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2015年6月30日 (火)

DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月24日

DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月24日
CLOSED: [2014-07-25 金 10:57]
<2014-07-24 木 09:52> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]


昨夜はテレビをみていましたが、「若者たち2014 第3話」が印象的でいろいろと考えさせられました。ネット上のコメントなど反応を見ていて、昭和の時代とかありましたが、時代も人も変わったように改めて思いました。


昨夜の第3話が23日だったので数えてみると、初回を見たのは9日だったことになりそうです。あばれ祭りでの被告訴人KYNの今の姿と重ねあわせながら、昔を思い出しながら見たことを憶えています。


今度の土曜日は、姫の祭りがあるように聞いています。7月26日になりますが、Aコープ能都店などに張ってあるポスターによるとその日は、松波の祭りもあるようです。姫の祭りは昔と日付が変わったような話も小耳にはさみましたが、松波と姫の祭りが同日というのも意外でした。


私の生まれ住む宇出津のあばれ祭りも、以前は7月の7日と8日と決まっていたのですが、今は7月の第一金曜日、土曜日となっています。変わって10年近く経つようにも思います。


姫の祭りは、「どいやさ祭り」というらしいですが、私は近年になってしったことです。そういう名前の祭りは聞いたことがなかったし、「どいやさ」という言葉の意味もよくわかりません。


姫の祭りに行ったのは一度だけだったように思いますが、それより前の中学生の頃にもあるいは行ったことがあるのかもしれません。記憶に残っているのは一度だけで、それが最後に見た祭だったとも思います。記憶がはっきりしませんが、昭和57年か58年のどちらかだと思います。


こちらに情報がありました。→ どいやさ祭|行事案内|能登町役場 http://www.town.noto.lg.jp/www/event/detail.jsp?common_id=861


7月の第4土曜日という記載もありました。2000年より前は1970年代から祭りが簡素化されていたそうです。このあたりは20日に見に行ったばかりの飯田町燈籠山祭りに事情が似ているようです。


よく考えてみると私は昭和58年の7月の20日頃に普通免許を取得し、数日後には藤田自動車の代車のポンコツの車に乗って、東京に住んでいた被告訴人大網健二のところに遊びに行きました。その年の春にオープンしたディズニーランドに行ったことなど、すでに書いている箇所があるかと思います。


車に乗るようになってからの私は単独行動が多くなったとも記憶しています。8月の終わりか9月の初めには金沢市観音堂の被告訴人安田敏のアパートに転がり込み、主に金沢で生活するようにもなっていました。


当時の私は、ビールや酒が苦手で、飲むとすぐに気分が悪くなりましたが、先輩に無理やり飲まされるというのも当時はよくあったことで、とくにその場となったのが、能登各地の夏祭りのことでした。


姫の祭りに行ったのもやはり昭和57年の可能性が高そうです。その時は初めで最後に姫のNKさんの家に行ったことを記憶しています。開放された二階の部屋で宴会のような場面を一つ記憶にしていますが、誰がいたとなるとはっきりした記憶はありません。


大勢いたのは間違いないと思います。高倉漁港の岸壁のあたりが祭りのメイン会場のようになっていたと思いますが、そこでロープで手かあるいは足を縛られて、車で引きずられたことを記憶にしています。


前にも書いたような、書いていないような気がしますが、珠洲市飯田町の燈籠山祭りに行ったのも1回だけでした。これも昭和57年の可能性が高いと思います。


飯田燈籠山祭り - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%87%88%E7%B1%A0%E5%B1%B1%E7%A5%AD%E3%82%8A


上記の情報によると毎年7月20,21日ということで日程の変更というのもなさそうです。その時の祭りで憶えていることは、金沢で暴力団員をやっていたという年上の人物、珠洲○○の本人かあるいはその実家が経営している飲み屋に行ったことです。


被告訴人大網周一から名前はちょくちょく聞いていたのですが、実際に会ったことはなかったし、その時も本人の姿を見たという記憶は残っていません。仲間には岐阜○○という人もいたようで、同じく暴力団の関係者でもあったような感じでした。


○○の部分は普通カタカナで書きそうな二文字です。スナック言うには豪勢な内装の飲み屋であったという記憶も残っています。店の名前も憶えていて、太閤秀吉の時代を連想させる感じさせる漢字二文字ですが、個人的な過去のプライバシーもあるので明確な記載は避けたいと思います。


岐阜○○の方ですが、昭和56年8月28日の早朝、金沢市増泉のアパートに金沢中警察署が踏み込んだ時、トイレの窓から逃走した当時19歳の男とは、知り合いであり仲間であるような話も聞いたように憶えています。上の名前は忘れましたが、ユタカと呼ばれていたと思います。


ユタカは暴走族のメンバーだとは聞いていましたが、暴力団に所属していたという話は聞いていなかったように思います。私や被告訴人大網周一が鑑別所に入っている間に、松任市の私と同じ年の16歳の少女と付き合うようになっていました。


入江のアパートで、当時、松元組の暴力団員だった被告訴人浜口卓也が警察官を装って、シンナー遊びをしていたユタカと少女を驚かしたことも既に書いたように思いますが、その行動から見てもけっこう知っている関係という感じでした。


ただ、驚かされたユタカの方は、警察からの逃亡疲れもあったのか、少女とくっついて寄り添い、言葉も出ないぐらい悲しんでいる様子に見えたのが、印象に残っています。ユタカに会ったのもそれが最後だったように思いますし、その後、岐阜に帰ったような話も聞きました。


被告訴人安田敏と個人的な付き合いが始まったのも、同じ頃で出会った場所も同じ入江のアパートだったと思います。ただ、そのあたりも記憶が曖昧になっています。


晩秋から冬の時期だったと思うのですが、私はけっこうな頻度で、被告訴人安田敏と遊ぶようになりました。他の仲間は被告訴人安田敏との付き合いを避けているような状況でもありましたので、被告訴人安田敏が初めに松原病院に入院した後だったようにも思うのですが。


被告訴人安田敏とは、よく浅野本町の大学生の下宿のような場所に行きました。古い木造アパートのようでしたが、部屋にはトイレもなく、共同になっていたように思います。まるで漫画やドラマに出てくるような世界でした。


被告訴人安田敏がなぜそこに出入りするようになったのか、当時は説明も受けていたように思いますが、まるで記憶には残っていません。歯科技工士の学校に通っているという人が、何人かいたようなことは憶えています。


被告訴人安田敏とは、金沢市北安江の会社の事務所の二階に寝泊まりをしていた一つ年下のKAのところにも、連れて遊びに行ったことを憶えています。同じ頃、KAを連れて、金沢市笠舞のアパートに遊びに行き、末町の少女THらと、金沢駅前で写真撮影したこともありました。


被告訴人安田敏を笠舞のアパートに連れて行くようなことは一度もなかったです。それははっきり憶えていますが、末町のTHと被告訴人安田敏の面識も、ほとんどないようなものであったと思います。


既に書いていると思いますが、確か出稼ぎに行くという理由の、被告訴人安田敏の送別の場になった片町の飲み屋で、働いていたのが末町のTHと瓢箪町のNMです。二人とも年は私より1つ年下だったと思います。詳しい話は忘れましたが、働いているというより店を任されているという感じでした。


その時は被告訴人安田敏と松波のAKさんと私の3人で、ボックス席に座って飲んでいたような場面を記憶しています。カウンターには他の客もいて、忙しそうな感じで、二人の女性とは挨拶程度で、ほとんど話す機会もなかったような記憶が、ぼんやりですが残っています。


時刻は22時33分になっています。直前の行というかツイートは、半分ほど書きかけで中断していたものです。夕方には宇出津新港に買い物に行ったり、戻ってからもテレビを見ていました。


地デジのテレビなので、テレビの中に番組表がありますが、20時ちょっと前に気になる番組を見つけ、すぐにそちらにチャンネルを変更しました。次の番組ですが、廣野秀樹(@hirono_hideki)でツイートしたものの、本文コピペとします。


奇跡体験!アンビリバボー実録!日本の衝撃事件簿スペシャル 2014年7月24日(木) 19時57分~21時48分 の放送内容 http://ow.ly/zx2SL


奇跡体験!アンビリバボー - Yahoo!テレビ.Gガイド[テレビ番組表] http://ow.ly/zx2PU 【実録!日本の戦慄殺人事件!!平穏家族が一瞬で崩壊!未来奪った犯人たち】妻の目前で愛する夫が突然逮捕!本名も違う男の素顔は連続殺人鬼▽密室殺人の謎…


放送時間を見ると始まった直後から見ていたことになるかと思います。2時間弱の番組でしたが、終わってみると2本立ての構成になっていたようです。共通した感想としては、発覚、逮捕を免れるためにはここまでやるものか、ということでした。


一つ目の事件は、不動産関係者か大家がタクシーに置き忘れた所持品の中の鍵を使って、たまたま入居していた新婚夫婦が手斧で惨殺されたという事件でした。現在の貨幣価値で57万円とか出ていたように思いますが、失業保険の不正受給が、金銭目的の動機ともなっていたとことです。


番組で取り上げられていた2つ目の事件は、二人の殺人事件の逃亡から身元を隠すため、さらに2件の殺人事件を起こしたという内容でした。時代背景も異なっていて昭和33年ころの事件のようでしたが、ここまで考え抜き、行動にするものなのかと思いました。


一見すると全く無関係に見える事件の真相を見抜き、追いかけていった当時の警察の執念と直感、行動力というのも参考になりました。


今日は被告訴人安田敏のことを書いてきたと思います。金沢市浅野本町の下宿のような古いアパートですが、けっこうな回数行ったような記憶があり、その場には必ず被告訴人安田敏がいたはずです。


おじゃまんが山田くん - Wikipedia http://bit.ly/1mIPSUl 放送期間は1980年9月28日から1982年10月10日まで。フジテレビ系列(一部系列局除く)で毎週日曜日19:00から19:30の枠にて放送された。


この手のテレビ番組はネット上での情報がまとまっているので助かりますが、昭和55年から昭和57年10月までの放送だったようです。ちょうどリアルタイムな時期の番組だったと考えられますが、このアニメ番組の内容とも重なるイメージの古い木造アパートでした。


アパートというよりは共同住宅という言葉がふさわしいものであったかもしれません。当時も私のまわりでは他に見かけることない居住形態でした。風呂なし、炊事、トイレ共同のアパート言う感じでしょうか。


現在は跡形もなくなっていると思いますが、大体のその場所をGoogleマップで探して、緯度経度情報などを明らかにしておきます。たぶん外見からは、下宿のようなアパートだとは誰も気が付かなかったと思います。


石川県金沢市浅野本町ロ176 - Google マップ http://bit.ly/1mITcii


だいたいの場所です。Googleマップの航空写真で見ると広い道路沿いに面した建物が多く、相当古くからあると見える瓦屋根の家も散見されます。私の記憶ではアパートの建物は、広い道路から家一軒分は奥まっていました。その手前が駐車場のような空き地になっていたかもしれません。


似たような共同住宅のようなアパートは同じ頃、他にもありました。はっきりした違いは浅野本町の方は、ほとんどというか私が見聞きした範囲の全部が、学生だったということです。大学生もいたように思いますが、専門学校生もいたようです。当時は専門学校というのは珍しかった気もします。


もうひとつのアパートは金沢市笠舞にありました。


石川県金沢市笠舞本町 - Google マップ http://bit.ly/UqmWJS


今調べてわかったのですが、笠舞というのは大通りの赤坂プラザ側に集中しているようで、反対側が笠舞本町になるようです。中学校は城南中学校と聞いていたようなことも思い出しました。


既にある程度は本書で書いていると思いますが、小立野の少年鑑別所で知り合ったITのアパートでした。父親がそのアパートの大家という話で、2階の一室に住んでいました。私の記憶では部屋にはトイレも、炊事の流しもなかったように思います。


その直前までは金沢市森本のマンションのようなところにいました。すでに何度も出ている神野のKMと、被告訴人大網周一の同級生のFKと4人で、いたのはそのFKの姉のマンションでした。


多くて5万円程度だったと思いますが、まとまった金を持っていたのは被告訴人大網健二だけでした。金沢で仕事を探すという目的で4人で宇出津から出てきたのですが、付き合いだけで同行していたのは私だけでした。


当時、私は少年鑑別所を出た後の試験観察中で、親元である宇出津での居住が義務付けられていたので、金沢で仕事を探すこともできなかったのだと思います。


夜、布団に入ってけっこう時間が経ってから、神野のKMがFKに話しかけたのですが、被告訴人大網健二の所持金をあてにして、少しでも金を減らさないために、説得して私を宇出津に帰らせなければならない、などと話していたのです。


私は眠れずにいたので、その会話を一部始終聞いていたのですが、翌朝になると被告訴人大網健二に誘われて、二人でそこを出ました。しばらくしてから被告訴人大網健二も聞いていたという昨夜の神野のKMの話を聞かされました。利用されたことに腹を立てた様子で飛び出したと話していました。


いきなり笠舞に行ったのではなく、その前に一晩は、尾張町の被告訴人大網健二の金沢高校時代の同級生の家にやっかいになりました。あるいは二版ぐらい泊まったような気もしますが、3日以上の滞在ということはまずなかったと思います。


尾張町は金沢市の中心部の一角で金沢地方検察庁にも近いですが、大通りから検察庁とは反対側に少し入ったところの家だったと記憶しています。それまでの私の生活では見たこともない豪邸のような家でした、鉄筋コンクリートの家で瓦屋根はなかったように思います。


その被告訴人大網健二の友人の部屋に匿われたような感じだったと思います。家族に紹介を受けるようなこともなかったと思うます。逃亡生活にも近い感じで居心地も良くはなかったです。


この先、どうしたものかと思案していたところ、ふとひらめくように思い出したのが、鑑別所で同じ部屋だったITの電話番号でした。30人程度の暴走族のリーダーをしているとも話していましたが、なかではけっこう意気投合もしていて電話番号を教えてもらっていたのです。


電話を掛けたのは夜遅い時間だったと思いますが、歓迎するというような返事を受けて笠舞に向かいました。被告訴人大網健二が所有していた400ccのバイクでしたが、その時はカワサキのGS400だったように記憶しています。2気筒エンジンです。


被告訴人大網健二が所有していたバイクといえばカワサキFXの印象が強いのですが、FXは400ccの4気筒エンジンでした。


昭和57年の5月頃には水産高校のグランドの前に緩いカーブで、民家のブロック塀に接触して横転しました。その事故でけっこう長い間、宇出津病院に入院していました。一月以上は入院していたと思います。2ヶ月ぐらいという可能性もあるかと思いますが、最大で3ヶ月ぐらいでしょうか。


その事故の時、私はすぐ後ろをホンダのホーク2に乗って走っていました。同じく400ccのバイクで2気筒です。中型二輪の免許でしたが、6月に初め頃には県警本部で免許取り消しの処分を受けていたので、事故もその前だったはずです。


当時のこととして、被告訴人大網健二が腕にギプスをつけたパジャマ姿で写っている集合写真もあったかと思います。腕を複雑骨折して腕の中に太い鉄を入れたという話でしたが、病室では寝たきりの様な動けない状態であったと記憶にあります。


その昭和57年の9月の5日か7日ぐらいに私は名古屋に行ってのですが、その時には退院をしていて、金沢まで見送りに付き合ってくれたようなことも、津幡に近い8号線バイパスのラーメン屋で、夜遅くに食事をしたことと一緒に記憶に残っています。


当時の人間関係に嫌気がさし、警察に捕まって鑑別所や少年院に送られるようなリスクを避けたいという思いもあって、私は名古屋に行くことを決めたのです。


書いているうちに思い出しましたが、蛸島の暴力団員が被告訴人大網周一にあてがった田浦の民家でのチャンスボールという輪姦行為、それに被告訴人大網健二が参加をしていた場面を思い出しました。腕の怪我の様子はなかったと記憶にあります。


殴る蹴る脅すという行為はなかったので、純粋は強姦ではなかったのかもしれませんが、すすり泣く少女の姿もあったので、かなりきわどいものではあったと思います。


発案し命名したのも被告訴人大網周一だったと思います。笑いながらゲームのように性行為に及ぶというのが、特徴の一つだったかと思いますが、二人目が行為に及ぶ時が正念場ということにもなっていました。


当時は私も17歳で少年だったのですが、お供え物のような慰みものした少女は主に珠洲方面から被告訴人大網周一が調達してきていたようです。なかには馬鹿笑いをして一緒に楽しんでいるような少女もいましたが、ごく稀だったと思います。


あるときは、家に送り届ける少女と車で同乗しましたが、被告訴人大網周一が人に言うな、言うとお前が警察に捕まるなどと本気で説得するのを見たいたこともありました。少女と言っても私よりは一つか二つ年上のようでしたが、ある程度は信じているような様子でした。


当時の被告訴人大網周一を中心にした人間関係というのは、人が集まっていてその場で一人だけがジュースを飲むのは許されないような事実上の規律があり、飲むときは全員に行き渡らせるというのが被告訴人大網周一の価値観であり、美学でもあるという感じでした。


被告訴人大網周一にしてみれば、チャンスボールは、先輩方との人間関係をよりよくするための、場の提供であり、接待という意味合いが強かったと思われます。


当時は六法全書というのはアナーキーの歌の歌詞で知っていましたが、刑法という法律の内容については全くの無知で、強姦罪の量刑の重さも知りませんでしたが、恐怖の声と泣き叫ぶ少女に性行為に及ぶ状況を目にしていれば、とんでもないことになりかねないという思いはありました。


そこまで嫌がったという少女の姿を見たのも一度だけでしたが、夕方だったのかまだ明るい時間でした。民家は玄関を入って左右に部屋がありましたが、普通に集まっていたのは左側の宇出津の町方向の部屋でした。


輪姦の場にされていたのは右側の部屋でしたが、部屋全体が絨毯で敷き詰められたような異様な部屋でした。絨毯は紫色だったかもしれません。


その部屋に少女を連れ込み性行為に及ぶ、そして行為を終えると部屋を出て、入れ替わりで次が入るというのが恒例のパターンでした。


私自身、一度だけ参加しましたが、馬鹿笑いをしているような少女で、それだけにその場も盛り上がっていました。先輩に背中を押されて3人で部屋に入ったのですが、体は触ったものの性行為には及びませんでした。体裁を繕ったということにもなるかと思いますが、欲望が先走ることもなかったです。


時刻は7月25日8時23分です。外が明るくなる頃まで起きていたので、余り寝ていないのですが、蒸し暑さもあって目がさめてしまいました。項目を改めて続きを書きます。


<2014-07-25 金 08:25> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]


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