石川県警察本部再捜査要望関係

2010年10月26日 (火)

貴会所属の岡田進弁護士に関して調査を求めます[2010-10-26 火]

  以下作成中の書面の一部です。編集中の全文はこちらをご覧ください。
http://hirono-hideki-blog.seesaa.net/article/166827111.html


* 貴会所属の岡田進弁護士に関して調査を求めます[2010-10-26 火]
** 国選弁護人の犯罪性について(1)[2010-08-18 水]
2010-08-18 00:34:59
posted by hirono-hideki
テーマ:告発(Twitterのまとめ)
石川県警察本部に再捜査の要望書を提出するにあたり、裁判の記録に目を通してきましたが、自分でも理解に苦しむところが多いと改めて考えるようになりました。

金沢西警察署の捜査の妥当性を論じる前に、その後の裁判の経過を左右したと思われる国選弁護人岡田進弁護士の対応について事実をありのままに書き、法的な観点からも言及しておきたいと思います。

殴る蹴るの暴行を行い、被害者に全治期間不明の意識不明状態にしたことは、紛れもない事実であり、否定するつもりはさらさらありませんでした。事件を起こしたのが平成4年4月1日の夜。

初公判が6月18日で、6月30日の公判で結審しました。その6月30日の公判の開始直後、江村正之検察官から被害者の意識が戻ったという報告を聞きました。それまでの自分が被害者の容体の回復ばかりが気がかりで、他のことは考えられない状態でした。

当時の自分は刑事裁判と民事裁判の区別も知らず、全く無知な状態でした。5月28日に金沢刑務所にある拘置所に移送され、その2,3日後に国選弁護人になっていた岡田進弁護士が接見に来ました。

接見の内容については別に公開してある資料に書いてあるので、今回は概ね省略します。余りはっきりとは覚えていませんが、警察に話したことに間違いはありませんね、という感じで確認を受けました。

実際は不本意なところもあったのですが、概ね間違いはないという意味で返事をしました。それでも理解に苦しむところが多かったので、事情を聞いてもらいたいと話を切り出したのですが、そくざに遮られ、耳を貸す姿勢はゼロでした。

事件前被害者との間に合意のセックスはありましたか、事件当時お酒は飲んでいましたか、という質問をぶつけ、それで全て打ち切られたようなものでした。

最後には、「反省、後悔するなら初めからするな」と威圧的ににらみつけ、無言で立ち去っていきました。この間長くて10分。短くて5分の時間です。これが刑事弁護の全てだったと思います。

先ほど書いたとおり6月30日が結審になったのですが、事前に当日の公判で結審するという話を聞いていたのか不明です。なにしろ岡田進弁護士と話をしたのは、短い接見の時だけだったからです。後にも先にも話を聞く機会はありませんでした。

打ち合わせのようなものも皆無でした。裁判についての説明など全くなかったのです。「5,6年は言ってくるだろう」とは言っていました。結果の見通しだけです。内容には一切触れませんでした。

最近になって思ったことなのですが、被害者の意識が回復し、事情を聞ける可能性が出来た訳ですから、判決を先延ばしするなり、少なくとも要望を聞きに来るのが普通だと思います。とにかく岡田進弁護士は一切なにもしませんでした。

結審した時点で三宅俊一郎裁判長から、8月3日に判決を出しますという告知があったと思います。まるまる一月ちょっとの期間があったことになります。今思えば、自分の方から連絡するべきだったのか、とは考えますが。

まず自分は被害者に不信感を抱き、事件にまで発展したわけです。それも生き死に関わる状態になり、その後は、意識が戻らず植物人間になる可能性が高いという状況にありました。頭にあったのは後悔の一念のようなものでした。

一方的に強姦犯だと決めつけて取り調べをした谷内孝志警部補に対する不信感もありました。自分は被害者に不信感を募らせたと書きましたが、実際は被害者を通して自分自身が信じられなくなったという精神的な混乱が大きかったのです。

岡田進弁護士の接見は、その混乱に追い打ちをかけるようなものでした。拘置所の中では、頭に浮かんだことがすぐに砂のように消えていくような状態で、まともに物事を考えることが出来ませんでした。

そんな不安や焦りも、6月30日の公判で被害者の意識が回復したと聞き、ずいぶんと解消しました。しかし、その時点で裁判の審理は終わっていたのです。悪夢のような接見だったので、連絡をして相談するという気にはとてもならなかったと思います。

岡田進弁護士のことを思い出すととても嫌な気持ちになります。はっきり言いますが、岡田進弁護士には責任を感じて、死んでほしいぐらいです。本当に最低、最悪の人間だと思っています。谷内孝志警部補は死んで欲しいとまでは思ってません。

** 岡田進弁護士の事件放置の可能性[2010-10-26 火]
今でこそ弁護士の事件放置というのは珍しいことではなく、インターネットでは事件放置で懲戒を受けたという情報をちょくちょく見かけることもあります。弁護士の懲戒については全面公開されていないので、一般の目に触れにくいとも聞いておりますが、なかには公文書を偽造するなどの悪質な例もあるようです。

それに比較すれば岡田進弁護士の対応というのはさほど問題のないことなのかもしれません。しかしながらその岡田進弁護士の対応によって自分は測り知ることの出来ない不利益を被り、その後の人生を滅茶苦茶にされたと思っています。しかしながら失われた時間、生活というものは取り戻すこともできません。

出来ることは失われた権利の回復であって、当事者である岡田進弁護士が納得のゆく説明責任を果たし、解決の糸口を指し示してくれることです。しかし、昨年の秋に岡田進弁護士の弁護士事務所に電話をして話をしたところ、彼は私の名前さえ記憶にないと言い、18年前のことなんか覚えているはずがないと一蹴していました。

有罪判決が確定し、度重なる再審請求を棄却されてきた現在の自分の立場で、岡田進弁護士にそれ以上の追求を試みることは、十分な理由と必要性を示せないまま、社会的に不当な恐喝行為として受け取られ、場合によっては刑事処分を受ける可能性もあるわけです。

金沢西警察署で作成された自分の供述調書や、会社関係者の供述調書等の資料を照合したらならば、数々の矛盾点や問題点が散見されたはずです。岡田進弁護士はそれら一切を無視し、まるで畳みかけるようなかたちで私を沈黙させました。問題点に関する質問もなければ、説明等も一切ないまま、すべての検察側提出資料に同意していた可能性が大です。もちろん同意、不同意の説明など全くなく、刑事裁判がどういうものなのかという説明も皆無でした。

まともに資料を読んだとは到底考えられないところです。最低限の形式を取り繕い、実質まるっきりの放置であったと考える他はありません。


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2010年5月20日 (木)

弁護士の使命は弱者の味方になることと(日本弁護士会会長)

『弁護士、闘う』を書いた宇都宮健児氏(弁護士)に聞く(3) | 書評 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

もともと弁護士法の第1条に「基本的人権の擁護と社会正義の実現」が弁護士の使命として書かれている。かみ砕いていえば、力を持っている人、裕福な人たちは自分で権利を守ることができる人が多い。権利を守れない人は社会的弱者や経済的弱者たちであり、弁護士は、その弱者の味方をしなければいけない。

 弁護士になって金儲けを考えるとしたら、それはまっとうではない。もしカネを儲けようと思うなら、それこそホリエモンみたいに起業すればいい。もし弁護士志望者がより豊かな生活を求めて弁護士になろうというのなら、それは「ふてえ考え方」だ。ほかの道を目指せとアドバイスしたい。 

 頑固そうな人だと思っていましたが、ここまで明確に弁護士の金儲け主義を否定し、弱者救済を打ち出しているとは知りました。宇都宮弁護士については、平成7,8年頃にはしっていました。福井刑務所で債権関係の本を購入しましたが、その著者でもあったと思います。

 端から期待できそうもない、金沢弁護士会を飛ばして、日弁連に人権救済の申立を行うか、検討してみます。


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2010年5月17日 (月)

ツイッター(平成5年精神鑑定書_5)

  • 平成5年精神鑑定書_5 - 写真共有サイト「フォト蔵」 http://goo.gl/TIZz 色々考えるところがあって、中断していました。ざっと見て、結論に結びつけた選択、除外が感じられます。一般的な社会経験が乏しいので理解できなかったのかもしれません。補足けっこうあります。 posted at 04:44:57

  • 平成5年精神鑑定書_5 http://goo.gl/TIZz (補足)3月23日の電話のことですが、初めに彼女は、どちらかというと甘えるような感じで怒って、「私彼氏おるし」「好きな人おるって、付きあっとると同じ頃やろ」などと言ってきたのですが、間もなく、すすり泣きを始めました。 posted at 04:49:09

  • 平成5年精神鑑定書_5 http://goo.gl/TIZz (補足)「心がけてくれ」という社長の言葉もなかったと思います。「Aちゃんも男その気にさせたんやし、付き合うか、付き合わんのかはっきりせんかったら、二股三股掛けとると思われるぞ」 posted at 04:51:12

  • 平成5年精神鑑定書_5 http://goo.gl/TIZz (補足)「お前ら、付き合おうとセックスしようと勝手や、会社関係ないぞ」などと締めくくったのですが、これは谷内孝志警部補作成の供述調書にも多分記載してあったように思います。 posted at 04:52:54

  • 平成5年精神鑑定書_5 http://goo.gl/TIZz (補足)「怖いから行けない」とだけ言ったような印象ですが、彼女はこの時も「行ける、行けるけど今日は行けん」と何度か繰り返し私が繰り返し理由を尋ねたところ、ずいぶん時間が経ってから、仕方なさそうに小声でそのように答えた。 posted at 04:56:14

  • 平成5年精神鑑定書_5 http://goo.gl/TIZz (補足) 理由を聞いたので、諦めるからそれでいいだろう、と何度も繰り返し念を押したのですが、彼女はずっと黙ったままで返事をしませんでした。そして事件当日のレストランでは、何故あのとき返事をしなかったという問いに、 posted at 04:58:31

  • 平成5年精神鑑定書_5 http://goo.gl/TIZz (補足)「電話じゃ悪いと思ったし」と言い、私は「でてくりゃ、よっぽど悪いわい!」という言葉が口から飛び出しました。この23日から事件当日の4月1日までの間は、記憶も鮮明で詳細に述べていたはずです。 posted at 05:01:36

  • 平成5年精神鑑定書_5 http://goo.gl/TIZz (補足) 事件当日、午前中に話したときは、彼女はそんなに不機嫌ではありませんでした。明らかにおかしくなったのは夕方に二階に上がって声を掛けたときでした。まだ紹介していない被告発人UHK(梅)の供述調書によると、 posted at 05:04:36

  • 平成5年精神鑑定書_5 http://goo.gl/TIZz (補足) 彼女は、「私、刺されるかもしれん。」と出がけに言い残したそうです。また、一緒の車に乗らないように言ったとも梅は供述しています。彼女は事務所の真横、トラック駐車場からの通り道でもある場所に止めていた、 posted at 05:07:28

  • 平成5年精神鑑定書_5 http://goo.gl/TIZz (補足) 私の車の中で二人っきりの状態で、そのまま車を動かすなと要求したのです。しかし、食事に行こうというと、少しほっとしたような表情を見せました。レストランに入ったときも、穏やかに明るくなったのです。 posted at 05:10:02

  • 平成5年精神鑑定書_5 http://goo.gl/TIZz (補足)「前の女の人」というくだりですが、これは私と前妻の関係を指しているように思われます。3月の10日過ぎ、事務所で私が、「二人の子供は辰年と寅年」だったと話したところ、側にいた彼女が泣き出したこともありました。 posted at 05:14:14

  • 平成5年精神鑑定書_5 http://goo.gl/TIZz (補足)そればかりでなく、Aさんとの関係の要所において滅多になかった前妻からの連絡がありました。これも偶然とは思えないところがあり会社外の被告訴人O兄弟らの関与を窺わせるものです。そこに目を向けるにも年月を要しました。 posted at 05:17:28

  • 平成5年精神鑑定書_5 http://goo.gl/TIZz (補足)鑑定人は、私が店の外に出てから「自分のことではないか」と考えたように書いていますが、当時私は精神的にも衰弱していて、自分の存在自体が信じられないという感覚に襲われ、彼女に訳を問い質そうと決意したのです。 posted at 05:21:09







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    平成5年精神鑑定書_5
    平成5年精神鑑定書_5 posted by (C)hirono-hideki


    おまけ:
    社民党党首福島みずほからのフォロー
    社民党党首福島みずほからのフォロー posted by (C)hirono-hideki

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    2010年5月16日 (日)

    ツイッター(告発関連まとめ:2010年5月15日分)

    http://twitter.com/hirono_hideki
    平成5年精神鑑定書_4 - 写真共有サイト「フォト蔵」 http://goo.gl/51WX このページは、簡略なものの、ある程度よくまとめて書いてあると思いました。細かいことはいずれブログで書く予定。他の人のTLの邪魔になってもいけないし。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14031987890

    http://twitter.com/hirono_hideki
    平成5年精神鑑定書_3 - 写真共有サイト「フォト蔵」 http://goo.gl/eA7K (補足): 裏駐車の間、1月に入ってから3回。彼女に声を掛け、自分のトラックの中で話をした。21日大喧嘩になったときは、「私の車の中で話そう」と頬笑みながら言ってくれたこともあった。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14031211994

    http://twitter.com/hirono_hideki
    平成5年精神鑑定書_3 - 写真共有サイト「フォト蔵」 http://goo.gl/eA7K (補足): 裏駐車は翌年2月1日まで続き、電話は1月12か13日に一度出るまで、一切出なくなった。供述調書では50回ほど掛けたと記録されているはず。正確な回数は不明。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14031132159

    http://twitter.com/hirono_hideki
    平成5年精神鑑定書_3 - 写真共有サイト「フォト蔵」 http://goo.gl/eA7K (補足): 「友達と一緒に」のはず。「ピッタリ」とは言った覚えもないが。裏駐車が始まったのは11月の終わり、伊吹山PAから掛けた電話の直後で、多分翌日から。電話に一切でなくなったのも対応
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14031004406

    http://twitter.com/hirono_hideki
    平成5年精神鑑定書_3 - 写真共有サイト「フォト蔵」 http://goo.gl/eA7K (補足): 4月から勤めたとなっていますが、本来の自分の記憶では5月の25日頃。有力なのが6月のです。K運送での長距離運行記録も差し入れられていたので、その内容に従いました。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14030791836

    http://twitter.com/hirono_hideki
    平成5年精神鑑定書_3 - 写真共有サイト「フォト蔵」 http://goo.gl/eA7K いくつかおかしな解釈をされていて、事実関係が不正確でもあるので、別途補足します。(以下同じ)
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14030359939

    http://twitter.com/hirono_hideki
    平成5年精神鑑定書_2 - 写真共有サイト「フォト蔵」 http://goo.gl/FqQq これは失った尊厳と権利の回復の前提とする客観的資料なので、墨塗りは最小限にとどめています。前妻のことですが、仲良くもしていました。必要以上に自分を卑下していたいもあります。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14030106530

    http://twitter.com/hirono_hideki
    http://bit.ly/birparにも先日、山口成良に関連して書いたツイートがあります。今、改めて警察の捜査というのは、恐ろしいもので人生の歯車を狂わせていくものだと感じています。自分だけでなく、周辺関係者を含め。なお、警察の供述調書は手書きで読みにくいですが、これは活字。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14029424548

    http://twitter.com/hirono_hideki
    この精神鑑定書は、専門家でもある第三者の目から、一通り事件の概要も書いてあります。私からすれば、呆れるほど突っ込みどころ満載の内容ですが、裁判では遙かに重く評価されたものと考えられます。基礎となったのが金沢西警察署の取り調べですから、そんなものかですが、確実に人生が狂ったのは事実
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14029166426

    http://twitter.com/hirono_hideki
    デジカメの写真のサイズは横幅1600ピクセルでしたが、後々の扱いやすさを考え1024に変更しました。少し文字が小さく読みづらいかもしれません。どうしてもという場合は、いったん右クリックからダウンロード保存して、別のアプリで開けば、拡大できると思います。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14028929947

    http://twitter.com/hirono_hideki
    これが精神鑑定書の表題部分です。全部ではありませんが、23枚撮影しました。http://art26.photozou.jp/pub/411/228411/photo/38400703_org.v1273915891.jpg 場所を移したので後の方が画質も幾分良くなっています。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14028803832

    http://twitter.com/hirono_hideki
    短い睡眠時間ばかりで頭もすっきりせず、やる気も起こらないのですが、精神鑑定書の実名部分の墨塗りをぼちぼち行います。読みながらなので時間も掛かると思いますが、実名のない部分を先に、ご紹介しておきたいと思います。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14028598978

    http://twitter.com/hirono_hideki
    Ubuntu 10.04のdigikamというソフトを使って、サイズ変更、連番付きファイル名の変更を終えたところです。「一括処理マネージャ」とか出来ていて、以前とは操作方法も変わっていたこともあり、手間取ってしまいました。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14028056313

    http://twitter.com/hirono_hideki
    デジカメ写真を手軽に管理 digiKam - 特選フリーソフト:ITpro http://goo.gl/IW8P 今これをインストールしたところです。VMware PlayerのUbuntuインストールし直したりしているので、これも入れ直しになりました。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14025951576

    http://twitter.com/hirono_hideki
    山口成良先生が秋の叙勲で晴れの栄誉に輝きました。 http://goo.gl/IjBD今外で、この先生が作成した精神鑑定書をデジカメで撮影してきました。写り具合はまだ確認していません。ずいぶん久しぶりにちらちら文言が目に入りましたが、今まで思っていた以上に問題もありそうです。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14025259304

    http://twitter.com/hirono_hideki
    杜子春 - Wikipedia http://goo.gl/Aeblから引用:原作の「杜子春伝」では、杜子春は地獄に落ちた後、女に生まれ変わって誕生するが、やはり全く物を言わず、結婚して子を産んでも喜びの声一つ発しなかったため、怒った夫が赤ん坊を叩き殺し、そこで妻(杜子春)が
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14020358752

    http://twitter.com/hirono_hideki
    権力闘争の凄まじさが、そこには描かれていました。他に個人的に最も強烈に印象に残ったのは、この本に出てくる「杜子春」の下りでした。通説の母ではなく、原典とも言われる子供の話です。拘置所に入ることになった事件を起こした時の、自分の心境に重なるものがありました。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14020265710

    http://twitter.com/hirono_hideki
    Amazon.co.jp: 則天武后〈上〉: 津本 陽: 本 http://goo.gl/BThs 上巻しか読んでいませんが、平成12年頃、金沢刑務所の拘置所の中で読みました。官本と呼ばれる施設備え付けの本です。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14020036368

    http://twitter.com/hirono_hideki
    世界の真実の姿を求めて! 東京地検特捜部の暴走で4人が自殺 http://goo.gl/2aKC 一通り読み、色々参考になりましたが、個人的に政治がらみの問題となると「則天武后」という本のことが、真っ先に頭に浮かんでしまいます。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14019872396

    http://twitter.com/hirono_hideki
    以下 http://goo.gl/2aKCから引用: 『知事は日本にとってよろしくない、抹殺する』。弟の取り調べ中に検事が吐き捨てた言葉です。事件の犠牲となった人を思う、その発言のあまりの軽さに驚かされます。
    http://twitter.com/hirono_hideki/status/14019776087


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    2010年5月10日 (月)

    被告発人:YSKの供述調書<平成4年4月20日付>

     この供述調書は、共謀共同正犯による殺人未遂事件として告発するにあたり、大きな意味を持つ書面です。なぜなら、このような交際の事実自体が存在しなかった可能性が高く、事件発生(平成4年4月1日)のおよそ9ヶ月前(平成6年6月下旬)から、周到な準備のもと計画が実行された事実を強く推認させる内容となっています。少なくとも被害者であるAAさんの父親は、彼の名前さえしらず、強く訝しんでいました。この供述調書にも登場する同じく被告発人のTTKによると、YSKは彼女にいい服を着て来てくれとせがまれ、自宅に招かれて父親と酒を酌み交わしたと話していました。

     この供述調書の具体的矛盾点や、背景事実につきましては、追ってご説明する予定です。なお、こちらも供述調書作成の警察官の名前が記されていなかった可能性があります。現物を確認し、これもお知らせする予定です。なお、この文章は、Hatena::Diary(はてなのブログ:現在プライベートモード)2006年10月7日公開の記事をもとに作成しました。


     (改行が非常に多いという文章の特徴がありますが、これも手書きの現物を、出来るだけそのままのかたちで再現したものです。)


    供述調書

     

    住居 金沢市○○

    職業 トラック運転手

    電話 xx局xxxx番

    氏名 YSK

    昭和四五年五月七日生(二一歳)

     

    右の者は、平成四年四月二〇日金沢市二口町ト七八番地一

    において、本職に対し、任意次のとおり供述した。

     



    私は今申した住居地に

    妻 ○○ 二三歳

    と二人住まいをしております。

    私の仕事ですが、

    平成元年頃から当時、

    金沢市二口町にあった

    市場急配センター

    という運送会社に正社員として勤め、

    二トントラックの運転手をしていたの

    ですが、この会社は 去年、

    市場輸送という会社と

    市場急配という会社

    に分かれ 私自身は、

    市場輸送

    の社員となったのです。

    その後、私は、大型免許を取ったことで

    会社を辞め

    平成三年一〇月

    からは、自分で購入した 四トントラック

    を持ち込みという形で、いってみれば

    フリーの契約運転手として この

    市場輸送で仕事をさせてもらっ

    ていたのです。

    ただ この会社では、魚運搬が主な

    仕事であり、この仕事は時期の

    ものである為、

    今年三月二〇日

    からは、

    桐畑運送松任営業所、

    の契約運転手となり、

    金太という会社の

    鋼材運びの仕事

    をして 現在に至っているのです。



    ところで、

    今年四月一日

    に、市場急配の運転手をしている

    廣野秀樹 二七歳

    という男が、同じ会社の事務員をして

    いる、

    AA 二一歳

    という女の子に 暴力を振い、被害者の

    AAという人については、今も、

    県立中央病院に

    入院中で、意識不明の重体

    である事は、

    市場急配に勤めている、

    友達のTTK君という人

    から聞いて知っております。



    この、廣野という男と、Aという女の

    子は 私自身知っている人達であり、

    実は、被害者のAAという女の

    子については、

    私自身以前付き合った事

    のある女の子

    でもあり、それで 今から、この二人

    について 特に、私と

    Aちゃん、つまりAA

    との関係等について お話します。



    先にお話しますが、廣野君については、

    個人的に付き合いは全くなく、ただ

    私の 無線仲間が、市場急配にいる

    ことから、時々、会社の事務所へ遊び

    に行く事があり、その際、事務所で

    顔を会わす程度のものなのです。

    私とAちゃんとの関係については、

    確か、

    平成二年秋頃

    だったと思いますが、当時、私が 二トン

    トラックの運転手として勤めていた

    市場急配センター

    に、Aちゃんが 事務員として勤め

    る様になったのが始まりであります。

    最初は、ただ、かわいい子だなと思って

    いただけなのですが、Aちゃんが勤め

    出して 四−五ヶ月程たった頃の

    平成三年春頃

    から親しく付き合う様になったのです。

    きっかけについては、Aちゃんの方が

    私の事を知っていた様なのです。

    私は高岡中学校の出身であり その

    頃の事を友達から聞いて知っていた

    らしく、花見(?文字不明=廣野秀樹)の話題があった為、

    どちらからともなく、親しく話しする

    様になり、親しくなってから一−二ヶ

    月位後には、

    お互い同意でセックスをす

    るまでの深い関係

    になったのです。



    この頃は、お互いに好意でつながって

    いたと思っており、Aちゃんの方は、

    毎日のように 私の弁当まで

    作って来てくれた

    のです。

    しかし、このAちゃんとの関係も、半年位

    した

    平成三年の夏頃

    には、終ってしまい、結局別れてしまった

    のです。

    と言うのは、Aちゃんと深い関係になる

    以前に、私には付き合っていた女性が

    おり、Aちゃんと付き合っていた当初は、

    この女性との付き合いはなかったのです

    が、途中から 又、この女性

    とのヨリが戻り、付き合いだした訳なの

    です。

    それで偶然、私の家へAちゃんを連れ

    て行った時、この女性も、やって来た為

    二人が 鉢合わせになってしまったのです。



    そこで この女性から私は、責められ

    た訳ですが、私としては決して 二人の

    女性の二俣をかけるつもりはなく、

    それで 三角関係というのに嫌気がさし

    結局、その場で三人で話し合い 私として

    は、誰とも、付き合わない ということに

    して、二人の女性とも別れてしまったの

    です。

    そのまま 一ヶ月位は、Aちゃんとも、

    その女性とも、特別な関係はなく

    私としては、今後 この二人の女性とは、

    もう付き合うこともないだろうと

    思っていたのです。

    ところが、その後 もう一人の女性の方

    と、又、付き合いを初(ママ)める様になり

    その後、この女性とは、今年三月に

    結婚した訳であり、つまり、

    今の妻になるのです。



    Aちゃんに関しては、昨年の夏頃に

    別れ、付き合いをやめてからは、その

    後、一切深い付き合いはしておらず

    勿論、その時期以降、セックスにつ

    いても、当然した事はありません。

    時々、会社へ遊びに行った際、Aちゃん

    と顔を合わす事はありましたが、

    私の方も、少し気まずい思いもあり

    本当にあいさつ程度の会話しかして

    いないのです。

    ですから、私と別れた後、Aちゃんが、

    誰か別の男性と付き合っていたか

    どうかについても全く判りません。



    ただ、廣野君が、Aちゃんに付き合い

    を求めていた事は知っています。

    と言うのは、

    今年一−二月頃

    だったと思いますが、私が、無線仲間

    を尋ねて

    市場急配の事務所

    へ行った事があるのです。

    その時は、事務所には誰もおらず、

    しばらく待った後、家へ帰ろうと思い

    自分のトラックに乗り、走り出したの

    ですが、途中の信号待ちの時に、

    私のトラックの前に割り込む様にして

    危険な運転で 軽四自動車が止まっ

    たのです。

    私もびっくりしてしまい 相手を見ると

    廣野君である事が判り、その時、

    廣野君から、

    ちょっと話があるから

    事務所まで来い

    と言われたのです。



    それで一緒に 市場急配の事務所へ

    行ったのですが、その時 廣野君から

    ケンカ腰の口調で、

    お前 Aちゃんと付き合っとるんか

    と言われたのです。

    私とAちゃんとの関係は実際終って

    しまっていたので

    いや 付き合っていない

    と答えたのですが、廣野君は、

    Aちゃんは付き合っとる好きな人

    がいるので 俺とは付き合えん

    と言っとる

    と話しており、それで この時 初めて

    廣野君は Aちゃん

    と付き合いたがっている

    事を知ったのです。

    その時 私としては、

    Aちゃんの性格は知っているが、

    とても廣野君のようなタイプの

    男とは 合わない

    と思い 廣野君は Aちゃんとは無理だ

    と感じました。

    一〇

    最近になり、廣野君から、

    Aちゃんにネックレス、プレゼント

    したけど受け取ってもらえな

    かった

    と言う話を聞き、

    やっぱり駄目だったか

    と思いました。

    以上 お話した様な訳であり、

    廣野君がAちゃんに付き合いをせまっ

    ていた事は知っていましたが、Aちゃん

    からは、その様な話は一切聞いた事は

    なく、又 私の方からも、聞きもしなかった

    のです。

    それが、今回の様な結果になって

    しまい、私もびっくりしてしまったのです。

    私の知る限り、廣野君の性格や考え

    ている事は全く判らず 気味の悪い男

    だと感じいていたのですが、今回の様に

    とんでもない事をしてしまうとは思いも

    しませんでした。

    Aちゃんには早く良くなって欲しいと

    思います。

    YSK

    右のとおり録取し読み聞かせたところ誤り

    のない旨申し立て署名指印した

    前同日

    金沢西警察署

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    石川県警察本部宛再捜査要望書(平成21年作成分)

    PDF版に比較すると欠落している部分があります。Emacs org-modeのHTMLエクスポートで作成(一部編集)

    石川県警察本部長に対する上申書(作成途中)


    〒920-8553 石川県金沢市鞍月1 丁目1 番地 石川県警察本部長殿

    〒927-0431  石川県鳳珠郡能登町字宇出津山分10-3 申立人 廣野秀樹

    1 金沢中警察署刑事課長への電話連絡について 2009-09-15 火

     昨日(9月14日)になりますが、午前中、自宅から金沢中警察署の方に電話を掛けました。初め取り次ぎの人に山出警部補をお願いしましたが、山出は署内に何人かいるので、わからないと言われ、留置場にいる人だと思いますと伝えたところ、留置場に電話が回された様子でしたが、男の人が出て、山出は今外に出ていていないと言われました。それでは、刑事課課長をお願いします、と言ったところ、ここは留置場なので直接取り次ぎが出来ないし、後日掛け直して受付の方から刑事課長に取り次いでもらって下さいと言われました。

     5分ほどしてから再度金沢中警察署に電話かけ直し、刑事課長に取り次いでもらいました。初めに自ら名前を名乗られ、「藤井です」と言われました。先日郵送した「石川県警察本部長に対する上申書」についてお尋ねしたところ、「今読んでいます。」と言われ、いつ届いたのか確認したところ、金曜日に届きました」と言われました。「詳しい内容の上申書を再度、郵送したいのですが・・・。」というようなことをお話ししたところ、能都警察署の方で話を聞いてもらうことにします。」と言われました。5分程度の会話だったと思いますが、電話を切ってから時計をみるとだいたい11時55分頃でした。

    2 金沢地方検察庁への電話連絡ついて 2009-09-15 火

     同じく(9月14日)、13時過ぎに金沢地方検察庁に電話をしました。長谷さんに取り次いでもらいましたが、今年度から担当になられた長谷さんと話をするのは今回が初めてでした。いろいろと長い話になり30分以上話していました。警察に18年前の事件の再捜査をお願いする上申書を提出することは先週に岸田さんにお話ししてありましたが、午前中に金沢中警察署の刑事課長に電話掛け、能都警察署の方に話を聞いてもらうことになったことなどをお話ししました。警察の方では過去の資料も十分ではないかもしれないので、記録をみせてもらえるのでしょうか、などとお聞きしたところ、初めはすぐに応じるような答えだったのですが、しばらくすると「要請に応じ判断した上で」というような言葉に訂正されましたが、締めくくりのような感じで「警察から協力要請があれば、真摯に対応します。」と言っていました、これは会話の流れからは、やや唐突に思われた言葉でした。

     また、17時頃にも再度電話をし、長谷さんと20分近く話をしました。開庁時間が17時15分までで、その終了のチャイムのような音が流れて、しばらくの間、話をしていました。能都警察署で受けた印象などを早い時点で、お伝えしておきました。

    3 能都警察署への電話連絡と訪問 2009-09-15 火

     能都警察署の方に電話をしたのは14時過ぎだったと思います。刑事課につないでもらったところ、すぐに話が進み、初め明日の13時に訪問することをお約束したのですが、電話を切ってまもなく、明日は用事のあることを思い出し、それで電話を掛け直し、役場での用事を済ませて、15時頃にうかがうことになったのです。実際は、役場での用事がすぐに終わったので、能都警察署に着いたのは14時42分ぐらいだと思います。役場と能都警察署は目と鼻の先にあるのですが、役場の前の時計をみると14時40分頃でした。能都警察署から帰るときのも同じ時計に目を向けたのですが、16時10分頃ではなかったかと思います。

     応対したのは見覚えのある刑事さんでした。「大家」という人です。今年の5月頃、自宅に二人連れで訪ねてきた刑事の一人でした。1時間20分ぐらい話を聞いてもらったことになると思います。「なにが言いたいのか、何をして欲しいのか」などと繰り返しとりとめのない質問されましたが、問題を把握されているとは思えず、話が噛み合いそうにもなく、長い説明をすることにも無理を感じ、書面に整理した上で、再度、話にうかがうことにさせてもらいました。

     この会話の中で、とても驚くことがありました。当然のことのようにホームページから被害者の名前を削除しましたよね、と言われたので、「していない」と答えたところ、とんでもない大問題のように言われ、即刻削除するように言われました。唐突に応じられない、と言ったところ、これは被害者の名誉毀損で、逮捕にもなりうる。警告だ、とも言われました。はっきりした言葉を覚えていないのですが、「神様の目線で、被害者の実名を公開するなど、とんでもないことで、誰でも、ふざけたやつだと思う。」などと言われました。

     私が納得のいかない点として、まず今日能都警察署を訪問することになったのは偶然に近いような成り行きであったことです。金沢中警察署に電話をしたのも、前日から考えていたことではなく、今朝になってから掛けておこうと思い立って、すぐに行動に起こしたことでした。能都警察署からの連絡についても藤井刑事課長から具体的なお話しはありませんでした。

     そして、5月の二人の刑事の訪問については、当日の模様をココログフリーのブログの方で書いてあるように、明らかに控えめな対応であったと思います。午前中の藤井刑事課長の話でも、どれほど事実や問題を把握されているのでしょうか、というような私からの問いかけに、私もパソコンには詳しくないのですが、という前置きで、どうもココログフリーのブログの方はホームページとしてお読みになられたような口ぶりでした。それも3月と言っていたと思います。

     山出警部補も、3月の電話で、「もう大丈夫、終わった。」と思って、ブログやホームページの方は全然みていないと話していましたが、能都警察署の方でも、実際に、ブログの更新状態などは、まったく確認していなかったことになります。そこでいきなり、逮捕までちらつかされ、頭ごなしの批判を向けられたのです。さらに、この時初めて、被害者が削除を望んでいると伝えられ、いつ頃そんな話が出たのかと質問すると、「知っていても教えられない」と言われ、問答無用の削除を求められたのです。

     公開の趣旨や目的については、これまでに何度も説明を書いてあるはずなのですが、内容もほとんど読まれていなかったとしか判断できません。  実名をA、B、Cなどに置き換えるだけで言い、パソコンなら簡単にできるだろうと言われましたが、もう5年以上公開を続けているはずで、過去の全ての記事を遡って、置き換えをするなど大変な手間になるので、やるのならいっそのこと全て削除する、と言いました。マスコミを含め誰にも理解されなかった問題なので、あっさり消してしまった方がいいとは考えていたと話したところ、当然のように納得されていました。別に実名を書かなくても文章は書けるので、関係者の人名はすべて○○に統一しようかと考えています。

     「ふざけたやつ」という言葉は、警察の真意ではなく、警察に寄せられた反応であったのかもしれません。実際に、被害者が削除を要請していたならば、このような中途半端な対応にはなっていなかったと思えるからです。実名まで公開して、問題を全く理解されず、相手にされなかったというのは、被害者にしても痛恨の思いがあるのかもしれません。もちろん私の説明不足という問題もあったのかもしれません。  この件については、近いうちに報道機関あてのメールで反応を確認した上で、全面削除などの対処をしたいと考えています。報道機関宛ですが、内容としてはこの上申書の一部になります。代表的な報道機関に対しては、書面にても郵送することを考えており、これも明確な回答を求め、捜査上の判断資料の一つにしていただきたいと思っています。

     いずれにせよ、情報の一元管理については、必要性を感じており、具体的な対処も講じており、その旨、9月10日付の上申書にも記載してあるはずです。その報道機関等の判断資料として、前回9月10日に郵送した上申書も、郵送に先立って、同じ内容の文書を報道機関等にメールで送信しています。これは、平成15,16年当時に、送信していたメールのリストを含めたので、送信先は千件を優に超え、確認してはいないのですが、千五百件ぐらいになるのかもしれません。今回も送信エラーがかなりありましたが、予想よりはずいぶん少なくなっていました。

     どれぐらいの数、問題意識を持って記憶されている人がいるのか確認しておきたかったのですが、リンクを張ったブログの方のアクセスは、普段より若干多めというぐらいでほとんど変化はありませんでした。

     「報道機関」が全く取り合わなかった問題ですから、誰も関心を向けなかったのかもしれません。最近になってメールの方でも少し反応が返るようになりました。数ヶ月前になりますが、「中国新聞社」からメールが届きました。この前の上申書でも、内容がいまいち変なのですが、「石川県危機管理室」というところから返信がありました。また、今し方確認したところ、「○○レストハウス」というところから、「送信先をお間違えではないでしょうか」という返信が届いていました。

     今後メール送信に関しては、特定の公益機関に絞り込む方針です。出だしに欠けていた部分を要約して盛り込む意味でも、前回は大掛かりな送信を行いました。結局何も変わらないのかもしれませんが、本来検証し、伝える立場の人に、捜査機関と同じ資料を提供することで、少しでも意味のある解決に向かいたいと考えています。

     大家さんからは、箇条書きで簡潔に書くように言われました。長い文章は読めないとも言われました。箇条書きで簡潔に書ける部分はそのようにしたいと考えていますが、それでは意味の持ち得ない部分というのもあると思います。18年前に捜査から切り捨てられ、放置された問題という一面もあるかと思います。

     大家さんには、「元を辿れば事件を起こした自分が一番悪い。それで誰かを非難するなど筋違いだ。」というような言葉を受けました。これが現場の捜査官の真意の認識だとすると、やはり問題があると考えますし、悲観を通り越して絶望的になりました。これまでの県警の対応からある程度、予想は出来ていたことで、やはりそのあたりに本質があるのかという気にもなりました。

     大家さんにも「被害者のところへは全体にいくな」と強く言われましたが、話し合いの場を持っても、解決など絶望的です。やはり平成11年8月の事件が決定的な羮(あつもの)となっているのかもしれません。金沢地方検察庁が石川県警に情報を開示していない限り、警察が知り得ない事実が沢山あるはずですが、これまで知ろうとした努力は、皆無に等しく、今回の対応をみても、面倒だから話を聞いておく、また、気休めで丸め込む、という姿勢以外は何も感じ取ることが出来ませんでした。

     このことは、金沢地方検察庁の方にも話しておきましたが、必要十分な捜査資料を公益の代表者である公訴官(検察官)に提出するのが警察の職務なのではないでしょうか。誤判の根本原因があると指摘されながら、まったく意に介さない体質なのかとも感じました。また、裁判においては検面調書こそ大きな意味があるはずだと言い、さらに、金沢地方検察庁が人手も足らず面倒だから警察に振り向けて寄越したのかという、言い回しの発言もありました。  供述調書についても、読み聞かせを受けた上で、判子(指印)をついてしまえば、もはや絶対的で、取り返しなどつかない、というような発言もありました。  立場上、警察を頼りにすがるしかないという思いもありましたが、度重なる不可解な対応と、不愉快は必然的に伴います、どうやら真相の解明など眼中にあるとは思えず、まともに相手にされているとは思えなかった、小馬鹿にされているような気がしたと、金沢地方検察庁の長谷さんには話しておきました。 いずれ、石川県警から回答を得た上で、再捜査が出来ないのであれば、金沢地方検察庁と相談し、単独で再審請求に踏み切るか否かを決めるつもりでいます。

     平成11年の事件では、金沢中警察署で取り調べを受けた警部補から、「(気分がころころ変わる)被害者ってそんなもんや」と言われたこともありました。被害者の○○さんの深謀遠慮で、石川県警の一部(中枢部分)は、その本質を露呈し、未だ気づくこともできないでいるのかもしれません。

     奇しくも、と言いますか、今日は再審請求のことで金沢地方裁判所にも電話を掛けましたが、あちこちに電話を掛け終わって、一息ついた夕方に、パソコンを付けると、元検察官でもある落合弁護士のブログのブログで、次のようなコメントを目にし、現実問題としてこういうこともあるのかと、改めて考えさせられました。以下引用します。

    ーーーーーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーー

    野獣、モンスターのような職員が出現してしまったことも恐ろしいですが、問題点を把握しながら見て見ぬふりをしたり証拠隠滅に走ってしまう組織の体質というものにも、同等かそれ以上に恐ろしいものがあります。

    役人というものは、長年勤め上げてくると、今さら何のスキルもなく他の仕事はできないしこのまま平穏無事に勤め上げたいと、保身に走る傾向が強くなるものです。そういった卑しい役人根性が、上記のような放置、隠蔽の背後にある可能性が高いでしょう。再発防止ということを考える場合、そういった卑しい役人が方々でウイルスのように巣くっているということを前提に、卑しい役人の善意に依存するのではなく、性悪説に立って、第三者のチェックを入れるなどの方法によるべきでしょう。

    http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20090911#1252640714

    ーーーーーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーー

     今になって気がついたのですが、これは9月11日のエントリで、見落としていたもののようです。

     夜中眠れなかったので、2時半ぐらいから書き始めたのですが、7時28分になっています。出来れば、今日の夕方までに、ここまで書いた書面を能都警察署の大家さんに届け、明日にでも話し合いを求め、その結果を踏まえて書き進める予定でいます。  昨日は17時過ぎに金沢地方検察庁に電話をしたあと、もう一度能都警察署に電話を掛け、大家さんに、「金沢中警察署や金沢西警察署のからむ問題でもあり、持参する書面ですが、石川県警察本部長宛の上申書」というかたちにさせていただきます。」と申し出ました。やや呆れたような感じで、「本部長の目に届くか、どうかはわからない。」と言われたので、「そういうことであれば、それでかまいません。」と伝えておきました。

     大家さんが一度には沢山読めないというお話しもあり、この上申書は県警の対応にも噛み合わせながら、少しずつ、書き上げ、比較的近い場所にあるということありますが、その都度、能都警察署の大家さんにお届けします。上司と協議の上、金沢の方にも連絡していただくということになっています。

     なお、この上申書は公益性の高い問題と考えますので、次のホームページで公開し、その都度更新いたします。 http://hirono-hideki-01.sakura.ne.jp/ishikawa_keisatu_honnbu/index.html

    4 県外の親戚の方々について 2009-09-15 火

     時刻は17時55分になったところです。結局、昨日の朝からずっと起きていて寝ていません。昨日は久々に異様に神経が高ぶって全く眠れませんでした。今日は早めに休むつもりですが、少しでも書いておきたいと思います。なお、本日は8時40分頃のバスに乗り、珠洲の病院に行って14時前に自宅に戻りました。少しして、能都警察署に電話を掛け、大家さんに昨夜、記載した分を印刷した書面を手渡して来ました。忙しそうで今日は話を聞く時間がないと言われました。

     15時過ぎには自宅に戻っていたと思いますが、母親の年金のことで電話を掛け、そのあとはちらちらホームページをみたり、頭もすっきりしないので無為に時間を潰してしまいました。余り早く寝ても夜中に目が覚めてしまいそうなので、いくらか時間を調整しています。  母親のことですが、やはり長くは生きていられず、何時死んでも不思議はない状態です。

     その母親が2ヶ月ほど前でしょうか、ふと「金沢の人は本当にいい人だった。」とつぶやいていました。もともと母親は京都の生まれと言うこともあり、宇出津には余り馴染めなかったようで、深いな想い出の方が多いみたいです。母方は京都の出自ということもあるのですが、母親の4人の兄弟のうち二人はずっと京都に住んでいて、もう一人が兵庫県、もう一人が愛知県に住んでいます。5人兄弟なのですが、11日の日に、その全員が珠洲の病院に集まり、同窓会に行った一人を除いて、連れ合い二人を含め、私を入れて6人で、恋路のホテルに宿泊しました。

     末の妹の人は長女で一番年長の母とはずいぶんと年も離れているのですが、その人は8月のお盆にも私の家で一泊して行きました。他の兄弟の人と会うのは、ずいぶんと久し振りで拘置所や福井刑務所で面会して以来でした。自分の記憶では福井刑務所で面会した記憶がなかったのですが、福井刑務所にも行ったと言われ、思い出してみるとそんなこともあったような気になりました。

     その場で、前日の10日に作成、郵送した石川県警察本部長宛の上申書をお見せしました。短い時間である程度の事情を理解して頂くには、その方が好都合だと考えていたのです。一太郎というワープロソフトで印刷すると、文字が多少細かめでしたが、A4用紙で5枚でした。この親戚のことについては後日別の機会で書いておきたいと思います。拘置所には京都から何度か面会に来て下さり、控訴審の私選弁護士費用30万円を用立ててくれたのも母親の一つ年下になる長男のおじさんでした。特段驚いた様子もありませんでしたが、その事については言葉数もそう多くはなく、「警察が金、払ろてくれるわけないがな」と言っていました。それぞれに事情もお抱えなようで、詳しいことは知りませんが、ずっと京都で西陣織の商売をしているので、この不景気の折、なにかと大変なのではないかと察せられます。その親戚の負担を少しでも減らしたいという思いもあるのですが、それには私が生まれてこのかた、ずいぶんと負担を掛けてきたということもあるからです。

     実際問題として、いつ死んでも不思議はない母の状態ですが、母親が死ぬと3ヶ月以内に今住んでいる宇出津の家を引き払って、出て行かなければならないことになっており、今回はその裁判の書面も見せてもらいました。こういう事情もあるので、私は先のことを急いでいるのです。

    5 金沢西警察署の事件捜査について 2009-09-17 木

     書いておきたいことが沢山あるのですが、昨日は他のことをやっていて一つも書けませんでした。時刻も17日の午前11時半を過ぎています。参考までに昨日は午後に宇出津新港にある職業安定所に行ったり、買い物もして来たのですが、大半の時間はSubversionという最近使い始めたバージョン管理ソフトで、管理除外のファイルの設定につまずき、長い時間を潰してしまいました。結局、設定の仕方などに間違いはなく、既にリポジトリにコミットで登録済みのファイルに対しては属性変更でも管理除外にすることができないみたいでした。独学でやっていると、こんな些細なことでも多くの時間を失ってしまうことになります。ただ、これはこの先、情報管理を進めていく上でも解決しておかなければならない問題だったので、クリアできたのは収穫でした。

     5月から8月までの3ヶ月間、珠洲市飯田の方でワープロと表計算の職業訓練を受けたのですが、やはり独学と専門的な教育との違いを痛感しました。独学でやっていると本当に時間を無駄にすることが多いです。結果的にはどちらも2級の検定試験に合格することが出来たのですが、あまり使ったことがなかったWordやExcelで、短期間で取得できた知識や技術も多く、本職(プロ)ともなれば、さらに恵まれた環境と機会があるのではないかと思いました。

     本職に対しては一目置き、信頼を寄せるというのも一般的な通念のはずです。近年は学歴というものも以前ほどは重視されなくなったように本職の絶対性という感覚もはるかに薄れてきていると思います。昨日は民主党政権のスタートという歴史的な転換点でもありましたが、世の中もずいぶんと様変わりしてきたと思います。私の問題の発端は平成4年という時代背景にあることも一つ念頭に置いて考えて頂きたいと思います。

    5.1 谷内孝志警部補の取り調べ 2009-09-17 木

     時間が経つにつれ、私自身の事実に対する見方というものも大きく様変わりしてきたのですが、書面を作成するにあたり当時の状況を思い出し、思い浮かべておりますと、昨日のことですが、また違って見え方がして来ました。事件直後一、二日の取り調べにおいては、「県庁に勤めていたお嬢さんが、そんなはずはない。」という言葉が口をついで出たぐらい、被疑者である私の話を聞きながらかなり当惑した様子でした。もちろん谷内孝志警部補の取り調べのことです。出頭直後に、自首調書というものを別の捜査官の取り調べで作成されましたが、それ以降の取り調べは全て谷内孝志警部補によるもので、別の捜査官から話を聞かれることもなかったと思います。

     言ってみれば谷内孝志警部補個人の人生観、社会観、恋愛観、独断と偏見によってのみ行われた事情聴取ということになりますが、日本における警察の取り調べとは、本来そういうものなのかもしれません。二、三日すると谷内孝志警部補の様子も落ち着き、私の話を一方的に聞き、ノートにメモをしながら、区切りがつくと、そのメモを見ながら供述調書の作成をするという作業に没頭していました。言い換えれば対話的な形式で問題を掘り下げていくという作業はほとんどなかったのです。

     昨日頭に浮かんだのは、谷内孝志警部補は取り調べの早い段階で、被疑者は精神的に問題があり現実的にまともな話ではない、と判断した可能性です。実際に、金沢西警察署において、私の供述の裏取りを行った形跡は全くありません。報告書のようなものも確認はしていないのですが、裏取りを行った上で、調べる必要性は、全く眼中になかった、ということになりそうです。

     私が事実関係を争った控訴審の裁判においても重視されたのは私の犯行時の精神状態でしたし、一ヶ月の入院生活を伴った精神鑑定まで受けました。確か、「被告人は精神的に未熟なので、事実を受け入れ認めることが出来ず、関係者に責任転嫁をはかったいる。」というような趣旨の判断も示されていたと思います。

     金沢西警察署は被害者やその家族の立場を尊重し、尽力したのだと思いますが、それは感情的なレベルの問題であって、ことさらに被疑者を悪人扱いし、責め立てただけであったと思います。被疑者、被告人の立場であった私にしても、いたずらに感情を害され、思考停止に陥るほどの大きな戸惑いを受けました。事件から2ヶ月近く経った平成4年5月28日、金沢刑務所内の拘置所に移送される直前の最後の取り調べにおいても、谷内孝志警部補は、「刑務所に行ってもかまいません。」という一文を供述調書に盛り込み、署名捺印させたことで、実に晴れやかで満足そうでした。被害者感情に報い警察官としての責務を全うした職務行為だと、自画自賛で手放しに喜び、それが絶対的に正しいと思い込んでいたのでしょう。

    5.2 関係者の供述調書 2009-09-17 木

     

    6 AKさんへの手紙について 2009-09-24 木

     23時28分を過ぎたところなのですが、今日9月24日、能登警察署の大家さん、石川県警察本部の生活安全相談室、金沢地方検察庁、金沢中警察署の藤井刑事課長に電話を掛けました。まず12時過ぎに能登警察署に掛けた電話でAKさんへの手紙を書くことを相談しました。個人的にはやめた方がいいと思うが、金沢の方の判断になると思う、と言われたと思います。結局、直接掛けた藤井刑事課長に本部から指示があった場合、内容を検討した上で判断していただくということになったのですが、事前の石川県警察本部の電話で、正式に再捜査の要望書を提出することになったので、石川県警察本部がどの警察署に問題を割り振り、どのような取り扱いになるのかもわかってはいない段階です。

     金沢地方検察庁には間を挟んで2回電話をしましたが、1度目が45分ぐらいで合わせて1時間かそれ以上話していたかもしれません。不意の電話で午後の執務時間を1時間ほどつぶしてしまったのですが、いろいろとお話しをさせていただき、今後の方針を定めるうえでもかなり参考になりました。どんな話をしたのかすべて覚えてはいないのですが、とりわけ印象に残ったのは、「警察も検察も、権限と責任の上で判断をしています。間違いがあれば相応の処分を受けることになります。」という言葉でした。また、「確定した判決にはそれだけの重みがある、と言うことです。」とも言っていましたが、これは長期間にわたり、私自身が身をもって痛感させられてきた問題でもありました。

    7 岡田進弁護士への電話 2009-09-25 金

     時刻は23時18分になっています。今日9月25日15時10分頃、岡田進弁護士の法律事務所に電話を掛けました。電話番号は金沢弁護士会のホームページにある会員名簿ですぐにわかりました。国選弁護人をした18年前のことについて、どの程度記憶があるのか確認しておきたかったのですが、即座に「全然記憶にないね。頭にないわねぇ。」と言われ、そうですかと言って、すぐに電話を切りました。いささか動揺が感じられたのは、応対で引き継いでくれた女性でしたが、フルネームを求められ、そのまま名乗りました。なお、岡田進弁護士には、「18年前の傷害、準強姦事件について県警に再捜査を要望する手続きを進めているところなのですが」と初めに伝えていました。

     その前に、金沢地方検察庁にも電話をしていましたが、担当の長谷さんはお休みとのことで、掛け直しをして岸田さんとしばらく話をしました。有罪を求めた検察官が求める結果を得て判決が出て、確定したのに、そのやり直しを検察庁が裁判所に求めて再審請求をするはずがないなどと言っていました。「どこの世界でも、自ら間違いがあれば、自ら間違いを正すのが当たり前」と反論はしておきました。「弁護士を頼んで裁判所に再審請求をするのが筋」というようなことも言っておられたので、岡田進弁護士のところに電話を掛けて、どのような認識でいるのか確認しておこうという気になったのです。

     これも午後で、13時を過ぎてからですが、能登警察署に電話をしました。大家さんは金沢に行っているので、今日は一日いないと言われました。自分の事件のことで金沢に行ったのか気になるところですが、これも確認の術はないでしょう。

     そろそろメインとなるAKさんへの手紙を書きたいところですが、なかなか取りかかる気分にはなれず、今日もほとんど時間をつぶしてしまいました。夕方に気分転換で宇出津の港の方に散歩に行きました。地元では「赤灯台」と呼ばれていたあたりですが、子どもの頃の遊び場の一つです。もう10年以上経つのかもしれないのですが、そばに団地が建っていて、その景色を見ていると、感慨深いものがありました。

    8 AKさんへの手紙(1) 2009-09-26 土

     

    8.1 はじめに

     18年の歳月が流れ現在、どのような生活をされているのかも私には知る由もありませんが、私なりに日々の生活のこと愛娘のAAさんの将来のことを案じております。思えば満足な謝罪も出来ないまま18年の歳月を無為にしてしまったことは非常に残念であり、力不足を痛感しております。打開への途を探ろうと闇雲に行動をした時期もありましたが、それもかえってご家族にご迷惑を与える結果になってしまったのではと省みております。

     自分なりに考え抜いたうえでのことですが、この度、石川県警察本部長に宛、18年前の事件の再捜査を正式に求めることにしました。思い出したくもない忌まわしい記憶かもしれませんが、重要な問題点がなおざりに放置されており、これはなんとしてでも解決させておきたいと考えております。また、これまではそのような問題に対する不満、憤り、焦燥感から、自分自身のAAさん、そしてご家族への謝罪もなおざりになってしまったと悔いております。

     原点に立ち返れば私自身の暴力から始まった問題ではありますが、そこに至った経緯についてもご理解していただきたい事情と事実があり、これはおそらく私自身しか知り得ない事実でもあると思っています。私は自身の責任としてこの問題を解決しようと取り組みましたが、自分一人の力では限界に達し、さらに問題をこじらせ、誤解を招くだけという行き詰まりを感じております。

     ただ、長い年月が掛かってしまいましたが、一定の成果を得ることが出来た、という思いもあります。一つは先日金沢地方検察庁の長谷さんから、「石川県警が再捜査を開始し、協力の要請があれば、真摯に対応します。」という言葉を得たことであり、金沢中警察署の藤井刑事課長からもAKさんに手紙を見せてもらうことを検討するという言葉を頂いたことです。電話での話ではありましたが、真剣さの伝わるものであったので、それも一定の成果なのではないかと考えております。

     なお、文中においては誰かを非難し責任を転嫁していると一般的に受け取られる内容があるかもしれません。しかしそれも客観的な事実の一部であって、よりよい判断をしていただくための正確な資料であると私は考えており、またそれが現実でもありますが、それぞれの立場や事情もあることなので、すべてを含めた上で検討して頂きたいことと、限られた紙面の範囲でこれからどれだけのご説明が出来るのか、私自身心許ないところもあるのですが、これが最後の機会になるのではないかという思いもあり、正直なところ、悲観的な気持ちになっております。

    8.2 平成4年の事件について

     18年経った今も決して癒されることのない大きな結果だと受け止めております。結果を発生させた張本人である自分が、とやかく言い訳がましいことを書くには抵抗感もあります。確かに言い訳になると思いますが、それだけの事情があったということは是非ご理解して頂きたいのです。本来、このような事情は取り調べを受けた警察や、刑事裁判の過程で述べるべき事柄と思われるかもしれません。そして自分自身で判決というかたちで事実認定を受けたと言うことは、自身が招いた結果であり、潔く受け入れるのが当然と思われるかもしれません。

     私自身、満足と納得のゆく捜査と裁判を受けたかったと痛烈に思っておりますが、当時の状況として諦めるしかないような困難があった、とも考えております。自分が招いたこととはいえ、余りに不利な立場でもありました。行為と結果は歴然とはっきりしているので、これは受け入れるしかないと思いました。あとは、意識不明の状態にあったAAさんの容体ばかりが気掛かりで、冷静に深く物事を考える余裕がありませんでした。空気が薄く感じられるほどに、息苦しくてたまらず、思考もまとまらず、ただひたすらAAさんの安否、回復を祈念するという状態でした。

     それでも事実に関する記憶ははっきりしており、取り調べには積極的に応じ、ありのままに体験した事実を話しました。取り調べを担当した谷内孝志警部補は、私が話す内容をノートに書き留めていましたが、主観的な判断で供述調書を作成していたと思います。限られた時間でまとまりのある内容の書類を作成しなければならないという、必要性にも迫られていたのだと思いますが、被疑者というのはあくまで受け身な立場であり、取り調べの主導権はすべて捜査機関の側に握られています。

     いまさらとやかく不服を言っても仕方のない問題なのですが、重要な問題点がすっかり抜け落ちた重大な欠陥捜査であったと思えてなりません。刑事裁判とは、起訴状一本主義とも言われるぐらいで、捜査機関が裁判所に作成提出した資料を前提に進められます。個々の部分に対して、どこがおかしいとか指摘しても埒があきそうにもないので、行いませんが、当事者の立場から総括すれば、本来のAAさんというのは、取り調べ、裁判の過程において存在しないに等しく、また、意図的に作り上げられた虚像が、現実のものとして認定され、処理されてしまっているのです。

     私自身AAさんの立場や真意を理解するのに、10年以上の歳月を費やしてしまったと思っています。それだけいたずらに、無意味に苦しみ続け時間も無駄にさせてしまいました。気が遠くなるほど長い時間考え続けてきましたが、出した結論は、AAさんをよく知るご家族の理解するAAさんの実像とも重なるはずです。この度、謝罪というのも私の大切な目的ですが、AAさんが当時置かれていた状況について、ご説明する責任があると考えております。被害者と加害者というお互いの立場ではありますが、私しか知り得ないAAさんの姿というのもあると思うのです。

     その上で、どのようなご判断をされるのかわかりませんが、裏付けのある客観的事実として、真相を解明するには、警察や検察の捜査機関に動いてもらうしかありません。根本に遡った是正措置として、私は18年前の事件の再捜査を求めているのです。

     言い訳と受け取られる部分もあるかと思いますが、確かに当時の自分は未熟でいたらず、暴力で物事を解決しようと考えたことが、そもそもの大間違いであったと反省しております。不快に思われる点もあるかもしれませんが、それも当時の、そして今の私の現実の姿として、受け止めて下さい。

    9 AAさんに対する謝罪 2009-09-27 日

     思えばこの18年間、ただの一度もあなた本人に謝罪の言葉を述べる機会というものがありませんでした。あなたが現在どのような状態にあるのかも私はまったく知りません。お父さんの被害感情が余りにも厳しかったというもの一つの理由ですが、私は自分が受けた捜査、裁判に対する不満と不服にとらわれ、直接あなたに会ったり、話したりすることなど夢のまた夢だと思い込んでいました。一時も忘れることなく、事件前よりいっそう強くあなたのことを想い続けてきましたが、ご家族のご理解をえることも出来ず、これ以上関係の悪くなることを恐れ、自分の気持ちを抑え続けてきました。

     あなたの気持ちを心より信じることが出来ず、本当に申し訳ないと思っていますが、私はすでに自分自身が信じられない状態にまで追い詰められ、あなた自身に答えを求めてしまいました。その結果は余りにも重大で、取り返しのつかないことになってしまい、不自由な思いもなされたことと思います。陰ながらご回復とご健康を切に願い続けていますが、残念ながら、あなたが現在どのような暮らしぶりをされているのかも、私は知ることができません。

     ご家族のご理解をえることも出来ず、あなたご本人のお気持ちを確かめることも出来ず、ご迷惑を考え、ずっと自分の気持ちを抑え続けていましたが、この先何があれ、この気持ちだけは変わらずに持ち続けて行きます。すこやかに暮らして行かれることを祈っています。謝って許されるようなことではないと重く受け止めていますが、本当にすみませんでした。

    10 AKさんへの手紙(2) 2009-09-27 日

     

    10.1 AAさんの置かれた状況(1)

     AAさんに対する私の現在の気持ちを謝罪として認めさせて頂きました。AKさんご本人に読んで頂けるかどうかもわからない手紙ですが、直接AAさんに読んでもらえるかどうかもAKさんのご判断にかかっていると思います。これは0時を過ぎてから急に頭に浮かんで、思いのまますぐに実行に移したことなのですが、強姦事件の加害者と被害者という関係に警察によって決めつけられ、加害者という立場で確定判決を受け18年以上、戸惑い悩み続けてきた私には、直接の謝罪など、本当にただの一度も頭に浮かぶことがありませんでした。まずは不当な汚名を雪ごう、そしてご家族のご理解を得たいという一心で生きてきました。私はこの18年間、女性と交際したことも一度もありませんし、ひたすら彼女のことだけを考えて生きてきました。

     どうして一人の女性にそこまで入れ込むことが出来たのか、それは彼女が魅力的な女性だったからという理由だけでなく、それだけ彼女が自分のことを真剣に考えてくれていた、という思いがあったからです。

    11 金沢法テラスへの相談 2009-09-28 月

     23時37分を過ぎたところです。今日もほとんどなにも手がつきませんでした。やったことと言えば、午後になってからですが、まず能登警察署の大家さんに電話を掛け、少し話をしました。直接県警本部に書面を提出することになりましたと、お伝えしました。それと、ご存じでない事情も多いようなので、ご理解頂くのも時間も掛かるし、難しいと思いましたと率直にお話ししておきました。

     県警に再捜査をして頂くことはかなり難しいと思っておりますので、その後の対応に専門家の力を借りれないだろうかと思い、法テラスに電話を掛けて相談しましたが、結果的に、「法テラスとしてお力にはなれそうにありません。」と言われました。

     そのあと、16時半頃になっていたと思いますが、金沢地方裁判所に電話を掛け、現在石川県警察本部に18年前の事件の再捜査を求め、書面を作成しているところですが、出来るのか出来ないのか明確な回答をもらった上で、出来ないと言われた場合、再審請求することになりますとお話しし、必要な手続きなど聞いておきました。これまでの対応と少し違ったと感じたのは、書記官の人が自ら名前を名乗っていたことですが、名前の方はすぐに忘れてしまいました。

     そのあと、金沢地方検察庁に電話を掛け、再審請求に必要な判決謄本についてお聞きしたのですが、係が違うので記録係の方に問い合わせて下さいと言われました。

     法テラスに相談をしたのはこれが2回目で、前回は3月でした。そのときも、金沢地方裁判所に電話を掛け、再審請求のお話しをしました。そのときは、再審請求の内容について少し踏み込んだお話しもしたのですが、今回は、そういうこともなく、私の方から、「これまでは事実誤認のような理由で行ってきましたが、今回は警察の捜査に重大な欠陥があったことを理由にします。」とお話ししておきました。準備は早いほうがいいと考えたからです。

    12 誰のための再捜査なのか 2009-09-29 火

     時刻は4時57分になりました。考えをまとめることが出来ず、頭の中で考えがまとまっても取り掛かることが出来ず、時間ばかりがむなしく過ぎていきます。他に事情もあるので近日中に書き上げて提出する予定なのですが、刻一刻と時間を無駄にしているもの実感しています。さりとて、とりとめもなく書き連ねてもまとまりが悪くなりそうです。

     ここ数時間、ホームページで「警察 再捜査」というキーワードで検索を掛け、あちこちのホームページをみていました。そのあと、石川県警本部のホームページから石川県内の各警察署のホームページをみて、警察署長の挨拶文を読んだりしていました。よくあるフレーズは、やはり「市民の安心、安全」でした。自分が金沢中警察署の山出警部補にストーカー扱いされた身であることを考えるとなお複雑な気持ちですが、やはりこれが、警察の使命であり存在意義の基本ではないかと思いました。

     一方で、事故死した息子の死因の真相究明のために再捜査を求めた遺族の手記が目に止まりました。一部引用してご紹介させて頂きます。

    ーーーーーーーーーーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  息子の死から4年1か月後の平成15年11月26日、北海道警察本部に傷害致死事件として刑事告訴しました。  私達は、息子の遺体が発見されて間もない頃から、警察や検察に捜査を求め続けて来ましたが、十分な捜査がなされないまま、バイクの自損事故事件として処理されてしまいました。しかも、私達が知らされたのは、「自損事故」「不起訴」という結果だけで、どのような捜査がなされたのか、どのような理由でバイクの自損事故と結論づけられたのかさえ十分に説明してもらえませんでした。

     4年間、苦労を重ねてようやく、この度の刑事告訴に至りました。けれども、警察が、積極的に再捜査に取り組んでくれなければ、真相は闇に葬られたままになってしまいます。

     刑事告訴を受けて捜査を担当することなった釧路方面本部を、今年の1月20日、私(富士子)は、2人の弁護団の弁護士とともに訪ねました。けれども、そこでわかったのは、告訴から2か月が経過しようとしているのに、警察が、全く何もしてくれていないことでした。担当の刑事さんは、検察庁にあるという以前の捜査記録の取り寄せさえしておらず、事件の中身さえ全く理解していませんでした。

    http://www.mika-y.com/kimura_jiken/ ーーーーーーーーーーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     この事件に関しては、数年前にもホームページを読んだことがありましたが、私自身すっかり忘れていました。似たような事件や問題は他にもいくつかあったと思います。被害者遺族が強く事件の真相究明を求めることはマスコミによっても当然のことのように報道されています。再捜査を求める私の事件ともいくらか共通点があると思うのですが、明らかな相違点もいくつかあります。

     第一に、被害者が捜査段階の時期にいわば死人同然の意識不明の状態であったものの、その後意識は回復し、ご家族も遺族とはなっていないことです。ただ、被害者が重い後遺症を残し、事件当時の記憶が戻ったのかも私にはわかりません。なによりも私が加害行為者という立場であり、事件を起こしてから4年10ヶ月の間、刑務所や拘置所という社会から隔離された施設での生活を余儀なくされ、それだけでも事件の真相から遠のいてしまいました。

     次に、被害者の家族が真相の究明を明示的に求めていないことです。むしろ接触を拒んでいますが、ずっとそうであったわけでもなく、その立場はいっそう難しいものがあるのだと思います。ご本人でない私が、被害者やその家族の、真意がこうだとは決めつけることは出来ません。しかし、その真意や立場を推認しうる事実、事情については、私として可能な限り説明してきたと思います。これは、主に金沢地方裁判所や金沢地方検察庁に対して、書面というかたちで提出してきたものです。

     私自身最近になって気がついたことなのですが、石川県警においては、このような資料などほとんど持ち合わせてはおらず、また、私本人も内容に踏み込むような質問を受けたおぼえがゼロに等しいぐらいにないのです。私は平成11年の8月に金沢中警察署においても取り調べを受けていますが、とにかく内容の浅い取り調べで、取調官の「被害者(家族)というのは、不安定なものや」という言葉に象徴された処理であったという印象です。一般的に、捜査官というのは執拗に事細かく話を聴く、というイメージがありますが、どこかで一線を引いて、そこには一切踏み込まないという意志さえ感じられました。

     この踏み込まなかった一線が、本来被害者家族が求めていた問題のように思えてなりません。解っていないのだから聴きようもない、という一面もあったように思われます。それに比較すれば、検察は膨大な資料と情報を持っていることになりそうです。事実上長期間私を独房に閉じこめて、書面作成に専念させたのですから、相当の分量にはなるはずです。

     ところで、このバイク事故の事件ですが、この事件の真相が仮に殺人や傷害致死であったとしても、犯人性が問題になるような難事件で、まかり間違えれば冤罪を生むということにもなりかねないのかもしれません。ご参考までに、次の事件もご紹介しておきます。やや長文の引用になりますが、参考になる点も多いと思われます。

    ーーーーーーーーーーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 蛸島事件(たこじまじけん)とは、1965年(昭和40年)に石川県珠洲市蛸島町で発生した殺人事件である。

    最終的に、事件は時効が成立することになるが、この事件で問題になったのは、捜査機関が見込み捜査を行い、真相究明ができなかったばかりか、冤罪をでっちあげて2人も拘束したことである。

    しかも、直接の殺人容疑でなく、全く事件に関係のない容疑で別件逮捕し、自白を強要する手法を行うなど無理な裏づけ捜査をしたために、真犯人を逮捕できなかったばかりか、捜査機関が冤罪を作り出すという結果となった。

    事件の概要

    1965年7月5日、能登半島の小さな港町である蛸島地区で、当時10歳の少年が行方不明となり、翌日他殺体で発見された。警察は初動捜査において容疑者を絞り込めなかったため、地区住民のうち小学校高学年以上のアリバイを調べた。地区外からの侵入者による犯行の可能性の検証・捜査を怠った「見込み捜査」であったとされる。

    冤罪

    8月11日、地区の青年が別件で逮捕され、実際には殺人容疑で徹底的に取調べが行われたが、アリバイがあったため8月22日に釈放された。続いて8月30日に当時16歳の少年を住居侵入と窃盗で逮捕し、前述の殺人についても犯行を「自白」させた。

    しかしながら、少年の逮捕容疑は半年前のものであり、しかも留守にしていた無施錠の親類の家(現在でも農村部には見られる風習で、玄関に鍵をかけず親しい者同士で自由に出入りするのが普通であった)に入ったというもので、窃盗も警察が親類に無理矢理被害届を出させたという、いわゆる別件逮捕であった。

    このような、無理な捜査によって出された「自白」のみが殺人事件の唯一の証拠であったため、検察は起訴したものの、金沢地方裁判所七尾支部は1969年6月3日に無罪判決を出した。検察側が控訴を断念したため、同少年の無罪が確定、冤罪との評価が定着した。

    事件の問題点

    捜査機関が、事件における様々な可能性の追求を怠り、事件の早期解決を焦るあまり見込み捜査をしたために、再捜査後、時効成立により真相解明ができなくなる、と言う最悪の結果となった。

    また、別件逮捕は被疑者を早期に勾留するために、しばしば日本の捜査機関が行う捜査手段であるが、この手法については不当逮捕を禁じた日本国憲法第34条および刑事訴訟法第 204条以下に違反するものであるとの指摘もある。ただし、別件容疑自体も起訴に充分な場合(たとえば、被疑者を拘束するために、殺人容疑が本命でも死体遺棄容疑で最初に逮捕する)には容認できるものとされている。しかし、この事件では起訴すらも難しい容疑であるうえに、全く本件に関係のないものであった。

    前述の金沢地裁七尾支部の判決文では、警察・検察側の別件逮捕・勾留を厳しく戒める文言が盛り込まれた。

    http://www.weblio.jp/content/蛸島事件

    ーーーーーーーーーーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     なお、URLに日本語が含まれていますが、これは私が使っているパソコン環境がLinuxで、文字コードがUTF-8なので日本語のまま扱えているのだと思いますが、Windowsパソコンであれば、エラーが起こるかもしれず、その場合、サイトのトップページで、「蛸島事件」と検索を掛ければ表示されるはずです。

     捜査機関が熱心な余りに起きた未解決事件の典型例とも言えるのかもしれません。対照的な用ですが、不熱心で手堅い見込み捜査、という印象も私は自分が受けた金沢西警察署の事件処理に対して感じております。その事件処理に対して、被害者家族が真に満足しているのか、そこに思いを向け、そんなことを問題にした形跡もこれまでの石川県警察の対応には、うかがうことが出来ません。

     私は金沢西警察署の捜査や事件処理が非常に問題の大きい欠陥捜査だと考えております。その理由や及ぼした影響については、他のところでも述べていきますが、誠に僭越ながら、この再捜査というのは石川県警の県民に対する安全、安心のための信頼回復、名誉挽回の機会なのではないかと思います。仮に検察が事件を解明してしまったらどうなるのでしょう。警察は頼りにならない、危なっかしい、おまかせしたらかえってとばっちりを受けそう、へたに関わりを持つと人生をメチャメチャにされそう、こんなに抜けているのか、知恵を使えば悪いことができそうだな、などと思う人が出ても全く不思議はないと思います。

     前に、金沢地方検察庁の長谷さんが権限と責任、処分について触れたことを書きました。その続きになりますが、私が「処分って、どういうのがあるんですか?」と質問したところ、すぐに「警察のことはわかりません。わかっているとしても、私が説明をする必要はありません。」と言っていました。すでに警察内部での処分が相応という示唆であったのか、正確なことは測りかねますが、ご参考の上、さきざきの影響を慮ったうえでも善処して頂きたいと思います。

     なお、ここで一区切りとして関係各機関にメール送信させて頂きますが、「石川県危機管理室」様におかれては、国家国民、とりわけ石川県民の利害得失に関わる問題のご紹介、ご案内でございますので、決して県警本部への送信間違いではありません。返信も無用に存じます。

    13 平成4年金沢西警察署の捜査の問題点 2009-09-30 水

     

    13.1 準強姦罪について

     金沢西警察署の捜査取り調べにおいては極めて重大な欠陥があったと考えます。もともと男女間のもつれで発展したような傷害事件ではありましたが、極めて皮相、短絡な事件としての捉え方しかされてはおらず、実態に即した必要十分な捜査が尽くされたとは到底考えられないからです。

     被害者に暴力をふるい大怪我を負わせ、その状態にある被害者に対して性行為に及んだという事実は間違いありません。また、犯行状況や加害者である私の動機、心理状態については概ね被疑者の言い分を汲み上げた供述調書にはなっていたと思います。ただし、その裏付けがまったくなされてはおらず、吟味した形跡が全くうかがえません。

    13.2 再捜査の必要性について 2009-10-10 土

     

    13.2.1 本書面の構成について 2009-10-10 土

     9月15日から本書面を作成しておりますが、やはりといいますか、考えもまとまらず、集中して取り組むことも出来ない状態が続きました。書きたいことは山ほどあるのですが、長期間に及ぶ問題でもあり、何をどのように書けばよいのか、それだけでもずいぶんと戸惑ってしまいます。

     最終的な書面の内容のまとまりと状況の変化に対応したご説明を第一に考え、異例かと思いますが、日記風の構成で書面を作成しております。先ほども前回の更新から10日間ほど経過していることに気がつきました。私の現在置かれた状況は大変に厳しいもので、どうにもならない心配事も沢山ありますが、最悪、遺書ともなる最後の書面になりうることも考えながら作成しております。

     読みづらくわかりにくいところもあるかと思いますが、そのような状況のもとに作成している趣旨をご理解願います。なお、パソコンはLinuxという一般になじみのうすいオペレーティングシステムを使っており、文章の作成にはEmacsというソフトウェアのorg-modeというものを使っています。インターネットとの親和性が高いというのが第一の理由です。たとえば、コマンドひとつの操作で見出しリンクのついたHTMLファイルを作成することが出来ます。

     また、ファイルの管理にはSubversionというソフトウェアを使っており、複数のパソコン環境で統一的な編集、管理ができるようにしています。これにRailsというWebアプリケーション開発環境を連携させているので、編集した状態を簡単な操作で、即座にホームページに反映できる使い方をしております。本書面はインターネットでの公開を前提に、先取りしたかたちで作業を進めています。最新の編集状態は次のURLでご覧になれます。

    http://hirono-hideki-01.sakura.ne.jp/kokuhatu/ctx1/kennkei

     本文には誤字脱字がない限り手を加えないつもりですが、見出しや階層的な配置、構成については再構成を予定しています。見出しには基本的に日付を付することにしており、単独の見出しは当日の記述分として独立するようにしており

    Author: 廣野秀樹 <hideki0001@gmail.com>

    Date: 2010-05-10 06:38:40 JST

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    2010年5月 6日 (木)

    石川県警察本部長宛上申書【平成21年9月10日】

    上申書
    石川県警察本部長殿

    平成21年9月10日
    郵便番号927-0431 石川県鳳珠郡能登町字宇出津山分10-3
    廣野秀樹

     下記の通り、上申します。

     初めまして県警本部長殿。この書面の内容はもともと金沢中警察署刑事課長宛に提出する予定のものでした。今年の3月頃から予定していたのですが、なかなか考えをまとめることが出来ず、考え抜いた末の判断として、予定の変更をした次第です。
     時刻は2009年9月10日の午前1時40分を過ぎたあたりです。事情もありまして、この書面は取り急ぎ本日中に書き上げます。
     まず、求める趣旨から明確にしておきます。
    1.2006年10月10日当時金沢中警察署刑事課長の職であった者、及び金沢中警察署山出警部補の辞任を求める。
    2.極めて不適切な職務執行により被った不利益及び慰謝の措置として金壱千万円の支払いを求める。

     以下、その理由及び事情についてかいつまんだご説明をさせていただきます。
     まず、私の現在の状況からお話ししますが、今年の3月の中頃から失業状態で、失業保険の給付を受けているものの来月で切れます。母親が8月の31日に脳溢血となり珠洲市の病院に入院しておりますが、左半身が麻痺状態の寝たきりで回復の見込みもありません。その問題の協議で遠方の母方の親戚が11日に集まることとなりました。この書面は、現在及びこれまでの経過を理解して頂くために親戚の人に読んでもらう意味も含めて作成します。
     刑事課長らの処分を求めることは私自身よくよく考えたうえでの結論であり、それ故、予定していた期日のぎりぎりまで考えもまとまらず踏ん切りがつきませんでした。
     2006年10月10日当日の問題につきましては、一通りの事実を次のブログサイトに掲載してあります。改めて書くとなると時間も掛かる上、書面が膨大に膨れあがってしまうので、とりあえず今回はホームページのご紹介というかたちにとどめさせて頂きます。
    http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20061010/1160485787

     山出警部補らの対応は私に計り知れぬ衝撃を与え、理解に苦しみ続けてきました。当時金沢地方検察庁宛に、事件関係者らの告訴手続きを行っておりましたが、衝撃から立ち直ることができないばかりか、日々に戸惑いを募らせ、十分な取り組みもできないまま公訴時効を迎え、今日に至っております。
     山出警部補は私をストーカーと決めつけ、逮捕勾留をちらつかせたうえ、被害者方に連絡を取らないなどという誓約書を書かせました。これは一見するとまともな職務執行に見えます。唯一絶対的な根拠は、AKさんが会いたくないと金沢中警察署に申し出たことと思われます。
     山出警部補自身、そのとき、確か2年前の4月から一月に一回はAKさんの自宅を訪問し、膝を突き合わせて話をしている間柄で事情は知悉しているという自信満々の態度でした。そういうことも言われたので警察の立場を尊重し、信頼に向けた理解に努めましたが、いたずらに苦しみ抜き、他のことにも満足に手がつかず、心身ともにすさみ続けただけでした。
     長い間考え続けて、確信に近づきつつある結論は、山出警部補がAKさんの立場も真意も全く理解せず、勝手な暴走で事態を一層深刻に紛糾させたという事実です。警部補一人の判断で行えたこととも考えにくく、指揮体系としての監督責任もあると考えますので、金沢中警察署刑事課長においても同様の対応を求めます。辞任というのは自ら警察官を即刻辞めることです。中途半端になると予想される処分より、潔く即刻警察官を辞めて頂きたいと切に希望します。

     次に、平成4年に私が起こした傷害・準強姦事件について再捜査を求めます。こちらは金沢西警察署に自首出頭したことで、捜査、取り調べを受け、懲役4年の実刑判決を受けました。この事件の問題性の一環として、私は金沢地方検察庁に、供述調書を作成した関係者らを共謀共同正犯による殺人未遂事件として、告発、告訴をして来ましたが、受理されることはありませんでした。最終的な金沢地方検察庁の対応は、金沢地方裁判所に再審請求をしてください、というものでした。
     日が変わって一昨日になりますが、9月8日の午後、金沢地方検察庁に電話を掛けました。前任の担当者であった高松さんから「ハセ」という人が引き継ぎで後任になると聞いていたのですが、当日は不在で庁舎に戻るのが17時頃になると言われたので、岸田という人と話をしました。取り次ぎの人には、上司の人をお願いしたのですが、明確な役職などは明らかにしてもらえませんでした。捜査官室の大きな机に座っていた戸澗(とま)さんは、だいぶん前にいなくなったと聞きましたが、戸澗(とま)さんの後任のようなお立場ですかと尋ねたところ、曖昧な返事でしたが、概ね認めるような返事でもあったと思います。その岸田さんに当面今後のことについてご相談したところ、私がまず警察の方から明確な回答をもらった上で、方向性を見極めながら再度、金沢地方検察庁に連絡をするということになりました。

     仮定の話としてですが、警察が18年前の事件について再捜査をし、関係者らを逮捕送検しても、それは通常の刑事手続きであり、なんら問題はないとのことでした。
     ただ、この時も確定判決を受けた過去の事件に関しては裁判所に再審の手続きをするのが通例というような言い方もされました。今から資料を探してみると言われていたので、どこまで事情を把握されているのか、非常に心許ない気がしましたが、警察が捜査を進めることについては、全く問題のないような対応でした。

     私は以前、金沢西警察署に相談に行ったことがあり、その場で「文句があるのなら、裁判所に言え」と言われたことがありました。岸田さんにその話をしたところ、普通はそうなる、と言われました。また、それと近い時期に、AKさんからは「文句があるのなら、警察に言え」と言われたことがありました。あれから10年ほど経過した現在でも同じ警察に「文句があるのなら、裁判所に言え」という趣旨の回答が出るのであれば、それに従う他術はありませんが、それはずいぶんと無理がある上、不適切だと考えておりますので、素人の考えではありますが、事情と経過に即して、意見を述べておきたいと思います。

     まずこの問題は誰も相手にしていないという事実があります。マスコミや政党、衆参両議院、大学などにも長い間に渡ってメールを送信したりしてきましたが、アクセス状況から見て、全く相手にされていないと判断する他はありません。あり得ない話だと思われているのか、所詮他人事なのか、面倒な関わりを持ちなくないのか、理由もわからず、これも長い間、気を患わせ考え続けてきた大きな問題のひとつです。3ヶ月ほど前でしょうか、能登警察署の刑事が二人、自宅を訪ねてきて、あちこちにメールを送っていることで、被害者の実名を出していることに、問題視する声が沢山警察に舞い込んできているという報告は受けました。

     結局、AKさんらが沈黙している以上、被害者の立場が最大限に優先され、犯罪者としての烙印を押された私は、全く取り合ってももらえず、見向きもされないのです。警察がそんなに間違った判断をするはずがない、という揺るがぬ負託と信頼もあるいは大きいのかもしれません。私は平成15年からインターネットを使って、事件に関する情報を公開しております。AKさんらの実名も早い段階から出していました。ご本人の意向も確認していなかったので、そのあたりの話し合いを含めてAKさんの自宅を訪問したところ、近いうちに連絡を入れると言われたものの音沙汰がなく、一週間ほど経ってから再度自宅を訪問したところ、自宅前に待ちかまえていた金沢中警察署の山出警部補らに、言語に絶する酷い扱いを受け、ストーカーと決めつけられたのです。これは社会生活を送る上でも、深刻な陰を落としました。

     また、昨年の10月頃には、派遣先の会社で上司の人から、別の問題もあったのですが、「自分のことを心配しろ」と言われた上で、度々警察が会社に来て社長にお前のことを聞いていると、深刻そうに言われたこともありました。この問題については、今年の3月に山出警部補に電話で話をしたところ、「これだけは言いておくぞ。わしはそんな汚いマネをせん。」と非常にしつこいぐらいに繰り返していました。同じ石川県の警察が会社に話を聞きに来たことはまず間違いのない事実のはずですが、それを同じ警察官で、あれほどの暴挙をやってのけた山出警部補の口から、汚いという言葉出たのは、いったいどうなっているのかという、不信感を掻き立てられ、警察の不適切な立ち回りが、自分の不利益としてのしかかってくるのではないかという、不安な気持ちにもなりました。

     平成4年の事件のことですが、谷内孝志警部補が独占的な取り調べの担当で、見込み通りの大悪人に仕立てた供述調書一式を、こしらえてくれました。最近考えるようになってことですが、それは弁護士や裁判所の度肝を抜くほど、問題性の高いものであったように思えます。谷内孝志警部補からの具体役な質問で、唯一記憶に残っているのは、「なぜ、警察署に出頭したのか」という質問で、これだけは熱を入れて真剣に問いかけてきました。あとは半日ほど私の話を聞きながらノートにメモを取り、そのあと同じぐらいの時間を掛けて、もくもくと作文のような供述調書の作成に没頭していました。読み聞かせの時、私がその表現はおかしいと指摘しても、薄ら笑いを浮かべ、「おんなじ、意味や」というだけで、とりつくしまもありませんでした。
     それでも私が話した具体的な事実は、ある程度供述調書に書き込んでくれていたので、一定の理解はされているのではないかと、ある程度の期待はしていたのです。これも警察官を信頼してしまったための、取り返しのつかない悲劇、災難の始まりであったのかもしれません。

     これも10年以上経ってから徐々に考えるようになり、大きくなってきた見解なのですが、被疑者であった私のみならず、なにより被害者及びその家族をナメ腐りないがしろにした、皮相なデタラメな捜査で、誠にはかりしれない不満と屈辱をAKさんに与えたのではないかと言うことです。ある程度の資料を見れば、大方は誰にでも判断できそうな問題ですが、思い上がりと無能に支配された欠陥捜査官の目には、なにも映っていなかったのかもしれません。そればかりか、被告発人、被告訴人らに便宜の供与を受け、手心を加えて事実をねじ曲げていたのではという疑念も払拭は出来ません。
     ちなみに、当時は別の連続空き巣事件の捜査で金沢西警察署の刑事課はずいぶん忙しかったそうです。手柄の掛かる未解決事件に目が向きすぎて、男女間のもつれの自首事犯など適当なやっつけ仕事で、処理されてしまったのかもしれないと考えることもあります。なお、その空き巣事件も解決には至らなかったと聞きます。

     本件は、私の不当判決の基礎となった金沢西警察署の問題だけでなく、AAさんを殺人未遂の被害者とした告発の事実、そして法律的には無理があると思いますが私を殺人未遂の被害者とした告訴の事実とも重なる問題であり、事件です。それをいきなり裁判所に持って行けと言うのは、どう考えても無理があり、また適切ではないと考えています。
     そのあたりを明確にした回答をお待ちします。なお、私はこのまま仕事が決まらない可能性も高く、生活保護でも受けなければ生きていけないか、親戚の人にも多大の負担を掛けてしまいそうです。これまでにも迷惑を掛けてきましたが、そのあたりの事情も含めて、喫緊の対応をお願いいたします。

     また、これまでにもインターネットで資料や情報を公開して来ましたが、プログラムを使って状況と条件に応じた柔軟な対応の出来るサイトの構築を進めています。これだと条件設定で、特定の部分の表示、非表示の切り替えが出来たり、一元的な情報の管理もしやすくなるからです。
     現在のところ、主なブログサイトは次の5つです。
    http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/
    http://hirono-hideki.blogspot.com/
    http://blog.goo.ne.jp/hirono_2005/
    http://hirono-hideki.cocolog-nifty.com/blog/
    http://sites.google.com/site/hirono0001/

     これからメインにつかうレンタルサーバは、準備が整い次第、「はてな」と「ココログフリー」のブログでご案内をする予定です。
     次のふたつのエントリに比較的最近の私の問題に対する認識がまとめあります。金沢中警察署の刑事課長宛に提出する予定でしたが、現時点ではアテにも出来ず、郵送料金の無駄にもなるので提出しない考えです。なお、すべての資料はコピーするなり、ご自由にお使いいただいてかまいません。
    http://hirono-hideki.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-6c72.html
    http://hirono-hideki.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/test-45fc.html

     回答を受けた上で、これから先のことを考えていきたいところですが、18年前の事実を現実の事実として評価、認定されるところから初め、Aさん家族にも謝罪できれば、と希望しています。金沢西警察署にいたとき、2ヶ月足らずの間に120キロほと離れた宇出津から13回ほども面会に来ていた母ですが、もう歩行はおろか、自力で立ち上がることもできないかもしれません。
     AKさんも、男性の平均寿命に近づきつつあるはずです。AAさんの後遺症の程度はわかりませんが、両親がいなくなったらどうなるのかと考えています。莫大な損害賠償を警察に支払ってもらうことが、今となっては唯一救いの途なのかもしれません。それにしても、市民が納得いける妥当な賠償、保障を求めたいと考えており、また、その税金の負担は関係者らに求償されるべきと考えております。そのあたりも、情報公開の重要な趣旨の一つです。
     その他、その都度経過をご案内致しますので、当面は主にhttp://hirono-hideki.cocolog-nifty.com/blog/のブログをご覧頂きたいと思いますが、むやみに更新するようなことはありません。時刻は5時を過ぎたところですが、今回はこれで切り上げたいと思います。以上宜しくお願い致します。

                                                                         以上

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    2005年10月5日に個人サーバで公開したデータ(事件の概要)

    10月5日 (日) 12:54:14,  事件というのは平成4年の4月1日の起こりました。私が起こしたのです。この外形的な事実関係については、これまで一切の争いはありません。
     罪名は傷害と準強姦罪。後者は追起訴になり、併合審理を受けました。
     被害者は同じ会社に勤める女性事務員、AA。当時21歳です。私はその当時27歳でした。彼女との関係はその前年6月頃に私が、K輸送から事件の舞台になったIセンターに移ってからのことです。
    彼女と個人的な関わりを持つようになったのが、9月の中頃からで、10月の5日の夜の電話で、私は彼女に初めて交際を申し込みました。それから事件に至る半年ほどの間には、実に様々なことがありました。その積み重ねが、事件へと結びついたのです。
     彼女は、私が出頭した金沢西警察署から石川県立中央病院への搬送中、救急車内で、意識を失い、少なくとも3ヶ月ぐらいの間は、意識を失ったままで、意思表示をすることが出来ない状態だったようです。
    一応意識が戻ったと聞いたのは、その年、6月30日の公判の時でした。この公判が結審になり、8月3日に懲役4年の実刑判決を私は受けたのです。
    逮捕拘留から実質審理を受ける間だ、当人である被害者から話を聞くことが出来ない状況だったので、判決の基礎となった事実関係は、会社の同僚や、上司らによる供述と、被害者の両親によるものでした。
    要約すると、私が一方的に彼女に好意を抱き、執拗に交際を迫り、いい返事をもらえなかったことから立腹し、ついには殴る蹴るの暴行に及んだ、というものです。
     両親のことはとりあえず、除外します。しかし、この事実は、両親の供述というものは、極めて感情的なもので、法的効力を持つような信用性は、乏しいものだという印象を導きました。
    「知らぬは親ばかりなり」という印象です。しかしながら、本件では、幸いなことにこの通説を覆すような事実経過が、存在します。この点につきましても、後日ご説明したいと考えております。
     両親の供述供述調書も、私は見ておりますが、具体性がありません。それもそのはず、通常、自分の娘の会社のことは、ほとんど何も知らないものと言えるからです。ある程度の、会話はあったと思いますが、それによると彼女は、親切で優しい人たちのいる会社などと話していたそうです。
     警察としても、会社内の問題であり、会社の関係者の話を重視し、それを中心に捜査を進め、刑事手続きを進めたことは想像に難くないところです。
     どのような経過があったのか、私は当日に身柄を拘束されているので、直接には知る由はありません。ただ、初めから面会禁止などされておらず、何度か面会もしているので、おおよそのことは伝わりました。
     当時私は、これを自分と彼女の個人的な問題と考えていたので、大変なことをしでかした以上、理解や見方をしてもらうことは無理だと考えていました。それに頭の中にあったのは、彼女の容体の回復ばかりでした。
    意識不明の状態で、いつ死んでしまうかもしれず、このまま植物人間になる可能性も高かったのです。それ以外のことを考える余裕などほとんどありませんでした。
    自分にとって、不利な方向に進んでいるとはうすうす感じていましたが、ここまで本格的に警察の厄介になったのも初めてだったので、半信半疑のまま成り行きに任せるしかなかったのです。
     私は、3歳ぐらいの時に父親を亡くし、兄弟もおらず、母親一人に育てられました。父方の親戚は地元宇出津でしたが、行き来もほとんどなく、母方の親戚は、京都方面ばかりで、金沢には一人の親戚もおらず、このあたりも不利に働いたと思います。
    当時会社以外でつきあいのあった友人は、同郷の二人だけでした。この二人は、福井刑務所を出たときも向かえに来て、そのうちの一人は金沢刑務所を出たときにもきました。どちらも事前の連絡はありませんでした。
     初めから母親には、親切に頼んで費用を工面するので、私選弁護士をつけるように勧められていたのですが、私はお金で自分の罪を軽くするようなことは潔くないと考え、それ以上に彼女の両親に、これ以上悪い印象を与えたくないという配慮からこれを断っていたのです。
    国選弁護人が付き、一度だけ面会があったのですが、具体的な打ち合わせのようなものはありませんでした。
     控訴審の時は、私も考えを改め、事実を明らかにするのが自分の責任だと考えるようになり、私選弁護人を選任してもらったのですが、これも具体的なやりとりが乏しく、弁護士は私の意見や主張など採用せず、精神鑑定の請求をし、心神喪失もしくは心神耗弱の線で、弁護活動を行いました。
    上告した最高裁では、東京の弁護士が付き、そちらから事件の関係者の供述調書のコピーが送られてきました。縮小版です。
     それを見て、私は初めて事件の真相らしきものに触れることが出来たのです。そこには普通に生活していたのでは、決して知ることが出来ないような事実が多数含まれていました。
     事実は予め用意されていたのです。会社の連中の共同作業によって、彼女がいかに利用され、翻弄されていたのかも窺い知ることが出来ました。
    その内容を合理的に解釈する限り、彼女や私の意思というものは、存在しません。予めその存在を消す、つまり殺してしまうことを大前提に、進められていたとしか考えられないような問題が発覚したのです。

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    [告発]ツイッターでのつぶやきのまとめ【2009年5月5日(水)】

    私は被害者AAにある事実を詰問して、事件に発展したのです。言葉で回答を得ることは出来なかったと思いますが、強姦となっている行為の直後の彼女の言葉は、「ここどこやぁ」でした。 #hirono_kokuhatu
    posted at 18:48:31

    #hirono_kokuhatu にまとめるようにしたので、是非ごらんください。 このタグを使って、ご意見やご感想、ご諮問も募集します。矛盾点や不明な点があれば、ご指摘大歓迎です。
    posted at 15:11:28

    アモール・ファティ: [告発]ツイッターでのつぶやきのまとめ【2 http://goo.gl/3Ivg  昨日のつぶやきから告発に関するツイートまとめてあります。ちょっと長くなって、内容も断片的ですが、ドラマのように繋がっていくはずです。 #hirono_kokuhatu
    posted at 15:03:43

    もう一度テスト #hirono_kokuhatu
    posted at 14:39:47

    作成ハッシュタグのテスト すぐに削除 #hirono_kokuhatu
    posted at 14:35:04

    @hashtagsjp #hirono_kokuhatu 石川県警、金沢地方検察庁、金沢地方裁判所、金沢弁護士会に関する社会問題を告発
    posted at 14:32:48

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