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2015年11月26日 (木)

古川龍一元裁判官と小島裕史裁判長を被告訴人として追加することにした理由及び経緯

古川龍一元裁判官と小島裕史裁判長を被告訴人として追加することにした理由及び経緯

2015-11-23 月曜日 11:13 >> [[ ←これからの記述範囲の開始時刻]]>>

 古川龍一裁判官を被告訴人にすることは一昨日、小島裕史裁判長を被告訴人にすることは昨日の未明に決めました。どちらも突然のひらめきのようなものでしたが、開眼とか悟りの境地にも似た答えが出たように思います。

 古川龍一裁判官の時は、ひらめていてから時間をおかず、メモをとるようにFacebookに投稿をしました。

廣野秀樹 - 誰に向けたでもないお知らせですが、今日の朝、頭に浮かんでから考えた結論で、古川龍一元裁判官を被告訴人に追加することに決め... https://www.facebook.com/hirono.hideki/posts/912446522136830

 上記がFacebookの投稿です。投稿日時が11月21日 20:38 となっていました。土曜日の夜ですが、21時にテレビで「世にも奇妙な物語」が始まって録画をしながらつけていたのですが、ドラマの方には全く集中できず、番組が始まって40分ぐらいで、いつの間にか眠っていました。

 ドラマは録画もしているので22時ころから始まる情報番組にチャンネルを変えようかと考えていたことは憶えています。夕食もまだ食べている途中でしたが、急に眠くなって眠ってしまいました。

 起きたのは1時半ぐらいだったように思います。つけたままのテレビの声で徐々に目が覚めたのですが、はじめは夢の中の話のような感覚で聞いていました。猥談というのかそういうネタの深夜トーク番組で、今時こんな放送をテレビでやっているのかと思いながら聞いていました。

 起きてから30分か1時間ぐらいした頃だったように思いますが、そこで突然と、小島裕史裁判長を刑事告訴することが頭に浮かんできたのです。

 寝ていた時間は短かったと思いますが、頭がすっきりとして眠れそうにもなかったので、夜明け前の暗い時間にヤリイカを釣りに行こうかと思い。解凍したアオリイカを使って仕掛けを2つ作ったのですが、他の作業もあって長引いて、釣りに出かけたのは薄明るくなった時間でした。

 1月ころだと早朝に明るい時間でもヤリイカは釣れるのですが、聞いている情報によると夜中しか釣れていないという話だったので、フクラギ狙いのジギングロッドとアジングのロッドをもって出掛けました。

 アジングロッドは使わなかったのですが、ジギングにつけた投げサビキや、21グラムのメタルジグにも20センチ前後のアジが食いついて、20匹ぐらいのアジが釣れたかと思います。小さいメバルも2つサビキに掛かってきて、小さいのは逃がしてアジは13匹を持って帰りました。

 ジギングでは31センチと21センチの真鯛が釣れました。とてもきれいな真鯛で、おめでたい気持ちになりました。真鯛はこれまで28センチが最高だったので、記録の更新にもなりましたし、3800円で買ったジギングロッドでまともな魚が釣れたのは初めてのことでした。

 真鯛といえば幼い頃、父親が生前に曽々木海岸で大きな真鯛を釣ったという話を聞いていて、家に魚拓もあったはずなのですが、あの魚拓はどこへいったのかわからなくなっています。曽々木海岸は輪島市になります。

 母親は昭和58年ぐらいまで、家で織物工場の仕事をしていました。当時私は金沢市内で生活をすることが多く、工場の方はいつの間に辞めたのかも、よく記憶にありません。工場をやっていたと言っても経営者ではなく、京都の親戚の仕事を住み込みで手伝っているような感じでした。

 その西陣織の織物工場の仕事を手伝うため、私は小学生の5年生にそれまで住んでいた辺田の浜から引っ越してきました。昭和50年の4月ということがネット上の情報から確認できますが、ちょうど引っ越しをする時に、長く途絶えていた酒樽がえし、という祭りが復活すると聞いていたからです。

 昭和56年の6月に石川県立水産高校小木分校を中退して、金沢市に出てからは、仕事も転々として遊びまわり、宇出津にいることと金沢市にいることがだいたい半々ぐらいだったように思います。

 昭和59年の1月の中頃だったと思いますが、初めに金沢市場輸送に入社をして4トン車の長距離トラックの仕事を始め、その年の4月ころには被告訴人OKNと共同で、金沢市内の東力にアパートを借りてからは、ほとんどずっと金沢市での生活になり、宇出津に帰るのも年に数回になりました。

 東力のアパートは平成4年4月1日の時点ではまだ住んでいて、ちょうどその日に正式に転居先のワンルームマンションの賃貸契約が始まり、次の日曜日の4月5日は、被告訴人OKNと被告訴人KYNが手伝ってくれて引っ越しをする予定になっていました。

リューキ2(1K) | 金沢市北町乙の賃貸マンション(36,000円) | マルセ実業株式会社 http://ヨイフドウサン.com/rent_search/detail/170011-4002-204

 引っ越しが決まっていたのは上記の物件です。検索をしてみるとそのものずばりの情報が出てきました。当時は新築での入居で家賃は5万5千円ぐらいの話であったように思います。金沢中央市場から近い場所です。当時は車に乗るのが当たり前でしたが、歩いて通勤できるような場所でした。

 お盆と正月休みは決まって宇出津の実家に帰っていましたが、長距離トラックの仕事では休みが少なかったので、たまに仕事で能登に来た時に立ち寄る程度でした。連休といえばお盆と正月ぐらいで、それでも3,5日程度の連休でした。

 たまに宇出津に帰ると、母親から旅館の仲居の仕事に言っていると聞き、はじめは曽々木だと聞いていましたが、後の方では、輪島の「ねぶた温泉」だと聞くようになりました。

 何度も言われていたので、一度だけ「ねぶた温泉」に風呂を入りに行ったことがありました。冬の1月頃だったように思います。一人で行ったことも憶えていますが、いつ頃のことになるのかとなると思い出すことが出来ず、入浴した時の記憶だけが残っています。

 一人で車に乗って行ったとも考えにくいのですが、トラックに乗って行ったという記憶もありません。1月ころには鮮魚の仕事で蛸島港や、イワシの運搬の仕事で同じ珠洲市の飯田港に行くことがあったので、そのついでに立ち寄った時の可能性が高いとは考えています。

 平成4年の裁判の時も母親の職業は仲居になっていました。昭和59年から宇出津に帰ることは少なかったので、仲居の仕事に行っていると聞いたのも、ただ聞いていただけの話で、具体的なことはわからず、ねぶた温泉には、一度行っただけのことでした。

 宇出津からは柳田村を通って、輪島市の町野に入り、その先でぶつかる国道が曽々木海岸の近くです。左に行くと輪島市内で、右に行くとすぐに曽々木の窓岩や旅館があって、少し走ると珠洲市の真浦海岸になります。

 真浦海岸の先には大谷があって、そこから大谷峠という山道を通って珠洲市内の飯田に出るというのが、年に数回、たまに行くことのあるドライブコースではありました。ドライブで輪島市内に行くことはほとんどありませんでした。昔は暴走族の縄張り関係のようなものもあったからです。

 曽々木海岸の方はドライブでも行くことがあり、被告訴人OKNと一緒に行ったこともありました。それも昭和58年の1月か2月頃の記憶としてよく憶えています。冬の日本海は荒波です。曽々木海岸や真浦海岸のある外浦の方は、宇出津などの内浦とは比較にならないほど波が荒いです。

 ここ数年は、魚釣りに外浦に行くようになりました。外浦の海は一見おだやかに見えても、うねりによる波の力がすごいです。これはYouTubeの磯での魚釣りの動画を見ていても、他の地域とは違うように感じました。

 夕方の石川県内のローカル番組を見ていても、1月頃の輪島港では、一月に1回しか漁に出れていない、という話を聞いたことがあります。輪島の漁師は遺体となった時に弔ってもらうために刺青を入れる人が多いとも聞いています。

 外浦ほど海は荒れませんが、それでも冬の日本海なので宇出津の辺りでも海が荒れ、漁師というのは危険のともなう仕事だと思います。魚釣りに出かけるだけでも、予報とは天候が違ったり、海に近づくのも危ない思いをすることがあります。出漁というのも命に関わる状況判断なのだと思います。

 ここ何日か中断をしていました。書きたいことや取り上げたいことが山ほどありすぎて、よくよく考えて整理する必要も感じていました。31センチの真鯛を釣った日の夜に見た深澤諭史弁護士のタイムラインだけでも、言及したいことが満載でした。

 次の項目のタイトルは先ほど決めたところです。「平成4年準強姦被告事件の事実関係と被告訴人木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士、古川龍一裁判官、小島裕史裁判長の刑事責任。法律家の人生・恋愛観としての視点」としました。

 真鯛には関連で、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のブログのコメント欄からしめだされた2,3日後、羽咋市のパーラーセンリというパチンコ屋でやった伝説の巫女のパチンコ機、その前にやっていた同名のパチスロ機のことなど書いておきたいとも考えていました。

 2,3日前からは、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)や小倉秀夫弁護士、珍しく落合洋司弁護士(東京弁護士会)もツイートで言及をしていた新潟の高島章弁護士と地方新聞社の報道部長とのニュース記事にもなった問題にも注目をし、何らかのかたちで取り上げておきたいと考えていました。

 この項目の見出しにした被告訴人としての追加のことは、経緯という点は既に書き終えたと考えています。理由については、理由という言葉自体が広義なので、どこまで出来るかはやってみないとわかりませんが、次の項目で必要なことを書くことが出来ると思います。

2015-11-26 木曜日 19:06 << [[ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]<<

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