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2020年7月 2日 (木)

* 「9,071万2,800円の補償金が支払われ」,「刑事補償金の半額以上を弁護団や支援団体に謝礼として渡した」という死刑囚に対しては初となる再審無罪判決「免田事件」

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:CATEGORIES: 再審請求,再審無罪

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【ニッポン未解決事件ファイル】(03) 『免田事件』(1948)――無実の男性の34年半を奪った警察の大罪 - みんなが寝静まった頃に http://tskeightkun.blog.fc2.com/blog-entry-1159.html?sp

 昨日からブラウザのタブでページを開いたままにしていたのですが,「1983年7月、日本の裁判史上初、死刑囚が無罪判決を勝ち取ることになった。」という時期のことが気になっていました。

 前に調べたときは,昭和の終わりから平成の初めという情報を見ていたような記憶になっていたからです。1983年は昭和58年,確か4月頃に東京デズニーランドがオープンし,7月の20日過ぎに遊びに行ったことをよく憶えています。

 7月中はまだ宇出津の家にいて,鑿泉の仕事などしていたので,食事の時など母親がつけているテレビを前にすることは多かったと思うのですが,再審無罪の判決を見たという記憶はなく,そのあとになって社会問題のように報道されていたのは,いくらか記憶に残り,印象的なものでした。

 さきほどWikipediaで調べると,判決が出たという日付もありました。やはりこの時期に間違いはなかったことになります。

免田は再審請求を行うが、第5次請求まですべて棄却された(第3次請求は地裁では再審の開始が決定されたものの、検察の即時抗告により高裁で取り消された)。そして第6次再審請求が承認され、1979年9月27日に再審が開始する。 再審ではアリバイを証明する明確な証拠が提示されたこと、検察側の主張する逃走経路に不自然な点が見受けられたことなどが指摘され、1983年7月15日、発生から34年6か月後、死刑囚に対しては初となる再審無罪判決が言い渡される。刑事補償法に基づき、死刑確定判決から31年7か月の拘禁日数12,599日に対して免田に9,071万2,800円の補償金が支払われた。なおそれまでに、警察・検察は、いずれも免田が真犯人だとして本事件の再捜査を行わなかったため、真犯人は検挙されず、本事件は公訴時効が完成し、未解決事件となっていた。 [source:]免田事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%8D%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 さきほどざっと目を通したときは気が付かなかったのですが,「、1979年9月27日に再審が開始する。」とあります。再審の無罪判決が出たのが「、1983年7月15日」とあるので,4年近く時間が掛かったようです。

 再審請求の参考にするため,福井刑務所に受刑中,この免田事件の元死刑囚の本を購入して読んだのですが,他の再審請求の裁判とは違い,何が決め手で再審請求になったのかも記憶にありません。庭のようなところで日本酒の一升瓶を拾い,独居房に持ち込んだというのがとりわけ印象的でした。

 再審の無罪判決後,弁護士に大金を持っていかれたという怒りの記事をたぶん週刊誌で,たまたま読んだことがあったのですが,このWikipediaでは,「刑事補償金の半額以上を弁護団や支援団体に謝礼として渡したこと」と記述されています。

 ずっと無実だったので再審で死刑判決が無罪になったものと思っていたのですが,2年ぐらい前にたまたまネットで読んで記事によると,真犯人の可能性が高かったというような印象を受けました。

 ページの終わりに,関連項目として「他の死刑冤罪事件」に,財田川事件,島田事件,松山事件,袴田事件とあり,それぞれリンクになっています。松山事件は時代が違うように思いますし,袴田事件は現在も再審請求中なのではと思います。

 このあと確認をしますが,財田川事件と島田事件が免田事件とほぼ同時期の死刑囚から再審無罪判決となった事件で,この免田事件の免田栄氏だけが,その後も報道があったり,話題になっていたのも不思議に思える現象でした。

再審の結果1984年(昭和59年)3月12日に高松地裁は、被告人の自白には真実ではないとの疑いがある上、唯一の物的証拠であるズボンも事件当日に着用していた証拠はないとして、本事件と被告人とを結び付けえる証拠は存在しないとして、無罪を言い渡した。 [source:]財田川事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E7%94%B0%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 「香川県三豊郡財田村(現三豊市)」,「地名の「財田」ではなく川の「財田川」と呼称する由来は、1972年に再審請求を棄却した裁判所の文言で越智伝判事が「財田川よ、心あらば真実を教えて欲しい」と表現したことである[1]。」ともWikipediaにはあります。

 もう一つの島田事件と混同していたためか,静岡県の事件とばかり思っていました。無罪判決が昭和59年3月12日とありますが,まだ金沢市東力二丁目のアパートを借りる前で,金沢市場輸送の4トン保冷車を寝泊まりにも使っていた時期で,テレビを見ることは少なかったと思います。

そして1989年(平成元年)1月31日10時21分から再審判決公判が開かれ、静岡地裁刑事第1部(裁判長:尾崎俊信 / 陪席裁判官:高梨雅夫・桜林正己)は被告人・赤堀に無罪判決を言い渡した[8]。赤堀はこの時点まで静岡刑務所拘置監に在監していたが[9]、同日12時過ぎになって逮捕以来34年8か月ぶりに釈放された[8]。 [source:]島田事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 この島田事件は,袴田事件とも多少関連のある紅林警部のことで調べた憶えがあるのですが,平成元年1月31日に再審無罪の判決が出ていたというのは,驚きを伴う意外性です。これまで免田事件,財田川事件,島田事件はほぼ同時期に死刑囚から再審で無罪判決がでたという情報を見たからです。

 たぶん,この島田事件以降に死刑囚の再審無罪は出ていないはずですが,昭和ではなく平成の時代に入って1件だけ出ていたというのが意外でした。免田事件,財田川事件,島田事件より後に死刑囚の再審無罪判決が出ていないのかも,弁護士鉄道の歴史のミステリーであり,謎です。

 以前によく見かけたのが,いずれも戦後の混乱期の事件で警察が無理な取調べをしたため再審で無罪になったという話でした。その後は,真犯人の可能性が高くありながら逮捕や起訴に至らなかった事件が多いのかもしれず,死刑の求刑を死刑以外とする判決も増えたのかもしれません。

 この島田事件の特徴として,「赤堀は軽度の知能障害と精神病歴があった。」というのがありますが,「鈴木と林の両医師は、赤堀には軽度の知能障害があるが、心身喪失でも心神耗弱でもなく刑事責任能力はあるとの鑑定結果を報告した。」ともあります。

 第4次再審請求が昭和52年,静岡地裁で棄却されたものの,昭和58年,東京高裁が即時抗告で破棄し,静岡地裁に差し戻し,昭和61年5月30日付で再審請求の開始を決定したとあります。検察の即時抗告が東京高裁で棄却され,最高裁への特別抗告を断念したことで,再審開始が決定とあります。

 「無罪確定後の元被告人」という最後の項目を読んだのですが,その後も裁判員裁判に対する反対や取調べの全面可視化を求める活動をしていたとのことです。ずっと昔の人というイメージだったのですが,生年に関する情報が見当たらず,1954年の少年事件でもなさそうです。

 よく見ると,「1954年5月24日、当時の岐阜県稲葉郡鵜沼町(現各務原市)で静岡県警が重要参考人としていた赤堀 政夫(あかほり まさお、当時25歳)が職務質問され、法的に正当な理由無く身柄を拘束され、島田警察署に護送された。」という記述がありました。

 昭和29年当時の25歳であれば,昭和4年生まれの可能性がありそうです。私の母親は昭和4年の1月生まれになるので,年齢のイメージがしやすいですが,平成元年1月31日に釈放されていたというのも今日まで知らなかったですし,自分が金沢港でイワシを運搬していた時期になります。

 この平成元年1月の中頃になると思うのですが,蛸島のTSさんが当時の石川県珠洲郡内浦町(現在は石川県鳳珠郡能登町)の松波港で,赤い新車の軽四で海に飛び込み自殺をしたと新聞の記事で見たのが強く印象に残っています。新聞は自宅アパートで購読していました。

 身近な石川県内ニュース以外はほとんど無関心だったのですが,割と強く新聞で見たとして記憶に残る山中事件も同じ頃になりそうです。石川県の事件であり,刑事裁判ですが,これは大きく報道になっていたと記憶にあります。

1990年7月27日に名古屋高裁(山本卓裁判長)は殺人事件について仁保事件以来18年ぶりとなるとなる死刑判決差し戻しでの戦後6件目の死刑求刑事案の無罪判決を言い渡し、確定した。 [source:]山中事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 共犯者のことも忘れていましたが,「1975年10月27日に金沢地裁は「主犯」とした男性Bに1人の殺人と共犯者への殺人未遂で有罪として死刑、最初に逮捕された男性Aを従犯として懲役8年を言い渡した。」とあります。

 被害者が1人で強盗殺人にもなっていないのに金沢地裁で死刑判決が出たとあります。共犯者にされたが無罪判決になった男性Bも「その後の審理で強盗致死未遂事件とされ、強盗致死未遂事件として有罪が確定して懲役8年が宣告されたが、未決勾留日数が計上され、既に服役済みとして放免された。」と。

 この山中事件の無罪判決は,購入した無罪事例集の専門書のような本で読んだ記憶があるのですが,軽愚者などとされ,検察が翻弄されたというような話もあったと記憶にあるのですが,このWikipediaの記載をみても弁護士に関する情報が見当たらず,気になるところです。

 「弁護」とページ内検索をしても該当なしでした。この山中温泉は石川県でも福井県に近いところですが,金沢地方裁判所の刑事裁判であるので,金沢市の弁護士が担当をしていた可能性はありそうです。弁護士にしてみれば無罪判決の獲得は,手柄や宣伝にもなりそうですが。

» Microsoft PowerPoint - 191219チラシ案(20200314死刑シンポ@金沢) 金沢会執行部会等承認済版 [互換モード] https://t.co/tF9w31dyp9

 PDFファイルですが,日本語のページタイトルが取得できて珍しく思いました。「霜上則男さん(山中事件冤罪被害者)」,●講演「山中事件について」 鳥毛美範 弁護士(山中事件元弁護人」などとあります。今年の3月14日となっていますが,意外な発見です。

 この鳥毛美範という弁護士の名前は,ずいぶん前に見た記憶がありますが,ここ10年以内には見ていないようにも思います。

午前10時からは、三重県名張市で昭和36年に起きました「名張毒ぶどう酒事件」を題材にした映画「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」(仲代達也さん主演)の上映会が実施されました(約200名の方が出席されました)。 50年以上にわたり自分は無罪であると訴え続ける主人公・奥西勝さんの苦悩と人生を考えると、早急にこの事件を何とかしないといけないと強く感じました。   映画終了後、名張毒ぶどう酒事件弁護団を代表して、鳥毛美範弁護士に来場いただき、奥西勝さんの現状とこの事件について簡単なご報告をいただきました。 鳥毛弁護士は、これまで取り組んできたえん罪といわれる事件の中でも、この名張毒ぶどう酒事件ほどえん罪と確信できる事件はないと訴えられました。 [source:]コメントに返信 | 弁護士の放課後 ほな行こか~(^o^)丿 https://www.osakaben.or.jp/blog/comment/reply/1677

 名張事件については昨日にも取り上げたように思います。登壇する鳥毛美範弁護士の顔写真がありますが,意外に若く感じました。昭和の終わりから平成の初めに冤罪事件で活躍した弁護士となると,かなり高齢であることを想像していましたが,当時は若手だったのかもしれません。

» 【印刷用】最後の陪審法廷跡、姿消す/来年度取り壊し、金沢 | 全国ニュース | 四国新聞社 https://t.co/T6UuEoc7jT

 さらに意外な発見が続きました。四国新聞社とあるので10年ほど前に見かけた記事になると思いますが,掲載された写真が記憶にあるものより大きく,鮮明なものとなっています。前の金沢弁護士会の会館の建物になります。ここから紹介された畠山美智子弁護士のところに向かいました。

2017年12月16日0 コメントカテゴリ: News 1 私は1986年4月に弁護士登録をした。念願だった梨木作次郎先生のおられる金沢合同法律事務所に入所した。弱い人々の力になりたいと思っていた。が、梨木先生は「弱い人という者はいない」と言われた。団結することによって困難な状況にある人々も情勢を変える力を持てる、という意味だと理解した。 2 事務所の傾向から、新人の私も入所直後から様々な事件にかかわるようになった。山中温泉殺人冤罪事件(死刑判決を最高裁が破棄、その後、差戻審で無罪)では、当事務所の先輩弁護士(菅野昭夫、鳥毛美範両弁護士)らを中心として、東京などからも著名な先生方が参加する大弁護団が組織されていた。私も何も分からないまま参加し、最後は「共犯者の引き込み供述」を弾劾するための夜間検証を担当した。また、金沢はある裁判官が「石川県の人は民度が高い」と言われたように、様々な社会的な事件が訴訟として争われていて、いくつも弁護団が組織されていた。小松基地爆音差止請求訴訟もその一つで、私も飛行差止班に参加した。自衛隊機・米軍機の離着陸は憲法9条に反するとして夜間等の飛行の差止めと損害賠償を求めるもので、この種では全国で初めての訴訟であった。 [source:]飯森和彦弁護士のコラム「なんでも屋と労働事件」 https://www.kanazawagoudoulaw.com/news/201712163219.html

 またも発見が続きました。「。山中温泉殺人冤罪事件(死刑判決を最高裁が破棄、その後、差戻審で無罪)では、当事務所の先輩弁護士(菅野昭夫、鳥毛美範両弁護士)らを中心として、東京などからも著名な先生方が参加する大弁護団が組織されていた。」とあります。

 「1 私は1986年4月に弁護士登録をした。念願だった梨木作次郎先生のおられる金沢合同法律事務所に入所した。弱い人々の力になりたいと思っていた。」という発見も大きなものです。

 この飯森和彦弁護士も何年か前,金沢弁護士会の会長として名前を見たように思うのですが,調べて確認をします。この年代だと,まず弁護士会の会長の経験はありそうです。

略歴 1986年 弁護士登録 1991年度、1992年度 金沢弁護士会副会長 2014年度 金沢弁護士会会長 [source:]飯森 和彦 弁護士還暦を迎えた今も,勉強を続けないとこれまで学んだこと経験の全てが一瞬にして錆びる,という思いです。more >> – 金沢合同法律事務所 https://www.kanazawagoudoulaw.com/portfolio-item/iimori

 2014年度の金沢弁護士会会長とありますが,余り印象のない時期になります。たぶんその翌年か,翌々年に西村依子弁護士が会長になっていたような気がします。むしろ気になったのは平成3年度と平成4年度の金沢弁護士会副会長という経歴です。

〈〈〈:Linux Emacs: 2020-07-02(木曜日)21:01  〈〈〈

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