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2015年6月30日 (火)

DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月27日

DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月27日
CLOSED: [2014-07-30 水 10:20]
<2014-07-27 日 13:56> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]


昨日は16前に母親のいる病院から電話があって、兵庫県のおじさんから荷物が届いているので取りに来るように連絡を受けました。同じ方向で時間的にも間に合いそうだったので、先に曽々木海岸の千体地蔵を見に行くことにし、バイクで出発しました。


話には聞いていたのですが、曽々木海岸の山を登ったのは初めてのことでした。神秘的というかそういう雰囲気は前から感じていましたが、霊山と書いてあったのでなるほどと思いました。


2,3ヶ月前になるかと思いますが、近いうちに千体地蔵には行きたいと決めていました。途中、柳田村でも写真を撮影しました。町野に向かって坂の左側に店があって、そこで母親の立ち話に付き合わされイライラしていたことなど幼い記憶にあるのですが、湯治場のような温泉に行った時のことです。


千体地蔵の近くには岩倉寺という寺があると聞いていたのですが、千体地蔵の戻りに寄ってみたところ、ずいぶんと古い建物で驚きました。高野山真言宗とも札に書いてありました。


それも幼い頃の記憶なのですが、母親が高野山に行くと何度も繰り返して言っていた時期があったのですが、一緒に高野山に行ったような記憶があるものの、ぼんやりとしていて夢の中のことであったような感覚として残っています。


夢の中の夢といえば、「胡蝶の夢」という言葉を思い出しました。


平成3年の11月から平成4年の2月頃に掛けて、けっこうな回数、和歌山県のかつらぎ農協にミカンを積みに行っていたのですが、大阪方面からかつらぎ町に行く手前に、高野山の案内板とかが道路に多く出ていて、その時も幼い頃の記憶を思い出していました。


高野山で撮った写真のようなものは残っていませんが、母親の高野山に行くという意気込みのようなものは強く印象に残っています。母親の意識がしっかりしているうちに、高野山に行ったのか、それはいつ頃だったのかと聞いておけばよかったと思います。


撮影した写真は今回もPicasaウェブアルバムに新規アルバムとしてアップロードしました。土曜日でしたが、他の人に会うこともなく、事実上の貸切状態でした。かなり暑くて予想以上に道も険しく、気温がもっと高く体調が悪ければ、熱中症で危険なことになったかもしれないと思いました。


2014-07-26/白雉山岩倉寺・千体地蔵・曽々木海岸 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/114099790846205945578/20140726


ずいぶん前のことなので、時期もはっきり思い出せないのですが、母親は輪島の「ねぶた温泉」で中居の仕事をする前、曽々木で中居の仕事をしていると話していたことがあったと思います。ちょうど孫の顔を見ていた時期、孫に会うのを楽しみにしていた時期とも重なりそうに思います。


私の母親は、私が小学校の六年生のときであったと思いますが、心臓発作を起こして死にかけたことがありました。それは織物工場の一泊旅行で、石川県加賀市の片山津温泉に行った時のことでした。


片山津温泉に行く前の日中には、小松市で地獄の洞窟のようなところを見物しました。怖い人形が洞窟の地下のようなところに展示されていましたが、地上に戻ると、お釈迦様が寝そべっている大きな像があったのも印象にのこっています。


「はにべ岩窟院」というような名前であったと思います。数年前に一度、思い出してネットで検索をした憶えがあるのですが、その時は情報や写真が出ていたと思います。石川県に住んでいても聞いたことがないですが、今でも残っているのではと思います。


ハニベ巌窟院 http://www.hanibe.com/


検索を掛けたところ、Googleのサジェスト機能で、やはりと思われる情報が目につきました。いつ頃の事件だったか思い出せなかったですが、2004年11月という情報を見つけました。


ハニベ巌窟院その5 http://www5f.biglobe.ne.jp/~punch-ht/chinsp/c023005.html 二代目院主が除霊と称して、水子供養に来た女性に猥褻行為をしたとして、強制猥褻の疑いで逮捕されてしまいました。


異様なオブジェが陳列されていたとのことですが、それは初めて知りました。行ったのは昭和51年と思われる一度だけでしたが、その時とは変貌もあるようです。小松の水子の寺院の住職が逮捕という記憶でしたが、ハニベ岩窟院とははっきりと記憶していませんでした。


そういえば国道8号線沿いで加賀市と小松市の境の辺りにも、かなり大きな施設で「珍宝館」のようなものがあったことを思い出しました。わいせつ物を陳列するようなテーマパークでしたが、長距離トラックの仕事をしていたので、県外でも似たような施設は目にしていました。


他にどこを回ったのかも記憶にないですが、片山津温泉のホテルで、宴会の後に母親が倒れたと聞かされました。ちょうどエレベーターの中でその話を聞いたような場面が記憶に残っています。


私が子供の頃、加賀温泉などのCMが多かったのですが、大きなビルの旅館というのは、たいていホテルという言葉が名前に含まれていたように思います。ホテルという言葉自体、最近は見かけなくなっているような気もしますが、旅館というと民宿に近いイメージもあります。


母親は加賀市大聖寺の病院に運ばれました。当時の宇出津の持木病院とよく似た感じの病院でした。個人名の病院だったと思います。今、ネットで大聖寺周辺の病院を調べたのですが、それらしい記憶にある病院名はなかったです。


その大聖寺の病院には昭和58年の秋に、被告訴人安田敏と一緒に行ったことがあり、その頃やっていた消火器売りの先輩の付き合いで行った時だったと思います。建物は昭和51年当時と変わらず、この病院だったのかと思いだしました。


母親が特に入院していたという記憶もないのですが、家に帰ってずっと布団で寝ていて、度々心臓発作を起こしては苦しんでいました。助からないのでは、長くはないのではと思っていたことを憶えています。


そのうち心臓発作もまったく起こらなくなり快癒したのですが、人づてに聞いた。川尻のお寺でお祓いを受けたおかげだと人に話していました。私自身、その川尻の寺には一度行った記憶があります。丘の上にある古くて小さな寺でした。


川尻の寺には続けて行くようなことはなかったと思いますが、母親の信心深さが確信的に強固になる出来事だったと思います。それ以降、中学生になると母親と一緒にどこかへ行ったり、行動することもほとんどなかったと思います。


川尻というのは当時の珠洲郡内浦町で、たぶん蛸島線の鉄道では、松波駅の一つ手前だったと思われます。小木経由で松波に行く時には通りますが、駅があった場所も今はわからないというか、考えたこともなかったです。


宇出津では見たこともないような古くて簡素な寺で、荒寺という印象が強く残っています。若くて真面目そうな住職だったという印象も残っていますが、その寺の話を聞くことも後にはなかったように思います。


寺というよりは、神社という感じの建物でした。たしか寺だと聞いていて、住職もお坊さんの姿をしていたので寺だったのだとは思いますが、田舎の村によくあるような小さい神社という印象が残っています。小高い丘の上という風景とともに。


昨日まとめて掲載し、紹介したモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートに説明を移りますが、あらためてひときわ目をひいた言葉が、「想像力」でした。彼は好んでこの言葉をよく使っていると思います。


情報量も多すぎるので、インターネット上の情報をパソコンの画面として動画キャプチャし、それをYouTubeにアップロードしているところです。まもなく完了すると思います。


▶ ツイッター高度な検索 モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会) キーワード「想像力」_2014年07月27日16時25分47秒.mp4 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=E-yFqTA09Mo&feature=youtu.be


たぶん初めてのキーワードでの検索で、結果を眺めながら動画として録画していましたが、キーボードでの画面のスクロールができず、戸惑った場面もありました。アドオンで特別なキーバインドをやっているので、それが裏目に出たのかもしれません。


結果を眺めながらでしたが、特に目を引くツイートが2件あったので、それをブログの記事としてAPIで投稿する状況も、同じように録画しました。次の二つの記事になります。


2014-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中: 知識も想像力も乏しい人が知ったかぶりをするのは、悲劇を通り越して滑稽です らある。でもそういう人が社会的影響力を持つと、笑って済ますことができない 悲劇/矢部善朗弁護士 http://hirono2014sk.blogspot.jp/2014/07/blog-post_91.html


2014-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中: 想像力が欠落した人が多いと、現実的冤罪被害者と将来的犯罪被害者を天秤にか けた場合、/矢部善朗弁護士 http://hirono2014sk.blogspot.jp/2014/07/blog-post_44.html


2つともAPIを使わずにHootSuiteから投稿しましたが、1つめはタイトルが長すぎて8文字超過になったので、先頭の一部分を削りました。


他にもいろいろあると思いますが、いちいち取り上げてあれこれ言っていてもきりがありません。ロースクールの教員をしていたというのも事実らしいので、人に教える立場、導く立場であったことも事実でしょう。


ありがたいことにわかりやすくTwitterのプロフィールに「H25.3までLSの教員もしてました。」と書いてあります。2013年の3月となりそうなので、先の二つのツイートはその教員時代のツイートということにもなりそうです。


私もその想像力で、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のこれまでの私に対する対応や発言が、不利益であったり悪い影響を受けかねないと考え、再考を促す意味も含めて、何度かメンションを送ったのですが、あくまで自分の都合でしか想像力を働かせるつもりはないようです。


これは立場的に、被告訴人KYNともよく似た立ち位置でもないかと思っています。そういうことで同じ項目のタイトル名に並べて書いてきました。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の場合は、インターネット上の関係のみです。


3,4日前になるでしょうか。探していた被告訴人KYNとの会話の録音ファイルを見つけました。やはりファイル名には録音の日時が含まれていました。本名を含めたファイル名になっているので、そのままここで紹介はしませんが、パソコンではなくネット上のサービスに保存したデータです。


それによると最後の会話となった被告訴人KYNの事務所での会話は、2003年1月11日のことで、3つの音声ファイルとして保存し、それぞれ15時台、16時台、17時台になっていました。最後の17時台のものは17時15分20秒と思われる数値の並びのファイル名になっていました。


保存時に日付や日時を自動でファイル名に含めるのは割とあることだと思いますが、やはり録音の開始時刻ではなく、終了した後の保存の時間と考えられます。1月の11日で、当日はどんよりした空模様だったという記憶もあるので、薄暗いかすっかり暗くなった時間だったとも思えます。


このデータというかファイルを発見するまでは、1月の10日頃ということを思い出してはいたものの、2003年の平成15年ではなく、2004年の平成16年のことではと考えていました。


野々市の100満ボルトでボイスレコーダーを買ったあとに、試しの録画をしたことは平成14年12月の20日頃のこととして記憶していました。これは派遣の仕事を初めてまだ日が浅い頃だと思っていたので、割と自信のある記憶でした。


その時のファイルだけなぜか時刻が含まれておらず。12月22日としかわからないのですが、そのWMAファイルをダウンロードして、視聴してみました。4分3秒という情報はプロパティからわかりましたが、Exif情報のような録音日時の情報は保持していないようです。


視聴してわかったことですが、初めに訪問した玄関先での会話の録音になっていました。穏やかで比較的歓迎ムードだったことを再確認しましたが、この時のものは思ったほど録音状態が良くなく、相手の声が小さくなっています。室内や車内とは違うことが影響しているのかもしれません。


昼ごはんの時間での訪問で、出直すと私が言っているのですが、出なおした訪問で家に上がって話をした時も、被告訴人KYNの妻の姿は見なかったようにも思います。たぶん外で食事を済ませてから出直したのだと思いますが、どこで食事を済ませたのかも記憶にはありません。


真脇温泉にいるという被告訴人KYNに電話を掛けて話をしたのは1月1日のことになっていました。(真脇)とファイル名に書いてありますが、16時10分56秒という時刻と思われる記述も含まれています。


被告訴人KYNが正月休みで帰省していた時、ということがわかりましたが、連絡をしたものの会ったという記憶もありません。その連絡の時点で私は、直接被告訴人KYNにあって、踏み込んだ話をするつもりでいたのだと思いますし、それが実現したのが1月11日ということになりそうです。


端末で文字ベースのカレンダーを表示するcalコマンドで確認したところ、% cal 1 2003というコマンドの実行結果では、2003年1月11日は土曜日になっていました。


当時の私の派遣の仕事は4日出て2日休みのローテーションだったので休みに曜日は無関係だったのですが、私が被告訴人KYNのところで仕事をしていた頃は、土曜日は常に仕事で、休みは日曜日だけだったと思います。正月明けでもあったので休みにしていたのかもしれません。


データはインターネット上にあるいわゆるクラウドサービスですが、そのままでは再生ができない様子で、ダウンロードする必要があるようです。再生して視聴すれば新たに思い出すこともあるかとは思いますが、他に済ませておきたいこともあるので、当面は保留ということにしたいと思います。


先に一つだけ言っておくと、その時の会見で最も意外に思ったのは、被告訴人KYNの口から姫のNKさんのことが出たことです。以前から付き合いがあるような話しぶりでもあったと思うのですが、その辺りはしっかり確認をしておきたいと思います。別れ際に近い時間に出た話とも記憶にあります。


時刻は7月29日7時11分です。昨日はまる一日お休みになったかと思います。気になることがあって結局手を付けることができませんでした。長崎県佐世保市での女子生徒殺害事件のことです。項目を新しくして続きを書いていきます。


<2014-07-29 火 07:13> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]


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