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2019年7月29日 (月)

金沢中央卸売市場の近くから石川県町の近くに移転した鹿島啓一弁護士の法律事務所と石川・福井における原発問題

金沢中央卸売市場の近くから石川県町の近くに移転した鹿島啓一弁護士の法律事務所と石川・福井における原発問題

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2019/05/07お知らせ
 このたび,弁護士法人金沢税務法律事務所と武田清弘税理士事務所は,下記の住所へ移転しました。移転にあわせて,当法人の電話番号も下記に変更になります(FAX番号は変更ありません。)。
 新事務所でのスタートを迎え,所員一同,一層業務に精励する所存ですので,皆様には何卒変わらぬご高配を賜りますようお願い申し上げます。

【新住所】〒920‐8203
     石川県金沢市鞍月3丁目32番地
【新電話番号】076‐256‐1334
(弁護士法人金沢税務法律事務所,地域福祉ネットりーがる)

※ 以下は変更なし
FAX 076‐236‐2116
H P www.zeimuhouritsu.com
TEL 076‐236‐2117(武田清弘税理士事務所)

事務所移転のお知らせ|弁護士法人金沢税務法律事務所 http://www.zeimuhouritsu.com/news/%e4%ba%8b%e5%8b%99%e6%89%80%e7%a7%bb%e8%bb%a2%e3%81%ae%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b/

 今年5月7日のお知らせとなっています。今朝初めて気がついたように思ったのですが、鹿島啓一弁護士のブログの右側に「アクセス」という項目があって、たぶん右サイドメニューに1つだけなのだと思いますが、そこに金沢市鞍月という住所がみえました。

 石川県民にはおなじみの住所だと思いますが、石川県庁の住所地であり、石川県警察本部の住所地として見かけることもしばしばです。石川県庁は以前、かなり離れた別の場所にありました。現在の金沢市役所の近くにもなりますが、香林坊や片町といった繁華街の近くです。

 この石川県庁の移転時期についても以前、何度か調べているのですがよく憶えていません。個人的な経験では平成11年の2月頃の時点では、まだ市役所の近くにあったはずかと思います。被告発人大網健二がベンツかBMWの駐車のことで、金沢市役所内で話をしました。

 私はその前の石川県庁の建物を知らなかったのですが、ここ1,2年ほど前に「しいのき迎賓館」という名前は聞いたことのあった建物が、石川県庁の建物だったらしいと知りました。私は昭和57年の6月に石川県警察本部の建物に入ったはずなのですが、それとは違うようにも思いました。

 近くに広坂という大きな交差点があって兼六園の入り口にも近いのですが、その広坂の交差点の角、旧石川県庁と同じ並びには、以前の金沢中警察署の建物もありました。昭和61年の6月ころに、免停明けで免許証を受け取りに行ったのが、そちらに行った最後の記憶です。

 よく考えてみると免停明けではなかったかもしれないですが、免許証の写真で別人と疑われたことが印象に残っており、何故か夜の暗い時間に訪れたように記憶にはあります。あるいは日付が変わった0時すぎだったのかもしれません。他にも考えにくです。

 金沢市の弁護士の法律事務所ですが、金沢地方裁判所や金沢地方検察庁の建物の周辺に集まっていると聞いたことがありました。なので、鹿島啓一弁護士の法律事務所が金沢中央卸売市場の近くだと知った時は、とても珍しく思いました。

 個人的な経験では、昭和56年の春当時の小林運送の建物が近くにあって、金石街道から金沢中央卸売市場の裏側までは、一面が畑でした。田んぼではなく畑だったように思うのですが、小林運送の建物から見て、右斜めには金沢市場輸送の駐車場がありました。

 その金沢市場輸送の駐車場は昭和62年頃まで使っていたと思います。舗装もされていないただの空き地のような駐車場で、雨が降ると水たまりも出来ていたような気がします。

 その金沢市場輸送の駐車場というのも、その後、あとかたもなく変わっているので、個人的な記憶にしか残っていないのですが、少し離れたところに金沢市場輸送の新事務所が出来ました。昭和63年の7月の初めだったと記憶しています。

 その辺りから周辺は急速に開発が進み、住宅が出来たり、新しい道路が出来て原型をとどめないほどに変貌しました。

 Googleマップをみると、現在は研修センターなどとなっていたかと思いますが、市場急配センターの事務所が出来たのも、平成1年の春頃かと思います。いつの間にか建物が出来上がっていたので、短期間の工事だったのだと思います。

 すぐ近くにはイケウチやカナカンという、東北便の荷物の卸先があって、その前を通行していたはずなのですが、夜中ということもあったのか、工事に気がつくこともないまま、いつのまにか市場急配センターの事務所が出来上がっていました。

 ちょっと前に、中継所にすると聞いていたことも、以前は記述しているはずです。2月一杯だったと思われる平ボディ車における金沢港のイワシの運搬の仕事が終わってすぐの頃で、当面使わなくなった平ボディ車を、市場急配センターの建物が出来る駐車場に運んだ時のことです。

 市場急配センターの駐車場というのも未舗装でした。砂利が入っていたように思いますが、それでも水たまりで歩きづらいことがあったように記憶にあります。

 金沢市場輸送の事務所からはけっこう離れていました。金沢中央卸売市場の裏手のすぐ横でしたが、住所はどちらも金沢市二口町となっていました。平成15年辺りにはいつの間にか住所が金沢市駅西本町に変わっていることに気が付きました。

 もともと金沢市の駅西というのは、金沢駅の裏側というイメージで、何もないという印象も強かったのですが、ちょうど平成3年辺りから開発が進み、金沢駅の構内に商業施設ができていました。

 2,3日前にもなにかのきっかけで思い出していたのですが、平成4年の2月頃、夕方の暗くなった時間帯に、被告発人松平日出男社長がおごってやると言って、数人で食事に出掛けたことがありました。以前も時期や日付まで絞り込めていたように思いますが、記憶が薄れています。

 たしか初めに向かったのが、六枚の交差点の側の陸橋の下でした。中橋の陸橋と呼ばれていたような気もします。その辺りは市内配達の仕事でも行ったことがありました。被告発人大網健二が笹田くんともめていると最初に聞いた頃、その辺りで被告発人大網健二と会ったような記憶もあります。

 笹田くんは峰田くんといつも一緒にいました。これも詳しいことは記憶の新しい段階で何度も記述してあると思いますが、被害者安藤文さんが、そのどちらかの紹介で市場急配センターに入社したと聞かされたこともありました。

 笹田くんと峰田くんは家が近所の幼馴染で、金石とも聞いたように思うのですが、より確からしい話として、金沢港の近くと聞きました。金沢港という住所はなく、金沢港といっても住所がいろいろとあるのですが、私はちょうど無量寺から北都高速の会社の辺りを、思い浮かべていました。

 ここでは余り深入りしないでおこう思いますが、守田水産輸送の運転手から聞いた話で、息子が仲の良い友達という話であったように思います。

 さきほども触れましたが、金沢市場輸送が新事務所に移転したのが、昭和63年の7月に入った頃、最初に被告発人松平日出男に会ったのが、9月に入った頃だったと憶えています。

 移転する前、金沢市場輸送の事務所は金沢中央卸売市場前のテナントビルの2階でした。住所は金沢市西念町リの1、だったと記憶しています。高田という人物が金沢市場輸送の市内配達の責任者だったということも、記録では繰り返し記述してきたと思います。

 あまり詳しく具体的な話は聞かなかったとも思うのですが、当時の竹沢俊寿社長(その後、金沢市場輸送と市場急配センターの会長。金沢市場輸送の社長に本恒夫、市場急配センターの社長に被告発人松平日出男がなったことで)に不義理をして逃亡、それっきりとなりました。

 富山の右翼団体が金沢市場輸送の事務所に乗り込んできたことも記録には記述しているかと思います。そのうち話題にもならなくなり、それっきりどうなったのか聞いたことはなかったと思います。

 いちおう責任者としましたが、決まった役職があったわけでもなかったと思います。長距離の場合は配車係という言葉がありましたが、それと同じように市内配達の仕事で采配をふるい、現場で指示を出す立場であったと思います。

 高田がいなくなってから被告訴人梅野博之が代行をするようになったとは聞いていました。被告訴人梅野博之が金沢市場輸送に入ったのも被告訴人池田宏美とほぼ同じで、昭和61年の12月頃だったと思いますが、被告訴人梅野博之は供述調書で平成入ってからの入社としていたと思います。

 他に適任者もいなかったのだと思いますが、被告訴人梅野博之が代行をしているような話は聞いていました。高田がいなくなってからどのぐらいあとかは憶えていないですが、二口町に事務所が移転する前、市内配達は同じテナントの別の部屋を借りて、そちらに移っていました。

 とっさに名前が思い出せないですが、体の大きな女性事務員が、その事務所にいたことを憶えています。たまに気が向いた時、市内配達の部屋に入った時のことです。事務所というよりは、物のない倉庫に机だけがあるというような殺風景なものであったと記憶にあります。

 その女性はまだ20代の後半と聞いていましたが、当時の私にはかなり年上にみえていました。真面目そうでおとなしく、いかにも学校の先生という印象でした。話しかけるといくらか応じるという感じだったと思いますが、そういう機会も少なかったと思います。

 その市内配達の事務員の女性を含め、大西真さんのおごりで片町に飲みに行ったことがありました。私の一度目のイワシのシーズンでしたが、平成1年の1,2月の頃だったと思います。

 ここで気がついたのですが、私はさきほど、市場急配センターの事務所が出来たのを平成1年と書いたかもしれません。だとするとそれは間違いです。私のイワシのシーズンの2回目になるので、平成2年です。イワシのシーズンというのは12月から3月ぐらいが基本でした。

 女性は、その市内配達の女性事務員と被告訴人池田宏美の二人、男は大西真さんと輪島のMYでした。片町のスクランブル交差点で、赤玉の向かい側の角のビルで、二階の居酒屋が待ち合わせであったように思います。

 そのあと、話には聞いていた「花馬車」というキャバレーにに行きました。今はキャバレーという言葉を聞くことも少ないかと思いますが、金沢で一番大きなキャバレーと聞いていて、たしかに広い店内だったと記憶にあります。

 当時のキャバレーというのは、ストリップショーやお触りもあるようなイメージもあったと思うのですが、そういうことはなく、ガヤガヤした社交場という印象がかすかに残っています。

 その頃、大西真さんは50歳になったという話をしていたように思うのですが、当時の50歳というのは現在の70歳より年老いているという相場観があったとも思います。50歳を過ぎて長距離運転手は無理だとも聞いていました。

 当時は私も20代の前半だったので、世の中の見え方も違っていたのだとは思います。私の場合は、母方、父方ともに祖父母の顔を見た記憶がなく、父方の方は名前を含め全く話を聞いた覚えがなかったので、想像もつかないという、平均とは違う事情もあったとは思います。

 いろいろと思い出したり考え事をしながら書いていると、何を書いているのかも把握しづらくなってきたのですが、鹿島啓一弁護士をメインにしていることは確かです。

[link:] » 駅西本町 - Google マップ https://t.co/hlTx3yMRat


 Googleマップに住所を指定すると範囲が枠線で色分けされますが、駅西本町の一部が国道8号線バイパスに隣接しているのに驚きました。逆に駅西のイメージの強かった金沢駅西口前は、別の住所になっています。広岡と広岡町がありますが、コの違いも初めて知ったように思います。

 金沢駅西口の近くに広岡という住所があることは昭和59年当時から知っていました。ただ、当時は金沢駅に西口というものはなかったかもしれず、必要がなかったということもありますが、地下街を含めた通常の金沢駅の出入り口以外から出入りした記憶はないです。

 3,4か月前になるでしょうかUHについて詳しく取り上げた時に、UHのアパートで出会い付き合いが始まった富来のOTが、住んでいたワンルームマンションの住所が、広岡だと聞いていました。

 OTが一時、金沢市場輸送に入社したことも書いたと思いますが、あの出会いがなければ、被告発人大網健二が本陣不動産株式会社で仕事をすることもなかったかもしれないし、その後の人生も変わっていたかもしれません。そういう仮定をすれば、きりがなくなると思いますが。影響の問題です。

 私がUHと知り合ったのも、被告発人安田敏と観音堂のアパートがきっかけでした。昭和58年の9月のことです。観音堂のアパートには11月の10日頃までいたと記憶にありますが、UHと出会ったのは冬の寒い時期だったという気もします。

 被告発人大網健二はUHとも一緒に車のブローカーの仕事をしていると聞いた時期がありました。今、久しぶりに思い出そうとして1,2分時間が掛かったのですが、被告発人大網健二の名刺には「福田自動車」とあったように思います。

 当時、ずいぶん地味な会社名だと思いましたが、場所は金沢市の高畠の辺りだと聞いたように思います。いろいろと話を聞いたようにも思うのですが、当時は特に関心もなかったので、聞き流していたことがあったようにも思います。

 当時、金沢市の高畠には、店も少なかったと思うのですが、「名古屋城」というパチンコ店があったことを、ずいぶん久しぶりに思い出しました。変わった名前のパチンコ店でもありましたが、金沢市内で生活をするようになってから1つの目印のような存在にもなっていました。

 高畠には割と大きな交差点があって、バイパスの下をくぐって金石方面や示野からくる道路とも交差していました。道路沿いに中古車店があるのは、玉鉾の方ではないかとも考えたことがあったのですが、聞いた話は高畠として記憶にあります。

[link:] » 高畠 - Google マップ https://t.co/Ho9fu2dsaD


[link:] » 古府東 - Google マップ https://t.co/eqCvy9iXxg


 Googleマップによると、私が高畠の大きな交差点と思っていたのは、古府東という交差点だったようです。この古府東の交差点からさらに高畠から離れた場所に、昭和60年当時、被告発人大網健二の兄OSNが住んでいたアパートがあるのですが、皆、高畠のアパートと呼んでいました。

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 項目名を見直したところ、原発問題についても触れておく予定でした。


代表弁護士 鹿島 啓一

所属:金沢弁護士会

東京出身。現在、3児の父。
1997年 早稲田高校卒業
2001年 東京外国語大学卒業
2001-2005年 金融機関等に勤務
2005年 司法試験(旧試験)合格
2006-2007年 金沢にて司法修習
2007年 弁護士法人キャスト糸賀入所
2008年 金沢税務法律事務所開設
金融機関等に勤務していた私が弁護士になって最初に思ったことは、法律事務所にサービスの視点を取り入れたいということでした。長文ですが事務所理念もご覧いただけたら幸いです。

ライフワークとして、法教育・原発を廃絶する運動を行っています。どちらも子ども達の未来のためにやらなくてはならない活動だと認識しています。

小出裕章先生が引用されて知った言葉ですが、ガンジーが挙げる七つの社会的罪「理念なき政治」「労働なき富」「良心なき快楽」「人格なき知識」「道徳なき商業」「人間性なき科学」「献身なき崇拝」を犯さない(特に「人格なき知識」に陥らない)、弁護士(人)でありたいと考えています。

尊敬する人義父である武田清弘

金沢弁護士会

・法教育委員会
・業務対策委員会
・広報委員会
弁護団

・志賀原発運転差止訴訟弁護団
・大飯原発運転差止訴訟弁護団
・大飯高浜原発運転差止仮処分弁護団

弁護士・税理士紹介|弁護士法人金沢税務法律事務所 http://www.zeimuhouritsu.com/profile/

 「志賀原発運転差止訴訟弁護団」「、大飯原発運転差止訴訟弁護団」、「大飯高浜原発運転差止仮処分弁護」と3つ紹介されています。志賀は石川県羽咋郡志賀町、大飯も高浜も福井県内の若狭地方の原発だったと思います。

 北陸三県として石川、富山、福井がありますが、石川や富山は名古屋と同じ中部地方として聞くことが多く、福井も同じだと思うのですが、福井県内の原発に関してはニュースに関西電力として見てきたと思います。石川県は北陸電力ですが、北陸電力の原発としては余り見た記憶がありません。


志賀原子力発電所(しかげんしりょくはつでんしょ)は、石川県羽咋郡志賀町にある北陸電力の原子力発電所。

志賀原子力発電所 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E8%B3%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80

 石川県で生活しながら志賀原子力発電所を北陸電力として聞いた覚えはなかったのですが、確認しました。営業運転開始が平成5年7月30日とありました。いつの間にか出来ていたという印象だったのですが、平成5年というのは意外でした。昭和の時代からあるように思っていました。

 福井県の原発については、何かの記事で思っていたより古くからあったのだという感想がありました。原発といえば裁判、差し止め訴訟というイメージも古くからあります。


1973年1月28日 - 1・2号機に対する設置許可申請。
1979年3月27日 - 1号機、営業運転開始。
1979年12月5日 - 2号機、営業運転開始。
1987年2月10日 - 3・4号機に対する設置許可。
1991年12月18日 - 3号機、営業運転開始。
1993年2月2日 - 4号機、営業運転開始。

大飯発電所 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%A3%AF%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80

 大飯原子力発電所が福井県内という確認もしておきたいので調べたのですが、昭和54年3月の営業開始とあります。もっと古い原子力発電所もあったように思いますが、危険性が社会問題化されたのは、だいぶんあとのことであったように思います。

 志賀原子力発電所も能登地方になりますが、珠洲市にも原発の誘致の問題があって二分した争いで、反対派が勝利し計画は実現されなかったという経緯があります。テレビニュースも余り見ていなかったと思いますが、それでも日常的に原発絡みの問題には接してきた時期がありました。

 誘致の反対活動はわかりませんが、訴訟となると弁護士が絡んでいたのは確実だと思います。個人的に余り関心がなかったということもありますが、原発問題で熱心な活動をしていた石川県内の弁護士というのは、記憶にありません。数は少なくなかったとは思います。

誘致の反対活動はわかりませんが、訴訟となると弁護士が絡んでいたのは確実だと思います。個人的に余り関心がなかったということもありますが、原発問題で熱心な活動をしていた石川県内の弁護士というのは、記憶にありません。数は少なくなかったとは思います。



平成31年4月1日現在

出身等 石川県松任市(現白山市)出身
学歴 金沢泉丘高校卒
東京大学(経済学部)卒
職歴等
2004(平成16)年
司法試験合格
司法修習59期
2006(平成18)年
金沢弁護士会登録
2010(平成22)~2011(平成23)年
金沢弁護士会公害対策環境保全委員会委員長
2014(平成26)年
金沢弁護士会副会長
中部弁護士会連合会理事
現職 金沢地方法務局筆界調査委員(平成28年から)
主な取扱事件
中国人強制連行強制労働事件
志賀原発2号機運転差止請求の旧事件
小松基地曝音差止め等請求事件
志賀原発1・2号機運転差止め請求事件
著書等 -

弁護士のご紹介:中田 博繁 | 北尾法律事務所 ::: 石川県金沢市の弁護士事務所 http://www.kitaolaw.jp/lawyers-nakata.html

 初めて見る金沢弁護士会の弁護士名だと思いますが、「金沢弁護士会公害対策環境保全委員会委員長」というのは、金沢弁護士会の活動として参考になりました。弁護士の活動自体が社会的な公害であり、危険生物としての研究対象と位置づけてきた私には、とりわけ感慨深いものがあります。


所属弁護士
北尾 強也
岩淵 正明
奥村 回
橋本 明夫
中田 博繁
北尾 美帆
小島 次郎

弁護士のご紹介 | 北尾法律事務所 ::: 石川県金沢市の弁護士事務所 http://www.kitaolaw.jp/lawyers.html

 北尾という弁護士名については平成5年から7年頃のこととして見聞きした覚えがあったのですが、所属弁護士に北尾という名前が2つあるものの、記憶にある名前ではありませんでした。記憶があいまいとなっているので、はっきりとは書けないこともあります。

 所属弁護士に奥村回とありますが、富山県氷見市の強姦冤罪事件の国賠請求訴訟で活躍していた弁護士で、同じ頃に、金沢弁護士会の会長としてちょくちょく名前を見かけていました。以前調べたところ、石川県七尾市の出身となっていて、その点も興味深いと思いました。


平成31年4月1日現在

出身等 石川県七尾市生まれ
学歴
1971(昭和46)年
金沢大学教育学部付属高等学校卒
1976(昭和51)年
京都大学(法学部)卒
職歴等
1981(昭和56)年
司法試験合格
司法修習35期
1983(昭和58)年
金沢弁護士会登録
北尾法律事務所入所
1990(平成2)年度
金沢弁護士会副会長
2002(平成14)年度
金沢弁護士会副会長
2007(平成19)~2011(平成23)年度
日本弁護士連合会刑事弁護センター副委員長
2008(平成20)~2011(平成23)年度
日本司法支援センター石川地方事務所副所長
2009(平成21)~2011(平成23)年度
日本弁護士連合会裁判員制度実施本部副本部長
2012(平成24)年度
金沢弁護士会会長
2016(平成28)~現在
日本司法支援センター石川地方事務所所長
2016(平成28)~2017(平成29)年度
日本弁護士連合会刑事弁護センター委員長
2018(平成30)~現在
日本弁護士連合会国選弁護本部本部長代行
現職 金沢簡易裁判所民事調停委員
主な取扱事件
豊田商事搊害賠償請求事件
建設会社社長セクシャルハラスメント事件
珠洲市長選挙無効請求事件
高生活保護処分取消請求事件
志賀原発運転差止請求事件
小松基地騒音訴訟
穴水町議殺人事件
グループホーム殺人事件
石川銀行特別背任事件
七尾市議会議員当選無効訴訟
著書等 共著
『ハンドブック刑事弁護』(現代人文社 2005年)
『くらしの法律相談』(日本弁護士連合会編)

その他
『実務社会保障法講義』(生活保護費減額処分取消請求‐高眞司第1次訴訟)
『賃金と社会保障』(・高訴訟について・グループホーム殺人事件について)
『現代の刑事弁護』(被害者参加と無罪推定)


弁護士のご紹介:奥村 回 | 北尾法律事務所 ::: 石川県金沢市の弁護士事務所 http://www.kitaolaw.jp/lawyers-okumura.html

 経歴が昭和46年の高校卒業から始まっていますが、司法修習35期ともなっていて、これは被告発人木梨松嗣弁護士に近い年代なのかと頭に浮かびました。木梨松嗣弁護士に関する経歴の情報は見たことがなかったと思いますが、そんなに離れていないとは思います。

 「豊田商事搊害賠償請求事件」とあります。最初にありますが時系列で並んでいるのか確証はありません。「搊害」というのは初めて見るものです。損害賠償の可能性がありますが、不思議に見える漢字です。

 「搊」は「しゅう」という読みで使い方もいくつかあるようですが、簡単に調べて意味はわかりませんでした。誤字ではなくあえて「搊害」とした可能性もありますが、やはり不思議な印象を受けます。

 前にも書いたことがあると思いますが、平成9年の4月か5月から平成10年の12月頃までレンタルしていたCDロムの判例集で、木梨松嗣弁護士を検索したところ、この豊田商事事件の民事裁判が結果の1つでした。結果は全部で2,3であったように思います。

 レンタル代は月に1万7500円か1万7千円だったと思います。これは判例の要旨とコメントの2つでしたが、すぐに要旨のはずが必要全文のCDが送られてくるようになりました。必要全文のレンタルだとそれだけで月に5万7千円ぐらいのレンタル代となっていたように思います。

 あしながおじさんのような支援の存在があるのではと考えたこともありました。被告発人木梨松嗣弁護士がそれではないかと考えたこともあり、被告発人大網健二のことも味方に見えたり、敵に見えたり見方が一定せずに揺れ動いていました。

 被告発人大網健二に協力を受けたことは、金沢市北安江の借家の契約でも明らかなことでした。保証人になったというのも事前の相談はなく、事後的な説明でした。様子が変わったのは平成10年の11月頃からのことで、翌年2月頃から窮地に落とすため牙を向けるようになりました。

 「建設会社社長セクシャルハラスメント事件」がその次、2番目にあります。この被告とされた建設会社の社長というのは、宇出津の錦町の人で、同級生の父親にもなりました。能都中学校の卒業後、まったく接触はなかった同級生ではあります。

 地元では同業者にはめられたという話もありましたが、金沢の多数の弁護士が寄ってたかってセクハラ加害者として祭り上げた儀式のようなイメージが強くあります。

 2,3年前にもネットで調べたことがありましたが、ネット上の情報もずいぶんと少なくなっていて、確認が出来なかったこともありました。セクハラがあったとされる時期の特定だったと思います。

 金沢セクハラ事件ともされているのを見かけましたが、当初は金沢地裁輪島支部のセクハラ裁判となっていたかと思います。思い出したのですが、今年の6月の初めに輪島市の市民まつり、に行ったとき、交通整理で金沢地方検察庁の輪島支部の前に出たことがありました。

 その前に、金沢地方裁判所輪島支部の前も通っていたのですが、そちらも数年前、たぶん同じ輪島市民まつり、に行ったとき、たまたま旧輪島駅前の大通りから外れた道路に入ったところで、輪島支部の建物があることに気が付きました。

 金沢セクハラ裁判が正しいのかもしれません。刑事事件として問題にされたという情報は一度も見ていないと思います。これも金沢の金沢合同法律事務所の弁護士らが中心になって、盛りたてた民事裁判であったように思います。

 記憶は薄れたものも多いですが、これまで私が調べてみてきた情報によると、奥村回弁護士が金沢合同法律事務所の弁護士らとセクハラ被害者の側で活動したとは考えにくく、被告側として関与した可能性が高そうに思います。

【金沢セクハラ事件(身体接触・性行為未遂・被害者の落ち度)】 | 交際,婚約,内縁 | 東京・埼玉の理系弁護士 https://www.mc-law.jp/rikon/23727/

 確認しておきたいこともあったので調べたところ、ずいぶんデータ化された情報をみつけました。バッチをつけた7人の男性の写真が出てきて少し驚きました。昭和の時代、七人の侍という有名な映画があったことを思い出しました。士業をサムライとする弁護士も少なからずいるようです。

 「名古屋高裁金沢支部平成8年10月30日;金沢セクハラ事件」とあります。一審の情報はありませんし、被告の建設会社社長は最高裁まで徹底的に争ったという情報を過去にみていると私の記憶にはあります。本人もよほど不本意だったのでしょう。

 もうだいぶん前に、その数年前に金沢セクハラ事件で敗訴した建設会社社長は亡くなったと聞きました。病名などは聞いていないかもしれません。建設会社の経営への影響というのも聞いていないですが、その会社が仕事をしているのも、ずっと前から見た覚えはありません。

 同じ宇出津の町内という年代も近い人から話を聞いたこともあったのですが、いずれもセクハラ事件は、もらい事故の笑い話のような感じでありながら、周辺には理解されていなかったような印象も受けました。立ち入って本人に話を聞く人もいなかったのかもしれません。

【金沢セクハラ事件(身体接触・性行為未遂・被害者の落ち度)】 | 交際,婚約,内縁 | 東京・埼玉の理系弁護士 https://www.mc-law.jp/rikon/23727/

 金沢合同法律事務所のホームページをみたのも2,3年ぶりかと思いますが、金沢セクハラ事件との関係は確認できませんでした。


2014年金沢弁護士会会長職を振り返って
1 平成26(2014)年度の金沢弁護士会会長を拝命し、そろそろゴールが見え始めてきました。この1年を振り返ると確かに忙しかったものの、充実し、また楽しかった1年でもありました。少しお話しをします。

飯森 和彦 弁護士還暦を迎えた今も,勉強を続けないとこれまで学んだこと経験の全てが一瞬にして錆びる,という思いです。more >> – 金沢合同法律事務所 https://www.kanazawagoudoulaw.com/portfolio-item/iimori

 飯森和彦弁護士が金沢合同法律事務所の弁護士だったというのも忘れていましたが、金沢弁護士会の会長が2014年度だったということです。思ったより前のことでした。

 西村依子弁護士が金沢弁護士会の会長になったのは、それより前だったと思います。西村依子弁護士も金沢合同法律事務所で、平成9年の秋、私はそこで法律相談を受けたのですが、相談料も入らないと言われて帰りました。

 西村依子弁護士は、金沢合同法律事務所から独立していましたが、金沢弁護士会の会長になった頃には独立していたように思います。西村依子弁護士に関する情報もみかけていませんが、石川県に住んでいると金沢弁護士会の弁護士の個人名自体を目にすることがほぼありません。

 原発問題に関しては、名古屋高裁金沢支部の裁判長だったと思いますが、住民側の主張を認容した裁判官がいて、滋賀県で弁護士になった後、再審請求で再審開始を獲得した弁護士がいました。名前はすぐに忘れてしまう弁護士の一人です。名前の漢字の並びはなんとなくイメージにあります。

 鹿島啓一弁護士と原発問題との関わりも深く知っておきたいところですが、思うように情報も見つからない気がします。

 「寛容な鹿島啓一」という過去のTwitterのプロフィールの名前もずっと気になっていました。福井県の原発といえば、ふげんや文殊という宗教的な意味合い、思いの込められた命名もありましたが、寛容というのも観世音菩薩の大慈大悲につながりがありそうで、気になる世界観があります。

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