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2015年6月30日 (火)

裁判資料​/平成4年​/平成4年4月11日付被告発人・被告訴人TTKの供述調書(テキスト)について_2014年6月24日

裁判資料​/平成4年​/平成4年4月11日付被告発人・被告訴人TTKの供述調書(テキスト)について_2014年6月24日
<2014-06-24 火 10:36> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]


自分のパソコンのファイルを探したのですが、ちょっと見つからなかったので、個人サーバで公開状態にあるものをコピーすることで、新たな記事を作成しました。次のブログ記事のタイトルとURLです。


裁判資料​/平成4年​/平成4年4月11日付被告発人・被告訴人TTKの供述調書(テキスト) | 非常上告-最高検察庁御中_Blogger http://hirono2013s.blogspot.jp/2014/06/44411ttk.html


普通に取得したブログのページタイトルですが、どうも|の縦棒で区切られて左側が記事のタイトル名、右側がブログのタイトル名となるようです。今までは余り気が付かなかったような気もするのですが、同じBloggerのブログでも書式が別になっていたような気がします。


2014-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中: 報告したから何かがどうなるものでもないのだが、これは要するに、脅しのつも りなんだろうな。/矢部善朗弁護士 http://bit.ly/1mgrmxR


試しに一つ別のブログでページタイトルを取得してみましたが、やはりブログ名が左側になっていて区切りの記号も:になっています。 非常上告-最高検察庁御中_Bloggerのブログの方が前から使っていると思いますが、自分でカスタマイズをしていたのかもしれません。


普通、ページタイトルにブログ名が含まれることは多くないような気もしますが、そういうのもブログサービス毎の仕様になっているはずです。ブログサービスには編集の自由度の違いも大きいですが、Bloggerはカスタマイズ性も高いです。


Bloggerに関して難を言えば、APIでの投稿ができるものの、30件ぐらい記事を連続して投稿するとAPIでの処理を受け付けなくなることです。それを含め、総合的に判断した結果、私は数ある中からBloggerのブログをメインで使うようになりました。


「裁判資料​/平成4年​/平成4年4月11日付被告発人・被告訴人TTKの供述調書(テキスト)」というタイトル名にしてありますが、被告訴人多田敏明の供述調書を文字起こししたものです。


元は警察官の手書きによる供述調書です。パソコンのテキスト文字だといたずらに改行が多いように見えるかもしれませんが、縦書の供述調書の内容に応じて改行を入れました。思い出せないぐらい相当前に作成したものだと思いますが、平成21年の9月以降かとは思います。


現物の供述調書をみながら、パソコンで文字を打ち込んでいったものですが、十分な確認はしていないかもしれません。誤記の可能性もあるということです。なので本来的には現物の写真を使いたいところなのですが、なぜか見当たらなくなっています。


平成21年9月より前は、インターネット上でも供述調書の写真を公開していたように思うのですが、当時はマスキングもしておらず、そのままの状態で公開していたように思います。だとすればあるはずの写真ファイルなのですが、私の手持ちのパソコンでは見つからなくなっています。


家の中を探せば供述調書の現物は見つかると思うので、デジカメで写真を撮り直すことも可能ですが、内容重視ということで当面は予定をしておりません。


2014-06-24-111405_WebページをみながらのEmacsでの書面の作成状況.jpg pic.twitter.com/LWJnlXu4ju


上記にスクリーンショットを用意しましたが、EmacsでさきほどのWebページを閲覧しながら、これから説明を書いていきたいと思います。


金沢西警察署において供述した、となっていますが、確か被告訴人安田敏から聞いた話によると、被告訴人池田宏美以外は皆、金沢西警察署に出向いてそこで供述調書の作成をしたということになっていました。


被害者AAさんがいなくなったので、パソコンの操作が出来ず伝票を手書きで書かなければならず、ものすごく忙しく大変な目にあっている、というような話でした。


供述調書の「一」によると「一昨年の八月」から市場急配センターに働いている、という話になっています。つまり平成2年の8月ということになるかと思いますが、市内配達が金沢市場輸送と同じ建物にあった頃には、確かに姿を見た記憶がありません。


平成3年の7月16日までは18歳だったということになりそうですが、高校を中退したとも聞いておらず、勉強は嫌いでまんじゅうつまり0点ばかりだったと自慢していたぐらいなので、高校には行っておらず中卒であると考えられます。


一度だけ、市場急配センターに来る前の仕事の話を聞いたことがありましたが、内装屋のような仕事をしていたと話していました。ちょっと具体性のある内容も含まれていたように思いますが、親方との関係について何か語っていたような気もします。


あえてそういう口ぶりをしたのかもしれませんが、その親方のような人物が、市場急配センターとも関係があって、その縁で市場急配センターに来たような話しぶりだったかもしれません。私から市場急配センターへの入社のきっかっけを聞くことはなかったと思います。


供述調書の「三」では、私の入社時期について昨年の4月頃と供述していますが、実際は6月の下旬だったはずで、けっこうな開きがあります。また、私が入ってきた当時、被告訴人多田敏明は免許停止中で、被告訴人安田敏のトラックに同乗して仕事をしていました。


私が市場急配センターに来る前から、被告訴人多田敏明のことは被告訴人安田敏からちらほらとは話を聞いていたとも思います。もともと被告訴人多田敏明が受け持ちだった内灘・高松コースを被告訴人安田敏がするようになり、それに同乗していました。


免停の原因らしい話としては、彼女と小松市の小松インターの近くのラブホテルに行き、その帰りに高速道路である北陸自動車道で事故を起こしたという話をしていました。ラブホテルを強調していたのも彼らしいと思いましたが、土砂降り雨の中で事故になったとも言っていたように思います。


車はフェアレディZで、それも新型だったような口ぶりでしたが、事故で廃車になったとのこと。単独の事故で免停というのもどうかとは思いますが、そういう関連付けで話をしていたと記憶には残っています。


同じく供述調書の「三」で、よく一緒に食事をしたとありますが、これは事実であるものの、缶ジュースやタバコ代を含め全て私のおごりでした。こだわるつもりはないですが、そういう事実です。


同じく「三」のなかに、「Aちゃん」とありますが、たしかに運転手というか社員の多くは、彼女のことを指したり呼ぶときに「Aちゃん」と言うことが多かったですが、被告訴人多田敏明に限っては「事務員」などと呼ぶことが多かったように思います。


供述調書「四」においては「同僚等」という言い方をしていますが、その同僚として考えられるのは被告訴人安田繁克ぐらいです。たぶん後の方でもそういう言い回しで被告訴人安田繁克のことを語っていたと思います。


私は一番早い方の段階で彼女とのことを被告訴人多田敏明に相談しましたが、そういえば一番最初だったのは被告訴人安田敏に話をしたことでした。9月の終わりか10月のはじめになると思います。ここでいう同僚は被告訴人安田敏を指していることは一応考えられます。


私から相談を受けるようになったのは「今年に入ってから」と述べているようですが、12月の中頃ではなかったかと思います。どの仕事から戻った時であったか思い出せませんが、市場急配センターの会社の前の方にトラックを停めていた時、その車の中で話をしたように記憶しています。


それは割と早い時間帯でもありました。22時とか23時という時間帯ではなかったかと思います。トラックは会社の正面に向けて縦に駐車していました。自分の大型車ではなく、被告訴人多田敏明がよく乗務していた4トン車であったような気もします。ウィング車です。


彼女に対する情報がほとんど入らなかったこともありますが、2つ違いの年下と年代も近いので、彼には相談をしていました。仕事で一緒に行動することも多かったのですが、それも被告訴人らの計画的な采配であり、偶然ではなかったと思います。


そもそも私が被告訴人多田敏明と個人的に話をするようになったのは11月のことで、被告訴人東渡好信が茨城県古河市の青果市場に連れてきたことがきっかけでした。その時に初めてじっくりと話をするようになり、割と親しい間柄になったのです。


その時、被告訴人多田敏明は前の日の夕方、七尾市で荷物を積んでから同じ七尾市内の被告訴人東渡好信の自宅に行き、そこで食事をごちそうになったと話していました。娘の話をしていましたが、姉妹が二人か三人いるという話で、揃って美人だと話していました。


被告訴人東渡好信の娘の話が出た時、私はすぐにぴんと来たので、実際にそれらしい娘の姿を見た一週間後ぐらいではなかったかと思います。被告訴人東渡好信の娘だとすぐに話を聞きましたが、短大生とも聞いたかもしれません。


市場急配センターの一階にいたように記憶していますが、正面からは背を向けた方向で椅子に座っていたように思います。それでも一瞥で顔は見たように記憶しています。どんな顔だったかはすぐに忘れましたが、見たこともない女性の姿でした。


記憶が曖昧になっていますが、ちょうど用事があって二階に上がるところで、二階に上がってすぐに誰かから被告訴人東渡好信の娘だと聞いたような気がします。被告訴人池田宏美の口から聞いたようにも思いますが、娘が来ているという程度の内容だったと思います。


そのあと一階に降りてもう一度、娘らしい女性の姿を見たという記憶はないのですが、この間に起きたのが被告訴人安田敏の工事現場突入でした。わざと突っ込んだ可能性が高いとうことで、突入ということにしています。


これは本来、被告訴人安田敏の関与として記録したほうがよいと思いますので、そのようにしたいと思います。


この項目の記述はいったん閉じておきます。


<2014-06-24 火 15:03> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]





*被告訴人安田敏の事件への関与、果たした役割について

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