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2015年6月30日 (火)

DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月10日

DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年7月10日
CLOSED: [2014-07-11 金 20:52]
<2014-07-10 木 12:59> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]


宇出津の図書館に来て作業を始めようとしたのですが、Wifiに接続すると昨日のTwitterへの投稿分が、実際には投稿されていなかったことに気が付き、それを投稿しました。スマホのモバイル通信は負担が大きいので契約を寛恕し、携帯機器でのWifiを使っています。


一番安い料金プランにしているので月のデータ量が200MBしかありません。自宅で普通にインターネットを使っていると普通に1時間ほどで使い切ってしまいそうなデータ量です。


昨日の通信データを今日の昼前に確認したのですが1.4MBになっていました。TwitterにもAPIを使ったテキストデータの投稿をやっていて、確認のためにTwitterのページを読み込むときもテキストブラウザを使って、画像などを読み込まないようにしているので、期待以上のデータ量の少なさでした。


自宅でインターネットを使っていれば通信データは使い放題ですし、6月6日に光通信に切り替えたところなので、通信速度も不満のないスピードです。特に上りのアップロードでは前のADSL回線より軽く30倍以上の速度が出ているようです。


ただ他のことなど諸々と出費もかさみ、年間の支払いもあるので経済的にはかなり厳しくなっています。そのぶんも集中してこの告訴状の作成に取り組みたいと思っています。


図書館に来る一番の理由は暑いからです。家にはクーラーがありません。特に午後は西日が射して暑くなります。図書館にいる間はインターネットは最低限の使用しかできないので、テキストつまり文章の作成にのみ専念します。


昨日は百満ボルトのことを書いたと思いますが、今思い出すと100満ボルトという店名が正しかったと思います。住所は野々市ですが、先日たまたまCMをテレビで見たところ、金沢本店と出ていました。


御経塚の交差点から陸橋に上り、それを降りたところにある交差点を左折し、少し行ったところにある店舗です。そういえば以前、被告訴人大網健二に付き合いを頼まれて二人でその店に行き、彼がディスクトップのパソコンを買ったようなこともありました。


ずっと忘れていたことでしたが、今ふと思い出しました。一括で現金払いかカード払いをしていたような気もします。時期がはっきりしませんが、平成11年かもしれません。彼の自宅に行き、そのパソコンを見たという憶えもありません。


ここでも記憶と事実の整理をしておきたいと思いますが、私がまともに被告訴人大網健二の円光寺の自宅に遊びに行ったのは1回だけでした。平成9年の1月に福井刑務所を出てから、まだ日の浅い頃でした。


どうやって行ったのかは憶えがないですが、彼の車で連れて行ってもらったことは間違いないと思います。車以外となるとバスですが、私は一度もバスで円光寺の周辺には行ったことがありません。


夕方遅い時間に家に行き、奥の方の居間のような部屋で、彼の妻と再会したことも印象的に憶えています。気持ちを込めた作り笑いにも思えなくはなかったですが、満面の笑みでこころよく迎え入れてくれました。夕食も振る舞ってくれたのですが、天ぷらが出たようなことを微かに憶えています。


食事を終えたあとか、あるいはその前だったような気もするのですが、野々市の方のスーパー銭湯のようなところに行き、風呂に入りました。金沢の周辺ではよくある大きな銭湯です。彼の子供が一緒だったような気もするのですが、記憶ははっきりしません。


割と早い時間の就寝ということで被告訴人大網健二らは二階に上がっていき、朝まで姿を見せることもなかったと思います。私は居間でコタツに毛布をかぶって寝たように思いますが、なかなか寝付けずテレビを見ていました。


深夜帯かそれに近かったように思うのですが、南野洋子か中山美穂のどちらかが主演の映画で、寒村の浜辺が舞台のような映画をやっていました。ずいぶんと貧しい生活が描かれていたようにも思いますが、映画の筋書きなども記憶にはありません。


どちらの女優かもはっきり思い出せず、名前の感じが違っている可能性もあるので、あとでなるべくなら調べて正確な情報を書いておきたいと思います。


翌朝は、被告訴人大網健二が仕事に出かける車に同乗して、金沢市神田の合同庁舎まで送ってもらいました。目的は労働基準監督署です。それ以外には考えられません。その建物に労働基準監督署があることは随分前から知っていましたが、実際に訪れたのはその時が初めてだったと思います。


ただし、労働基準監督署に相談に行ったのはそれが初めてではなく、初めに金沢市場輸送に入社した昭和59年1月の少し前まで働いていた会社のことで、相談に行き、労働喜寿監督署の職員と一緒にその会社に行ったことは一つの場面として記憶にあります。


私の記憶の中では、神田の合同庁舎と大手町の金沢地方検察庁の庁舎の建物というのは、だいたい同じ頃に出来たという気がして、以前は新しい建物というイメージも強くありました。ただ、どちらも建設中の様子は見た覚えもなく、建物が出来る前のその周辺の状況も記憶にはありません。


その時、途中までは被告訴人大網健二の妻も同乗していました。途中の町中で降りていったのですが、寒空の中でのことでした。日本生命の保険外交員の仕事をやっていて、そのまま営業の仕事に回る、というような話でした。


労働基準監督署に行ったあとは、金沢地方検察庁、裁判所、金沢西警察署にも行ったように思います。裁判所の場合だと、室内に招かれて本格的な話をしたのは、2階の階段を登ってすぐの部屋で、名古屋高裁金沢支部の刑事部でした。


裁判所に行ったのであれば、すぐ近くの金沢地方検察庁にも行ったと考えられるのですが、当時はっきりした用事で金沢地方検察庁に行ったのも一度だけで、刑事特別部のゴダイという人に会った時のことでした。


その時は、三階か四階の喫煙所のような場所で話をしました。待合室と喫煙所がほとんど一緒になっていたようにも思いおます。正面から建物をみれば、右端の側面の部分で、窓の下には若杉幸平弁護士の法律事務所も真下 近くに見えたのではとも思われる位置です。


その頃はただの通路にも見えた場所です。そうやって考えてみると私は平成9年に福井刑務所を出てから今まで2回しか、金沢地方検察庁に行ったことはないということになりそうです。


2度めに行った時というのは平成18年10月の初め頃のことです。提出する告訴状の書面を携えて約束していた時間に合わせて行きました。ゴダイさんに以前会った場所とほぼ同じだと思いましたが、その時はすっかり待合室という感じになっていて、参考人に対する心構えのような手引も壁に張り付けて。


その時会ったのは検察事務官の遠塚さんでしたが、捜査官室という部屋に招かれてそこで話をしました。五台山の時は、事実上立ち話のようなもので終わったと思います。


金沢地方検察庁には一度だけ再審請求に必要と言われた判決謄本をもらいに行ったことも記憶にあります。これは一階かあるいは地下一階の場所で受付をしたように憶えていますが、外に収入印紙を買いに出たことも憶えています。


その判決謄本をもらいに行った時期も現在思い出せなくなっているのですが、交付の時に対応を受けた職員が、以前に見た遠塚さんに似ていると思ったように思うのですが、その後どれくらいあとかもわかりませんが、謄本に遠塚という名前が書いてあることも見つけたという記憶があります。


捜査官室で会った時の遠塚さんの上司と思われる人の名前も、今現在思い出せなくなっています。普通には変換できないような感じが含まれていました。


書いているうちに思い出すことが出来たのですが、「とま」という人でした。戸のあとの一文字が、間ではなく見たこともない感じになっていましたが、間には近い感じではなかったかと思います。


電話で自ら名前を名乗り、難しい漢字についても説明を受けたように思います。はてなのブログを検索すれば、当時の詳しいことを見つけ出すことが出来るとは思いますが、今は自由にインターネットを使えない環境です。


すでに平成19年の4月1日の公訴時効を過ぎてからであったと思いますが、電話で告訴状の受付に関しては公訴時効と関係なくやり、必要があれば、とか行っていたのもその「戸ま」さんだったと思います。


その「戸ま」さんの後任と思われる人の名前も、今現在思い出せなくなっています。わりとよくある覚えやすく思い出しやすそうな名前だったのですが・・・。岸田という名前だったかもしれません。余り記憶に自信が持てなくなっていますが、Twilogでも確認はできそうです。


円光寺の被告訴人大網健二の家のことに関する説明に戻りたいと思います。まともに家に入ったのは一階ぐらいと書きましたが、夕食をごちそうになって泊まった日のことです。


他に二回ぐらい、玄関から入ってすぐ右手にある部屋に招かれて、そこで何かをしたということがありました。一回は、Nテックの飛び込み営業に使うための背広など服やズボンを貰いに行った時ではなかったかと思います。


Nテックの話が始まったのは平成11年1月の20日頃だったと思います。似たような時期に2回ぐらい同じようにその部屋に入ったのですが、縦に垂直型のピアノが置いてあったような気もします。


円光寺というのは私にしてみれば、同じ金沢市内でもかなり遠く感じる場所でしたし、仕事以外では滅多に行くような場所でもありませんでした。既に書いていると思いますが、その近くの山科に堀田建設の現場があった平成11年の春には毎日のように通う時期もありました。


野々市の100満ボルトでボイスレコーダーを買った話を書いていたのでした。繰り返しになると思いますが、平成14年12月の20日頃のことでした。


当時私は、派遣の仕事を始めたところで、一月近くが経って仕事も生活も慣れて落ち着きが出た頃だったと思います。初めての派遣会社の派遣先でもありましたが、志賀原発で有名な羽咋郡志賀町の能登中核工業団地のなかにある光ケーブルの工場で派遣の仕事をしていました。


当時は毎日3時間の残業があって4日出勤の2日休みではなかったかと思います。工場自体は24時間のフル稼働なので、土日というのは関係なかったはずです。


野々市の100満ボルトは、以前行った時とは違い、大きなビルのホテルにも見えるような建物になっていました。けっこう長い時間、店内でいろいろな商品を見ていたと思いますが、買ったものとして記憶に残っているのはボイスレコーダーだけです。


初めからボイスレコーダーを買うことを目的に店に行ったのではなかったような気もするのですが、思っていたより価格も安く高機能なボイスレコーダーを見つけ、手にとったものをたまたま買ったような気もします。いわゆる衝動買いです。


同じ頃で数日後の年末に近い頃だったという気がするのですが、金沢市入江のオートバックスというカー用品の店に行き、そこでカーオディオを買い、乗っていた軽四に取り付けてもらったような覚えもあります。


ボイスレコーダーを買った時は、そのまま金沢市黒田の被告訴人KYNの家に行きました。昼過ぎの時間だったようにも思うのですが、彼が家にいた事と、いるだろうと疑いなく訪問したことを考えると、日曜日であった可能性も高そうです。


ただ、一方で野々市の100満ボルトでは、出入口で福引のようなイベントもやっている大売り出しだったとも記憶にあるのですが、その割には客の姿が少なくて、平日のような雰囲気があったという記憶も残っています。


買ったばかりのボイスレコーダーは、訪問した被告訴人KYNとの会話で使ってみました。上着の内ポケットに忍ばせていたのではと思いますが、期待以上に鮮明な音声で録音ができていて、これは使えそうだと思ったことを憶えています。


被告訴人KYNの家でパソコンを見たのも、その時だったかもしれません。家電ショップによく置いてあるようなディスクトップのパソコンでしたが、比較的高価なもの見えました。スペックもけっこう高かったような気がします。


訪問した時も家に上がって話をしていた時も、被告訴人KYNはずいぶんとおだやかな感じであったと思います。私の方でも彼が警戒したり、気に触ると思うような話題は避けたように思います。記憶に残っている会話というのもパソコンのことぐらいかと思います。


30分から長くいて一時間だったようにも思いますが、その後のことも記憶には残っていません。人間的な彼との関係は平成11年の時点で破綻していると思っていたし、自分の想像を超えたような事情もあるのかと考えていたと思います。


その後も連絡をとるようなこともなかったと思いますが、昨日辺り書いたように、彼の宇出津の家の方や、あるいは宇出津に帰ってきていると知った上で掛けた携帯電話で、電話に出た被告訴人KYNが真脇温泉にいると話していたようなこともありました。


よくよく考えるとその時の電話が、金沢での最後の会見につながったのかもしれません。そういえば正月の休みが明けた頃であったようなことも、割とはっきりした輪郭として浮かんできました。やはり平成16年の1月ということになりそうです。


自信が持てるほどの記憶にはなっていないのですが、やはり買い換える前のホンダの軽四に乗っていた可能性が高いと思います。なにか車に不調があって、停めた車の下の方を覗きこんでいたよう気もしてきました。致命的な故障を起こす予兆のような段階になっていたことも、あるのかもしれません。


たまたま買ったワグナーのCDを聴いていたことも思い出してきました。それでカーオディオをいじくっていたというのが実際で、車の不調というのは無関係だったのかもしれません。車の事で何かあったということは割と印象的に憶えていたのです。


ワグナーにはマイスタージンガーという有名な曲がありますが、何かで町の職人というような説明を見た覚えがありました。被告訴人KYNが平成9年から11年にかけて、私に対してやった工作的活動は、職人芸を思わせるものでもありましたし、壮大な演劇を思わせるものでもありました。


シェークスピアとか直接にはほどんど読んだ覚えもないのですが、その評価というのは雑学的にいくつかの本の中で読むことがありました。


野々市の100満ボルトからボイスレコーダーを持って訪問した時は、飛び込みに近かったと思いますが、最後の会見の時は、事前にしっかりと連絡で会う日時や場所を決めていたと思います。私もそれだけの気構えで臨みましたし、彼としてもそのあたりは察していたものと思われます。


その時は彼の自宅ではなく、以前は会社の事務所のようにもなっていた。隣の民家の方で初めに会ったように記憶しています。その隣の家については、まだ十分な説明をしていないように思いますが、少しは触れたことがあるはずです。


3ヶ月ほど前になりますか、Googleのストリートビューでは、黒田の被告訴人KYNの自宅も、その隣の奥の方の家も、平成11年の1月当時とも余り変わりのない様子で写真が出てきました。さすがにそこまではと思い、公開も控えてきました。


平成10年の9月ころになるのではと考えているのですが、被告訴人KYNがその隣の奥の家を買うとか言い出しました。言い出してから本当に買うまでも早かったと思いますし、すぐにその家に出入りをするようになっていました。


同じ頃、被告訴人KYNは1億とか2億の借金をするとか、したと話していました。はっきりとは思い出せなくなっていますが、1億とか2億という区切りではなく、1億5千万円とか、そういう金額を口にしていたように思います。


宇出津に本店のある興能信用金庫に借りるような具体的な話もしていました。いしかわ動物園での配管の仕事が本格化した頃にも近かったような気がしますが、その仕事は春の頃から始まっていたようにも思います。


他にもあったのですが、いしかわ動物園でのメインの仕事はアザラシとかの水族館の配管工事でした。かなり複雑な配管で特殊なバルブのようなものも多数取り付けていたと思います。


契約の内容など知らないので、正確なことはわかりませんが、そのような配管やバルブなどの材料費も持ち出しになるのだとすれば、相当な金額にはなりそうなので、そういう費用を含んでの借金なのかと考えることがありましたが、経験もないので現実的にとらえることのできない金額でした。


なお、今も同じ宇出津の図書館にいるのですが、昨日たまたま手にとった本の中の宇出津の能登町役場の工費について2億9千万円と書いてありました。「能都町町制25周年記念 郷土の歩み(歴史伝承)」という本です。


昭和46年4月に建設工事に着手。昭和48年7月をもって完成、とも書いてあります。足場を組んだ建設中の能登町役場の写真もあるのですが、私には建設中のこともその前の状況も、全く記憶には残っていません。


時代が違うし貨幣価値の異なることもありますが、総工費と思われる金額が2億9千万円というのは意外でした。いしかわ動物園の総工費も調べれば、情報を得ることができるかもしれません。


隣の奥の民家ですがそれほど広い土地でもなく家も古かったので、私としては3千万円がいいところかとも考え、すぐに手を出したくなるような掘り出し物であれば2千万円にも近いのかもしれないと考えることはありましたが、契約は個人間や業者相手のことなので、正確なことはわからないと。


どうも気が付かない間にWifiの接続がきれていたようです。接続というよりはモバイル機器の電源がオフになっていました。だいぶん前にさかのぼってツイートしなければなりません。


あとになると思いますが、被告訴人大網健二がその隣の奥の民家について、自分が紹介をしたような話をしていました。それだけではなく、その大家のような人のことも話していたと思います。


当時の私としては他に気がかりなことがあったためか、それほど重く、深くも考えずに聞き流していたようにも思うのですが、大家のような人というのは高齢の女性のようで、なにか工場をやっているような話で、屋根の方の手伝いがなんとかと言っていたような気がします。


さらにいえば、私は被告訴人大網健二と二人でその工場のようなところに行き、なにかをしたような気もするのですが、それもごくごく曖昧な記憶になってしまいました。工場というのは間明から玉鉾の方面だったような気もするのですが、昨夜見た夢の内容を思い出すような感じで、雲をつかむようです。


隣の奥の家の購入が、被告訴人大網健二の仲介によるものという話は一度も聞きませんでしたし、そんな重要な売買であれば直接顔を合わしに被告訴人大網健二が来ることはあったはずと思えます。


被告訴人大網健二の姿は不思議なぐらい長い間、さっぱりと見ることがありませんでした。被告訴人大網健二が被告訴人KYNのところに顔を出すようになったのは平成10年の11月になってからだったと思います。


既に書いていると思いますが、西金沢の駅の近くの小料理屋のことがきっかけでした。雨の降る夜だったとも記憶にありますが、配管ではなくエアコンの工事がなんとかと話していたような気もします。


その小料理屋に関しては、半年ほど前になりますかGoogleのストリートビューで、それらしい店を確認しています。店は平成10年の秋に出来たばかりの状態だったので、15年程度だと新しいままに見えていると思いますが、西金沢駅を含めた周辺の景色というのは、物凄く激変して見えました。


店の名前は「一水」だったと思いますが、インターネットを自由に使える家に戻ってから確認するつもりです。


とにかく3人でその自宅を兼ねたような店舗の家に行った時は、建築工事が完成したばかりという感じでした。荷物のようなものは何も持ち運ばれてはいなかったと記憶にはあります。


配管の工事の話でなかったことは間違いないと思いますし、配管の工事に問題があれば施工をした業者を呼ぶのが当たり前かと思います。極力安上がりにするためエアコンの工事の相談を持ちかけてきたように見えましたが、どこか腑に落ちない話にも見えました。


エアコンといえば、その平成10年の夏、私は生まれて初めてエアコンを買ったのですが、それは被告訴人KYNも関わりのある業者の集まりでの会場のことであったと、これもぼんやりですが記憶にあります。場所も金沢の西の方ではなかったかという程度しか思い出せない話になっています。


業者間のしがらみや付き合いのようなものがある場であったと思いますが、とにかくエアコンを買いました。被告訴人KYNの勧めもあったのだと思いますが、取り付けを手伝ってやるという話があったはずです。


実際に被告訴人KYNが北安江の借家に来て、二階でエアコンを取り付けるのを手伝ってくれたという場面も記憶に残っています。その時のも仕事でエアコンの取り付けはやったことがあるとか、することがあるとは話していたと思います。


ついでに書いておくと業者の集まりの会場には最新機器のお披露目のようなものもあったと思います。いろいろとブースがあって、食べるものや子供を楽しませるようなものも多かった気がします。被告訴人KYNは家族連れで参加していたように思います。


隣の奥の民家を購入するまでは、被告訴人KYNの自宅が仕事場や事務所を仕事関係のすべてを兼ねていたと思います。見た目は普通にある住宅で目立つような看板も出てはいなかったと思いますが、人の出入りはそれなりにありました。


別の言い方をすれば被告訴人KYNの家族の生活と仕事が一緒くたになっていたわけですが、隣の奥の家を購入してからは、朝仕事に来た時も帰る時も、被告訴人KYNの自宅ではなく、そちらに顔を出すようになりました。


被告訴人大網健二の姿を被告訴人KYNのところで見るようになったのもそれからだったと思います。私が被告訴人KYNのところで仕事をすると決まる前後の一定の間は、ちょくちょくと顔を出していたように思いますが、まったくといっていいぐらい姿を見せなくなっていたように思います。


被告訴人KYNのところでの仕事というのは朝は7時に出勤になっていたと思います。初めは7時半だったきもするのですが、私が入って2,3日後には7時になった気もするのです。ずっと7時だったので余り気にはしなかったですが、そういうこともあったかと思います。


休みというのは日曜日だけだったと思います。日曜出勤というのも皆無ではなかった気もしますが、ほとんどはなかったと思います。


現場で仕事を終え 片付けてから帰ってくるので、18時から19時の間に帰ってくることが多かったような気がします。事務所が隣に移ってからは、その後の解散までの時間も長くなりましたが、もちろん必要な打ち合わせもありました。


配管の仕事というのは現場の仕事だけではなく、図面を見て部品を拾い出し、それを注文したり、買いに行くという仕事もありました。


親方である被告訴人KYNの場合は、見積書の作成というのもよくある仕事で、買う気のない客と同じで無駄な見積書を書かされることも少なくないと愚痴をこぼすこともありました。


一水のことで被告訴人大網健二が顔を出して以来、私ともちょくちょく会うようになりました。そんな頃から総合建設業を目指すとか夢のような話を語るようになり、兄貴の大網商事をそのようにしたいなどと構想を語るようになったのです。


あれこれと話を聞いていても具体性のある話とは思えませんでしたが、被告訴人KYNが隣の奥の家を買うと言い出し、それを現実にものにしたということもあったので、それなりには話を聞いていました。


そのうち大網商事の社員教育として講師を招き経済学だかの話を聞くので、被告訴人KYNに場所を貸してくれと頼んでいました。指定した場所というのがその隣の奥の家です。


変な言い方をすれば夜逃げをしたあとの抜け殻のような家でした。事務所のように使っていたのは玄関からまっすぐ入った板張りのダイニングキッチンのような部屋でした。事務所らしくなったのはリフォームの工事をした翌年つまり平成11年の1月下旬のことです。


講師というのも大学の先生のような話でした。呼ばれた方もさぞや驚くのではないかと想像もしましたが、とてもまともな話とは思えなかったです。


時刻は7月11日10時18分です。ツイートされているか今確認したところ最後のツイートが16時間前になっていました。図書館から戻ってからも書くつもりでいたのですが、昨夜はケンミンショーのテレビを見たりしてのんびりしました。


今日も朝食を兼ねた昼前の昼食を済ませてから図書館に行こうと思っていたのですが、ネットの天気予報では能登町の一番上がる気温で25.1度になっていたので、家でも暑さを気にせず過ごせそうです。もっと気温が低いはずの今でも蒸し暑ので、扇風機を弱風にしています。


扇風機を3日ほど前に出したところですが、その頃から右肩に少しですが神経痛のような痛みを感じています。寝違えたのかと思い、すぐに治ると思っていたのですが、今までに経験がなく3日ほど続いているので少し気になっています。


図書館にいる間は右肩の痛みもほとんど気にせずに過ごしていたのですが、その辺りもちょっと気になるところです。湿度が関係しているのかもしれません。梅雨の時期はそういうことがあると聞いたことがあります。


昨日になりますが次の気になるニュースもありました。気になっても最終的な結果が出たということなので、結果が変わることはないと思いますが、刑事事件、刑事裁判についてよくよく考えさせられる裁判の一つです。


舞鶴女子高生殺害事件で無罪確定へ NHKニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140710/k10015897101000.html


2008年の5月の事件であったと知りましたが、私がまだ羽咋市で生活していた頃の報道にもなりそうです。当初から京都の弁護士が積極果敢な弁護活動をしたということでも印象に残る事件でした。私が京都の弁護士界に特別な注目をするようになった契機でもあります。


変わって、一昨日になるのかと思いますが、PC遠隔操作事件の公判に関する報道があったのですが、テレビでは報道を見かけませんでした。細かいこと正確なことは必要にも応じ、廣野秀樹(@hirono_hideki)のTwilogを見てください。そのためのツイートでもあります。


昨夜の続きで録画していた昨夜の19時のNHKニュースをみていました。ほとんどは台風8号関係の災害報道だったので、途中からベネッセの個人情報情報流失の辺りまで早送りしたのですが、先ほど最後まで視聴したものの舞鶴の事件の無罪確定の報道は、私として確認することができませんでした。


ベネッセの個人情報流失のニュースですが、流失された情報をジャストシステム社が入手していたという問題が発覚し、株価がなにかの最低まで下がったとかNHKで言っていました。しばらく前にパソコンで見た次の落合洋司弁護士(東京弁護士会)のツイートもきになっていたところです。


2014-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中: だらだらと一太郎を買う人がいたから、ジャストシステムが存続してしまい、流 出情報大量利用につながってしまった、という見方も/落合洋司弁護士 http://hirono2014sk.blogspot.jp/2014/07/blog-post_11.html


2014-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中: ジャストシステムは、時代遅れのワープロソフトを売るだけでなく、流出情報で 世間に多大な迷惑までかけちゃったんだな。/落合洋司弁護士 http://hirono2014sk.blogspot.jp/2014/07/blog-post_2874.html


ブログ名は省略しても良いのですが、やはり付いていたほうが他との区別も出来てわかりやすいと思います。次のような最たる懸念を感じさせるようなツイートもほぼ一緒に見かけました。


2014-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中: そろそろ国交断絶かな。→自衛隊発足記念行事 ロッテホテルが突然中止の通告 =韓国(聯合ニュース) /落合洋司弁護士 http://hirono2014sk.blogspot.jp/2014/07/blog-post_6263.html


リンク先の記事は読んでいないのですが、日本の弁護士のかなりが、人間関係のみならず、近隣諸国との関係の悪化をも促進しているのではないかと思ってきました。不安を煽り弁護士としての仕事を増やすというのが、基本にあるようにも私には思えています。


落合洋司弁護士(東京弁護士会)とはタイプの異なる小倉秀夫弁護士にツイートにおいて、その傾向はいっそうわかりやすく現れているように思っていますが、小倉秀夫弁護士のツイートは数も多く不快も伴うので、気が向いた時にしか閲覧していません。


昨夜はケンミンショーが終わったあと、テレビをつけたまま横になって寝てしまい。夜中の3時前に目が覚めたのですが、ピグライフでお手伝いのお返しをするため、自動でスリープになっていたパソコンをサスペンドから復帰させました。


ついでにツイッターを少し見ていると、リンクで紹介されていたのがジャーナリスト江川紹子さんの次の記事でした。どうも著名人によるブログとニュースの中間的な記事になっているようです。


【PC遠隔操作事件】「なぜこのような事件を起こしたか自分でも分からない」(第12回公判傍聴メモ)(江川 紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20140711-00037279/


しばらく読んでいて、目が冴えすぎると眠れなくなってしまうと思い。パソコンを閉じて布団に入りました。なかなか寝付けなかったですが、睡眠もとれて8時を過ぎた頃に目がさめました。


起きてからも記事を読み続けたのですが、かなり長いもので、まだ全部は読んでいません。最近の傾向として朝は一番見ることの多いとくダネ!という情報番組を見ていたのですが、舞鶴の事件の無罪確定に関しては短く簡潔な報道でした。


二人暮らしの一人娘を失ったということで、以前大きく報道されているのを見たという記憶もあるのですが、遺族のコメントも出ておらず、それはネットのニュースでも全く見ておりません。今日明日に報道がなければ、それで幕引きになってしまうのかもしれません。


時刻は17時57分です。結局図書館にはいきませんでした。午後はネットの天気予報で雨マークもなかったのですが、一時強い雨が降っていました。パソコンに雨が入って故障すると大変なので、空の具合も気になっていました。


いつもは災害情報を優先しているミヤネ屋という情報番組ですが、今日は始まりの30分間、兵庫県魏の問題を取り上げていました。後半にもやっていましたが、見ているうちにすごく眠くなり、起きると番組は終わっていました。舞鶴の事件の無罪確定は報道として見当たらなかったです。


弁護士 谷山智光 (taniyama)さんはTwitterを使っています https://twitter.com/taniyama ← の実名弁護士ツイッターアカウントは、私がトップクラスの注目をしている弁護士ですが、そちらのツイートで先ほど次の記事を読むことが出来ました。


無罪「的確な判断」 京都・舞鶴高1殺害で弁護団 : 京都新聞 http://kyoto-np.jp/politics/article/20140710000149


時間が経つとリンク切れになったりすることが多いので、主要部分を引用して次のようにブログの記事にしました。


2014-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中: 逮捕段階から弁護人を務める遠山大輔弁護士は「一読即解の、刑事裁判の原則に のっとった内容。証言も供述も検証可能な形で記録しておかないと証拠として通 用しない」と取り調べの可視化を進めるよう http://hirono2014sk.blogspot.jp/2014/07/blog-post_3585.html


上記のリンクの紹介はWebページから直接ツイッターに投稿したものの−18と文字数オーバーになっていたので、ブログ名の部分を削除して投稿しました。繰り返しですが本書とツイッターの完全一致は目指していません。


取り調べの可視化に対する弁護士の姿勢が、より鮮明に力強く表現されているかと思います。このような姿勢はこれまでにも私のインターネットを使った情報公開に刺激を与え、必要性を痛感させたものとして、その一面において多々影響を受けています。


それはまた、しっかりした証拠がなければ、被害者及び遺族は諦念せよ、という実質的な効果を伴っているようにも思います。さきほどテレビで「かつ江さん」に関する報道をみたところでもあります。かつ江さんはインターネットの情報として見かけていました。


さきほど弁護士に刺激を受けたと書きましたが、触発されたと書いたほうが良かったかと思います。文章での表現力が未熟なのは自覚のあるところですが、なるべく正確な表現は心がけています。


廣野秀樹(@hirono_hideki)/「かつ江さん」の検索結果 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E3%81%8B%E3%81%A4%E6%B1%9F%E3%81%95%E3%82%93&ao=a


上記のようにTwilogで確認をしました。該当のツイートは3件。一昨日の夜かと思っていたのですが、昨日の8時過ぎという朝のツイートになっていたのは、自分で意外でした。たぶん弁護士のツイートがきっかけで知った情報だったと思うのですが、調べる必要がありそうです。


時刻は20時43分になっています。夕方、どんたく宇出津店に買い物に行き、まだ食事は済ませていないのですが、ピーマンとキュウリを人にもらったので、半額になっていた牛肉とピーマンと安いきのこで肉野菜炒めでも作る予定です。


昨日の夕方炊いたご飯が残っていたのですが、珍しく半額になっていた赤飯が売っていたのでそれを買ってきました。ご飯はパックに入れて冷凍保存しました。このところご飯は2合炊いて3食分になるのが普通という感じになっています。2,3年前までは二食でも足らないぐらいだったと思います。


かつ江さんのニュースを知ることになったきっかけはやはり落合洋司弁護士(東京弁護士会)のツイートでしたが、昨日のことでもはっきり思い出せないことがあると再確認したところでもあります。


見出しのテーマからずれていると思われるかもしれないですが、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)と被告訴人KYNを軸にしていることには変わりありません。締めて本日日付として再開します。


<2014-07-11 金 20:51> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]


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