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2015年6月30日 (火)

TODO 被告訴人OKNがバックアップを頼んできたノートパソコンにあった新築工事見積書のファイル

TODO 被告訴人OKNがバックアップを頼んできたノートパソコンにあった新築工事見積書のファイル
<2014-04-04 金 06:54> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]



これはわりと短い周期で繰り返し思い出している事柄なのですが、先ほど次のYouTube動画を視聴したこともあり、先に書いておくことにしました。一週間から10日に一度は、私の頭の中で思い出していたことで、そういうのは他にも多いです。


PC遠隔操作事件 片山被告が語る『事件の真相』 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=wXZkgrIcdtQ


これも時期が今ひとつはっきりしないのですが、Nテックの仕事を被告訴人OKNが持ちかけてきた頃で、パソコンでチラシの広告を作っていた頃ではなかったかと思われます。


ちょっと記述の開始時刻を入れ忘れたので、多少遅れますが、記入しておきます。


PC遠隔操作事件ですが、この事件には前々から関心があって、私のこの事件との関係性もずいぶん強く意識しているのですが、本来的には無関係な事件であり、どこからどの程度踏み込んで本文中に記載するのかも迷いがありました。今のところはほとんどやっていないかと思います。


上記のYouTube動画は私自身初めて視聴したものでした。あとでテレビ番組の録画らしいと気がついたのですが、私の住む石川県では放送されていない番組か、BS朝日と言うことらしいので、特別な受信契約をしていないとそもそも視聴できない番組なのかもしれません。


このPC遠隔操作事件に関しては過去に冤罪事件で活躍した佐藤博史弁護士と、冤罪との判断でけっこうな数の無罪判決もだしたらしい元裁判官でもある弁護士の木谷明弁護士がタッグを組み、痛烈な検察批判をしていることでも注目しています。


その弁護士らの主張に呼応するようなジャーナリストの活動もありまして、もともと注目していたのがオウム真理教の事件で一躍有名になった江川紹子というジャーナリストです。Twitterで多くの情報を発信しています。テレビで見る機会は、ごくごく少なくなりましたが。


ジャーナリストの江川紹子さんは検察の不正の追及にも熱心な取り組みをされてきたかと思います。いわゆる村木裁判として著書も出版されているようです。余り詳しくはしっていないのですが、検察の威信を低下させる転換点になった裁判かとも思います。


ジャーナリストの江川紹子さんに関しては、ご本人に対するお知らせもかねて、別の項目で書いておきたいと思いますが、もっとも重要視したのが、「検察のあり方検討会」のような公的な集まりのメンバーでもあったことです。正式な名称なども調べた上で。


ジャーナリストの青木理さんについては、私自身最近になってしった人物なのですが、注目しつつある人物であるとともに、彼自身がそのジャーナリストというプロの立場で、投げかけている刑事司法に対する不信や疑問には、対処するかたちで進めることを意識するようになりました。


本題に入りますが、紹介したYouTube動画で気になったのは、真犯人が片山祐輔被告のパソコンを自由にのぞき見る状態で、そこで得た情報を使って、一連の事件の犯人に仕立て上げていったというくだりです。そう信じ込んでいるようにも見える女子アナの発言も見受けられました。


PC遠隔操作事件に関しては、パソコンやプログラムという点でも、私には関心の高い事件でしたし、プログラムに関してはそれなりの経験もしてきているので、他の人とは違った見方もしている、あるいは出来ているのではないかと考えています。


私自身、自分のパソコンが他人にのぞき見られる可能性を意識しながら生活した時期がありました。


まず私がパソコンに感心を持った時期ですが、平成6年の2月頃には具体的に考えるようになり、何がきっかけであったおかは細かくは憶えていないですが、母親にパソコン関係の本の差し入れを手紙で頼んだように思います。


これが丁度、判決の確定時期にも重なっていたように思います。余り思い出せなくなってしまいましたが、悪すぎるタイミングが重なって、差し入れてもらった本を、実際に閲覧できるようになるまで、ずいぶんと日にちが掛かりました。


あるいはになりますが、3月17日に福井刑務所に移送され、一週間程の分類審査と、それに続く2週間の新入教育を受けた後、ようやく資本を仮下げて閲覧できるようになったのかもしれません。


拘置所も刑務所も同じだったと思いますが、差し入れされた本は領置という手続きをとり、仮下げをした上で、閲覧することが出来たかと思いますが、どれかの手続きがストップされていたので、すごく長い間待たされました。


パソコンの雑誌が2,3冊と入門書のような漫画の本が一冊ありました。MSーDOSとかコマンドの解説が多かったので、Windows95が発売される前でした。付録には5インチのフロッピーディスクがついていましたが、出所後も5インチフロッピーが使えるパソコンは見たことがなかったです。


ついでに書くと、Windows95の発売のニュースは雑居房のテレビで日曜の夜、大河ドラマが終わった後のニュースでみました。夏ではなかったかと思いますが、松本サリン事件の報道を最初に見たのも、同じ頃の同じ時間帯のニュースであったと思います。平成6年の夏頃です。


刑務所の受刑中であっても本の購入は出来ましたが、そのあとはパソコンに関する本を買うことはなかったと思います。右も左も方向性が全くつかめなかったので、後回しにして他の法律の勉強などに専念しました。


私本の購入は月に2回の機会があり、単行本などの書籍は一度に6冊まで注文できていたと記憶していますが、6冊注文しても入るのは2冊がいいところで、一冊もはいらないこともあったと思いますが、刑務官の判断も働いているように感じられることはありました。


福井刑務所を満期出所したのは平成9年1月18日でしたが、10日か半月ぐらいで、ワープロ専用機を買いました。宇出津の駅に近い新谷電気でした。10万5千円ではなかったかと思います。


なにかきっかけがあったのだと思いますが、細かいことを忘れました。ある日の夕方7時ぐらいに、新谷電気に電話を掛け、ワープロ専用機の話を聞いて、まもなく店に駆けつけたことを憶えています。


お金は母親に無理を言って都合してもらいましたが、京都の親戚の人に出してもらったのだと思います。


ワープロ専用機を新谷電気で買って数日が経ち、夕方の早い時間に宇出津駅の方から新谷電気の店の前を通りかかったので中に入ったところ、自分が買ったのより新しいワープロ専用機が7万8千円か8万8千円ぐらいで売っているのを見て驚きました。


店の主人もよほどまずいところを見られたと思ったらしく驚いていましたが、私はとっさに確か500円ぐらいのヘッドフォンのようなものを手に取り、レジの前に立ったところ、代金はいらないと言われたので、そのまま帰ったのですが、腸が煮えくりかえるとはこのようなことかと実感しました。


店に置かれた新しいワープロ専用機にはMS-DOS対応と大きな札のようなものがつけられていました。最初はよくわからなかったのですが、どうも保存したデータをそのままWindowsのパソコンでも開けるのがMS-DOS対応の意味だったようです。


ワープロというかキーボードに触れたのもその時が初めてでした。当時はまだパソコンよりワープロ専用機の方が文書の作成において主流であったのではないかと思います。


集中して取り組んだこともあり、一月もするとかなりのペースで文書を作成できるようにもなっていました。そのワープロ専用機で作成した書面も再審請求として提出したように思います。


3ヶ月程前になるでしょうか、片付けをしていて段ボール箱に入った当時の書面を見たのですが、ずいぶんな量だったので自分でも少し驚きました。段ボール箱の中に入れてあることは憶えていたのですが、感熱紙を使っていたこともあり、中も見ずに置いてありました。


感熱紙の印字が数年で消えるという話は早い段階で知っていました。必要もなしになるべく空気に触れさせない方がよいかとも思いさわらない状態にしていたのです。印字は薄くなったものとそうでもないものがありましたが、思っていたよりは悪くない保存状態でした。


読めば思い出すこともあるとは思いましたが、量が多すぎることもあり全く読んでいませんし、今のところ読もうとも思っていません。記録として御庁(金沢地方検察庁)に残されている可能性もあるかと思いますが、今時間を掛けるだけ意味のあることとは思わないからです。


むしろ今の自分の記憶のままに書くことの方が意味のあることではないかと思っています。重要な見落としはあるのかもしれませんが、その前に書いておくべきことは、まだまだたくさんあります。


同じ平成9年の4月にはノートパソコンを買いました。このことは数日前にも少し書いているように思います。父親が残してくれた家屋敷の手付け金として受け取った100万円を使いました。これも勝負が早かったです。お金をもらったその場で、金沢に走りました。


契約に同席していた被告訴人OKNが金沢に帰る車に乗せてもらいました。金沢の若宮のパソコンの館という店で買いましたが、あるいは午前中の開店前に店の前で待っていたような気もします。


この時も金沢の入江のビジネスホテルで宿泊し、そこから歩いて若宮のパソコンの館に行ったように思います。犀川というのは金沢の中心部を流れる川ですが、若宮大橋というのも平成4年当時には影も形もなかったものでした。


店はその若宮大橋を渡った先にありましたが、事前に場所は調べていたのだと思います。店では余り迷わずにNECのノートパソコンを買いました。48万円ぐらいだったと思いますが、定価は60万円を超えるぐらいでした。


ノートパソコンとプリンター、スキャナーを買いました。全部で60万円ぐらいの買い物でした。ノートパソコンはそのまま持ち帰りましたが、プリンターとかは能登の宇出津の家まで郵送を頼んだように思います。


思い切った買い物でしたが、再審請求に対する意気込みと、効率をあげるための投資として完全に割り切っていました。


パソコンは絶対に必要だと思っていました。拘置所や刑務所にいる頃は、それこそ明治時代と同じで紙とペンしか使えませんでした。コピーをとるにもカーボン紙で、効率の悪さは嫌というほど痛感していました。


同じ平成9年の7月の初めに金沢に引っ越してきて、それから半月ぐらい経って頃には、同じパソコンの館で、ディスクトップのパソコンを買いました。同じNECの98シリーズのパソコンでしたが、35万円ぐらいだったと思います。


次にパソコンを買ったのは金沢刑務所を出所後の平成14年の4月頃だったので、けっこうな間だったとは思いますが、平成11年の8月12日に金沢中警察署に逮捕されてからは、平成14年の正月までパソコンは使えない状態でした。


金沢刑務所を出所して宇出津の家に戻ったのは平成13年の12月31日でしたが、パソコンに電源を入れたのは数日後のことで、あるいは一週間ぐらい経っていたかもしれません。すぐに使えるとも思っていなかったので、起動して作業が出来る状態になったときは、不思議な気分にもなりました。


次に買ったのはソーテックのディスクトップパソコンで、10万円ちょっとぐらいだったと思いますが、これはインターネットの通販で買いました。


費用を工面するのに七尾市に行き、プロミスという信販会社で10万円借りたのだと思います。当時もよく借りれたものだと思いましたが、就職が決まった直後かと思います。


「株式会社みさき」というような社名になっていたかと思います。社名のみさきも、珠洲市三崎町に関係していたはずで、一度4トン車でその三崎町辺りにある古い工場か倉庫のような場所から、何かを運んだこともありました。


会社が珠洲市内であったことは間違いないと思いますが、仕事先は宇出津のボーリング場の跡地でした。電子部品の工場でしたが、他にも宇出津電子など数社の従業員が集まった共同事業のような工場でした。


9割以上が女性で、それも若い女性が多かったと思います。生まれ育った宇出津ですが、自分の同級生や顔見知りのような人はいなかったと思います。中国人の研修生の割合も多かったとは思います。


職安からの紹介で面接に行きましたが、仕事を始めるようになったのもすぐだったと思います。4月の10日頃だったと思いますが、その数日前には鵜川に住んでいた被告訴人YSNと会って、話をしていました。


偶然なのだと思いますが、被告訴人YSNと合った翌日に、今度は職安で被告訴人YSNと顔を合わせました。ちょうど彼の用事が終わって帰って行くところだったと思いますが、その時点で高岡市(富山県)の方で、仕事が決まったような話をしていたようにも思います。


その時も被告訴人YSNは古くて大きなパジェロのような車に乗っていました。たぶん日産の同じような車種ではと思われましたが、私自身わかるのはパジェロぐらいで、そういうタイプの車には興味もなかったのです。運転していたのは彼の妻でしたが、姿ははっきりとは見ませんでした。


思えば身を隠したりわかりにくい格好をするのが得意なのか、被告訴人YSNの妻の姿というのは平成4年以来見ることがなかったように思います。平成4年の初めには一度、花里のアパートで出産後の姿を見たように思いますが、あやふやになっている記憶です。


一つはっきりしていうことは、夜に花里の被告訴人YSNのアパートから東力の自分のアパートに戻った直後だったように記憶しているのですが、近くの東力ストアーで追突事故を受けたことがありました。自販機でタバコを買うのに左折する際、減速したところで追突を受けたのです。


そういえば思い出したことですが、被告訴人TSKが、東力ストアーとは親戚になると話していたことがあったような気がします。話を聞いたときはさほど気にもとめませんでした。


東力ストアは大豆田大橋から西金沢方面に至る道路沿いにある古くて小さな店でしたが、なんどか店に入ったことを記憶しているものの細かいことは記憶にありません。目立たない店でしたが、店の前には自販機がまとまって置いてあり、夜間はたまに利用する機会もあったかと思います。


金沢市内に住んでいれば同じ金沢市内に親戚がいると聞いてもまったく普通の話だと思いますが、福井刑務所では被告訴人TSKのことを朝鮮からやってきた朝鮮人で、それも成人になって日本に来たような話を聞いたので、思い出すとどうかとも考えるようになったのです。


もともと被告訴人TSKに関しても謎の多い人物です。朝鮮から来たという話はにわかに信じ難いと思いました。自分の子どもの頃の近所にもそういうおばさんがいましたが、話し方のイントネーションがまるで日本人とは違っていたからです。


被告訴人TSKはとくに年配の人が話すような金沢弁のイントネーションが特徴でした。妙なところでアクセントを付けたり、語尾をのばす話し方は、個人差もありますが、あえて強調するようなタイプでした。まねるのがうまければ不可能ではないとは思いましたが。


現在は韓国と北朝鮮は明確に区別されているという印象ですが、以前はけっこうごっちゃにして話す人も多かったように思いますし、核実験などで北朝鮮の名前が知れ渡り感心をもたれるよりも前の時代であったようにも思います。


朝鮮人といえばパチンコ屋というイメージも強い時代でしたが最近はさっぱり聞かなくなった話です。パチンコ屋の利権は戦後の混乱期に成立したものであったとも聴いていますので、根拠のしっかりした話でもあったはずかと思います。


被告訴人TSKが朝鮮からやってきたという話は、福井刑務所で一緒だったNという人物に聞いた話です。かなり癖の強そうな人物でもありましたので、真偽の程も不明であるばかりではなく、他の目的のいわばエサとしてちらつかせてきた話であったこともありうるかと思います。


Nとは同じ2工場でしたが同じ雑居房でもありました。私の方が後から入ったのですが、一月か二月ぐらい経った頃か、2級生になって4階に転房して行きました。2級生が南寮の4階にあがることは、前にも説明をしているかと思います。


TK班長も2級生になっていましたが、同じ雑居房になったとも聞いたか見ていたと思います。見ていたというのは雑役の作業場に、居房毎に名前の書いた札が並べられているような場所があったからです。


福井刑務所では金沢刑務所とは違って、休憩時間は工場内で自由な行動が出来たということもありますが、雑役の作業場には他にも用事があって行くことがちょくちょくありました。


TK班長についてもこれまで何度か触れてきていると思います。そういえば福井刑務所を出た後、お金を持っていたNが出資をして、TK班長と商売を始めたとか、それが当たって大儲けをしているというような話も耳にしていたように思います。


なにか女の子をつかった新手の商売を始めたと聞いたような気もするのですが、TK班長自身も片町で飲み屋を経営しているとか経営していたとか話していたはずで、4店舗ぐらい店を持っているようなことも言っていたような気もします。


話を聞くところ、スナックのような小さな店ではなく、クラブというのか大勢の客を収容できるような店という感じで話をしていたような気もします。20年近く前になっているので、記憶も曖昧ですが。ミスター片町とも呼ばれていたことは自分で話していたように思います。


同じ片町の飲み屋で仕事をしていたという被告訴人YSNについて尋ねたとき、しらないと即答していたTK班長ですが、出所後電話で被告訴人YSNと話をしたとき、よく知っているというのと同時に、すぐに滝本組という金沢の暴力団の名前を出していました。


滝本組に関しては最終的に被告訴人KYNと会ったときの状況が思い出されます。これまでの悪い傾向として色んな事実が細切れのごっちゃになっていると思うので、これからはorg-modeのページ内リンクを活用してテーマに応じた分散的な記載を心掛けたいと思います。


滝本組に関しては姫のNKさんについても書いておきたいことがあります。それぞれにリンクを張るようにしたいと思いますが、先に被告訴人KYNににいて[[*被告訴人KYNとの最後の会見と会話の録音]]として書いておきたいと思います。


org-modeの記法を使って見出しのリンクを張りました。テキスト文書としては二重の半角カギ括弧で挟まれているかと思います。また、頭に半角のアスタリスクがあるかと思いますが、これはorg-modeで見出しの階層の数を表すものです。


この項目では主に被告訴人OKNと被告訴人HTNの関係について書くつもりだったのですが、パソコンについての説明を書いているうちに主題から外れてしましました。ここで一旦この項目の記述を終了して、別の項目を書いてからまだ戻って再開したいと思います。終了時刻を入れます。


<2014-04-04 金 12:12> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]


<2014-04-04 金 12:22> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]


さきに訂正しておきたい箇所があるので補充的な追記をしておきたいと思います。上記にアスタリスクの数について書きましたが、それは見出しそのものにおけるorg-modeの記法になります。


見出しに対するリンクも同じかと思っていたのですが、これは階層に関係なくアスタリスクを一つ付けることで、見出しのみをリンクのジャンプ先にする決まりになっているようです。


アスタリスクをつけないで2重のカギ括弧で囲んだ文字列は、ファイルの先頭から最初の同じ文字列がリンクのジャンプ先になるようです。つまり本文中であってもそちらに移るので意図せぬことにもなりそうです。


気をつけますが、見出しにまったく同じ文字列を使う可能性は少ないと思うので、*をつければ関連する見出しへのリンクとして機能してくれると思います。このリンクを活用できるのはorg-modeを扱えるEmacsを使った場合か、エクスポートしたHTMLファイルに限定されるかと思います。


ファイルそのものはorgという拡張子がついているので、通常のWindowsパソコンであればシステムと関連づけのない形式と判断され、起動するアプリケーションの選択を迫られるのではないかと思います。


ファイルの中身そのものはテキストファイルなのでメモ帳でも開けますが、文字化けすることと改行が反映されない可能性が高いかと思います。文字コードがUTF-8であり、改行がUNIXになっているからです。


比較的バージョンの新しいワープロソフトであれば、普通のテキストファイルとして開いて閲覧することは出来ると思いますが、余計な記号も表示されるので、読みづらいのではないかと思います。


もっとも最終的には印刷用のファイルとして整形する予定でいますが、そちらもリンクは機能しないはずです。リンクを活用するにはHTMLのファイルをブラウザで開いて閲覧することをお奨めしますし、ネットで公開する文書もHTMLを前提に考えています。


また、試してみたところ*を付けなかった場合、見出し以外の本文中にもリンクができると書きましたが、文字列中に該当する文字列が含まれる場合まで含まれるわけではないようです。文字列だけの一行で試してもみましたが、リンクにはならなかったようです。十分に理解できていない機能です。


<2014-04-04 金 13:00> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]


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