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2019年6月26日 (水)

「お葬式」や「遺品整理」という項目が右サイドに並ぶ、弁護士法人モッキンバード法律事務所 弁護士紹介のホームページ

「お葬式」や「遺品整理」という項目が右サイドに並ぶ、弁護士法人モッキンバード法律事務所 弁護士紹介のホームページ

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 遺品整理や新しいスタイルのお葬式といえば、2時間ドラマのシリーズを思い出すのですが、「赤い霊柩車シリーズ」ではなかったかと思います。もう思い出せないぐらい前から宇出津という田舎でも家で葬式をする家は見たことがありません。

 宇出津というかたぶん能登町全部だと思うのですが、「三郷」という斎場が長坂にあります。地元の人はなぜか「さんご」と発音する人がほとんどなので、珊瑚というイメージも抜けないのですが、新しいゴミ処理場と隣接し、いつのまにか出来ていました。


115件目 » 2018-07-24_171219_平体 能都町火葬場跡地(1966年5月〜1996年12月) 慰霊碑 聖観世音菩薩像.jpg

[link:] 2018-07-24_171219_平体 能都町火葬場跡地(1966年5月〜1996年12月) 慰霊碑 聖観世音菩薩像.jpg

奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: 2018年08月02日14:19記録\法務検察・石川県警察宛\写真資料:2018-07-15_192420〜2018-08-01_000629:287件 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/08/2018080214192018-07-151924202018-08.html#20180724171205

 上記の写真で確認をしましたが、能都町火葬場跡地の聖観世音菩薩像の慰霊碑には、1966年5月から1996年12月と刻まれています。私の父親の火葬が昭和42年かあるいは昭和43年の4月だったので出来て間もない頃だったのだと知りましたが、遠い記憶に建物が新しい感じはありませんでした。

 1996年というのは平成8年ですが、私は平成9年1月18日に福井刑務所を満期出所し宇出津に戻りました。当日の最終の電車で、宇出津駅着は22時10分頃だったと記憶しています。

 私が経験した火葬というのは2回だけで、ぼんやり少しだけ記憶に残る父親の火葬と、その2,3年後と思う父方の親戚の葬式でした。その家で葬式があったのですが、ちょうどラジオで沖縄返還のニュースを聞いていたことが記憶に残っています。

 宇出津では、高齢化で葬式も多く、商売をしている人はお通夜に月に2,3回顔を出して香典を包んでいると聞きますが、私は小学校の時以来、葬式にも行ったことがないように思います。遠い親戚らしい、田町の豆腐屋に葬式に出て、そこに同級生がいて驚いたことを憶えています。

 宇出津に田町という町内はないのですが、立町と横町を田町と呼んでいて、昔は神野方面への街道筋として牛馬の通行があり賑わいがあったと聞きます。

 その田町に「やたろうざか」と呼ばれる急な坂があって、火葬場への桶を担いで死体を運んだと聞きます。道路がなく車で運ぶことも出来なかったと聞きます。私はその話を、2015年ぐらいになって初めて知りました。

 宇出津の町内は上田町になるかと思いますが、藤波の辺田の浜との間にはトンネルがあって、辺田の浜の方からみるとトンネルの上に古い火葬場の建物がありました。いつのまにかなくなっていたのですが、昭和の時代はまだずっとあったように思います。

 同じく2015年頃に初めて知ったのですが、私が生まれた昭和39年か、その少し前には、そのトンネルも辺田の浜から宇出津の新町に出る道路自体がなかったと聞きました。今はバイパスがありますが、昭和の時代、バイパスが開通する前は国道249号線だったと思います。

 家のどこかには、裁判の資料に戸籍謄本があって、そこに父親の生年と没年の記載があったと思うのですが、だいぶん前から気になりながら、まだ探して確認をしていません。大正11年の生まれと聞いていたように思うのですが、記憶が薄れているので確信はもてないのです。

 父親は私が3つのときに亡くなったと聞いてきたと思うのですが、昔の人は、満と数え年を使い分けることも多く、どちらであったのかはっきりしません。4月の20日かあるいは23日が命日であったとも思います。

 火葬場や葬式の時代の移り変わりと、廃線となった能登鉄道、弁護士によって狂わされた人生というものが私の中では渾然一体となっており、弁護士法人モッキンバード法律事務所のホームページで、葬式関連の情報を見たのは感慨深さがあり、いずれ母親の葬式のこともあります。

 弁護士法人モッキンバード法律事務所の弁護士紹介のホームページには、胸像のような顔写真が一枚だけ掲載されています。その右手に4人の弁護士の名前と経歴の紹介があるのですが、1つフォントの大きさが違ったり、区切りがわかりづらくなっています。

 いくらか手作り感のあるホームページでもあります。ホームページのソースを確認すると、複雑なHTMLとなっていましたが、ホームページ作成のアプリを使っても自動的に生成されるコードなのかもしれません。専門の業者に依頼したにすれば、どうかと思うところです。

 上から「川目武彦(かわめたけひこ)」「岩本憲武(いわもとけんぶ)」「武田浩一(たけだひろかず)」「大塚晃央(おおつかあきお)」という弁護士の名前が、経歴、趣味などとともに並んでいます。

 川目弁護士については、所属弁護士会の記載が見当たらず、大塚弁護士が群馬弁護士会所属となっています。東京都に近いのであれば、東京の弁護士会に所属している可能性もあるのかと確認したのですが、群馬弁護士会というのは意外でした。

 岩本憲武弁護士の名前も昨夜、初めて知ったばかりと思いますが、「元・最高裁判所司法研修所刑事弁護教官(2015年~2018年)」というのも意外な経歴です。

 そういえば3週間ほど前になりますか、母親の病室で、隣のベッドの人がテレビをつけていて、その画面に司法教官シリーズの2時間ドラマが出ていました。ちょうど結婚式での殺人未遂の場面であったように思います。ドラマを静止状態にさせて解説するのも、そのドラマの特徴です。

 あまりよく思い出せないのですが、結婚式場を襲撃し、花嫁と勘違いしてマネキンを刺したというような内容ではなかったかと思います。たまたまいきなりその場面が目に入ったので、なんの番組なのかすらしばらく理解ができませんでした。

 繰り返しますが、埼玉県の和光市といえば、司法修習生の司法研修所があることで有名です。これは初めに知ってから変わっていないと思うので、ずっと和光市に司法研修所があるようです。光市母子殺害事件の検索で、光市とすると和光市の司法研修所のことが出てきて、最初は怪奇現象にも思えました。

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