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2020年7月14日 (火)

* 近年みかけなくなった再審請求の「白鳥決定」を調べて確認

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:CATEGORIES: 再審請求

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白鳥事件(しらとりじけん)は、1952年(昭和27年)1月21日に北海道札幌市で発生した警察官射殺事件である。 「逆コース」の最中に発生した事件であり、日本共産党による謀殺を主張する検察に対し、冤罪を主張する同党や自由法曹団が鋭く対立した。 実行犯と目された人物らは日本共産党の幇助により国外逃亡したものの、日本共産党札幌軍事委員会[注 1]委員長であった村上国治が逮捕され、1963年(昭和38年)10月17日に懲役刑が確定した[2][3]。しかし、警察の捜査の過程での証拠捏造や自作自演が指摘する声が根強く、受刑者となった村上は無罪を訴えて1965年(昭和40年)に再審請求を行った。この際に村上の関与を裏付ける新たな証拠が検察側から提出され、最終的に1975年(昭和50年)に最高裁判所は村上の一部主張を認めたものの特別抗告を棄却した。 なお、再審制度においても『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用されるとする判断をこのとき最高裁判所が下したことから、以後確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じれば再審を開始できるようになった。この判断は事件の名をとって「白鳥決定」と呼ばれる。 日本共産党による冤罪キャンペーンや松本清張の『日本の黒い霧』での推論、当局による証拠捏造疑惑などにより一般の間でも冤罪の声が強まったが、後年になって日本共産党の組織的犯行を示唆する資料や内部証言が公にされてきている[1]。 [source:]白鳥事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 上記の引用部分に,再審請求を行ったのが昭和40年,一方で,「日本共産党による冤罪キャンペーンや松本清張の『日本の黒い霧』での推論」とあります。「日本の黒い霧」は金沢刑務所の拘置所の官本として読んでいますが,白鳥事件のことは余り憶えていませんでした。

『日本の黒い霧』(にほんのくろいきり)は、松本清張によるノンフィクション作品である[1][2]。 初出は月刊誌「文藝春秋」で、1960年1月号から12月号にかけて連載された[1]。アメリカ軍占領下で発生した重大事件について、清張の視点で真相に迫った連作ノンフィクションである[1]。「黒い霧」という言葉が流行語になるほどの社会現象を起こし、清張にとっても代表作の1つとなった[1]。 [source:]日本の黒い霧 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%BB%92%E3%81%84%E9%9C%A7

 上記に一部を引用しましたが,昭和35年1月号から12月号にかけての連載とあります。やはり白鳥事件の再審請求が行われたという昭和40年よりは前のことでした。

 構成という項目に「北の疑惑-白鳥事件(改題:白鳥事件、1952年1月)」とありました。日本の黒い霧という本を読んだ感想としていくらか記憶に残るのは,下山事件,帝銀事件,松川事件ぐらいでした。

松本 清張(まつもと せいちょう、1909年(明治42年)12月21日 [注釈 1]- 1992年(平成4年)8月4日)は、日本の作家。 1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。以降しばらく、歴史小説・現代小説の短編を中心に執筆した。1958年には『点と線』『眼の壁』を発表。これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こす[2]。 以後、『ゼロの焦点』『砂の器』などの作品もベストセラーになり戦後日本を代表する作家となる。その他、『かげろう絵図』などの時代小説を手がけているが、『古代史疑』などで日本古代史にも強い関心を示し、『火の路』などの小説作品に結実した。 緻密で深い研究に基づく自説の発表は小説家の水準を超えると評される[注釈 4]。また、『日本の黒い霧』『昭和史発掘』などのノンフィクションをはじめ、近代史・現代史に取り組んだ諸作品を著し、森鷗外や菊池寛に関する評伝を残すなど、広い領域にまたがる創作活動を続けた。 [source:]松本清張 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B8%85%E5%BC%B5

 松本清張についても少し調べてみましたが,明治42年生まれで,平成4年8月4日没とあります。傷害・準強姦被告事件は前日の8月3日が判決でした。拘置所のラジオでニュースを聞いていた可能性はありそうですが,記憶にありません。

 松本清張は能登ともゆかりのある人物で,代表作とされるゼロの焦点の舞台が当時の羽咋郡富来町とされていました。巌門の辺りと以前は思っていましたが,9年ほど前かにバイクで現地に行ったところ,巌門とヤセの断崖はずいぶん離れていることに気が付きました。

 映画もテレビで見たような記憶がかすかにあり,たぶんヤセの断崖だったと思いますが,現在は輪島市となっている門前町との境に近い場所でした。一方,観光地として売店やレストランがあるのは巌門で,福浦港の近くでした。

 「砂の器」も松本清張の代表作として映画が有名ですが,俳優,加藤剛の訃報がきっかけで知ったところで,こちらも石川県の山中町が物語の始まりとされていました。

 YouTubeでみた映画には,合掌造りの建物がありましたが,石川県に合掌造りの建物というのは聞いたことがありません。最近になって山中事件で注目することになった山中温泉ですが,山の奥深いところにいくつも集落があると,Googleマップで知りました。辻政信の出身地のこともあります。

〈〈〈:Linux Emacs: 2020-07-14(火曜日)19:50  〈〈〈

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