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2015年7月29日 (水)

被告訴人安田繁克と被告訴人多田敏明の組織的犯罪計画への関与を伺わせる事実/平成4年2月1日の夜のこと/信号待ちでの声かけから

被告訴人安田繁克と被告訴人多田敏明の組織的犯罪計画への関与を伺わせる事実/平成4年2月1日の夜のこと/信号待ちでの声かけから

2015-07-29 水曜日 05:59 >> [[ ←これからの記述範囲の開始時刻]]>>

 次がGoogleマップの位置情報のURLになります。平成4年2月1日の夜、被告訴人安田繁克が帰宅のため信号待ちだった私の車に声を掛けた場所です。

36°34'53.8"N 136°37'57.9"E - Google マップ https://www.google.co.jp/maps/place/36%C2%B034%2753.8%22N+136%C2%B037%2757.9%22E/@36.581604,136.632736,17z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x0:0x0?hl=ja

 もう23年以上経ってしまったので鮮明に思い出すのも難しくはなっていますが、信号待ちで停車しているとき横の窓をノックされて気が付きました。彼は車を降りて歩いてきていて、後ろを振り返ると、15分ほど前に裏駐車場を通過した大きな車が停まっていました。

 被告訴人多田敏明を探している、と声をかけてきました。大きな交差点の手前で車をとめて話をするのも危険な場所だったので、私がすぐにその場の判断で、市場急配センターの休憩室に行って話をしようと答えたように思います。

 既に書いていますが、午前中の被告訴人東渡好信の話で、被告訴人多田敏明が4トン車で古河の市場に行っていて23時ぐらいには戻るということを知っていました。

 それまで一緒に被告訴人多田敏明の帰りを待つのに、このまま休憩室で待っていようと提案しました。被告訴人安田繁克に声を掛けられたのは23時から遅い時間でも23時30分頃だったと思います。

 被告訴人安田繁克とは一度じっくりと話をしたいと考えていたので、これはいい機会だと思いましたが、会社の側のお膳立てかもしれない、という気はしていました。

 休憩室に戻って15分から30分も掛からないぐらいで、被告訴人多田敏明が来ましたが、被告訴人安田繁克との間に会話らしい会話もなく、ちょっとだけいてすぐに帰宅したように思います。

 被告訴人多田敏明はその時、なにか気まずそうな浮かない顔をしていましたが、それは私に対して隠し事をしていたのが原因とも、被害者AAさんに対する横恋慕が原因とも思える真意の測りがたいものでした。

 私が被告訴人多田敏明に被害者AAさんとの関係を相談のように話したのは前年になりますが平成3年の12月の中頃だったと思います。同じ頃に、被告訴人OKNにも相談をして、被告訴人安田敏にも相談をしたうえで、クリスマスにプレゼントを贈ることにしたのです。

 被告訴人安田繁克には平成3年10月の初め頃には相談をしていました。彼は片町でバーテンの仕事をしていたので、今時の若者の恋愛事情や感覚にも通じているという感じで、それらしいことも話していました。

 被告訴人安田繁克が片町で働いていたという店について、最後の方に長い間働いていたという店は、薬物の密売事件に関連したということで名前も書けないのですが、ら、から始まり、ば、で終わる4文字のカタカナの店名です。

 「2013年6月から2014年12月に作成した告訴状の下書き」では細かく書いたと思いますが、時期は今のほうが思い出しにくくなっていると思います。被告訴人安田敏が初めに片町で働いたという店が「ハートブレイク」という店名らしく、旧大和デパートのラブロの裏辺りにあるという話でした。

 そのハートブレイクという店にはけっこう長くいたようですが、一度だけ片町で一緒に遊んだ時には、ちょっと前にやめたところで、不本意なやめかたになったとか愚痴のようなことをこぼしていました。

 これも「2013年6月から2014年12月に作成した告訴状の下書き」には細かいことを書いていると思いますが、最後に小立野で飲んだ夜のことです。

 夕方に新神田の陸橋の手前の家電店の前のバス停からバスに乗って行きましたが、上着など着ておらず夜になってもまだ暖かい時期だったのだと思います。その夜の被告訴人安田敏との別れが哀愁を帯びたものになったためか、木枯らしの秋のイメージが強く残っています。

 金沢市場輸送の仕事をしていると果物や鮮魚でも季節感がありました。たとえば秋のサンマや冬のミカンですが、その当時の状況からもやはり秋口だったという印象が残っています。

 ただ、平成3年4月の被告訴人安田敏との再会から逆算すると、けっこう間があいていたと思うのです。一方で一年以上の間はなかったというような感覚も残っています。

 日によって気温差があるのは当然ですが、9月中となると夕方でも暑さを気にしていたような思いもしているのです。10月になると夜の寒さを気にしたようにも思えてくるのですが、そういうことを気にせずにラフな格好で何も持たずに出掛けたと記憶に残っています。

 金沢市場輸送で長距離運転手の仕事をしていたとこも、体調の管理というのは自己責任ではねかえるので、けっこう気にしていたと思います。

 書きながら引っかかっていた時期ののことですが、やはり平成2年9月と仮定しても短すぎる気がしました。なぜなら、被告訴人安田敏は小立野で別れた後、4文字カタカナの店で働くようになったとすると、その期間がすごく短くなるからです。

 また書いているうちに気がついたのですが、片町で会った時にやめたばかりだと愚痴をこぼしていた店が、4文字カタカナの店だとすると期間が短すぎるという問題は解消しそうです。

 正確ことを記憶の整理で書いておこうと思ったのですが、あれこれ考えるうちに余計に混乱してきました。市場急配センターで一緒になってから、片町でバーテンをしていた頃の話を色々と聞かされたのですが、それによればやはり4文字カタカナなの店は、小立野の後だったような気がします。

 ただ、小立野で別れた時の酔いつぶれた被告訴人安田敏の様子が尋常ではなかったので、あそこから復活して片町でバーテンをしていたというのも考えにくいという気もします。なにかバーテンという職業に挫折したように見えていたからです。

 それも全て目的を持った演技だったとすれば、それはそれで合点が行くのですが、だとすれば計画そのものが壮大なものになります。

 被告訴人安田敏のことはまた別に取り上げて書く予定ですが、平成4年2月14日のことを中心にまとめて書きたいと考えています。

 この項目の対象は被告訴人安田繁克ですが、彼のこともまとめたものを書いておきたいところです。ここでは2月1日の夜、ということで書いていますが、改めて考えてみると被告訴人安田繁克と会ったのも、あの夜が最後ということになりそうです。

2015-07-29 水曜日 07:42 << [[ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]<<


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