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2015年6月30日 (火)

DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年8月7日

DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年8月7日
CLOSED: [2014-08-08 金 00:36]
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起きてしばらくして8時30分ぐらいからテレビをつけていますが、佐世保の同級生殺害事件に関する報道はやっていないようです。テレビから離れる時間もありましたが、石川テレビで「とくダネ!」をみています。


昨日あたりから軒並みパタリと報道がなくなっているように思えますが、一昨日は理研で渦中の人物の自殺という大きな出来事があったので、そちらに報道の時間が割かれるのは予想していましたが、翌日である昨日でも予想ほど、その件に関する続報のような報道は多くないという感じでした。


佐世保の同級生殺害事件に関しては、継母に「猫を殺すのは楽しい。人を殺してみたい。」と言った、ということが最終的な報道として止まっているという印象です。


この報道は各局で足並みをそろえて報道していましたが、その前日ぐらいにはネット上で、娘である加害生徒を祖母の養子にしていたという報道がありました。週刊文春の記事がソースというか情報源という感じでした。


ネット上でその情報が出始めた同じ時間帯には、警察が一人暮らしをしていた加害生徒のマンションの室内から100万円の現金が見つかったという情報も出ていました。Twitterで検索を掛けていると、ほぼリアルタイムで新しい情報がタイムラインに流れてきます。


「人を殺してみたい」という発言に関しても、父親と継母の面前で話したという報道と、継母に話して継母が父親に伝えたという報道がありました。より詳しい報道では病院の行き来のタクシーの車内での会話で、継母と二人の時だったようです。


NHKではなかったかと思いますが、それだけが他とは異なり、継母が「猫を殺すのは楽しいの?」と問いかけ、加害生徒が「うん」と答えたという話になっていました。


ネット上のニュースサイトでもない情報だったと思いますので、真偽の程も不明ですが、確か3月2日が寝込みの父親をバットで殴打した日にちになっていたと思いますが、その膀胱に及ぶ前の日に、養子にさせられていたという話がありました。


テレビの報道でも金属バットでの暴行のあと、娘である加害生徒を精神科の病院に通院させるようになったという話になっていました。常軌を逸した行動であることは明白ですが、原因に向き合ったとは思えず、むしろその暴行の機会を利用して異常者のレッテルを張ろうとしたのではとも思えるぐらいです。


私がこの佐世保の同級生殺害事件に強い関心を抱くのも、その辺りに理由の一つがあって、平成4年の傷害・準強姦事件での控訴審の私選弁護人、木梨松嗣弁護士の簡明すぎる対応に通じるものがあると感じるからです。


本人である私に相談のようなものはほとんどなく、一方的に精神鑑定の請求を名古屋高裁金沢支部(小島裕史裁判長)にしたのが、木梨松嗣弁護士でした。


被告訴人である木梨松嗣弁護士が精神鑑定の話を持ち出してきたのは平成5年になってからだったようにも思うのですが、平成4年の12月の20日ころにも公判があったようには記憶しています。クリスマスの目前ということで外の世界が楽しそうに見える時期でした。


Picasaウェブアルバムの方に資料があるはずなので、確認しますが、精神鑑定の主張自体はもっと早い段階で、準備書面として記載、提出されていたかもしれません。


準備書面に関しては、公判期日の前に拘置所にいる私の方にも届けられてはいました。名古屋高検金沢支部の検事から答弁書というような書面が届いたのも同じ頃であったかもしれません。その答弁書のような書面はずいぶん前に私の手元から消えているように思います。


木梨松嗣弁護士が送って寄こした事前準備書と紙の枚数は同じぐらいで、B4袋とじの3枚分ぐらいだったように思いますが、木梨松嗣弁護士の準備書面よりは余白が少なく、文字が多く書いてあったように思います。


当時の私には本気を疑うような内容だったので、ざっと目を通した程度で、読み返して深く考えることもなかったように思いますが、一審の有罪判決を当然とするような内容であったとは思います。松浦由紀夫とかいう検事でしたが、これは控訴審の判決書にも名前が書かれているはずです。


一件記録・写真/H04-10-26_事前準備書_私選弁護人木梨松嗣弁護士 https://plus.google.com/u/0/photos/105782624485753679454/albums/6022370531614853105


Picasaウェブアルバムで検索をかけたら、Google+の写真が出てきました。思った以上に内容も乏しく、活字の数も少ない書面です。


やはりこの時点で精神鑑定の記載がありますが、具体的に実施の請求をしたのは、やはり平成5年になってからの公判であったように思います。公判前に書面を木梨松嗣弁護士が出していたかもしれませんが、実施が決定したのも公判の場でした。


その時、傍聴席にいた被告訴人大網健二が快哉を叫ぶような喜びようを見せたことも、すでにご説明を書いていると思いますが、ずいぶんと前のことになっているかとも思います。


名前を思い出すのに5分ほど時間が掛かりましたが、改めてネットで検索をしてみました。「山口成良」で検索をするのは久しぶりで、一年以上あるいは二年以上間が開いているかもしれません。年齢的に故人になっている可能性もあるかと思いますが、まだ確認はしていません。


わが国の精神疾患の最近の動向 http://www3.ocn.ne.jp/~matsu-hp/sumiredai-2/sumiredai-00.html


2014-08-07-104911_松原病院におけるその動向について、山口成良院長が分析しました。.jpg pic.twitter.com/RSXEHMVVs7


ちょっと前までテレビのワイド!スクランブルで、佐世保の同級生殺害事件について報道をやっていました。100万円の話と養子縁組の話も出ていましたが、コメンテーターを含めすっきりするような説明ではなかったです。精神科医も出ていました。


被害者の死体を調理して食べたような話も、ちらほらと出ていましたが、それはネット上でもまだ見かけていない情報で、猟奇的な印象を強くしましたが、食べて一体になりたいという気持ちもあったのではとコメンテーターは解説していたかと思います。


視床と臨床精神医学 / 山口 成良【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784521736907


2014-08-07-113023_著者紹介 山口成良.jpg pic.twitter.com/bgXoP58f4o


ざっと調べたところ叙勲に関する情報はページが削除されたのか見当たりませんでした。七尾市生まれという情報は以前にも見たことがあったと思いだしました。生年月日のことはよく憶えていなかったですが、昭和4年生まれと確認できました。


私の母親も昭和4年の1月生まれですが、昭和4年生まれだと現在84歳か85歳になっていることになりそうです。男性だと平均寿命を5歳以上上回っていることになるかと思いますが、90歳を超えていても元気な人というのも珍しくはないかと思います。


社会医療法人財団松原愛育会 松原病院(石川県)-石川県金沢市 精神科後期研修 http://matsubara-hospital.org/


松原病院の院長という情報も見かけましたが、上記ホームページを見たところ、現在の院長に関する情報はみあたりませんでした。


松原病院といえば、今では名前を聞くこともないですが、私が小学生の頃の昭和40年代後半から昭和50年代の初めの頃というのは、特別な存在でまるで化け物の収容所のようなイメージが蔓延していて、キチガイ病院とも呼ばれていました。


今の時代、特に平成生まれの人には想像するのも難しく、また地域差もある問題であったと思いますが、まるで廃人のようなイメージが固定化されていたように思います。


コンビニに振込の用事があったのですが、その前に銀行に行ってATMでお金を降ろしてきました。銀行の待合室に週刊新潮が2週分あったので佐世保の同級生殺害事件に関する記事に目を通しました。その後コンビニでも最新と思われる週刊文春の佐世保の事件に関する記事に目を通しました。


文春の記事に関しては周辺の人の話として信ぴょう性に疑問を感じるものもありましたが、加害者生徒に接見をした弁護士が、女性であるという点が目新しく、気を引いいた新情報という感じでした。


加害生徒の父親の法律事務所はやはり長崎県内最大手というような表現になっていて、佐世保市内に限った表現ではなさそうでした。不動産会社も経営しているらしく、そちらの収入も大きそな内容が書いてありました。


佐世保の同級生殺害事件は加害生徒の父親が弁護士ということを含め、その弁護士としての人間性と社会性に対しても関心がありますが、精神科医との関係というのも二転三転しているような部分もあり、実際のところはどうなのかと気になるところがあります。


昨夜の続きもまだ初めてはいないのですが、佐世保の同級生殺害事件ばかりではなく、私自身の精神鑑定を強引に実施させた被告訴人木梨松嗣弁護士と、その鑑定を行った当時の金沢大学教授山口成良について、先にある程度のことを書いておこうと思います。


一件記録・写真/H05_精神鑑定書_金沢大学教授山口成良 https://plus.google.com/u/0/photos/105782624485753679454/albums/6022375830774443489


ずいぶん前から公開してあるものですが、上記の写真はかなり前に撮影したものです。撮影に使ったデジカメも今使っているものよりは古く、前に買ったものでワイドな横長サイズにはなっていないようです。


ファイルのExif情報を確認すると、2010年5月5日となっていました。4年以上も前ということになりそうです。昼に外で撮影したものですが、余り見やすい状態ではないので、そのうち撮り直そうかと考えながらそのままになっています。


撮影当時もそれほど重要なものとは考えていなかったのですが、佐世保の事件で父親の弁護士と精神科医の関係などを見るにつけ、これはしっかり押さえておかなければならないポイントだと考えるようになりました。


今日見た週刊誌の記事で、弁護士である父親が娘についてキチガイだと言い3年前から精神科に通院させていると、事件後人に話していたようなことが記事に書いてありました。


一つの可能性であくまで想像上の仮定の話ですが、養子縁組で娘の戸籍を抜いていたとか、二転三転する精神科医との関わりなどの弁明を見ていると、廃人にさせる方向で症状を悪化させるような薬を金に物を言わせ、処方させていたのかもしれないと、勘ぐりたくもなるようなところがあります。


私自身の経験ですが、精神鑑定では金沢大学附属病院の精神科の閉鎖病棟に入院させられていました。何階建ての建物の何階部分であったかも忘れましたが、かなり上の方の階であったとは思います。見晴らしも良かったです。


なんというのか集会所のような広いスペースがあって、そこには小さい病院の待合室のようにテレビやソファーがありました。そちらの側からは右手に松原病院も見えていました。


私は通路を挟むと反対側になる保護帽のような部屋に収容されていました。消灯時間以降は外から鍵を締められて出入りができないようにされていたようにも思います。余り不便を感じてもいなかったので、特別印象には残っていないのですが、そうだったと思います。


普通の生活からすれば異常ですが、その前に生活をしていた拘置所の独居房では出入りできないのが当たり前だったので、そう不便を感じることもなかったのだと思います。


消灯時間は21時ではなかったかと思いますが、起床時間はギリギリまで寝ていることが多かったのか余り意識することもなかったです。その保護帽のような部屋は、サウナのような内部構造になっていて、物をぶつけたりする収容者に対して、衝撃を吸収するような作りになっていました。


確か保護房という呼び名は、看護婦さんからも聞いていたように思います。なぜか若い看護婦さんがほとんどで、名前は名札か何かで知っていたものの忘れましたが、私の郷里に近い柳田村の上町あたりの出身だという若い看護婦さんもいました。


ミヤネ屋で番組の後半、15時05分辺りから40分頃まで佐世保女子高生殺害事件について取り上げていましたが、どうも加害生徒の病的側面に焦点をあて、精神鑑定の結果を重視するような内容にになっていました。


犯罪精神医学の専門家がテレビ電話のようなものに出ていて、解説や受け答えをしていましたが、東京工業大学と紹介されていたように思いますし、名誉教授とも出ていたように思います。下のほうがずいぶんと変わった名前だったので、多分初めて知る人だったと思います。


日本犯罪学会100年 影山理事長に聞く(1)児童虐待、「今」を象徴 : こころ元気塾 : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞) http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=86925


上記ページからの引用→) 1948年、福島県生まれ。東京工業大名誉教授。専門は犯罪精神医学。2012年から同県郡山市の針生ヶ丘病院精神科でストレス外来を担当する


同上→)日本犯罪学会が今年、設立100年を迎えた。11月の学会記念大会(東京)では、家族の問題をテーマに公開シンポジウムを行う。学会理事長の精神科医、影山任佐さんに、近年の犯罪に映し出される「心の病理」について聞いた。


記事に掲載されている写真よりは、ミヤネ屋での映像のほうがはるかに若く見えていました。日本犯罪学会理事長という肩書はテレビでは気がつかなかったのかもしれませんが、東京工業大学と犯罪学というのは違和感が大きく、そちらに気が取られていたところもあるかと思います。


精神医学界の大物を招いたということで番組の内容自体が、そういう方向に偏っていたような気もします。家庭問題という側面はほとんど感じられず、治療という言葉がやたらと飛び交っていたという印象も残っています。


私は今まであえて、山口成良金沢大学教授のことを大きく取り上げてこなかったところがありますが、精神鑑定以前の事実認定の段階で、大きな齟齬があると言わざるを得ず、それは事実に照らせば明白なことであって、全く論外とも言えるものです。


佐世保女子高生殺害事件に関連するような体験があるので、それをまずご紹介しておきたいと思います。佐世保女子高生殺害事件においてはまだまだ解明されておらず、事実関係も不確かな部分があるかと思いますが、今後の成りゆきには大きく注目しています。


保護房のような部屋は卯辰山の方を向いていました。あとでGoogleマップでも確認したいと思いますが、ほぼ一日を通して日当たりが悪かったような印象があります。また建物の反対側の方向は、夕方に西日が強かったような印象も残っています。


精神病棟の閉鎖病棟の入り口には大きな鉄扉があったと記憶に残っています。同じ棟続きだったと思うのですが、その鉄扉の手前側が同じ精神科でも開放病棟になっていると聞いたように思います。


そう聞いたかどうかははっきりしませんが、下の階の病棟は女性の患者がいるという感じでした。時々大きな声での叫び声が聞こえてくることがあったのですが、若い少女かあるいは小学生ぐらいの女の子という感じの声でした。言葉にもなっておらず、動物のような叫び声だけを続けていました。


幸いということのあったのかと思いますが、私がいた閉鎖病棟には奇声を発したり、暴力的な行動を起こす患者はいませんでした。人との接触を一切断つような患者の方が多かったように思いますが、消灯時間以外は、自由に行き来し、会話をすることも出来ました。


はじめの方とかは、自分の部屋に戻るように注意を受けるようなこともあったと思いますが、そういう行動を含め監視をしている様子で、それほどきつく言われるようなこともなかったと思います。数の多い本棚があって、部屋で本を読んで過ごすことも多かったと思います。


力のある人間の思惑や都合で、精神病院に閉じ込められ、薬物を投与されてさらに状態が悪くなっていくという話は、小説でもありがちなパターンだったと思います。


その金沢大学附属病院の精神病棟での生活での発見というか出会いは、病棟に備え付けの本棚で見つけた西村寿行の「闇の法廷」という小説でした。


西村寿行の小説は、犯罪をテーマにしたものが多かったですが、自分が巻き込まれたと思われる犯罪においても、手がかりとなりそうなストーリーや知識が多く、金沢刑務所の拘置所に戻ってからも私本購入をしたり、母親に差し入れてもらってよく読んでいました。


山口成良金沢大学教授の私に対する精神鑑定書ですが、写真を一つずつ非常上告-最高検察庁御中ツイッター(@shirono)の方に写真付きツイートでアップロードしながら説明を試みたいと思います。私自身読むのはずいぶんと久しぶりですが、写真にしたものは精神鑑定書の全てではありません。


H05_精神鑑定書金沢大学教授山口成良01.jpg pic.twitter.com/zAwsk1hCcW


上記ページには「この為鑑定人は、金沢大学医学部神経精神医学教室医師 小坂一登を鑑定助手として、」という部分があります。


年齢は当時27歳だった私と余り変わらない感じでした。打ち解けるタイプでもなくガードも固かったので幾つなのかと尋ねることもなかったですが、まだ社会経験も乏しいような感じでした。助手ということになっていますが、確かに会う機会は多かったと思います。


今考えると、山口成良金沢大学教授の精神鑑定書の資料は、その助手である小坂一登という人が作成していたという可能性もあるのかと思います。普通の社会生活でコミュニュケーション能力があるような人には見えなかったです。表情の少ない人だったという印象も残っています。


真面目な優等生というタイプにも見えましたが、問診を受けたような気がするものの、内容に印象に残るようなところもなく、どんな会話をしたのか思い出せるようなこともありません。


下の方の名前が特徴的というか他に見たこともなかったので、Googleで検索してみたところ、それと思われる人を見つけ出すことができました。能登病院と見ても、どこにある病院なのか心当たりがなかったのですが、やはり七尾市内の病院のようです。


七尾市では恵愛病院の名前を聞くことがありましたが、能登病院というのは聞いたこともなかったです。あるいは比較的新しい病院なのかもしれませんが、七尾市内には住んだこともないので、知らなくても不思議はないかと思います。


精神科 | 公立能登総合病院 http://www.noto-hospital.nanao.ishikawa.jp/?p=140


2014-08-07-180711_能登総合病院 精神科 小坂一登 部長.jpg pic.twitter.com/vcoQbsgIO0


H05_精神鑑定書金沢大学教授山口成良02.jpg pic.twitter.com/Qe3PnIk898


上記ページで、無口で暗い感じ、とか強いものには下手に出て、弱いものには乱暴な口の聞き方をする、というのは被告訴人梅野博之の供述調書の内容そのままです。


被害者AAさんとのことで落ち込み悩んでいるときは、確かに無口で暗い感じに見えていたのかもしれませんが、それを見て愉しんでいたのも被告訴人梅野博之ですし、被害者AAさんを利用して不安を煽る話を吹き込んでいたのも被告訴人梅野博之です。


昭和61年1月29日に入籍していたとは、今まで知らなかったというか、何度かこの部分も目を通しているはずですが、気にとまることはなかったようです。私自身、入籍のことで市役所に行ったような記憶もなく、行っていないのですが、結婚式は3月の10日頃なので1月とは意外でした。


H05_精神鑑定書金沢大学教授山口成良03.jpg pic.twitter.com/v2H7HQYUq1


前ページのことで書き忘れていましたが、被告訴人梅野博之が強いものには下手に出ると供述していたのは、私と被告訴人浜口卓也の関係だと思います。学校時代は上下関係が厳しく、昔の軍隊的な風潮もあったので、それなりに気を使う話し方はしていました。


私の同級生でも城野町のHSは、被告訴人浜口卓也と完全にタメ口をきくようになっていて、以前は被告訴人浜口卓也の方からももう気を使ったような話し方はするなと、言われたこともあったのですが、酒飲みとの付き合いはなるべく控えたかったこともあり、距離を置いていたようなところもあります。


一方で弱い相手に乱暴な口をきく、というのは私と被告訴人安田敏の関係だと思います。被告訴人安田敏は私より二つ年上でしたが、昭和58年ころからタメ口をきくような関係になっていました。


当時は現在では耳にすることがなくなったような能登の宇出津の方言で話をしていたので、普通に会話をしていても喧嘩をしているように聞こえるとはいわれていました。さらに被告訴人安田敏は挑発をするような言動も多くなって不始末を繰り返してもいたので、きつい話し方にはなっていたと思います。


前ページの終わりの方から前妻との関係や離婚した理由などになっていますが、実際はもっと複雑なもので、どちらの家庭の親の問題もありました。形式的には離婚になっていたし、私も最後はそのつもりでいましたが、前妻の方では冷却期間のつもりでいた様子で、離婚後も連絡がありました。


荷物を積み込んでから富山でパチンコ店の閉店時間までやっていて、一文無しになったまま、関東に行き、飲まず食わずで首都高速も使わず、雪道を金沢まで帰ってくるようなこともありました。福岡や石巻で1万円の前借りをすることも多かったです。


パチンコやパチスロは2年間もやっていなかったと思いますが、そのうちきっぱりとやめていました。パチンコの方は当時流行っていたスーパーコンビとかの一発台をやっていました。妻の借金に関しては、私や自分の親に対するあてつけが大きかったと思います。


妻は、金沢市場輸送で人に私のことを「王様」と言っていたらしいですが、家では確かにそういうところがありました。真夜中でも朝方でも当たり前のように電話で呼び出し、車で迎えこさせ、食事の用意をさせていましたが、妻が仕事をしている時も同じだったと思います。


妻が免許をとって車を運転するようになったのは、アルトワークスの軽四を買ってからだったと思います。被告訴人大網健二と笹田の間でトラブルのあった車です。その前に乗っていたのは赤色のプレリュードでしたが、パワーステアリングでもなく、免許取りたての女性には運転も難しかったかと思います。


笹田が乗っていたアルトワークスは新車にも近いような状態だったと思います。被告訴人大網健二からは50万円ということで買いましたが、被告訴人大網健二の話によると笹田からは50万円で買い取り、カーステレオや他の値の張るような備品は別に転売したような話をしていました。


アルトワークスの当時の相場や新車価格は忘れましたが、ツインカムターボエンジンということもあり、軽四としては値段の方も型破りの高値だと聞いていたように思います。


私の単純な計算では、50万円で買い取ったものを50万円で転売し、備品を転売したのだから備品の方はまるまる儲けになったのだと考え、ストレートに被告訴人大網健二にそう言ったことがありましたが、彼は腹を立てて笹田を罵り、ずいぶんと迷惑を受けたように憤りを未せていました。


カーステレオや備品もなかなかのもので、転売して15万円かあるいは20万円になったというような話を聞いていたようにも思うのですが、正確を期すならば、現在は記憶が曖昧になっている部分があります。


赤色のプレリュードの方はエンジンかミッションが故障して、修理に20万円から30万円かかると言われたように思います。そんな折に被告訴人大網健二からアルトワークスを買わないかという話が出てきたのです。


金沢市場輸送の事務所が二口町に移転してからも、けっこう長い間はプレリュードに乗っていて、それを会社前に駐車していたという記憶があります。故障したのは春先だったというようなぼんやりとした記憶もあるのですが、だとすれば平成元年の春ということになるのかもしれません。


今考えてみると、アルトワークスに乗るようになった頃には、笹田の姿は会社からなくなっていたようにも思います。買った後でアルトワークスのことで笹田と話をするようなこともなかったと思います。記憶に自信がないですが、140万円で買ったと聞いたように思います。


プレリュードが故障した頃には、守田水産輸送にかなり年上の宇出津の先輩が大型長距離の運転手をしていると聞いていましたし、少し話をしたようなこともありました。宇出津の先輩で水産高校で相撲部にいたような話は、被告訴人大網健二から聞いていました。


被告訴人大網健二から聞いていなければ宇出津の人ということもわからなかったと思います。私が中1の頃の水産高校の高3のメンバーはよく知っているので、少なくともそれより年上の年代ということになります。名前の方も聞いており、それらしい心当たりもあるのですが見た時は小柄に見える体型でした。


被告訴人大網健二はその先輩との間でもなにか車の売買のことでトラブルがあったらしく、笹田のことほどストレートに不満をぶつけることはなかったですが、相当に迷惑を受け、人間性をも疑うようなことを愚痴をこぼすように私に話していました。


既に書いていることと思いますが、ちなみに私が中1の頃の水産高校の3年生は、卯辰山の全国相撲大会で準優勝していますし、その2,3年前には同じ大会で全国優勝をしています。強豪校ということになると思いますが、厳しい練習も目の当たりにしていました。


絶対的な記憶の自信は現在ないですが、昭和63年の7月のはじめに金沢市場輸送の事務所が西念町のテナントビルから二口町の新築の平屋建物に移転したことはほぼ間違いないことで、その後の8月の終わりか9月の初めに、被告訴人松平日出男の姿を市内配達の責任者として見るようになりました。


ほぼ同じ頃に、宇出津のK村さんと姫のNKさんの姿を、持ち込みの2トン車運転手としてみかけるようになっていました。Kという人の姿を見るようになったのもほぼ同じ頃だったと思います。大脇昆布のことで、言及した人物です。その人の話も中途半端で中断したように思います。いずれ再開します。


IWJメインチャンネル Ch7 | 岩上安身責任編集 - IWJ Independent Web Journal http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=7


時刻は8月8日0時26分になっています。上記サイトでPC遠隔操作事件の公判のあとの佐藤博史弁護士の会見を21時05分頃から視聴していました。21時から配信ということになっていたと思います。聴いているうちにとても眠くなってしまい。終わりの方は横になって聴いていました。


ようやく終わったと思った直後には寝てしまっていたようです。起きたのは23時前だったと思いますが、それから食事を済ませ片付けをしていました。


昨日の続きを書くつもりが手を付けることができなかったので、それはまたの機会にしたいと思います。昭和50年台の小木港の続きに成ります。


項目を新しくして続きを書きます。そう言えば激しい雨音で目が覚めたのですが、雨はしばらくしてやみ、遠くで鳴っていた雷も近づくことはなかったです。天気予報にはない時間の強い雨だったみたいです。


<2014-08-08 金 00:34> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]


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