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2015年6月30日 (火)

DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月6日

DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月6日
CLOSED: [2014-07-08 火 08:08]
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一見無関係な2つの問題を項目の見出しにしました。内容的にも共通している問題点があるので是非そうしたいと考えたのですが、時間的な近接もあります。


まずは、昨夜の宇出津のあばれ祭りでの写真です。→ 2014-07-06_01.25.33_宇出津あばれ祭り.jpg pic.twitter.com/69yBWPaea2


これは被告訴人KYNに声を掛ける直前になります。写真はスマホでの撮影ですが使っているアプリの関係でファイル名に撮影時刻が入り、そのファイル名を元にリネームしました。


写真に写っているのはキリコと呼ばれるものです。能登半島各地にある祭りでよくあるものですが、それぞれに特徴があります。例えば輪島だと漆塗りだと聞いています。能登に生まれ育った人ならとても馴染み深いものですが、そうでないと理解もしにくいかもしれません。


能登キリコ祭り - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E7%99%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B3%E7%A5%AD%E3%82%8A


宇出津というのは能登半島でも町の規模としては、比較の上でさほど大きいわけではないですが、キリコ祭りとしては宇出津のあばれ祭りが一番有名かもしれません。他に七尾市石崎の石崎奉燈祭や輪島大祭が有名ですが、石崎は和倉温泉の隣町でもあり、輪島も朝市として観光地なので規模は大きそうです。


あばれ祭り - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%B0%E3%82%8C%E7%A5%AD%E3%82%8A


宇出津の場合、平成17年辺りに鉄道も廃止になり、宿泊施設も少ないので条件はかなり悪いと思いますが、それでも祭りの二日間だけは普段とは比較にならない沢山の人が集まってきます。


新聞か何かで見かけたように思いますが今年のあばれ祭りのキリコは39基と見かけました。以前は50基近くあったそうなので、規模自体も小さくなっているようです。過疎化や高齢化が進んでいますが、とりわけ子どもの少なさは歴然としています。小学生などは自分らの頃の5分の1ぐらいらしいです。


宇出津のあばれ祭りでは各町内ごとにキリコが出ますが、からかじめ順番が決められ番号も振られています。最後尾のキリコの番号を見たところ28番になっていたので、28の町内が参加していると思われますが、この数を見ると人出が足りず、参加を見送った町内もいくつかありそうです。


宇出津の町内というのは住所にはない町名です。範囲となると地元に住んでいても境がわかりにくいことがありますが、なかには、本人の希望とかで飛び地で隣接する町内になる人もいるそうです。


家が20件ほどの町内もあると聞いていますが、空き家も含まれていたりするのではと思われます。小さい狭い範囲の町内が多いですが、中には小さい町内の数倍というのもあります。私が住む小棚木という町内は、多分一番広い町内で人の数も多いと思われます。


私は小学校5年生に進学した昭和50年4月に、宇出津の今の小棚木の家に引っ越してきました。母親の実家のような家でもありますが、母親の家族というのは昭和の初めころに京都から移り住んできて、その後京都に戻っていったと聞いています。


母親の父母というのは私の祖父になりますが、私が物心ついた頃には亡くなっていたのかと思います。年々頃、どこで亡くなったのかも聞いていないのですが、祖父の名前は小島伝次郎だったようです。


私が物心ついた頃、母方の親戚で宇出津に残っている人はいませんでしたし、年に1回、夏に遊びに来るという程度の付き合いでした。稀には用事で来ることもあったかもしれません。電話ではよく話をしていましたが、そんな時、母親はいつも京都弁で話をしていました。


親戚が毎年夏に遊びに来ていたのも私が小学校の低学年でまだ辺田の浜の家に住んでいる頃のことです。同じころまでは父方の親戚とも付き合いがありました。


私の父親は宇出津生まれだと聞いていましたが、東京の方に養子に行って、それで廣野という名前になったと聞いています。旧姓は水元でしたし、隣の町内の大棚木には父親の兄という人も住んでいました。


母親は5人兄弟ですが、父親は7人兄弟だと聞いていました。宇出津には父親の兄弟が3人住んでいました。3件の親戚です。1件は宇出津病院の裏に家があります。町内の名前は忘れたのだと思いますが、わかりません。近くに前の能都中学校へ登る坂がありますが、その辺りは錦町です。


もう一件は、宇出津の町の中心部でもある大橋組という町内でオモチャ屋をしていました。昨夜、被告訴人KYNと話をしたのはちょうどその家の前になりますが、電気もついておらず人が住んでいるようには見えなかったです。


辺田の浜の家には小学校4年生まで住んでいたことになるようです。半年ぐらい前までの私の記憶では小学校4年に進学した4月に宇出津に引っ越したことになっていたのですが、辺田の浜の酒樽祭りが昭和50年に復活したという情報をネットで見て、昭和50年に宇出津に来たのだと確認できたのです。


その酒樽祭りですが、祭りというよりは神事の儀式のようなものらしいです。毎年その時期になっても思い出すことがなく、終わったあとのニュースなどで毎年気がつくので、実際にはこれまで一度も見たことのないお祭りです。


ちょっと思い出したのですが、父親の旧姓は水元ではなく水本だったと思います。なんかずっと忘れていた水元という名前の同級生のことが頭に浮かんできて、思い出すことが出来ました。


父親の兄弟は、能都町鵜川と七尾市にも住んでいました。どちらも叔母さんという関係だったと思います。七尾市には一度だけ青柏祭に行った憶えがあり、鵜川の「にわか祭り」を含め鵜川の家には何度か遊びに行った憶えがあるのですが、家のことや顔や声も名前も記憶には残っていないです。


それもこれも辺田の浜の家にいた頃のことですが、鵜川には神社か寺のお祓いを受けに何度も母親に連れて行かれたことを憶えています。神社のような建物でしたが、坊さんのような格好をした人が、念仏か何かを唱えながら、大きい巾着のような袋で、お祓いを受ける人の体をさすりまくっていました。


ある日を境にぴたりとその神社にはいかなくなったのですが、母親がその坊主にいやらしいことをされそうになったので行かなくなったとか、立ち話をしているのを聞きました。小さい頃というのはやたらと母親の立ち話の側にいて、いらいらしていたという思い出が多いです。魚屋とかで。


鵜川の神社の場所というのはわかりやすい場所でした。鵜川の駅から国道249号線の交差点を横切って鵜川の町の方に入って行くと、一本の小路を右に入ると30メートルぐらいかと思いますが、正面に神社の階段がありました。


階段の登り口の右手に民家が一件ありましたが、それが被告訴人安田敏の家であると知ったのは、ずっと後のことです。一度、家の前まで行ったこともありましたが、被告訴人安田敏とは会うこともなかったです。


本書でもだいぶん前に書いていると思うのですが、被告訴人安田敏の家に入る小路を探して、たまたま声を掛けた相手が、被告訴人安田敏の兄の妻だったということもありました。被告訴人大網健二が同行していた時のことです。夕方でしたが外はすっかり暗くなっていたと思います。


近くに店が開いているとも思えない状況だったので、道を尋ねる人を発見できたことが偶然に思えていたのですが、相手が被告訴人安田敏の親戚ということでなおさら印象深く憶えています。冬であるいは正月休みだったような気もするのですが、夏で兄の嫁が薄着をしていたような気もしたりで時期不明です。


よくよく考えてみると平成9年の8月のお盆休みだったかと思えてきました。そのお盆休みでは被告訴人大網周一が、宇出津の魚市場の近くカネハチの曲がり角とのところで、夜釣りをしていたことが最も印象に残っています。


たまたま昨日撮影していたものですが、この辺りです。→ 2014-07-05_17.45.00_宇出津あばれ祭り.jpg pic.twitter.com/l9BHOyTrra


こちらの写真だと宇出津の魚市場も見えるかと思います。2014-07-05_17.44.39_宇出津あばれ祭り.jpg pic.twitter.com/7u8Xz61SGG


夜釣りをしていたことよりも、その場所で釣りをしている事自体が、当時はずいぶんと珍しく見えました。現在では春頃にもっと港の奥の方で釣りをする人はいますが、のっこみ、とか呼ばれる黒鯛の散乱の一時期かと思います。


当時私はすでに金沢市高雄の建設会社で働いていたと思います。共通の昔の友達が部長になっていたのですが被告訴人大網健二の口利きで就職が決まりました。これもこれまでに何度か書いていると思います。


さらに繰り替えになるかとも思いますが、被告訴人大網健二と車で通りかかって被告訴人大網周一が夜釣りをしているのを見たあと、私は早めに金沢に帰りました。


そして金石海岸で乗っていた車を砂にはめて動けなくし、JAFを呼んだと思います。


車は代車だったように思いますが、砂にはまって動けなくなった時は夕方でもまだ外の明るい時間だったような気がします。かなり長い時間自分でどうにかしようとしていたのですが、最終的にJAFが来て車を動かせるようになったときは、暗くなっていたように思います。


どの時点で連絡をしたのかはっきり思い出せないのですが、その後私は金沢市東力の、あすなろ公園で被告訴人多田敏明と会っています。まっくらな公園の中、二人だけで会いました。


現在は変わっているかもしれませんが、Googleのストリートビューに出てくるかもしれません。ちょっと調べてみたいと思います。


2014-07-06-171939_石川県金沢市東力・あすなろの森.jpg pic.twitter.com/bnIJ2l1CUn


スクリーンショットをとりました。検索で初めて知ったのですが、あすなろ公園だと金沢市内でも別の場所になるようで、東力の公園は「あすなろの森」という名称になっているようです。私が住んでいたアパートの近所でもありましたが、昭和の時代から全く変わっていないようにも見えます。


鉄塔のようなものが見えて、そんなのがあったかと気になるぐらいです。ないとうことはなかったと思いますが、街灯も少ない公園で夜は暗かったと記憶に残っています。


場所は私が指定したのだと思いますが、被告訴人多田敏明の家があるという金沢市間明からは近い場所で、目印としてわかりやすく車も駐車しやすいということで選んだのだと思います。じっくり内容のある話をしたかったので、静かな場所を選びました。


「広野さん、わしと勝負しようちゅううんがぁ。なんぼでもやってやるよ。」と言われました。言葉で掛けば威圧的で挑発的にもなるかと思いますが、棒読みにも近い感じで、発言の意図をはかりかねるところもありました。


広野と書きましたが、私自身平成4年以降、拘置所や刑務所で生活するようになってから廣野と戸籍と同じ漢字を使うようになりましたが、それまでは小学校の頃からずっと広野という漢字を使っていたからです。平成3,4年当時の被告訴人多田敏明との関係に合わせて広野としました。


私が刑事事件として告発か告訴をしたことや、これからするような話をしたところ、被告訴人多田敏明の場合、多少動揺のような反応が見られ、誰と誰を訴えたのかと尋ねてきました。2,3具体的な名前もあげていたように思います。


余り情報を与えるのは得策ではないという判断と、被告訴人多田敏明の挑発的な態度に憤慨して高ぶっていました。いったん手を出せば止まらなくなってしまうような危険も自分の中に感じたので、自分から話し合いを打ち切るように被告訴人多田敏明とは別れて来ました。


時刻は7月8日7時55分です。昨日は考えるだけで終わってしまいました。どうしょうかと迷ったのですが、前の日に掛けると話していたので、珠洲警察署に電話をして担当者の人と話をしました。取次の際、係長という声が聞こえてきました。


警察の担当者や関わった警察官の名前に関しては以前公表していた時期もありますが、現在は私自身の判断で名前を出してはいませんし、録音もやっていません。今日は新しい小テーマを見つけたので、そちらにも関連付けて説明を書いておきたいと思います。


今後は今まで以上に動きが出て影響を受ける可能性も高まると思うので、リアルな最新状況との関係をいっそう強化したいと思います。項目と作成日時を対応させるためこの項目は締めたいとおもいます。


<2014-07-08 火 08:04> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]


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