言及ブログ

2009年3月22日 (日)

すべてを疑ってみている法律家

リンク: 2009-03-17 - ボ2ネタ [ボ2].

http://diabetesinsipidus.blog75.fc2.com/blog-entry-326.html

裁判官も,あらゆる証拠を,信用していませんね。特に,フォーマルに作成されたものほど,疑いながら読んでいます。

中立な第三者の証言は信用できる? いいえ,やみくもに信用したりは絶対にしません。

法廷で,直接聴く証言は信用できる? いいえ,それでは,演技が上手な人が常に勝つことになってしまいます。

真実は,生の証拠の片隅に宿っているものです(例えば,看護記録に手書きで書かれた記載など)。

もっとも,これまでは,職人芸的な探偵顔負けの裁判官が少なからずいたのですが,

裁判員制度の開始で,証拠提出が極端に制限され,生の第1次証拠が極力提出されなくなる(検察官がダイジェストにまとめた二次証拠に替えられる)ことや,審理期間があまりにも短縮されること(ほぼ1日で判断しなければならない)で,このような職人芸は継承されることなく,絶滅するおそれがあります。

裁判員制度は,国民が,検察官を100%信頼し,生の第1次証拠から真実を探す作業を全面的に当事者のみに託した制度であり(少なくとも未提出の生の第1次証拠から真実を探せなかったことについて裁判官は何の責任も問われないことになります),かつ,法廷の証言ですべてが明らかになるという誤解?に基づいた制度であるとも言えますね。

 言及しようと思いつつ、長くなりそうなので先送りをしていました。時間が経つとエントリを探すのも時間が掛かりますし、何かにかまけて忘れてしまうかもしれません。後ほど他の記事で、言及することになると思いますが、メモをかねて登録しておきます。

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会社とわが子の問題という視点

リンク: 毎日・日野記者に問う:「わが子『使い捨て』できるか」を問うのは経営者ではなく、議員、有権者では? - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊).

アメリカのマサチューセッツ工科大学での調査によれば、在学生の40%がテレ ビを持っていないという。彼らが情報を得る手段はインターネットやネットテレ ビだという。

テレビ離れが進む中で、今、注目されているのがアメリカの独立系テレビ局「DEMOCRACY NOW」。9.11同時テロの時も巨大メディアがブッシュ政権のイラク侵攻を支持する中、疑問を投げかけ続けたテレビ局だ。その編集方針は「ニュースは個人から生まれる」「当事者の声にこそ真実がある」という「コミュニティ・ジャーナリズム」を重視していることだ。そのニュース番組は午前8時から全米 268の局で放送され、午前9時からは同じ番組が320のラジオ局で流れる。
そして、昼までには、動画とテキスト全文がネット上に発信される。発信したニュースに対し、視聴者は局のサイトに書き込みを行うことで双方向の放送が作られていく。番組では、主催者の女性ジャーナリスト、エイミー・グッドマンに密着取材を試み、ニュースを発信するまでの流れを追いかけ、巨大ネットワークでは拾いきれない、個人の意見がどの様にニュースに反映されるかを検証する。

一方、ネット大国・韓国では「個人発のニュース」が動画ポータルサイトを賑わせている。市民がパソコンを持って、事件の現場に出向き、その一部始終をサイトで生中継しているのだ。きっかけは昨年6月、「大統領退陣デモ」にまで発展したBSE問題。そのデモの引き金となったのがインターネットのポータルサイトに投稿されたリポート映像、つまり個人発のニュースだった。その影響力に驚いた韓国政府は、サイトへの発信者や運営者を逮捕、また、モニタリングを強化する新たな立法に走るなど、表現の自由をめぐり議論を巻き起こすことになっている。番組では、巨大メディアが報じなかった分野にも光を当てるとともに、個
人発ニュースによる新たなメディアの実態とその可能性に迫りながら、放送の未来はどうあるべきかを考える。

 いろいろ参考になりました。昨夜、ブログのタイトル名を「再審請求に向けて」に変更したところですが、私のブログも個人ニュースの配信という意味があると思います。やるべきことに取りかかっていない段階ですが、今日もこれからのことをいろいろ考えていました。

 これまでは告発、告訴事件として情報公開を行っていましたが、アクセス数は低迷するばかりで、問題に対する理解とは程遠い現実を受け止めるしかありません。告訴、告発問題と再審請求の問題は不即不離の関係にありますが、やはりよく考えてみると先行した不当判決の解決から始めるのが妥当という気がします。

 それでは、これまでの金沢地方検察庁の対応は何だったんだ、という疑問も起こりえますが、平成19年の4月から告訴状を提出すると言いながら、出さなかったのも私の方ですから、一方的に金沢地方検察庁に非があったとは言えません。もっとも期待の出来ない中途半端な状態に置かれたということはあります。

 具体的内容に触れないで、突き返されるのは堪えましたし、仕事上、生活上の不安も大きくなっていきました。そういうなかで、派遣社員の仕事をしていたのですが、記事の初めの方は、その派遣社員の問題を取り上げており、これも身につまされて考えさせられることが多々あります。

 アクセス数は低迷どころか、予想を超えてものすごく少ないです。これが現実だったんだなと、改めてしみじみ感じますが、そこに気がつくのも遅すぎたような気もします。記事は流れてゆくばかりで、誰の目にも止まらないかもしれませんが、立ち止まることなく先に進むしかないと今は考えています。

 元記者弁護士の記事を読んで、共感に近いものを感じたのは、これが初めてかもしれません。以前、「某氏ではないプライバシー云々」と言われたことがありましたが、それは被害者家族のことだと考えました。金沢中警察署刑事課長を通じて、その被害者家族に、理解と協力を求めて行くわけですが、それは18年近くも経て、ようやく振り出しに戻るようなものです。

 警察の不適切な捜査が、被害者家族の感情を不必要に逆立て、理解と解決からはるかに遠のかせたという一面も大きいような気がしています。そのあたりは、取り調べの可視化の問題にもつながるものが大きいと考えています。

 被害者家族の不満も、警察に対するものが大きく、根深いものなのかもしれません。少なくとも、お金の面では大きな損失を被っているはずです。公判にも何度か傍聴に来ていましたが、判決公判に姿を見せることは一度もありませんでした。最高裁を除いて4回の機会があったはずです。刑事裁判の記録を証拠に起こした民事裁判でも、平成7年に3600万円の勝訴が確定していますが、請求することは一度もなく、少しでも支払っていきたいので、振込先の銀行通帳を作って欲しいという、私の申し出にも、「気持ちは受け取っておく」と言いながら断っていました。

 父親との会話で、印象的に強く残っているのは、「再審が開始したら、その時は話を聞く」、「文句があるなら警察に言え」、「お前を一生苦しめてやる、どれだけ金を使ってもかまわん。刑事は終わった。今度は民事や」などですが、今度は民事、という言葉は平成11年8月8日の夜に出たものです。その直後に、私は父親に対する傷害事件を起こし、平成13年の12月31日まで、金沢刑務所で生活することになりました。このあたりの事情も詳しく書いておきたかったのですが、アクセス数の低迷で、見送り続けてきました。書いたところで、見向きもされず、理解されることもなく、流れてしまうと考えたからです。

 ブログのエントリというのは、時間が経つと流れてしまい、管理する本人でも探し出すのが困難になることがあります。タイトル名と内容が一致していない場合、特にそうなりますが、余り具体的なタイトル名にすると、トラックバックの受け入れにも支障が出そうで、中身を見ずに拒まれる可能性も高いと考えていました。それに個別にエントリを対応させていると、それだけ数も増えて、探しにくくなります。ブログを更新しなければ、エントリの数も増えず、状態もそのままになりますが、停止、停滞の習慣もそのあたりから始まったような気がします。

 「わが子『使い捨て』できるか」ということですが、被害者の父親とは義理の親子になっていたかもしれない関係です。使い捨て、と言えば、これまで裁判所や検察庁に膨大な資料を書き送ってきましたが、すべて無に帰すことも意味します。被害者本人やその家族の視点からの反応が全くなかったのも、残念です。それだけ警察や司法を信頼しているのかと、考えることもありますが、あり得ない理不尽をやりながら、誰も目もくれず、放置している現状に、もっとも危機感を募らせ、あきれているのは検察かもしれません。

 それほどの犠牲が必要とされるのかと、気がついたとき、弁護士はどれほどの信用を失い、蔑視の対象となるのかと想像することもありますが、あるいはそのための補充としての大幅増員だったのかもしれません。  はてなや、ココログのアクセスカウンターが正常に機能しているのであれば、そうとしか考えられない気もします。説明がまずかったのか、とか自分自身の原因もいろいろ考えてきましたが、ここまで少ないと、どうにもなりそうにありません。

 それは、ヤメ記者弁護士に代表されるように、被害者家族のプライバシーを尊重しているのかもしれませんが、ご本人らが、どう受け止めているのかも、気になるところですし、私に出来ることは正しく正確な情報、判断材料をご提供することです。

 派遣切りや使い捨て、というのも会社の問題ですが、私の告発、告訴の情報公開というのは、もともとそこから端を発しているのです。父親母親にすれば、無論、我が子の問題であるはずです。

 翻って、落合弁護士は検察と国民の問題について、次のように述べています。

感想めいた話になりますが、東京地検特捜部の「成功体験」というのは、やはりロッキード事件ではないかと思いますね。田中角栄元首相ほどの実力者を、逮捕、勾留の上、起訴し、政治の圧力をはねかえして、高裁まで有罪、実刑を維持し、元首相の死後、最高裁でも、他の共犯者の裁判で、元首相の共犯性が認められ、我々は腐敗、不正と闘うヒーローなんだ、大多数の国民は必ず指示してくれるはずだ、というのが組織を支配する、共有されている感覚でしょう。そういったヒロイズム、強烈なエリート意識、それらが次第に歪んだものになってくる過程における驕り、裁判所、弁護士、政治家等々、様々な人々を見下し馬鹿にして臨んで行くことによる危険性といったことが、現在の国策捜査批判へとつながっているという側面も見逃せないでしょう。
しかし、自民党による一党独裁状態が終息し、政治改革もある程度進んで、昔のような「巨悪」はなかなかつかまらなくなり、特捜部の存在価値をどこで見出すかを模索する中で、ある時はライブドア事件のような事件をやってみて「市場の守護神」を気取ろうとしてみたり、今回のように野党第1党の党首の秘書を政治資金規正法違反で捕まえて政治資金の不透明な流れに切り込んで見せようとしたりと、あれこれやってはみても、昔のように、世論は腐敗、不正と闘うヒーローとは見てくれず、むしろ、立件の背景に不透明、不明朗なものを強く感じ、国策捜査批判といったことが広く語られるようになってしまいました。いくら、そんなことはやっていないと強弁しても、そもそも、国民に対して捜査の正当性をきちんと説明する姿勢すらない以上、不信感は募るばかりででしょう。
今後は、ブラックボックス化した、内偵、立件、強制捜査にあたっての令状請求といった過程に、例えばアメリカの大陪審制度のように国民が関与し、立件の意味なり価値、といったことについて、例えば、政治資金規正法違反のような陳腐な形式犯を、今、この時期にやる意味なり価値があるか、といったことを、単に役人が密室で決めるのではなく、国民が審査し決める、といった制度の採用が真剣に検討される必要があるでしょう。捜査の正当性といったことについて、単に、エリート検事が政治とは隔絶したところで厳正にやっているから、といった点に求めるのではなく、国民も関与しつつ、全面的には無理としてもある程度の透明性を確保することによって担保する必要があるように思います。
成功体験に酔いしれるうちに失敗し破滅する、といった人や組織は少なくありませんが、東京地検特捜部にとっては、ロッキード事件によるそれが、今や大きな足かせとなっているという見方が可能かもしれません。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20090321#1237633749

 小倉弁護士のブログでは、モトケンブログに対する反論のエントリのなかで、「国民を欺く」という言葉が出ていました。

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/03/post-94d6.html

 まったく知らない顔で目もくれず、問題を放置してきたというのも、社会正義を使命とすると謳っている弁護士、という立場からすれば、それに近いものがあるのではと考えることもあります。

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2009年3月20日 (金)

矯正教育の取り組みが、命の重さをかみしめ、心からの償いにつなげる場であってほしい

リンク: まいまいクラブ - 記者の目.

 こうした取り組みは犯罪被害者支援という世論の高まりを受けて始まったが、当初は門は閉ざされていた。鈴木さんはメッセージ展を始めた翌02年から市原刑務所に展示の開催を求めてきたが、断られてきたという。鈴木さんは「昔は刑務所に入ることもできなかったのに、今は飛躍的に変わった。加害者との接触を希望する遺族には道を開かないといけない」と話す。  メッセージ展の会場で聞いた言葉を思い出す。「本当に来てほしいのは加害者なんだけどね」という、大学生の娘(当時20歳)を飲酒運転の車に奪われた母親(61)のつぶやきだ。歳月が流れても、遺族の心には「加害者」の存在が重くのしかかっている。  「加害者として活動したい」と話した市原刑務所の男性は出所後、就職など多くの壁に直面し、思いを実現するのは難しいかもしれない。だが、少なくとも自分の罪と向き合い、新しい生き方を考え続けると信じたい。矯正教育の取り組みが、命の重さをかみしめ、心からの償いにつなげる場であってほしいと思う。

3時間ほど掛けてコメントを書いていたのですが、Firefoxがクラッシュしてしまい、再度起動して元の状態に戻したものの、引用以外の書きかけの部分は、きれいに消えてなくなっていました。

 これからは定期的にいったん下書きとして保存するか、エディタで書いたものを使うように気をつけたいと思いました。Firefoxは、突然終了することがちょくちょくありますので。

 今回は、記事の紹介にとどめ、別の機会に言及したいと思います。

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2009年3月19日 (木)

報道の価値判断は報道機関が決める

http://motoken.net/2009/03/18-233238.html

 モトケンブログのエントリの中で、たまたま見つけたのですが、引用記事の「報道の価値判断は報道機関が決める」の部分が気を引きました。政治の問題らしく、内容については関心もわかなかったので、リンク先の記事も読んでいません。

 マスコミ批判を目にすることも少なくないモトケンさんが、「こっちが正論でしょうね。」としているところも、多少気になりましたが、私と元検察官弁護士が運営するブログとの間で、どういういきさつがあったのか、知る人も少ないでしょう。私の発信する情報の価値を、大きく殺いでくれたものモトケンさんという一面があります。

 金沢地方検察庁の方も、徐々に対応が強硬になり、判断は検察が決める、などと言っていましたが、私の情報の価値というのは、検察に対する国民の理解という点でも大きなものがあったと考えています。

 個別の事件が憲法判断を変え、刑の廃止にまで至った例があることは、尊属殺人の事件で、知らないはずはないと思われますが、報道機関の発する2次情報以外には、関心もおありでないようです。素人がしゃしゃり出ると、商売がやりにくくなると言う一面でもあるのでしょうか。

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死刑の是非に議論殺到「死刑囚獄中ブログ」 ココログニュース:@nifty

リンク: 死刑の是非に議論殺到「死刑囚獄中ブログ」 ココログニュース:@nifty.

死刑が確定した当日、小田島死刑囚は「”人は死期を悟ると真実が見えてくる”と云われるが、いまだ私には何も見えてこない。真実を見極める能力そのものが欠落しているからだろう。しかしいま、処刑を待つだけの身になってからは見るものすべてが懐かしく思え、生きている小さな虫までがとても愛しく思えるようになった。この世のすべてのことに意味があり素晴らしいことに思えるようになった」と記している。

今年に入り、小田島死刑囚は「死刑囚が懺悔し、悟りを自覚して処刑されることは、犯人の自己満足にすぎず、遺族の方々にとっては不快極まりないことではなかろうか?」と自らの選択の意義を問う一方で、「死刑囚になり、死を確実なものとして考えるようになって初めて、生きていることのありがたさ、命の尊さが、わかってきた思いがする」とも語っている。

 このニュース、今日の昼過ぎ、ボ2ネタで知りました。すぐにリンク先の件のブログを見ましたが、できたてのほやほやどころか、記事をさかのぼるとブログのスタートが、2007年の10月になっていました。

http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_bc03.html#more

 そして、先ほどココログフリーの管理画面を見ていると、脇にあるココログニュースの中に、同じ問題を取り上げたと思える記事のリンクがありました。

 自分自身、拘置所や刑務所で獄中生活を体験しており、悔やんでも悔やみきれない、取り返しのつかない過ちを犯した身として、いろいろ考えるところがありました。

 控訴を取り下げ、刑が確定しているので普通は外部との連絡は親族か、特別に許可を受けた身元引受人に限られるはずです。判決が確定していない被告人は未決収容者と呼ばれ、比較的自由に外部と連絡がとれますが、判決が確定してしまうとその時点で、既決囚、受刑者という処遇になります。

 受刑者には累進処遇制度というものがあり、進級することで制限も緩和されましたが、初めの4級生では、親族であっても面会は月に一度、手紙も月に一通だけでした。この累進処遇は、同じ受刑者でも、工場出役者だけが対象であったと思います。

 死刑囚は執行されるまで拘置所に拘置されるはずですが、自分の想像で4級生と同じ扱いになるのかと考えていました。ブログ記事の数はかなり多いようなので、月に一度の手紙や面会で、これだけのやりとりが出来るというのも考えにくいところですが、それだけ処遇の制限が軽減されているのかもしれません。

 月に一度の手紙というのは原則でしたが、許可を受ければ特別発信をすることは出来ました。再審請求を行っている様子もなく、ジャーナリストのブログ記事のために、刑務官が特別発信を許可しているとも考えにくいところです。

 ちなみに平成12年頃までは、未決囚でも手紙は一日に2通だけで、土日祭日は行えません。一通に付き便せん7枚という制限もありましたが、枚数超過という願い出を出すことが出来、確か2通で40枚以上の便せんを出したこともありました。

 もちろん拘置所の検閲も受けているはずですが、死刑囚という遠い存在が身近に感じられ、法務省自体もオープンな方向に進んでいるのかもしれません。

 思い出すのは、平成5年頃か、確かアサヒ芸能という週刊誌に、死刑囚の手記が連載されていましたが、それも警視庁の元警部の死刑囚でした。死刑制度自体を批判する内容が少なくなく、確か死刑制度に対する抗議として自ら上訴を取り下げ、確定したはずです。卑猥な内容も散見されましたが、かなり赤裸々な記事でした。もう15年ほど前になりそうですが、既に執行されているのでしょうか。

 私自身、その週刊誌は拘置所の独居房の中で読んでいて、死刑囚というのはさぞかし大変だろうと想像していました。

 自分自身、今日になって初めて死刑囚のブログの存在を知りましたが、急に脚光を浴びたのも不思議な気がします。自分と同じココログのブログであることはすぐに気がついていましたが、2007年の10月といえば、もう一年ほど前になりそうです。

 本当に世界初なのかどうかもわかりませんが、今でもこれからも、マスコミがテレビにでも取り上げない限り、それほど知られる存在ではないような気がしました。

 多くの企業が広告や宣伝費に多大の投資をするとは、ずいぶん前から知っていましたが、そういう報道による影響力の大きさというのも、改めて感じました。自分自身、広告やCMを見て、商品を買った経験が乏しく、そういう気も起こらないので、以前は軽く考え、不思議にも感じていましたが、報道というのは想像以上に大きな特権ではないかと考える今日この頃です。

 今日は、どこかで「報道の価値は我々が決める。」というようなフレーズを見たのですが、後で探して、取り上げておきます。

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2009年3月16日 (月)

刑事事件のあり方を考えさせられる

リンク: 法と常識の狭間で考えよう: 東京江東区OL殺害事件から刑事事件の公判審理のあり方を考える.

 今回の公判審理において忘れられているのは、被告人の防御権であるとともに、刑事裁判において、その事件が起きた背景や原因、そして被告人がどうしてその犯罪を犯してしまったのか(又は、犯罪を犯さなかったのか)である。その視点が完全に抜け落ちている。検察官は、ただ、今回の犯罪がいかに残虐非道かだけを立証し、その背景や原因の究明は全くなされていない。

 また、遺族に対する証人尋問の際に、被害者の幼い頃からの50枚以上の写真や動画をスライドショーとして映し出した際に、その最後に、マンションのゴミ捨て場の写真とゴミが堆積された「夢の島」のような写真をモニターに映して尋問した点については、証拠上、ゴミ捨て場に遺体を捨てた証拠もないのに行われたものであり、その写真は、「イメージ写真」であったが、このような証拠に基づかない写真が審理に持ち込まれて量刑資料とされるようなことがあってはならない。

 最高裁判所が最近発表した「模擬裁判の成果と課題-裁判員裁判における公判前整理手続、審理、評議及び判決並びに裁判員等選任手続のあり方」の「はしがき」では、「もっぱら裁判員のことを念頭においたこれらの配慮が一面的になり過ぎると…真相を解明するという刑事裁判の基本的な要請や、被告人の防御権の保障を軽視するということに繋がりかねない。」として、この点に対する「反省」を示しているようにも見えるが、極めて不十分である。

 今回の事件は、この事案について死刑か無期かが妥当かという問題だけでなく、その公判審理のあり方について大きな疑問があり、それはそのまま裁判員裁判への疑問にも繋がるものである。その意味で、この事件の公判審理のあり方について議論を深めることが必要だと考える。

 今日は13時30分ぐらいに金沢地方検察庁に電話を掛けました。それまで告訴状の提出を前提にしていたのに、急に、「裁判所の方に再審請求をしてください。」と言い出され、具体的な説明を求めると、「説明の義務はありません。」と言われて、一方的に電話を切られてしまいました。

 これまで中断したまま、2年近く放置していたので、思い当たる節がないわけでなく、この前の電話でも、小嶋さんに、「具体的な犯罪事実の記載がありません。」だけの説明で突き返され、それも「金沢地方検察庁検察官」というどこの誰だかわからない名義では、アホとしか思えん、などと言ったのもあるいは影響しているのかもしれません。

 実際、誰にも見向きされなくなったのですから、先に進めることも出来ませんでした。

 結局、金沢地方裁判所に電話を掛け、再審請求の話をしたのですが、新証拠がなければ門前払いにしか出来ず、それも以前と同じ主張は出来ない、というように言われました。説明の中で、2回ほど、再審請求は検察官の方からも出来ます、という話があったので、あらかじめ予定の筋書きが出来ているのか、と感じました。

 元はといえば、金沢地方裁判所から金沢地方検察庁に移った問題で、それが再び金沢地方裁判所に戻された格好でしたが、あらかじめ見込みのないことを言われたので、今回は半年から一年間の時間を無駄にせず、5分から長くて10分程度の電話で済みました。

 自分でやるか弁護士に頼むしかないと言われ、費用が工面できないと言うと、法テラスのことが出たので、すぐに金沢の法テラスに電話をしました。扶助制度は民事事件だけが対象で、国選弁護も裁判所が選任するだけと言われ、案の定、全くの役立たずで、時間の無駄でしたが、一応相談をしておいた意義はあると思います。

 それからすぐに金沢中警察署に電話を掛け、山出警部補と話をしました。今回は終始穏やかな会話でした。法テラスの話はしなかったと思いますが、金沢地方検察庁から金沢地方裁判所にかけた対応について一通り説明し、再審請求には新たな新証拠が不可欠であり、唯一の当事者である安藤さんとの話し合いや協力なしには絶対無理だと思うし、その安藤さんとの接触を金沢中警察署に止められている以上、金沢中警察署の方で事情や必要性を理解した上で、安藤さんに伝えて欲しい、というような話をしました。

 初めは私の方から金沢中警察署長宛てと言っていたのですが、山出警部補の方から、出す出さないは自由ですが、出すのなら刑事課長宛にして頂きたいと言われました。

 18年近くの曲折を経て、ようやく最終局面に差し掛かったという気もしています。ここに至るのにどれほど時間を無駄にしたのかと思うこともありますが、たまたま金沢地方検察庁に電話をした前後に見たこのエントリの内容にも、問題の一端が含まれているように思われます。

 今日もアクセス解析を公開しましたが、全く信じがたいほど無視され、相手にされていない問題です。プロフィールでサイトの説明をしていないのも一因かと思いますが、今日の金沢地方検察庁のはっきりした態度で、今後の方向性もある程度固まってきました。

 検察のいらだちも、あるいはそのあたりにあるのかもしれませんが、私の努力にかかわらず、全く価値を認めず、理解する姿勢がうかがえなかったのが、アクセス解析を参考にした上での判断になります。

 あるいは、私が「金沢地方検察庁御中」というブログ名やサイト名を付けたのもお気に召さなかったのかもしれませんが、これまで数年の流れを大局的に見ると、これでようやく意図された照準に合わせることが出来たように考えています。

 実態にそぐわなくなったので、ブログ名もそのうち変更しようと考えていますが、しばらくはこのままにしておきます。

 どうなるかわかりませんが、私としても後がないので、頑張るつもりです。文字通り背水の陣で、臨まねばなりません。

 刑事裁判の問題点が象徴的に浮き彫りになったような記事だったので、併せて書いておきました。

 このブログは、3年ほど前にも何度か訪問し、トラックバックを送信したこともあったと思います。今回きっかけになったのは、小倉秀夫弁護士の次の記事がきっかけでした。

刑事手続に詳しいブロガーAdd Star

 ブログを通じて刑事手続を学ぼうと思ったら,ちゃんと刑事弁護人としての実績を積み重ねている落合先生や奥村先生のブログを見た方がよいということなのでしょう(もちろん,法律系ブロガーの中では明らかに格が違う中山研一先生のブログも必見なのですが。)。

 創価大学法科大学院の刑事法の教員でも山下幸夫先生のブログは,内容的にはなかなかなのですが,いかんせん更新頻度が低いのと旬の話題についての解説がないのが残念です。

 信頼に足りる元検事系のブロガーとしては,落合先生の他に,葉玉先生もいるのですが,葉玉先生の場合,どうしても会社法に関する話題が主ですから,刑事手続に関する旬のネタを負うという点では,落合先生や奥村先生の方が上かなあという気がします。

 最近どこぞの信者とおぼしき人たちから下らないコメントが相当数投稿されるので先に言っておきますと,私は刑事弁護をしなくなって10年 近くが経過しますから,刑事手続に関する私の見解は多分に教科書的なものです。一応2回試験は通っていますし,登録した手のころは無罪主張事件を含めそれ なりに件数をこなしましたから,素人の発言よりは信頼していただいてよいですが,上記諸先生方の実績を伴った発言と比べるとどうしても見劣りしてしまいま す。

 

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 数日前から、モトケン弁護士とのバトルが再燃した模様でしたが、このような記事が出ていたのは少々意外でした。いずれにせよ、個性的で異色な弁護士ということになりそうですが、正統な法律家という一面もお持ちのようです。

 時刻が23時57分なので、いったん保存公開します。日付が変わってしまうと、後々わかりづらくなり、勘違いの原因にもなりかねませんので。

 

 次に落合弁護士のブログですが、注目する二つのエントリがありました。

[]「バンキシャ!」誤報で日テレの久保社長引責辞任 18:09 「バンキシャ!」誤報で日テレの久保社長、引責辞任 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「バンキシャ!」誤報で日テレの久保社長、引責辞任 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 「バンキシャ!」誤報で日テレの久保社長、引責辞任 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 のブックマークコメントAdd Star

http://www.asahi.com/business/update/0316/TKY200903160270.html

昨年11月23日の放送で、匿名の男が岐阜県の土木事務所架空工事を発注し、裏金作りが引き続き行われている、などと証言した。しかし、岐阜県が調査したところ、こうした証言が「虚偽」だったことが分かった。

ガセネタに引っかかって、ここまで深刻な事態になるというのは珍しいでしょう。最近では、ライブドア事件絡みで、民主党が引っかかってしまった偽メール事件が思い出されます。

欧米では、報道機関が社内に弁護士を常駐させ、必要なアドバイス等を行う体制になっているケースもあるようですが、日本でも、今後、徐々にそういった方向へと進むのかもしれません。ただ、単に弁護士であれば良い、というわけではなく、必ずしも弁護士である必要もないと思いますが、事実を見る目を持った者が慎重にチェックする、やばいと思った場合はきちんとブレーキがかけられるだけの地位、権限を持っている、ということは必要でしょう。

[]police:神戸で職質を受けると、こうなる 12:50 police:神戸で職質を受けると、こうなる - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 を含むブックマーク はてなブックマーク - police:神戸で職質を受けると、こうなる - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 police:神戸で職質を受けると、こうなる - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 のブックマークコメントAdd Star

http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2009/03/police-fc78.html

町村教授ブログで紹介されていたので、見てみました。若干、編集もされているようですが、感想を一言で言うと、ひどいな、ということでしょうね。もちろん、警察官が、ということです。

まず、良くないと思うのは、あまりにも威圧的すぎて、これでは質問されるほうも、質問に答えようという気が起きないでしょう。肖像権がどうのこうのと警察官が居丈高に言っていましたが、街頭で職務執行中の警察官が(だからこそ警察官も言っているように警察官職務執行法が適用されるわけですが)、肖像権をどこまで主張できるかというと、かなり怪しいものがあると思います。肖像権を十分に主張したいのであれば、警察官などやめて、民間人として生きて行くべきでしょう。

映像の中で、警察官が、「挙動不審だから」などと言っている場面がありましたが、単に「挙動不審」だけでは、職務質問の要件を満たしません。同法2条1項では、

警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者を停止させて質問することができる。

と定められ、「何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者」でなければならず、挙動不審なら誰でも停止させて質問できる、というわけではないことに注意する必要があります。

職務質問というものは、あくまで任意で行うもので、それだけに、技術を要する面があって、警察でも職務質問技術を競う大会を開いたりもしていますが、こういった稚拙職務質問というものは、一種の反面教師として警察内部でも参考にされるべきではないか、という印象を受けました。

 久しぶりにコメント投稿をしたのですが、引用しておきます。

          hirono_hidekihirono_hideki                           2009/03/16 22:15          バンキシャ!の件ですが、そういえば、何かでみたような気がしました。ガセネタをつかまされて引責辞任、番組打ち切りの検討ですか。
 警察や検察がガセネタで、誤判を行った場合を引き比べて考えました。
 ちょうど今日は、個人的にも検察がらみで予定変更、方針転換を余儀なくされ、警察署の刑事課長宛に要望書を書くことになったので、責任の所在というものを改めて熟考していたところでした。
 ガセをつかませた方は、プライバシーも守られ、ほとんどお咎めなしみたいです。自分の認識と記憶の範囲では、偽メール問題の時もそうでした。
 掴まされた議員は、長い間ずいぶんと苦しみ、精神も患ったらしく、ついには自殺したはずです。

 職質のビデオは、リンク先のブログで観ましたが、警察をおちょくった愉快犯ぽい印象も受けました。かなり強引な編集も加えられていたようです。

 昨夜のこのブログの記事から送信したトラックバックが、朝には反映されていて、それが夕方前には消えていました。昨日だったと思いますが、トラックバックを送信してから3日から5日ほど経って、反映されていたものもありました。何かお考えがあってやっていることなのかもしれませんが、トラックバックを受け容れてもらっても、落合弁護士のブログからの訪問は少ないみたいです。

 昨夜は、このブログのテンプレートのデザインも変更しました。前の方が気に入っていたのですが、記事の表示幅が狭すぎて、文字も読みづらい上に、画像もある程度の大きさで表示しておきたかったので、デザインよりも機能性を優先しました。

 警察や検察がこのブログを読んでいるのかも確認できませんが、極端に放置放任していない限りは、読んでいるはずだと思います。山出警部補もホームページのことには触れていませんでしたが、自分のことがブログに書かれていることは承知のはずだと考えられます。

 私は、18年近く経ってから、ようやく被害者に謝罪する機会も出来ました。受理されず送り返されることがわかりきったような検察宛の書面には、どうしても書く気になれなかったことも書けそうです。

 被害者感情という問題だけで、18年もの歳月を要したとも考えにくいところです。初動捜査の誤りが、不可解さと被害感情を倍加させたという可能性もあり、被害者、加害者という明確な二項対立で線引きすることが、真相から遠ざけ、事態を紛糾させたという一面もあるのかもしれません。

 実際、手にかけたのは私自身なので、絶対に許されないと思われてしまえば、それで仕方のないことかもしれません。しかし、現状、実質と余りにかけ離れた捜査、裁判で処理されてしまったのでは、そもそも収拾のつくはずのない問題であるばかりでなく、余りにも人の存在、意思というものをないがしろにしていると言わなければなりません。

 一度間違いを起こしてしまえば、警察、検察のご都合を受け容れ、尊重しなければならず、まかり間違っても復権などあり得ず、やり直しも、見直しもしようとしない社会であれば、それはそれで空恐ろしい世の中に思えますが、そのあたりの点について、余りに無頓着、無関心、無理解のようにも思えます。

 ここまで徹底したアクセス数の少なさのもただただ、驚くばかりですが、対価の伴わないリスクは負いたくないというのもマスコミ関係者の隠れた本音なのかもしれません。それともやはり問題が全く理解されていないのか、極端なアクセス数の少なさというのは、理解の前提自体の欠落であるので、全く理解されるはずのない問題なのかもしれません。

 ここまで時間と労力を注ぎ、全く報われなかったというのも残念至極ですが、こういう現実を、検察や、警察、裁判所そして安藤さんに理解してもらえたならば、それはそれで意義のあることだと思っています。

 報道機関や大学関係者等にご案内したGoogle Sitesですが、どこまで0更新が続くものなのか、放置してあります。あえてみる必要もない、という判断は、それだけ理解されている証左なのかもしれませんが、ここまで極端だと理由を考えるだけで頭が痛くなり、本当に先に進めることが出来ませんでした。

 一度訪問した上で、プロフィールを見てくれる人が少なくない傾向もアクセス解析から知ることが出来ました。再審請求と聞くだけで、気分が悪くなり、一部の弁護士の功名手柄か病的なロマンのような払拭しがたいイメージもあるので、触れたくもないのですが、検察から再審請求が出来ると直接金沢地方裁判所から聞けたことがまだしも救いでした。けたくその悪い再審請求には出来るだけ触れないかたちになるかもしれませんが、なるべく早い段階で、プロフィールや趣旨説明のページを作っておきたいと考えています。

 

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法と常識の狭間で考えよう: 遂に始まった被害者参加の刑事裁判

リンク: 法と常識の狭間で考えよう: 遂に始まった被害者参加の刑事裁判.

 裁判員が、被害者参加人の涙ながらの訴えに影響されて、証拠に基づかないで有罪という意見を述べ、それが評議の場で多数になったために有罪判決を受けないとの保障は何もないと言わなければならない(評議は非公表であるし、裁判員には評議の秘密についての守秘義務があるため、その点を検証することは事実上困難である)。

 このままでは、その点の保障が何もないまま、裁判員裁判の本番に突入することになってしまうことは必至である。

 被害者参加制度はこれから全国の地方裁判所で公判が開かれることになる。被告人の防御権の保障は危ういものにしないためにも、早急にその問題点を洗い出して、改善することが求められている。

 弁護士の立場からの一般的な被害者参加制度に対する危惧みたいです。面倒が増えるだけなので、やめて欲しいというのが本音のようにも思えるのですが、いかがなものでしょう。

 応報感情に行きすぎがないように、具体的事実に即した調査、検討、主張を行うべきと思われますが、そうすると負担も大きくなりすぎて、やってられないのかもしれません。

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2009年3月15日 (日)

人は過去に戻ることはできず、人生をやり直すこともできない

リンク: 2009-03-15 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」.

昭和60年(1985年)といえば、上記の記事にあるように、バブル経済へ向かって日本全体が大きく舵を切った年でもあり、その後の上り坂のスタートに立った年であったということも言えるように思います。平成3年当時のバブル崩壊まで、日本全体が沸き立っていたもので、今なお、当時を懐かしむ人々が少なくないのはわかる気がします。

私は、今月で45歳になりますが、振り返って思うと、自分の将来や法曹界といったことに、明るく牧歌的な希望を抱いていた昭和60年当時(その年の3月で21歳)に戻りたい、という気もして、記事にある「沸き立ったあの時代、私も脂ののりきったあのころにかえりたいなあ」という言葉には、強く共感を覚えるものがありました。

しかし、人は過去に戻ることはできず、人生をやり直すこともできないのであり、過去への思いは思いとして、前を向いて生きて行かねばならず、「カーネル出現」も、前向きに捉えたい、捉えなければ、と思いました。

 阪神タイガースが優勝したときは、大騒ぎでしたが、それが昭和60年とは、このエントリを読んで初めて気がつきました。また、この年がバブル景気の始まりであったことも初めて知り、さらに「プラザ合意」というのが、きっかけであったとも初めて知りました。

 あの好景気もアメリカから始まったみたいですが、今年の歴史的な大不況も、昨年あたりのサブクライムローンとかで、アメリカから始まったみたいです。

 昭和60年と言えば、自分は20歳でしたが、落合弁護士は3月生まれで、やはり学年では自分より一つ年長になるみたいです。

 バブルの終焉が平成3年だったとも言われていますが、自分が住んでいた金沢市あたりでは、さほど影響も出ていなかったと思います。ただ、その頃か、一時期、株式投資などしていた芸能人が多数大損失で大きな借金を背負ったとか、破産したという話題がマスコミで盛り上がっていました。

 バブルがはじけても自分の周囲では、不景気という実感もありませんでしたが、今回は、南米の大地震をきっかけとして大津波が急速に押し寄せてきたようなもので、田舎の方でも影響はずいぶん深刻みたいです。

 バブルの頃は、南米あたりで地震が起こると、大津波が来るかもしれないと、マスコミも大騒ぎしたり、関東東海の大地震を差し迫った大危機的に報道していたものですが、最近は東海大地震を危ぶむ報道も少ないみたいです。

 安全圏と思われていた神戸で大地震が起こったのも、そういう報道の数年後のことでしたが、そういえばこのところ、全国的にも地震のニュースというのは少ないみたいです。

 大地震のような自然災害も人の人生に多大の影響を及ぼしますが、深刻な不景気とはいえ、大規模な自然災害が起こらないのは何よりです。

 一昨年の3月のちょうど今頃になりますが、羽咋市のアパートで寝ていて、大きな揺れで飛び起き、車の中でラジオのニュースを聞くと、実家のある宇出津あたりでは、震度6弱だったということで、全壊したかもしれないと半ばあきらめたことがありました。幸い被害は軽微なものでしたが、あの時、倒壊していればどうなっていたのかと考えることはあります。

 昭和8年に建てたという古い家に住んでいるので、地震だけでなく、大雪も心配でしたが、今年も一日だけ大雪で仕事も休みになりましたが、そんなにひどい大雪にはならず、3月の半ばを過ぎたので、ひとまず一安心です。

 未曾有の不景気と就職難で、絶望的に前途多難ですが、過去を懐かしむことがあっても、確かに後戻りは出来ません。

 このブログのアクセス数も絶望的に少ないもので、どうしたものかと思案していますが、個人サーバで情報公開を始めた頃や、hatenaの頃とは違い、とても静かなスタートになりました。様子見の段階も終えたので、後戻りも出来ず、やり直すことも出来ないことを、悔いのないように取り組んでいきたいと改めて考えました。

 不安定で最悪のスタートである反面、最高に恵まれた条件もあるように考えています。限られた条件を生かすも殺すも自分次第ですが、いずれにせよ、現実は相当厳しそうです。

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2009年3月12日 (木)

ジャーナリストが規範の臨界に立つ

 今日は、触れておきたい内容の記事がいくつかあったので、一つの記事としてまとめて書いておきます。記事のタイルとは「ジャーナリストが規範の臨界に立つ」にしました。正確に言えば違うのかもしれませんが、ジャーナリストというのはマスコミに含まれるように思っています。一匹狼の個人のライターのようなイメージもありますが、不景気でもとっても高給がささやかな問題になっている大手のマスコミ各社とは、やはり異質のイメージがあります。

 聞き慣れた言葉で何となくわかっているつもりでしたが、正確な意味がよくわからないので、Googleで少し調べてみました。あらゆるメディアに記事や素材を提供する人、または職業のことだそうです。

 改めてジャーナリストについて考えるきっかけになったのは、元記者弁護士ブログの次の記事がきっかけでした。

強い「番犬」を飼う覚悟がありますか?〜政権からの圧力に耐えるメディアを!

 駒村圭吾教授慶応大学・法科大学院教授(憲法学)が2001年に著した「ジャーナリズムの法理」の59頁に、いまの市民に向けた強烈なメッセージが掲載されている。

【批判精神・真実究明という使命を果たそうとするジャーナリストの緊張感を社会一般が理解することがどうしても不可欠になる。強い「番犬」を飼おうとすれば、飼い主にもそれなりの覚悟が必要になる。】

 ここでいう覚悟とは、何だろうか?

 駒村教授は、前提となるジャーナリズムの役割について次のように語っている。

【批判精神・真実究明という使命は、ジャーナリストを規範の臨界に立たせる。善と悪、真実と虚偽、正統と異端などの判断の臨界に位置する機能であるからこ そ、ジャーナリズムは「強い」のである。しかし、ジャーナリストが規範の臨界に立つということは、社会規範の破壊者として振る舞うことを意味しない。 ジャーナリズムが規範衝突・義務衝突を来したとしても、それは批判精神・真実究明の観点から正当化されなければならない。一見すると市民感情を逆なでし社 会通念を破壊するような報道を、ジャーナリズムは批判精神・真実究明という使命から正当化する責務を社会に負っている】

 そして、駒村教授は、それゆえにジャーナリストは、説明責任を引き受けなければならないという。

 ただし、社会が冷静に対応せず断罪し続ける場合があることを指摘し、そのような場合には、同業のジャーナリストが冷静に見守る必要があるという。

 【説明責任の遂行、ひいては批判的精神・真実究明の使命の貫徹に不可欠なのは、ジャーナリズム全体がそのような使命を共有しており、そのような使命の遂行の努力を相互に尊重するという信頼なのではないか。
 義務衝突のなかでも放棄版との衝突の場合、公権力は強制力を持って迫ってくるわけで、ジャーナリズムの相互信頼と結束が特に重要になってくる。しかし、法令という実定化された明確な社会規範に対する審判行為を擁護するのはなかなか難しい】


 いまのマスメディアは、果たして、説明責任を果たしているだろうか?権力に襲いかかられる同業者につぶてを投げていないだろうか?

 そして、私たち市民は、ジャーナリストの義務衝突の意味を考え、それが番犬の「強さ」につながることを理解することができているだろうか?

 ひるがえって、今回の小沢問題を理解することの難しさと重なるようにも思う。

 形式的とはいえ違法な献金を受けること、その金額から漂う利益誘導の臭い…それらを批判することは極めて容易だ。

 しかし、たとえば、日本経済団体連合会の2004年度の会員企業団体の政治献金は、自民党向けが22億2000万円であったのに対し、民主党向けはわず か6000万円、2006年の献金額でも、自民党向けの25億3000万円に対し、民主党向けは8000万円にとどまっていること、などを十分に理解しつ つ、今回の事件を冷静に眺めることは、単に批判することよりもはるかに難しい。

 私たちがその難しい道を意図的に選ばない限り、私たちは表だけでも20億円以上を寄付する団体に支えられている政党を政権から引きずりおろし、透明度の高い政治を実現することはできない。

 いま、私たちの「飼い主」としての覚悟がまさに問われているし、報道機関にも番犬たり得る資格があるのかが、問われている。

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/a68bdf10571e25ef15a96c9eaeb6e147

 報道機関にも番犬たり得る資格、と書いてあるので、個人的な記者やライターを指すものではないみたいです。なんか士気を鼓舞して、扇動しているようにも感じられたのですが、その前の記事を見ると、似たようなことが書いてあり、相手方は日本全国の検事さんでした。

検察官は抗議の辞職を!〜民主主義を破壊する検察庁を許してよいのか?

 小沢代表秘書に対する強制捜査が形式犯を理由としたもので、民主党つぶしであることは、検察庁内部で働く者 にとっては、あまりに明白なことだと思う。行政庁とはいえ、司法の一角を担う機関が、政権交代を阻止するために恣意的な捜査をすることが許されるだろう か?当然、許されないことは、検察庁で働く2000人近い検事の皆さんはよく分かっているはずだ。検察庁がここまで露骨に自らが与党の僕であることを明ら かにしたことは最近では例がないのではないだろうか。

 あなたは、それでも検察庁に身を捧げますか?

 検事は辞めても弁護士として食っていける。

 いま、内部から非難の声を、ムーブメントを起こさなければ、検察庁の下僕化はさらに進むことになるだろう。

 検察庁に奉職したことを自分の子どもたちに誇ることができるようにするためにも、いま、検事であるあなたの行動が必要ではないだろうか。  

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/c78f62c80353e1f051fb05868fd486f2

 確か検察官というのは検事と副検事を合わせた数だったと思います。2年ほど前の情報だったと思いますが、検察官の数はおよそ2500人で、そのうち検事はおよそ1500人と聞いています。現在は少し増えているらしく、検事の数は1600人を越えているようです。

 自分の子どもたちに誇れるとか、特定の権力者のいいなりに盲従すべきでない、というような呼びかけにも聞こえます。政治家や政党の利権に与すべきではなく、全体の奉仕者として国民の利益のために奉仕すべき、というようにも聞こえます。


 次の記事も検察をテーマに取り上げていますが、なかなか参考になります。元検事さんでもありますし、当然と言えば当然だと思います。

正面から捜査機関からの捜査情報のマスコミ提供を考えてみる

            

 旧館ブログ当時からの読者の皆さんは、私がこれまでたびたび捜査機関による捜査情報リーク問題について批判的なエントリを書いていたのをご存知だと思います。

       
       
            

 今回の違法献金虚偽記載事件においても検察によるリークの問題が議論されています。

 まず最初に、検察は捜査情報をリークしているのか? という問題がありますが、報道機関が報道している情報の全てとは言わないまでもある程度は検察側からの情報が入っていることは間違いないだろうと推測しています。

 そうなりますと検察庁内部の人間による守秘義務違反の問題も生じ得るのですが、このエントリの趣旨は守秘義務違反の犯人探しではありません。
 もっと開き直ったエントリです。

 検察・警察を含めて捜査機関により捜査関係情報がマスコミに流されることを完全に禁止したらどうなるだろうかという問題です。
 結論的には、国民は事件に関する情報をほとんど得ることができなくなりそうです。

 事件のニュースソースは捜査機関だけではありません。
 被害者がいます。
 しかし、警察などが情報を提供しないと、いきおいマスコミは被害者から詳細な情報を取ろうとしますから、被害者に対する取材攻勢が度を超してしまうおそれがあります。
 また、特定の被害者のいない事件においては、当然ながら被害者はニュースソースになりません。

 目撃者がある事件もあります。
 しかし、目撃者に対してマスコミ関係者の拙劣な取材攻勢がありますと、公判における真相解明に支障が生じる可能性があります。
 これは被害者に対する取材攻勢についても同様に問題になります。
 また、目撃者の情報というのは通常限定的で曖昧です。

 被疑者も当然ニュースソースですが、被疑者が真相を語る可能性は前二者に比較してかなり低いですし、逮捕・勾留されてしまえばマスコミとしては接触の機会も失います。

 いわゆる事件関係者というのもありますが、関係の程度や濃さはいろいろですし、話の信憑性の確認も容易ではないでしょう。

 弁護人というのもニュースソースの一つだと思いますが、弁護人の持っている情報はほとんど被疑者の話に依存しますし、弁護人自身が守秘義務を負っています。

 結局、事実確認のプロであり強制捜査権も持つ捜査機関が持っている情報が質量ともに最大の情報であることは否定できませんから、マスコミの情報入手が捜査機関に大きく依存することはやむを得ないところです。

 国民が事件の内容なんか知りたくもないというのであれば、「捜査機関は沈黙せよ」というのもありだと思いますが、事件に関する情報を国民が知りたいというのであれば、捜査機関に完全な沈黙を求めることはできないことになります。

 国民の多数はどのように考えているのでしょうか?

http://motoken.net/2009/03/11-160449.html

 数日前から、モトケンブログの方で、検察をテーマに議論が活発になっているようです。コメント欄の盛り上がりを見たのも、けっこう久々な気もしました。政治問題が絡んでいるので、なおさら関心も高いのかもしれません。

 



TBSドラマ「スマイル」(4月スタート)の監修状況

 細かい質問が矢のように浴びせられていて、ドラマに登場する刑事事件の起訴状を添削し、そこに出てくる公訴事実(起訴の対象となっている犯罪事実)を、検察庁にいた時のことを思い出しながら作成したり、ドラマ内に出てくるらしい弁論要旨(弁護人が、法廷で被告人の刑事責任等について主張を述べる書面)を、ドラマの内容に併せて本物そっくりに起案したりと、監修だけでなくスタッフ化しつつ協力しています。 もし、ドラマの中で、いかにも弁護士、いかにも刑事事件といったリアルさが感じられたら、その一部には、私の涙ぐましい(?)協力も入っていますので、細部のこだわり(私がこだわっているわけではありませんが)にも目を向けていただければうれしく思います。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20090311#1236703157

 どちらかというと、こういうテレビドラマの方が、影響が大きいのかもしれません。私自身も20代の前半の頃は、ニュース番組よりドラマを観ていました。まだ調べていないので、どういうストーリーの番組かぜんぜんわかりませんが、始まったら観てみたいと思います。こういうドラマを放映するのもマスコミの一部分のように思われますし、現実問題とどこかつながっている部分もあるような気がします。

 そういえば、まだ元検弁護士のブログにコメント投稿をしていた時分、何度か「ホカ弁」という女性弁護士のドラマのことを書いたのですが、まるで無反応でした。空気を読んで、誰も反応しなかったみたいですが、空気を読まなければ、ならないというのも堅苦しいですし、知りうる情報も狭まりそうです。それが自己主張の場であるブログというものなのかもしれません。

 次の意見とも通じるものがあるのかもしれません。

日本でも、ホリエモンも批判するように「検察関係者」の話として一方的な情報が流され、メディアが犯罪を作り上げる傾向が強い。ただ匿名の情報源をすべてやめると、逮捕されるまで何も報道できなくなるので、むずかしいところだ。

しかし今回のような「記者懇」の話は、複数の記者の前で話したことだから、もともとbackgroundではありえない。どこの社も同じ話を引用して公然 の秘密になっているのに、本人が誰か報じることができないという滑稽な状況は、世界のどこにも見られない。記者クラブと政府が癒着して無責任な情報操作を 助長する「2ちゃんねる」的な報道はやめ、オフレコは記者の個別取材に限るべきだ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/e0eb17f22880ede66df1f7f27b91d254

 経済学者のブログのようですが、書籍などもけっこう出版されているみたいで、影響力も小さくなさそうです。報道機関そのものが2チャンネル的で、恣意的な情報操作をしているような印象を受けます。というよりストレートな指摘と読むべきでしょうか。個人的には率直なところ、半信半疑です。

 その池田信夫氏に、病理的に面白いと言われた弁護士さんが、小倉秀夫氏ですが、今日初めて、中央大学の先生をしていると知り、印象もちょっと違ってきました。

11/03/2009

Wanna-be-slave系の人々Add Star

 はてなブックマークで私のエントリーに対して延々とネガティブコメントやネガティブタグを付け続けている一群の人たちがいます(一群,といってもそんなに数はいませんが。)。

 権力(国家権力に限らず,大企業等の社会的権力を含みます。)に逆らわず,これにおもね,屈し,その理不尽に耐えることこそ下々のあるべき姿だと考えている人々と,私のような生粋系の弁護士がそりが合わないのはある意味仕方がない話かも知れません。

 それにしても,インターネットの裾野が広がるに付けて,Wanna-be-slave系のネットワーカーが増えてくるというのは面白い現象です(Dreaming-himself-as-eliteなだけかも知れませんが。)。

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10/03/2009

法・情報・社会Add Star

 これまでも中央大学の法学部で3・4年生対象のゼミをもってきたわけですが,今年は明治大学の法学部で1・2年生向けに「法・情報・社会」という講義ももつことになりました。

 で,今日,2009年度の法学部(和泉校舎)の授業時間割がとどきました。和泉校舎なので並行して行われるのは語学と一般教養科目が中心なので(法律科目は,津田重憲先生の刑法総論くらいでしょうか),ちょっと新鮮です。

 とはいえ,4月なんてすぐに到来してしまいますので,確定申告の書類を作り上げたら,すぐにでも教材の作成に取りかからなければいけないのが辛いところです。

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 意味のわからない英語が書いてあったので、調べてみると奴隷という意味が含まれているようでした。

 小倉弁護士は、モトケンさんとも池田信夫氏ともそりが合わないと言うだけでなく、病的な嘲笑の的として評価されているみたいです。2チャンネラーのような人々の間では、「ご本尊」とも呼ばれているみたいでした。どちらがより正しく、正当で、まっとうなのか私には判断もつきかねますが、お堅いイメージもある中央大学の先生とはずいぶん意外でした。客員教授ということになるのかもしれません。あるいは非常勤講師なのかもしれませんが、大学で生活したこともないので、書いてある以上のことはわかりません。

 今回は、自分自身の目もかねて取り上げておきました。昨日、今日とテレビで報道ステーションとZEROを観ていたのですが、検事総長の喚問については、触れていなかったみたいです。ZEROの方は、チャンネルの切り替えで、初めの方を見落としているはずですが、朝の番組でも観ておらず、テレビでは取り上げていないのかもしれません。

 喚問とか尋問とか聞けば、検察の悪印象や権限の卑小さが誤解により印象づけられかねないので、テレビが自粛したのかもしれないと考えました。民主党にしても、反感、反発を買って火に油を注ぎそうです。

 しかし、検事総長を証人喚問というのは発想自体が尋常でないという気がしますs。こういう政党が国政を握れば、検事総長でも呼びつけて、意のままに動かしかねない、という懸念を持った人も少なくないのかもしれませんし、そのような受け取り方をされかねないとか、思い上がりが甚だしく、国会を私物化している、というような批判を招きかねないとは、考えなかったものなのでしょうか。目の前のことにとらわれすぎ、と言うような気もしますが、検察軽視の風潮というのも根深くなっているのかもしれません。

 利権のからまない問題には目もくれず、全く関心のないという人も多いのかもしれません。検察官は公益の代表者のはずなのですが、一面的一部分だけクローズアップされ、影が薄く、存在意義自体が理解されていない、という気もします。マスコミの報じ方にも原因があるのかもしれません。気がつかないほどに浸透しているのかもしれませんが。

 

 

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2009年3月10日 (火)

木を見て森を見ず

リンク: 2009-03-10 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」.

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009030990232943.html

地検は、男性が直前まで落ち着いた状態だったことから、警察官らに男性の異常行動を察知するべき注意義務はなかったと指摘。その上で「男性が自分でライターで火を付けたことは明らか」と、死亡との因果関係も認められないとした。

    愛知県警などの調べで、巡査部長らは灯油をかぶって飲食店のトイレに閉じこもった泥酔状態の男性を熱田署に保護。男性がたばこを吸いたいと申し出たため、巡査がライターを机の上に置いたが、巡査部長らが気付かないうちに男性はズボンに火を付け、全身やけどで死亡した。

事件というものは、証拠をきちんと見ないと正確、的確な評価はできないものですが、それにしても、これで「嫌疑なし」というのは、奇異な感じがします。灯油をかぶった人間のそばにライターを置く、ということについて、それも警察官という立場にある者が、何ら注意義務違反がないというのは常識的にも変で、ライターで火をつけたのがその男性であっても、そもそも警察の保護下にあるわけですから、保護義務を尽くすべき立場にある、という観点で見ないとおかしいでしょう。

「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、嫌疑なしで不起訴にして落とすために、森を見ないようにして、わざと木ばかり見ていたのではないか、という疑いすら生じる処分結果です。

警察官が被疑者になるような事件では、こういった奇異な処理が時々起き、そういう処理をそれなりに見る目がある人が見れば、一種の出来レースではないかといった疑いが生じざるを得ないでしょう。


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