直接には知る由はありません。ただ、初めから面会禁止などされておらず、何度か面会もしているので、おおよそのことは伝わりました。
 当時私は、これを自分と彼女の個人的な問題と考えていたので、大変なことをしでかした以上、理解や見方をしてもらうことは無理だと考えていました。それに頭の中にあったのは、彼女の容体の回復ばかりでした。
意識不明の状態で、いつ死んでしまうかもしれず、このまま植物人間になる可能性も高かったのです。それ以外のことを考える余裕などほとんどありませんでした。
自分にとって、不利な方向に進んでいるとはうすうす感じていましたが、ここまで本格的に警察の厄介になったのも初めてだったので、半信半疑のまま成り行きに任せるしかなかったのです。
 私は、3歳ぐらいの時に父親を亡くし、兄弟もおらず、母親一人に育てられました。父方の親戚は地元宇出津でしたが、行き来もほとんどなく、母方の親戚は、京都方面ばかりで、金沢には一人の親戚もおらず、このあたりも不利に働いたと思います。
当時会社以外でつきあいのあった友人は、同郷の二人だけでした。この二人は、福井刑務所を出たときも向かえに来て、そのうちの一人は金沢刑務所を出たときにもきました。どちらも事前の連絡はありませんでした。
 初めから母親には、親切に頼んで費用を工面するので、私選弁護士をつけるように勧められていたのですが、私はお金で自分の罪を軽くするようなことは潔くないと考え、それ以上に彼女の両親に、これ以上悪い印象を与えたくないという配慮からこれを断っていたのです。
国選弁護人が付き、一度だけ面会があったのですが、具体的な打ち合わせのようなものはありませんでした。
 控訴審の時は、私も考えを改め、事実を明らかにするのが自分の責任だと考えるようになり、私選弁護人を選任してもらったのですが、これも具体的なやりとりが乏しく、弁護士は私の意見や主張など採用せず、精神鑑定の請求をし、心神喪失もしくは心神耗弱の線で、弁護活動を行いました。
上告した最高裁では、東京の弁護士が付き、そちらから事件の関係者の供述調書のコピーが送られてきました。縮小版です。
 それを見て、私は初めて事件の真相らしきものに触れることが出来たのです。そこには普通に生活していたのでは、決して知ることが出来ないような事実が多数含まれていました。
 事実は予め用意されていたのです。会社の連中の共同作業によって、彼女がいかに利用され、翻弄されていたのかも窺い知ることが出来ました。
その内容を合理的に解釈する限り、彼女や私の意思というものは、存在しません。予めその存在を消す、つまり殺してしまうことを大前提に、進められていたとしか考えられないような問題が発覚したのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)