平成3年11月25日の夜の電話から被害者AAさんの裏駐車場への駐車と自宅での電話対応の拒絶
平成3年11月25日の夜の電話から被害者AAさんの裏駐車場への駐車と自宅での電話対応の拒絶
2016-06-27 月曜日 19:28 >>[[ ←これからの記述範囲の開始時刻]]>>
平成3年10月頃の状況については昨夜、記述をしたかと思います。余り細かいことまで書いてはいませんが、記憶が薄れていて現在の記憶だけで書くには困難もあります。とにかく沢山のことがありました。
昨夜書いたように、平成3年10月5日の土曜日の20時過ぎに被害者AAさんに電話をかけてもらって交際を申込み、断られたものの10月12日の土曜日には、私の方から被害者AAさんの自宅に初めて電話をしました。
そのあと、11月25日の夜までの間に、2,3回、彼女の自宅に電話を掛けました。そのたびに私は、最後に「諦めるので気にするな。」と彼女に言っていました。彼女の真意を測りかねたのも理由ですが、何より10月5日の電話で断りを受けたことの衝撃が大きく根深い不信感を持つようになりました。
こんなふうに書いていると、それだけでも深澤諭史弁護士がストーカーだと飛びつきそうです。
会社における被害者AAさんは毎日のように意思表示の連続でした。どのように考えても、彼女の言う好きな人は、自分のことと考えるようになりました。しかし、彼女がなぜに、交際を申し込むと「ごめんなさい。」と断るのか、理由はわかりませんでした。難しい年頃というのも一つの理解でした。
ある日の午後、市場急配センターの2階の事務所に被告訴人池田宏美と二人でいると、そこに外から被害者AAさんが戻ってきました。そこで池田宏美が「このケーキ、広野さんがAちゃんのために買ってきてくれてんよ。」というと、被害者AAさんは嬉しそうに恥ずかしそうに笑っていました。
私がジャスコ若宮店でチーズケーキなどを買ってきたのは事実です。銀行に行ってくれたことのお礼のつもりでした。打算がなかったわけでもありません。
細かいことは忘れていて思い出せないのですが、被告訴人池田宏美に銀行の通帳を作ってきてくれることを頼みました。北國銀行中央市場支店の通帳だったと思います。給料の銀行振込のため必要だと言われ、新たに作ることにした通帳だったと思います。
とにかく数日後だったと思いますが、昼前後に被告訴人池田宏美から「あの子(被害者AAさん)に頼んだら、30万円と3万円と別々に入金してきた、っていいとったわ。あの子、何考えとるんやろ。」などと言われました。
そのあと、午後だったと思いますが、市場急配センターの1階休憩室を出たところで、被害者AAさんと鉢合わせになり、通帳を手渡してもらったと記憶にありますが、私はすごく不機嫌な顔をしていたと思います。
なぜかというと、「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」には書いたと思いますが、山下つよし、が私に、私の子供の話を始め、横にいた被告訴人東渡好信が、「いまさら必要ないもんな秀樹。」などと言い出したことです。
「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」には書いたと思いますが、平成9年の夏ころになって、30万円と3万円の別々の入金を、北國銀行中央市場支店に行って、確認したのですが、通帳に記憶にあるはずの別々の入金は確認できず、愕然としたことがありました。
女性の行員が私の反応に、不安そうな顔をしていたことも印象的でした。
市場急配センターに入社した平成3年の夏頃、私は北陸銀行か金沢信用金庫のキャッシュカードを持っていて、それでジャスコ若宮店の手前の機械だけの平屋の建物で、カードで引き落としをしていた記憶があるのですが、どういうわけかどちらの銀行も支店には入った記憶がありませんでした。
前妻が使っていて、そのまま置いていったカードだった可能性はあるかと思います。私自身としては、昭和60年ころ、加州銀行の松村支店で通帳を作っていたことと、その時に初めてカードを作ったことはよく憶えています。カードで機械から引き落としが出来るようになったのはその頃のはずです。
銀行のことで思い出したのは、何か忘れましたが、不在通知で金沢南郵便局に取りに来るようにというハガキがアパートに入っていました。銀行の場所もわからなかったので、池田宏美に尋ねたところ、横にいた被害者AAさんが、「それ私の家の近く、私行ってきて上げる。」弾む声をあげてくれました。
被告訴人池田宏美は、「それ本人でないといけんよ。」とたしなめるように言いましたが、それも平成3年の8月中のことであったと思います。保険のこともあるので、8月12日頃に正式離婚したことは、事務所で池田宏美には伝えてあり、その場には一緒に仕事をする被害者AAさんもいました。
そもそもが被害者AAさんに私との交際を仕向けたのは、被告訴人池田宏美ら主導していたはずです。直接、会話を聞いていたわけでもないですが、それらしい言動はいくつもあって、供述調書にも記載はあるように思います。控訴審での上申書には間違いなく書いていたはずですが、相手にされていません。
市場急配センターの事務所において、被害者AAさんから話しかけられ、満足な返事をしないでいると、彼女が涙ぐむ姿もあり、無理解だと怒るような反応もありました。すべては過去の思い出ともなっていますが、木梨松嗣弁護士ら弁護士他関与した法律家の悉くは、その事実を無視しました。
時刻は6月28日9時21分になっています。平成3年11月25日のことを書きます。この日のことをよく覚えているのは、翌日の11月26日が自分の誕生日だったということもあります。
この夜は、それまでと違い被害者AAさんのいう「好きな人」が自分であることに自信を持って、被害者AAさんの家に電話を掛けたこととを憶えています。
その時も彼女は突然の電話に、「今日どこも走らんかったん?」と初めに声をかけてくれました。長距離トラックの仕事だったので、運行に出なかったという意味があり、運行に出ないで夕方に退社して家に帰ることを「あがり」とも呼んでいました。
「好きな人、どうなったん?」と私が尋ねると、被害者AAさんは、ちょっとだけ困った感じで「だめになった(みたい)。私、性格暗いげん。冷たい感じするってよくいわれるぞいね。」と答えました。
この辺りは本書収録範囲で記載をしたように思います。その時に記載しなかったのは次の被害者AAさんの話で、その会話より前の部分になるかと思います。
「広野さん、いくつの時、結婚したん?」「私、まだいいけど、あと2,3年したらあせるぞいね。」
会話の初めのほうだったと思います。私は21歳の時だと答えました。8月15日が誕生日の被害者AAさんもそのとき21歳だったはずです。
それまでの電話では終わりに私が交際のことを頼み、彼女はつとめて明るい感じで、「ごめんなさい。」と断っていました。「好きな人」もその都度、添えていたかもしれません。
10月5日の電話で被害者AAさんは飲みに行くのが好きだと話していました。これは被告訴人安田敏の話との絡みもあるのですが、けっこう遊びまわっているという印象を私に抱かせる、被告訴人池田宏美らの作戦計画の一環であったと他の諸々の事情からも考えられました。
被害者AAさんの言葉を電話口でそのまま聞いていると、他に交際しているのかはっきりしない男性がいて、相手次第で迷っているとも、一般論として考えられました。
時間がないので細かいことは省きますが、私は自分のことも考えて欲しいと伝え、自分に好意を持たれていることに負担を感じてはいないかと尋ね、さらに自宅に電話をすること問題はないかと確認しました。
彼女は普段見せないやさしい声で、「ぜんぜん、だいじょうぶや」「いいよ」と答えてくれました。もともと被害者AAさんは言葉数も少なく、黙っているとかなりきつい感じのする女性でした。周囲の印象もそんな感じで、近寄りにくくもありましたが、年配の社員に対しては明るく接していました。
すでに本書収録範囲で記載を済ませていると思いますが、数日後の名神高速伊吹パーキングエリアからの電話を最後に被害者AAさんは自宅の電話に出なくなりました。それと同時に、市場急配センターの会社で、自分の軽四をそれまでとめていた事務所正面ではなく、裏駐車場にとめるようになりました。
市場急配センターと金沢市場輸送のGoogleマップhttp://hirono2016k.blogspot.com/2016/06/google.html
上記は、以前Googleマップの表示画面をスクリーンショットして作成したものを、ブログの記事としてまとめたものです。改めてみると周辺に建物などが出来て、平成3,4年当時とは印象がかなり違っていました。別のものを探しだして同じくまとめの記事を作成したいと思います。
奉納\弁護士妖怪大泥棒神社・金沢地方検察庁御中:2007年7月21日撮影:金沢港・金沢西警察署・金沢中央市場http://hirono2016k.blogspot.jp/2016/06/2007721.html
[41/48]ツイートID:747609676007645184
投稿者:s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター)日時:2016-06-2810:56ツイート:https://twitter.com/s_hirono/status/747609676007645184
撮影:金沢港・金沢西警察署・金沢中央市場_2007年07月21日18時09分05秒.jpghttps://t.co/wySc3ZdUb1
一つブログ記事から引用した上記の写真が、平成3,4年当時の市場急配センターの裏駐車場の状況に近いと思います。
違いと言えば、市場急配センターの会社の正面から入って右側には、運転手というか社員の通勤の乗用車が2トン車と混在して駐車していたことと、同じく左側は、この写真で見る限り一台も見当たらない大型車が多かったということです。
2トン車や4トン車に関しては、平成3,4年当時は、中央卸売市場の敷地内にもちらほらと駐車されていたし、トラックを通勤に使っても注意を受けるようなことはなかったと思うので、なかにはトラックで通勤をする運転手もいたかもしれません。駐車されているのは乗用車が多かったとも思います。
見ての通り、市場急配センターの裏駐車場は人通りも少ない場所で、街灯はほとんどなく、北陸の気候もあると思いますが、12月、1月の時期だと、17時にはかなり薄暗く、17時半となると真夜中と同じで真っ暗になっていたと思います。
次が市場急配センターの会社正面に近い場所の撮影になります。
[27/48]ツイートID:747609408067145730
投稿者:s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター)日時:2016-06-2810:55ツイート:https://twitter.com/s_hirono/status/747609408067145730
撮影:金沢港・金沢西警察署・金沢中央市場_2007年07月21日17時59分24秒.jpghttps://t.co/NTWQvOqD6Z
事務所の建物の前にライトバンのような車が横付けに駐車されていますが、平成3,4年当時は他にお客の出入りもあったので、縦にとめるのが普通でした。事務所の建物の前は12メートル近くある大型車を縦付にとめたこともある割と広い駐車スペースでした。
時刻は16時26分になっています。今日は思いがけず祭礼委員の仕事が早く終わったので良かったです。15時30分ころに終わりました。明日からやることも増え、7月1日、2日のあばれ祭りを迎えます。能登町役場前の大松明も帰りに見ると、ほとんど出来上がりかけていました。
ここ数日、テレビをつけないことが多くなっていますが、Twitterの情報によると岡口基一裁判官の半裸投稿の問題を、とくダネ!がとりあげていたようです。岡口基一裁判官の趣味などは知っていましたが、テレビにまで取り上げられるとは予想外でした。
岡口基一裁判官には要件事実という本を執筆、出版しているという一面もあって、その収入が、裁判官としての仕事を失うことや金銭面での生活の不安もなく、思い切った行動ができているという話も見かけたことがあります。
現職の高裁の裁判官で厳重注意を受けたことが、ニュースやテレビで取り上げられているということは、これまで誰もが想像もしなかった前例のないことかとも思います。
被害者AAさんの裏駐車場での駐車のことに記述を戻します。初めに異変に気がついた時は、被害者AAさんの軽四と被告訴人池田宏美の車が二台ならんで、裏駐車場の一番奥に駐車されていました。
その時はまたまただったのか他の乗用車の数も多く、工事の関係で車を移動させたものと考えました。実際、それと同じようなことが9月か10月頃に一度ありましたが、どんな工事だったのかは憶えていません。
初めは工事だと思っていたので、さほど気に留めずにいましたが、被害者AAさんの裏駐車場への駐車はその後、毎日のように続き、丸2ヶ月ぐらいで翌年、平成4年2月1日まで続きました。中止になったのが2月3日の午前中とも言えます。
「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」には一通りのことを書いたと思いますが、2月1日は福岡行のミールの積み置きで、被告訴人多田敏明のことを口実に、被告訴人安田繁克が接近し、夜の23時ぐらいから休憩室に一緒にいました。
裏駐車場を通り過ぎた不審な4WDの車に、被告訴人東渡好信や輪島の浜上さんが、見向きもせずに前を歩いていたことも、重要な事実として「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」には記載したと思います。これもツイログで探してみましょう。
告発-金沢地方検察庁御中_ツイッター(@kk_hirono)/「通り抜け」の検索結果-Twiloghttp://twilog.org/kk_hirono/search?word=%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%8A%9C%E3%81%91&ao=a
ツイート:kk_hirono(告発-金沢地方検察庁御中_ツイッター):2015/07/2804:24:https://twitter.com/kk_hirono/status/625748564619083776:
引用→ 裏駐車場を通り抜けたピックアップトラックに乗務していたのが被告訴人安田繁克だったとわかったのは、初めに車を見てから15分から20分ぐらい後のことであったと思いますが、そちらから先の事実の経過は別の項目として書こうと思います。
ツイート:kk_hirono(告発-金沢地方検察庁御中_ツイッター):2015/07/2803:16:https://twitter.com/kk_hirono/status/625731502412726272:
引用→ ビックアップトラックが市場急配センターの裏駐車場を通り抜けて行ったことまでは既に書いたと思います。その時、自然な反応をしたと感じたのは水口さんだけでした。被告訴人東渡好信や輪島の浜上さんは全く見向きもせず、それが随分と異様にも感じられました。
ツイート:kk_hirono(告発-金沢地方検察庁御中_ツイッター):2015/07/2611:52:https://twitter.com/kk_hirono/status/625136643771465729:
引用→ 河野さんを入れた5人、あるいは河野さんはいなかった4人で、上述の説明のような経緯で歩いていたところ、市場急配センターの正面出入り口の方から一台の車が入ってきて、ゆっくりしたスピードで歩く私達の横を通りすぎて、そのまま裏側の出入り口の方を通り抜けて行きました。
ツイログは次のように日付のリンクをクリックすると、当日のツイートの流れをまとめて読むことが出来ます。
告発-金沢地方検察庁御中_ツイッター(@kk_hirono)/2015年07月28日-Twiloghttp://twilog.org/kk_hirono/date-150728
今日はこのあと、これまで「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」に全く書いてこなかった事実関係を記述したいと思っています。被告訴人多田敏明と被告訴人安田繁克が中心になる事実関係です。
被害者AAさんの裏駐車場での軽四の駐車と言っても、その場所は違いがありました。事務所の建物に近い場所に駐車することが多かったと思いますが、大型トラックを駐車する駐車場のど真ん中に軽四をとめることもありました。
裏駐車場での駐車が、私に直接声をかけることの要求だと考え、初めに声をかけようと、となりに自分の軽四をとめて、彼女が来るのを待ったのは12月13日のことでした。その日は13日の金曜日だったのでよく憶えています。
今は13日の金曜日が特別な日だと聞くこともなくなったので知らない人も多いような気がしますが、ホラー映画の大ブームで、影響を受けていた若者は多いという感じの時代でした。私は洋画自体、好きにはなれず、余り見ないでいました。
18時頃まで被害者AAさんを待ったことや、その少し前に被告訴人梅野博之が歩いて横を通って行ったことなど、「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」には書いたように思います。
年末で仕事が忙しかったということもあると思いますが、平成3年の年内に声掛けをするようなことはなかったと思います。また、被告訴人多田敏明や被告訴人大網健二に初めて被害者AAさんのことを相談したのも12月の中頃のことでした。
平成4年1月になって、正月休みがあけてから3回かあるいは4回、夕方真っ暗になった時間に、裏駐車場で被害者AAさんに声を掛けました。被害者AAさんはずいぶん緊張しているように思えましたが、声をかけると私のトラックの助手席に乗ってくれました。
やはり4回ということはなかったと思いますが、初回の時であったか、被害者AAさんは「私、今から美容院いかんなんし。」と言い、実際に翌日には、それまでロングヘアーでポニーテールのように後ろに縛ることも多かった彼女が、ショートカットにしていました。
長距離運行のパズルの当て嵌めでも平成4年1月前半の状況は特定することが出来ない部分があったことを憶えています。裏駐車場で声を掛けたのはやはり3回だったと思いますが、最後になったのが1月21日のことです。
前日の20日の夜には、前妻から連絡があり、荷物をとりにアパートにも来ました。昨日あたりも少し書いたように思いますが、岐阜県可児市からの帰り荷でパレットを積み、夕方遅くに、浜田漁業金沢工場でおろした夜のことです。
その1月20日の夜のこと、翌21時の夕方には、被害者AAさんを大型トラック3068号の助手席に乗せて、金沢東インターから金沢西インターの近くまで走行し、運転しながら被害者AAさんと話をしたことも、「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」には書いたと思います。
被害者AAさんを大型トラック3068号に同乗させ、金沢市内を走行しながら話をしたことは、平成3年12月21日のときとよく似ていました。昼と夜という違いはありましたが、どちらも最後は、彼女の「私の気持ち変わらんし」だったと思います。
12月21日の時も、私の衝撃は大きく、被害者AAさんに対する不信感を募られました。当日6万5千円ほどで買ってきたネックレスを渡そうとしたところ、そんな高価なものもらえん、と動揺し、「だって私、好きな人おるし」と言いました。
この被害者AAさんの「好きな人」については、平成4年の準強姦・傷害被告事件の法廷においても、「被害者が、好きな人おるってゆうって、そんなん本当におるんけ? それ俺のことでないがけ?」とたまりかねたように発言した記憶も鮮明です。
江村正之検察官には動揺も感じられ、沈黙の状態になったとは記憶にあります。前後のことは記憶にないですが、三宅俊一郎裁判長は、「殺すとか、殺されてやる」という会話があったことを指摘し、男女の関係において異常ではないですか、などと聞き返すような発言をしていたかと思います。
その「殺すとか、殺されてやる」というやり取りがあったのも、1月22日の午前2時頃のことでした。それくらいの時間帯だったと思います。私は、被告訴人HTNのアパートから戻ったところで、眠ることもできず、深夜に被害者AAさんの自宅に電話を掛けました。
夜中の2時よりは早い時間だったような気もしますが、0時は確実に回っていたと思います。その場のことは被告訴人東渡好信の紹介で入社していた七尾市の大型運転手水口さんが目撃をしていたはずです。
私は市場急配センターの1階休憩室の机の上にある電話で、被害者AAさんの自宅に電話を掛けました。真夜中なので被害者AAさんが出るとは全く思っていなかったのですが、驚くほど短いコール数で電話に出たのが、被害者AAさんでした。
電話の横で眠っていたとは考えられない落ち着いた声でした。彼女も眠れずにいたのだと思いました。平成4年4月1日の時も似たような流れがありましたが、苦しみの連鎖を断ち切る意味でも、私は被害者AAさんに事実を聞き出すことを決意としたのです。
まだまだ記憶の新しい時期、平成5年中に私は具体的で詳細な事実を上申書として、名古屋高裁金沢支部の小島裕史裁判長に提出していましたが、今考えると丸っきり読んでいなかったか、読んでも丸っきり理解の出来なかった裁判官以前の欠陥人間だと考えます。
被告訴人HTNとしてきた被告訴人浜口卓也には、1月21日の19時頃、被害者AAさんと大型トラックでの走行中での話し合いから戻って、一階休憩室で声を掛けられ、会社からもほど近い、新保本町のアパートに誘われて行きました。
同じく被告訴人OSNとしてきた被告訴人大網周一とは兄弟分とも言われた間柄でした。12月21日の夜に、被告訴人浜口卓也のアパートに行った時は、被告訴人大網健二への電話のあと、誘われて片町に飲みにゆき、あとで被告訴人大網周一が合流しました。
その時、市場急配センターの一階休憩室には、被告訴人東渡好信や輪島市海士町の浜上さんもいたと思います。他にも数人がいたと思いますが、5,6人から7,8人の運転手がいて、ほとんどが長距離運転手で、時間帯としてとても珍しいとも思いました。
金沢市内には南新保という地名もあって西金沢に近いところですが、新保本町はかなり離れた場所で、西念町や駅西本町に近い辺りです。国道8号線バイパスにも近い辺りに、被告訴人浜口卓也のアパートがありました。
犬も歩けば棒にあたる、などと言われますが、思わぬ展開になったところで、被告訴人安田繁克と被告訴人多田敏明を中心にした項目に移りたいと思います。奉納の松明神事のようなものですが、当初の予定は被告訴人ら法律家でした。
2016-06-28 火曜日 19:02 <<[[ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]<<
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