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2018年5月22日 (火)

# 昭和40年代の大阪万国博覧会と麻疹の思い出、天神様の北野天満宮から小田原の村松謙弁護士のツイート #


* ツイート%motoken_tw(モトケン)%2018/05/09 09:19%<https://twitter.com/motoken_tw/status/994008900037894144>

> 青木理さん 典型的な他人に守られていることを知らない知識人 麻疹は死ぬよ #BLOGOS https://t.co/Iqg81NL1ca



 テキスト保存しているモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートのまとめファイルから「麻疹」で検索をして見つけ出したのですが、5月9日の9時19分の投稿となっていました。午前中に目にしたような記憶もあります。

 リンクの記事を読み筆者のTwitterも見たのですが、「元自衛隊医官 危機管理専門血液内科医」というプロフィールの人でした。

 麻疹と聞いて思い出すのは、大阪万国博覧会に行ったことで、万博会場の記憶もほとんど残っておらずテレビで見た映像と区別がつかなくなっているのですが、唯一記憶に残っているのが、京都の親戚の家で半月ほどと聞いたように思うのですが病気で静養していたことです。それが麻疹でした。

 なんとなく寝込んでいたような記憶もかすかに残っているのですが、しんどい思いをしていたという記憶はありません。記憶に残っているのは体が良くなって、明日帰ると聞いた日のことです。外に出でそこは広い神社の広場だったのですが、強い記憶として天神様と「通りゃんせ」が残っています。

 「通りゃんせ」の歌の歌詞にあるように、怖い思いをしながら不思議なものを強く感じていたという体験です。その時の病気が「はしか」であったことも、京都から帰ってから、母親が立ち話をする会話として聞いていたような記憶です。

 他に記憶に残っているのは、夜に大きな川の川沿いに赤提灯がいっぱい点灯したような店に入ったことです。今でいう居酒屋だったのかもしれませんが、私が居酒屋という言葉を聞くようになったのは、昭和58年の初めころに、「居酒屋」という曲が流行したことだったと思います。

 同じ頃のヒット曲に「氷雨」や「釜山港へ帰れ」がありました。普通免許を取って日の浅かった被告発人大網健二の車で夜によくドライブをして遊んでいた頃のことです。車は自動車修理工場の彼の家の車で、代車に使われたコロナという車種でした。

 他にも気になることがあったので、集中力を高めるためにも少しでも疑問を解消しておこうと思い、京都の親戚の住所を探しました。ずっと前に郵送してもらった荷物の送り状をどこかに保管しておいたと思ったのですが、探し出すのにけっこう時間が掛かりました。

 その探し物をしている過程で、思わぬ発見として被告発人大網健二の名刺がありました。写真をアップロードでまとめ記事にしています。平成11年8月以降の名刺です。同じ社名と住所のものは、金沢市桂町の元チェリー商事の倉庫として目にしていたもので、写真も記録しています。

 北野天満宮については、それまでにも調べたことがあったのですが、目的の発見のようなものはありませんでした。親戚の住所もGoogleマップで調べていたと思いますが、発見と思うようなものはありませんでした。

 5月9日に調べた時は、ストリートビューで京都の親戚の家まで見つけることになりました。母親の妹の次女のおばさんの家だと思います。比較的新しい家だったので、昭和40年代にあった家には到底思えませんでした。同じ場所で建て替えがあったのかも不明です。

 ストリートビューで近くの検索として「北野天満宮」を指定すると、ずいぶん近くに表示されたのですが、それでも2キロちょっとでした。私の家から宇出津新港のアルプまでがそれくらいの距離になるのだと思いますが、子供が歩いて行けるような距離には思いませんでした。

 親戚の家の周辺もストリートビューで調べたのですが、私の記憶にあるような、大きな敷地の神社やお寺は見当たりませんでした。寺院は近くにありましたが、周辺の住宅に古いものは見当たらなかったので、新興の住宅地として開発された地域にも見えました。

 前に、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の法律事務所と八坂神社を調べたときも同じぐらい離れた距離でしたが、移動時間は車でもバスでもけっこう長めでした。あらためてモトケンこと矢部善朗弁護士の法律事務所の周辺をGoogleマップで見ていると、別の発見がありました。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/05/22 11:19%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/998750058391654400>

> 八坂神社 から 四季の風法律事務所 - Google マップ https://t.co/1VHkSYLbU0



* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/05/22 11:20%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/998750451494350849>

> 門前町 から 四季の風法律事務所 - Google マップ https://t.co/T5uW4Iwfyi



 門前町まで1.4キロと表示されています。下京区です。有名な西本願寺の大きな土地が広がっていますが、初めに京都市の門前町としてスマホで調べた時は、この情報が見つかりませんでした。

 半年ほど前になると思いますが、病院で会話が出来るとき、母親が何度も「もんぜんちょう」と口にするようになったのです。それも京都の上京区の門前町だといいます。近くに本願寺があるのかと尋ねても、知らないと答えていました。これは一貫しています。

 認知症も進んでいるのでまともな会話は出来ないし、眠たがってまったく起きようとしないことも多いのですが、「門前町」と「小島伝次郎」のことは一緒によく口にするようになったので、気になっていました。前は「おとうちゃん」と京都の言葉で言っていたのですが、それが変わってきました。

 能登にも門前町があって、現在は輪島市ですが、宇出津が能都町だった頃は同じ石川県鳳至郡でした。門前町の輪島市への編入の方が1,2年早かったかもしれません。ずっと「もんぜんまち」と耳にしていたので、母親が「もんぜんちょう」と言い出したときも違和感を感じました。

 輪島市門前町は總持寺祖院として有名ですが、歴史が古く大火で消失があるまでは大本山か総本山だったということです。それが神奈川県の横浜市の方に移ったということも2015年頃に理解したように思います。

 数年前、總持寺祖院に行き拝観をしたのですが、それらしい説明は見たように思うものの理解が出来ませんでした。輪島と横浜を同時に意識するようになったのも、2015年の連続テレビ小説まれ、がきっかけでしたが、同じ頃に横浜弁護士会の名称変更の問題もありました。

 全国の弁護士会で、県名を使わず市の名前を使っているのは、神奈川県の横浜と石川県の金沢だけ、というような情報も見かけていました。神奈川県弁護士会所属と思われる弁護士には、かねて注目してきた弁護士が数人いて、その一人が小田原市の村松謙弁護士でした。

 童謡というジャンルになるのか「通りゃんせ」という曲も、前に調べたことがあったと思うのですが、5月9日に調べると、他にも1つあるようでしたが、小田原市の神社が歌の発祥になるという情報をみて、これまでの常識がひっくり返ったような気分になりました。

 あらためてなぜ京都のイメージが固定化されていたのか考えると、曲調が古都の京都らしいというのもありますが、「天神様」と歌詞に出てくるので、菅原道真が祀られている北野天満宮と考えるのが、やはり自然なことだと思いました。

 栃木県の思川が、北九州の宗像、沖ノ島に祀られる田心姫命に由来するという情報をネットで見たときも驚きでしたが、伝統文化の広い分布として、それで少し慣れていましたが、昔の関東というのは東国武士や東人の無骨なイメージがあるだけに、やはり違和感を感じます。

 小田原市というのも、歴史的に有名で大きな拠点となった場所というイメージがあります。そういう歴史的伝統文化も踏まえ、村松謙弁護士はかねてより不思議に感じる存在感がありました。山伏や修験道者のような理解を超えた存在感があり、それが小田原市という場所にも溶け込んでいました。

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