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2015年6月30日 (火)

拘置所の接見室のアクリル板に張り付けて見せた平成4年4月2日付北國新聞夕刊の事件報道、という内容を書く予定だった項目

拘置所の接見室のアクリル板に張り付けて見せた平成4年4月2日付北國新聞夕刊の事件報道、という内容を書く予定だった項目
<2014-05-01 木 17:25> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]


<<>> [[#LINK-ID_5]] 資料写真/平成4年4月2日付け北國新聞夕刊 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム


これは特に重要な資料なので上記のように「参考資料」扱いをしましたが、説明にあたっては今からアップロードするTwitterの画像を使います。


Picasaウェブアルバムにアルバムを作成したものは相対パス名を含めて添付するDVDに保存するデータと同期をとっていますが、Picasaウェブアルバムのファイルを使うよりはTwitterに画像投稿したものを使ったほうが何かと好都合なのです。


不十分な点としてはTwitterでは画像のファイル名を保持しないこと、画像サイズが縮小されるらしいこと。普通にはダウンロードできないことがあります。Picasaウェブアルバムだとファイル名もそのままにダウンロードの機能があるので必要に応じてお願いします。


使っているパソコンの画面の大きさによっても違いがあるのですがTwitterの画像は拡大してもさほど大きくはならないので、細かい文字だと識別がしにくい場合もあるかと思います。


また最近になってTwitterで指摘を受けたのですが、iphoneだとPicasaウェブアルバムの画像が見れないそうです。自分の使っているAndroidのスマホでは見れています。同じGoogleのものなので当然かとは思いますが、iphoneで見れないとは意外でした。


今からアップロードすると書きましたが、そういえば先に済ませていました。Twitterはパソコンだけでなく、スマホなどのタブレット端末での使用を配慮した作りになっていると見受けられるので、私自身、活用を強く意識するようになりました。


Twitter / s_hirono: 2014-04-30_11.18.50.jpg ... https://twitter.com/s_hirono/status/461770365937537024


2014-04-30_11.18.50.jpg pic.twitter.com/66CvZ2a1gg


最近気がついたことなのですが、picで始まる部分を他のツイートに含めるとそのままリンクとして再利用ができるようです。ブラウザのURLにそのまま使っても表示されましたが、最近のブラウザはhttpのプロトコルを省略できるものが多いようです。そのまま検索もできたり。


スマホで撮影した写真をそのままパソコンに自動で同期するようにしているのですが、自動で撮影時刻のファイル名をつけてくれています。ただ、日付と時刻の間が半角スペースになっているので、これは自分でアンダーバーに変換しました。前にも説明済みかと思います。


Picasaウェブアルバムの方には一緒に撮影した他3枚の写真もあるかと思いますが、新しくなった宇出津の図書館に初めて入って、北国新聞の縮小版がそのまま棚にあるのに驚きました。


図書館は公民館と同じ建物にありますが、つい先日、4月26日の土曜日にオープンしたようです。「コンセールのと」という名称になっていますが、廃線になった宇出津駅のあった場所にできた建物です。


土日は全然見に行かなかったのですが、月曜日に行くと休館だったので、水曜日に行きました。前の公民館は宇出津小学校の近くにあったのですが、新聞の縮小版は2階の倉庫にあって、係員に頼んで持ってきてもらう必要がありました。


私が福井刑務所を出たばかりの平成9年の頃の係員の人は、わりとのんびりしたような人で、自分で2階の倉庫に行って探してくればよいと言ってくれたので、手間もかからず助かったのですが、時期がはっきりしない探しものとなるといちいち頼むのも嫌で余り利用しなくなったのです。


時刻は5月2日9時52分になっています。STAP細胞の論文疑惑などもあるのでなるべく作成日時を特性するようにしていますが、ずっと前からの私のスタイルでもあるはずです。ずっと後になってからの確認に役立つことも経験しています。


すでに本書において書いてあることもあるかとおもいますが、おさらいをかねて流れを説明したいと思います。正直けっこう記憶が薄れているので、おおまかな説明になるかと思います。


ちょっと脇にそれますが、半月ほど前になるでしょうか平成4年の4月に買ったノートパソコンを起動しました。3年ほど前にも一度は起動していたと思いますが、もう正常に動かないのではと思っていました。


ブラウザのバージョンが古すぎて仕組みも変わっているためか、外部のインターネットには接続できませんでしたが、ローカルのネットワークには接続出来ました。


一つのファイルを見つけたのですが、内容を少し読んだところ、平成10年の11月ころのことが書いてあり、わりとわかりやすく丁寧に書いたあるなと思い、枯れかかった花が水をえたように自然に記憶が活性化するようなところもありました。


本当の目的はパソコン内のデータより、フロッピーディスクのデータを読み込みたかったのですが、FDの機械のほうが壊れた様子で、異音が出てとても読み込めるような状態ではなかったです。


ノートパソコン自体は、比較的最近というか遅くても胚性14年ころには再インストールしていると思います。再インストールのあとほとんど使わなくなっていたので、目ぼしいデータが残っていないことは、その後起動した時にも確認していました。


本当はロータスオーガナイザーのファイルなど欲しかったのですが、私自身の手元にはあるのかもしれないけれど、見つけることができない状態です。金沢地方裁判所には提出していると思うので、御庁にはデータも保管されている可能性はあると思っています。


事件を起こしたのが平成4年4月1日の夜で、その夜のうちに金沢西警察署に出頭しました。翌日か翌々日ぐらいの谷内孝志警部補の取り調べでは、出頭した時刻を教えられ、20時30分と聴いたような気がしますが、現在は少し記憶があいまいで、あるいは20時15分かと思います。


当夜に作成された自首調書では別の刑事さんが取り調べでした。二人いたと思います。翌日からはずっと谷内孝志警部補でしたが、ずっと一人だけの取り調べで、一対一でした。


ちょっとスマホで投稿してみたいと思います。スマホでの文字入力は苦手なのですが、練習もかねてやってみたいと思います。


org-modeには後でコピペすることになります。


家の玄関を開けた時、ちょうど能登町役場からの12時の音楽が聴こえてきました。スマホからツイートしたのは2件でしたが、org-modeにコピペをすると、手間がかかった割に文字数の少ないことに驚きました。


HootSuiteのいうWebアプリで確認するとスマホの投稿は「11:36am via Twitter for Android」のようになっていました。


普段の投稿は私自身が登録したアプリ名になっています。「12:42pm via 告訴状-2013-金沢地方検察庁御中_API」のようになっています。


直前にAコープ能都店で買ってきた刺し身をスマホで撮影してテレビをつけると12時3分になっていました。テレビには画面左下に時刻を表示するように設定しています。大阪の方でストーカーの殺人事件があったというニュースをやっているところでした。


50代の加害者というのはわかったのですが、途中から見たので被害者の年齢や年代もわからず。気になるニュースを見落とした時のために、毎日、12時と19時のNHKのニュースは録画をするように設定しています。録画が失敗することもあるのですが、今回は大丈夫でした。


ストーカーはすっかり社会問題として認識されるようになりましたが、私が初めて知るようになったのは自分が福井刑務所を出てすぐの頃でした。刑務所でも2級生の自由チャンネルだったので、比較的よくテレビは見ていたのですが、出る前は知らなかったように思います。


録画したNHKニュースには今日から始まった小木港の「とも旗祭り」も紹介されていました。その後には同じ石川県内ニュースで金沢港の大型客船入港に関するニュースがあって、終わりの方に金沢港付近の航空写真のような映像が出てきました。


テレビの画面をスマホで撮影し、Twitterに写真投稿しました。


2014-05-02_13.10.58.jpg pic.twitter.com/ueQFQZfQCJ https://twitter.com/hirono_hideki/status/462082824304992257


2014-05-02_13.10.58.jpg pic.twitter.com/ueQFQZfQCJ


文字数が少なかったのか今回はツイートの本文が省略されずにタイトルとして取得できたようです。この金沢港は私の事件の舞台でもあります。金沢港の航空写真自体は今までにネットで見たことがありました。海保提供の写真資料のようなものであったかもしれません。


時刻は5月3日10時02分を過ぎたところです。昨日は小木港の、とも旗祭りを見に行き、アジ釣りをしてきました。アジングです。


月曜日に、コンソールのと、に行った時、ウミネコの鳴き声が聴こえてきました。上空を見るとウミネコが飛び回っていました。町中なので珍しいような気持ちで見ていました。


昨日の2日に行った時も、建物の前に行くと同じくウミネコの鳴き声が聴こえてきて、空を見上げると今まで見たことがないぐらい、はるかに高い上空を旋回するように飛び回っていました。


2014-05-02_10.29.54.jpg pic.twitter.com/WbZDF6jpEr


Twitterにアップロードするした写真です。Twitterだとリンクになっているはずです。前にも説明していると思いますが、picで始まる部分をブラウザのURL入力欄に入れてエンターキーを押しても写真付きツイートを開くことができると思います。バージョンの古いブラウザではダメかも。


スマホで空に向けて撮影したものですが、自動でピント調整が入ったのか鳥が割と近くに見ていますが、実際は見たこともないぐらいはるか上空でした。ウミネコの姿をみると観察したり、写真にすることが多いです。


2014-05-02_18.44.21.jpg pic.twitter.com/Bt4wrLchgR


こちらは夕方の小木港ですが、小木から姫の方に向かうウミネコの群れが、どれも海面すれすれの低空飛行をしていました。南西の風だったので向かい風に近かったとは思いますが、余り見たことのないウミネコの集団行動でした。朝や夕方に移動するのはいつものことです。鵜の群れは割と低空飛行が多い。


同じ日にNHKの県内ニュースで金沢港の航空映像をみたこともありますが、鳥瞰、俯瞰というのはこのことかと思いましたし、なによりウミネコがあそこまで上空を飛ぶとは意外でした。上空を旋回することが多い、トンビでもあそまで上空を飛んでいるのは見た覚えがなかったです。


ウミネコは2012年に2回、アジ釣りをしていて釣り上げたことがありました。Twitterのアイコンに使っているのもその時の写真です。


2012年5月5日小木港カモメ・尺アジ - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/114099790846205945578/2012#


2012年6月5日小木港・ウミネコ - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/114099790846205945578/201203?authkey=Gv1sRgCLWLuYusyPvfYg#


デジカメが普及してインターネット上の写真などで、ウミネコがすごい形相をしていることは知っていたのですが、間近で見たのは初めてで、その色の鮮やかさにも驚かされ、まるでこの世の生き物ではないようにも思えました。そもそもウミネコとカモメの区別も考えてことがなかったです。


少し離れたところから見ているとは全く印象が違います。海の近くで生まれ育ってきたので、小さい頃から見ている鳥だとは思うのですが、2010年の秋にアオリイカ釣りを初めて海に立つようになる前は、ほとんど意識をすることもない存在だったような気もします。普通に海にいるカモメだと。


2012年6月5日小木港・ウミネコ - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム http://bit.ly/1ugr7Wz target="_blank">http://bit.ly/1ugr7Wz


この精悍で尋常でない目を見た時、能登警察署の大家刑事に言われた「神様の目線」というのを思い出しました。鴻鵠という言葉がありますが鳳凰も想像上の鳥だと聞いていました。鳳凰は神輿の飾りにもなっているのではと思いましたが、身近にそれに近いものを感じました。


天衣無縫という言葉もありますが、綺麗な毛並みとその軽さにも驚き、色も鮮やかで、極彩色とはこのことかと思いました。ありふれた身近な存在で、間の抜けた声にも聞こえる鳥なので、なおさら不思議に思いました。


ウミネコもカモメ科ウミネコということなのでカモメの仲間と思いますが、カモメといえば「カモメの水兵さん」を思い出します。知らない人がほとんどだと思いますが、私の場合は次の明治時代の曲も思い出すことが多いです。平成3,4年ころ、トラックを運転しながらちょくちょく聴いていました。


勇敢なる水兵 - YouTube http://www.youtube.com/watch?v=zPekYvk-LVs target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=zPekYvk-LVs


この曲を聴くと決まって能都町出身の久田船長の話を思い出します。時代も同じ明治だと思います。Twitterでは何度か触れているのでTwilogで検索すれば、いつ頃どのように触れていたのかもわかると思います。


廣野秀樹(@hirono_hideki)/「久田船長」の検索結果 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E4%B9%85%E7%94%B0%E8%88%B9%E9%95%B7&ao=a target="_blank">http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E4%B9%85%E7%94%B0%E8%88%B9%E9%95%B7&ao=a


2013年11月20日(水)が初めに取り上げたツイートになっているようですが、もっと前にも取り上げていたことがあるような気もします。検索というのも機械的な処理なので完全ではないのかとも考えますが、Twilogの検索機能は他のブログなどの検索機能よりしっかりしているという印象です。


Twilogの検索精度について気になったので次のように「ミニブログ」で試してみました。これは私が2010年4月2日にツイッターを初めて2件目の投稿に含まれた文字列です。ほとんど使っていない用語かと思いましたし、事前にダウンロードしたcsvファイルでも確認しました。


廣野秀樹(@hirono_hideki)/「ミニブログ」の検索結果 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0&ao=a target="_blank">http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0&ao=a


% wc -l hirono_hideki140503.csv というダウンロードファイルの行数を調べるコマンドを実行したところ、69540 という結果が出ました。ファイルサイズは16Mあるようです。


告訴状の参考資料2014-05-0312:19:57_Screenshot.png


この撮りたてのスクリーンショットではツイート数が65,059になっていました。Twilogはリツイートした他人のツイートも含まれていることを思い出し、確認もしましたが、最初からはそのような設定にしていなかったかもしれません。


久田船長のに関しては宇出津小学校の5年生か6年生の頃に先生に話を聞きました。授業の中のお話だったと思います。同じ能都町の鵜川の出身だと聞いていましたが、その頃の宇出津小学校の校長先生の名前も久田という名前でした。久田というのは最近は聞きませんが、宇出津にもある名前でした。


私が3歳ぐらいの時に死んだと聞く父親の姉と聞いていたと思いますが、そのおばさんが鵜川に住んでいて、何度か母親に連れられてその家に行った記憶があります。おばさんの顔もどんな家だったかも全く記憶には残っていないのですが、鵜川には他の用事でもよく連れて行かれていました。


ある日の昼、鵜川のおばさんの家にいて、なにか文房具が必要になり、小さな店に飛び込みで入ったのですが、その時、久田校長が出てきたのでとても驚いたことも覚えています。温厚そうな学者のような雰囲気の高齢の校長先生であったと記憶しています。


昭和63年の12月から平成1年の3月ころにかけ、金沢港でイワシの運搬の仕事をしていたことは、これまでに何度か説明をしていると思います。初めてのイワシの運搬の仕事の時でしたが、その時は浜田漁業の平井ボディ車も2台は参加していました。


一人は若い人でしたが、小木の漁師と聞いていたかもしれません。話し言葉はいかにも珠洲の人という感じであったと記憶しています。3つか4つほど年上だったようにも覚えていますが、名前も憶えておらず、話をすることも多くはなかったという記憶です。


その人は平ボディ車でしたが、もう一台はダンプだったような気もします。植木職人をやっているという人が暇な時期ということでイワシの運搬をやっていたようです。この人物は2回めのイワシの時期にいたような気がします。竹林や小林健一がイワシの仕事をしていた頃です。


この2回めのイワシの時期というのはだいたい平成1年の12月から平成2年の3月ころということになると思いますが、前回とは仕事の規模が倍以上になっていました。北陸ハイミールができていたからで、北海度の釧路市の愛国運輸のダンプもけっこうな台数が来ていました。


北陸ハイミールのことをどれだけ書いたか思い出せないですが、ミール工場としては日本海側最大規模と聞き、一日に1600トンの処理が出来ると聞いていました。浜田漁業金沢工場の方は600トンと聞いていたように思いますので、3倍ということになりそうです。


一台に30トン運ぶとすると53台分という計算にもなりそうです。ミールの工場は一度機械を止めると、動かすのに数十万円の費用がかかるとも聞いていました。具体的な数字は忘れましたが、高くて80万円と聞いていたように思うし、安くても50万円だったように思います。


浜田漁業金沢工場の工場の方は屋内プールのような溜めてある場所にイワシを降ろすものでしたが、北陸ハイミールの工場は違っていました。うまく説明はできないですが、ゴミ回収の車のような粉砕する場所に降ろすもので、それが直角のコンベアのような階段で10メートルほど上へと。


とにかく落ちたらひとたまりもないという感じでした。その落とす場所には必ずギリギリのところで、後ろのバッタリとか呼ばれた荷台の板を外す必要がありました。開けた瞬間に26トンぐらいのイワシが流れるように飛び出すのです、こぼれないようにするためにギリギリ以上にバック。


とにかくいったん溜めてから処理するのではなく、落としたところから処理が始まるという構造になっていました。ミールというのは魚粉のことです。焼いて粉にするようにも聞いていました。あの機械に落ちてしまえば、人間も粉になるのかと想像したことはありました。


イワシの運搬では必ず台貫に乗って積載量を記録していました。金沢市場輸送の2台の大きなダンプだと30トンを超えることもあったように思いますが、平ボディ車では多くて28トン、26,27トンが多かったと思います。潰れてぐたぐたになったイワシほど、重く積めました。


新鮮なときは本当に捕れたてのイワシで、金沢港の堤防を出た先で30分ほどの漁場だと聞いていました。実際に、船に乗ってイワシの漁を見学したこともありました。イワシがいないときは佐渡ヶ島の近くや、京都の舞鶴沖まで行くとも聞いていました。運ぶ時間が長いと揺れで潰れていました。


イワシがほとんどでしたが、サバなど他の魚も混じっていました。大きなアンコウを見つけたこともありますが、そういう変わった魚を見つけるのは楽しみでしたし、イワシを含め積んだ魚は持ち帰りも自由でした。魚は余り食べなかったので、余り持ち帰ることはなかったのですが。


潰れて腐ったような魚も運ぶので、けっこう汚い仕事でもありましたが、寒い時期だとそれほどに気になるものでもなかったです。トラックの洗浄には工場でもらった苛性ソーダというのを使っていましたが、取り扱いに注意はいるものの、ものすごくよく落ちるので、さほど大変でもなかったです。


私は羽咋市にいる5年前まで、鋳物工場で1600度の溶鉱炉の仕事もしていました。落ちるとそのまま足が消えてなくなるとも聞いていましたが、作業をしている時の緊張感というか危なさは、北陸ハイミールの工場のほうが上だったと思います。他に危ないとかいう話をする人もいなかったのですが。


イワシというか魚は海水を含むので常に現場が濡れているというのもあったのかもしれませんが、安全策のようなものが全く感じられず、問題にされないような現場でもありました。何か手すりのようなものでもあれば、いざという時、掴まれるという安心感もあったのかと思います。


告訴事件と関連のある金沢市内の場所 https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zW8zvRyoSBg4.kcVzYakZOUcc&hl=ja


イワシの仕事に関しては上記のような説明のための地図も以前に作成しています。自分でもちょっとわかりづらい部分があるかと思うので余りお勧めをする気にはなれないのですが、「金沢市場輸送と市場急配センター」というレイヤーが表示され、目印が星マークになっているかと思います。


大野醤油の前の辺りの水揚げの岸壁では浜田漁業のプレハブ小屋がありました。1回目の時期の頃は、ちょくちょく利用していたというか小屋の中に入っていた記憶もあるのですが、2回目の時期は、ほとんど中に入ったような記憶もなく、皆、トラックや車の中に待機していたように思います。


2回目の時期は、市場急配センターの小林健一が現場の監督のような立場になって、こまめに連絡を入れていてくれたので、小屋の事務所に顔出す必要もなしに済んでいたのかもしれません。1回目の時は数人の浜田漁業の幹部社員のような人の姿があって、小屋の中にいることが多かったと記憶しています。


小林健一はポンコツのワゴン車の中にいることがほとんどでした。かなりポンコツのワゴン車で、ウサギの絵が書いてあり、ラビット号などと呼ぶこともあったと記憶しています。荷台の後部の方はなにか板張りのようになっていて、座席もなかったように記憶しています。


ガスコンロを持ち込んでラビット号のなかで、バーベキューをすることもあり、小林健一はいつも大樹氷の焼酎のペットボトルを携行していたように思います。当時はまだ4リットルというサイズはなかったように思いますし、焼酎の大きなペットボトルというのも世の中に出始めた頃だったように思います。


仕事っぷりは真面目て、明るく素直な好青年だったというイメージが今でも強く残っている小林健一ですが、改めて考えても、最高裁判事の息子だったとか、石川県警の元機動隊員の白バイ隊員だったとか、加賀市内で派出所勤務をしていた警察官だったというのは、違和感の大きい話です。


事故処理に向かった事故現場で、ソープ嬢と鉢合わせになったという話をしていた時は、山城の交番と行っていたような気もしますが、話の内容では山代温泉に近い、国道8号線上の事故という説明であったように印象に残っています。潜水道具の話の時は、小松市の警察にいたような話でした。


久田船長の話に戻しますが、浜田漁業の若い運転手がプレハブ小屋で、船が沈没し船長が久田船長のまねをして船と運命を共にした、というような話をしたことがありました。蛸島丸船団のことだったと思いますし、会話の流れとしてもそれ以外は考えにくいように思います。呆れた話のような語り口でした。


蛸島丸というのは石川県珠洲市蛸島町に本社を置く浜田漁業のお抱え船団でした。運搬船は一番大きいので400トンと聞いていたように思います。調査船というのもいました。イワシをとって運ぶのが運搬船でした。よく覚えていませんが全部で7,8隻の船団だったように思います。


蛸島港は珠洲市では一番大きな漁港ですが、蛸島丸の船は大きすぎて港に入れないと聞いていました。近くの飯田港に入ることがありましたが、その時は金沢からイワシを積みに出向いていました。珠洲市の中心部が飯田です。自分が中学生の頃は、新潟県の佐渡ヶ島に行く汽船も出ていました。


北陸ハイミールのお抱えとなったのは輪島丸船団でした。輪島市の漁港では海士町と輪島崎町があって仲が悪いとも聞いていましたが、輪島丸はその輪島崎町の船だと聞いていました。現在でも小木港で見かけることが多いです。佐渡方面の漁に出るときは、小木港に停泊するとか聞きました。


蛸島丸はもう長い間見たことがないです。飯田港でも大きな漁船が停泊するという姿は見たことがないですが、めったに行くことのない場所なので実際のことはわかりません。浜田漁業のトラックも4,5年前に一度見かけたような気がするのですが、もう長い間一度も見かけたことがないです。


主要道路だと金沢から珠洲市への行き帰りに、宇出津は通らないのでそう不思議はないのですが、たまに珠洲の方に行くことがあっても、見かけたことはないです。思えばネットで調べたこともないので、ちょっと検索をかけてみようかと思います。


大型倒産速報 | 帝国データバンク[TDB] http://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/3909.html target="_blank">http://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/3909.html


こちらの情報によると倒産したようです。2013年の1月では売上が7億円にまで落ち込んだとか書いてあるので、割と最近になって倒産したようですが、その前から業務自体はかなり縮小されていたのかもしれません。倒産していたことは今日まで知らずにいました。


将来的にデータがなくなるかもしれないので、スクリーンショットを撮りました。URLとタイトルも固定化されたものにはなっていない可能性もありそうです。


告訴状の参考資料2014-05-0316:46:44_Screenshot.png pic.twitter.com/S85t0cmzKi


5月2日の金曜日の日付が書いてあって、最終営業日の情報なのかと思ったのですが、気になって北陸中日新聞で確認したところ、今朝の朝刊の記事になっていて驚きました。虫の知らせがあったとは思わないですが、初めて調べた日に前日の倒産情報に出会うとは、すごい偶然です。
また中断があって、時刻は5月6日午前10時06分を過ぎたところです。テレビをつけてNHK連続小説ドラマ「ごちそうさん」の総集編を観ているところでもあります。


中断している間に色々あって、たまった宿題が一杯あるような状態ですが、前よりも方向性が定まってきたようにも思っています。事実や問題を無理に整理してまとめていくのはやめておこうかとも思っています。そう思っていたところですが、総集編というのも参考になるなと思いながらテレビを観ています。


NHKの連続小説ドラマというのは自分が子供の頃からあったのだと思いますが、昨年の6月ぐらいまでほとんど見たことがなく、無関心でした。たんに無関心というだけではなく他に理由もあったのですが、そういうことも説明をしておきたいと思います。


正確な時期を確認するためTwilogでツイートを調べておきたいと思います。「あまちゃん」と検索すれば出てくると思います。


告訴状の参考資料2014-05-0610:21:53_Screenshot.png pic.twitter.com/rKdsoQL25q


告訴状の参考資料2014-05-0610:23:48_Screenshot.png pic.twitter.com/J5dWNqIKLe


上記2点は、非常上告-最高検察庁御中ツイッター(@shirono)のアカウントの写真付きツイートの本体部分のコピペです。picで始まる部分関してURLとして機能することなど説明済みかと思いますので、これからは一行表記で済ませたいと思います。


本書の記載は「参考資料」という大見出しの部分など例外を除けば、一行ごとに告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(kkhirono)のアカウントにツイートしています。APIの投稿なので送信エラーで失敗する可能性があること、確認はいちいちしていないこともこれまで説明済みかと思います。


画像を含めた写真付きツイートに関しては、ちゃんと送信が成功しているか確認をするようにしています。


picで始まる部分は告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(kkhirono)のツイートでも投稿された写真のように表示がされ、リンクにもなっているはずです。次のように。


告訴状の参考資料2014-05-0610:53:32_Screenshot.png pic.twitter.com/TDFkWo7Qoi


上記画像のブラウザのURL欄にはhttps://twitter.com/kk_hirono となっています。これは最新のツイートから順番に表示するもので、内容は常に更新されるのが通常です。個別のツイートのURLは次の例によれば3分の部分がURLになっています。


告発-金沢地方検察庁御中ツイッター @kkhirono · 3 分


3分のリンクを開くとURLは次のようになります。


https://twitter.com/kk_hirono/status/463495593357103104


URLだけでは内容がつかめないので、以前はHTMLヘッダのページタイトルを取得するようにしていました。前にも説明していると思いますが、Twitter社の現在の仕様だと次のようになります。独自のフォーマット(書式)ですが、ツイートと一見してわかりやすくもあります。


Twitter / kk_hirono: 本書の記載は「参考資料」という大見出しの部分など例外を除けば ... https://twitter.com/kk_hirono/status/463495593357103104


これはTwitterの本家とも呼ばれますが、twitter.comのことです。私もちょっと前々は他のアプリでTwitterを見たり投稿していたのですが、色々と改善された部分もありますし、個別のアカウントのツイートを見るときはやはりtwitter.comを使うことがおおいです。


twitter.comの部分は全角英数字にしています。半角英数字だとエラーが出て投稿できないからです。セキュリティ上の理由だと思いますが、これもTwitterの仕様の一つだと思いますが、私は経験をしてたまたま知りました。


ここでちょっとTwitterの仕様についていくつか説明をしておきたいと思いますが、HTMLの基礎でもあります。


上記のURLで説明をしますが、https://という部分は通信に使用するプロトコルの指定です。これも半角だと思わぬ問題が生じうる場面があるので一部に全角の記号を使いました。プログラムを使った処理では半角の記号は要注意です。場面によってはエラーが起こりますし、対処も必要になります。


HTTPSとは 【 HTTP over SSL/TLS 】 - 意味/解説/説明/定義 : IT用語辞典 http://e-words.jp/w/HTTPS.html target="_blank">http://e-words.jp/w/HTTPS.html ← こちらにも説明がありますが、暗号化されたブラウザで扱うHTMLデータの通信です。


https://twitter.com/kk_hirono/ の部分までがドメインです。それより後ろの部分は通常だとWebサーバのドキュメントルートからのファオルダの/で区切った階層になるはずですが、恐らくはWebアプリでプログラムを処理するためのキーワードやデータになっているはず。


前にも説明したと思いますが、httpのプロトコルはWebサーバの80番ポートに接続してリクエストを行います。ドメインのみの場合は通常はドキュメントルートに存在するindex.htmlというファイルをhtmlの文章として表示することが基本かと思います。


Webサーバの設定によってはindex.phpが呼び出されるはずです。phpはWebアプリでよく使用されているプログラム言語です。ただのHTMLファイルが静的と呼ばれるのに対して、プログラムを使ったWebアプリは動的サイトとも呼ばれているはずです。


新聞社のWebサイトの記事によくあることですが、動的なページにリンクを貼ると、内容がすっかり変わってしまってリンクを辿れなくなることがあります。ツイッターでの弁護士にもよく見られた傾向ですが、最近では見かけなくはなっています。


Twitterでアカウントを作って情報の発信をするような人はそれなりの経験や知識もあることと推察はされますが、それでもわかっていない人もいるようなので、改めて注意点を明示しておきたいと思いました。


基本的な事柄なのであえて取り上げるまでもないとも思ったのですが、これから私が今日初めて気が付き経験した大きな誤解を生じそうな問題の説明の基礎として、書いておくべきかと思ったのです。


本気か事実かも確認はできませんが、平成18年10月に実際に対応を受けた金沢中警察署の山出警部補も、ホームページ(たぶんWebページやWebサイトのこと)の閲覧は若い衆(たぶん部下のこと)にやらせている、と力強く語っていた警察官、捜査員の人もいました。


もう一例をあげると、三井環という人がいました。最近は名前を見かけなくなっていますが、検察の裏金問題を告発しようとして逮捕され実刑判決を受けた人です。余り簡単に説明を書くと誤解も生じそうなので、一つインターネット上の情報を紹介しておきたいと思います。


三井環 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E7%92%B0 target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E7%92%B0


ウィキペディアの情報の信ぴょう性は、実際の裁判や検察官の扱いとしてもこれまで問題にされている例をみていますが、客観的な立場からの記述である程度の裏付けや信ぴょう性はあるものと、私は考えていますが、個人差もあるところかと思います。


確認のためざっとですが目を通したところ、いくつか初めて知るような情報もありました。同期より昇進が遅れていることに不満を募らせていた、というのは初めて見た情報と思えますし、全体的な印象にもいくらか影響を与えそうな気がしました。真偽の程もわかりませんし、具体性も今ひとつです。


元大阪高検公安部長という肩書は確認できましたが、並べてある経歴では次関検事の経験はあるものの検事正の経験というのはないようです。読みながら気になっていたところに、昇進の不満のことが出てきました。


なにかの記事で読んだと思いますが、三井環氏は検察を批判、追求するような運動をされていて、連絡のためのメールの管理や処理は事務員の女性に任せている、というような紹介のされかたがされていました。私の現在の記憶のみで書いたので表現を含め、多少の誤差も混じっているかもしれません。


そういうこともあるので私は客観的なデータを記録するようにしています。もっと前からやっていたはずですが、方針やスタイルが固まったのは次の2つのブログからで、それ以前のものとなると作った私自身ですら把握は難しくなっていると思います。


2013-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中 http://hirono2013sk.blogspot.jp/ target="_blank">http://hirono2013sk.blogspot.jp/


2014-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中 http://hirono2014sk.blogspot.jp/ target="_blank">http://hirono2014sk.blogspot.jp/


記事の件数も多いので年ごとに別のブログにしました。公官庁の年度は4月1日からスタートだと思いますが、普通に1月1日からをその年度にしています。Bloggerのブログのサービスは100ぐらいのブログの作成はできたかと思いますので、毎年1件作ったところで、まだまだ余裕があります。


しかし検索でしらべるのに複数のブログを対象にすると手間も掛かりますし、ブログの検索というのは私自身精度にも疑問の経験がありますし、Webサーバの負担も大きいのではと思ってきました。Bloggerではないと思いますが、エラーが起こったりやたらと時間のかかること、結果が読みづらい。


そこで私はGoogle+ページを活用することにしました。上記2つのブログの記事は、手作業でのミスで漏れはあるかもしれませんが、全件をリンクとして登録しました。Googleは検索サービスなので、処理も早く精度も期待できます。


Bloggerも同じくGoogleのサービスの一つにはなっていますが、昔読んだ情報によると、買収した会社のサービスを受け継いだというような話もありましたし、ブログと検索サービスというのも、本質的な違いもあるのではないかと考えています。


実際に試した体感としてもGoogle+が良かったです。Google+は後発のSNSでTwitterとFacebookの中間的な特徴もありますが、他のSNSと同じくアカウント個人に紐付けられているので、より客観性のありそうなGoogle+ページを私はより活用しています。


告発/告訴_金沢地方検察庁御中 - Google+ https://plus.google.com/b/100408804474159646499/100408804474159646499/posts


上記がそのGoogle+ページです。「三井環」と検索をしてみましたが、該当はなかったです。URLのタイトルをリンクにしているので、タイトル中にキーワードが含まれている必要がありそうです。言い換えれば本文中の文字列は存在しないので対象にもならないわけです。


ほかにこのGoogle+ページにはHootSuiteというWebアプリのサービスを使ったTwitterの投稿で同じ内容の同時投稿も行うように設定していますが、こういうのも完全な同期にはなっていないのではと考えていますし、投稿後の確認もしてはおりません。


添付資料のディレクトリで「 % grep -r '三井環' ./*」とコマンドで検索をしてみたところ、以前にダウンロードしたTwilogのcsvファイルの内容だけがヒットしました。パイプで「メール」をキーワードに絞りこみを掛けてみたのですが、該当はなかったようです。


Googleで「三井環 事務員 メール」などと検索もしてみたのですが、探す情報はみつかりませんでした。時間と手間を掛けて調べれば探しだせるかもしれませんが、これまでにもこういう調べ物で時間を使った経験があり、紹介した2つのブログのようなものを作りました。


普通のブログへの記事投稿ではなくAPIのプログラムを独自でスクリプトにしたものを使っているので、投稿の手間も出来る限り省力化しています。まともにやっていたら倍以上の時間がかかるかもしれませんし、Web上のブログサービスでしかデータを管理、把握できないことになります。


落合洋司弁護士(東京弁護士会)が高検つまり高等検察庁の検事のことを、出世街道から外れた廃棄物処理とブログで発言していたことも印象に強く残っているのですが、Hatena::Diaryのブログで色々と検索をやってみましたが、該当は出なかったです。次のブログです。


弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 http://d.hatena.ne.jp/yjochi/ target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/yjochi/


告訴状の参考資料2014-05-0613:26:07_Screenshot.png pic.twitter.com/BumE3aZmNM


Hatena::Diaryのブログはサイドメニューにあるカレンダーの日付部分のリンクを開くと上記のツイートの画像のように、一覧でカレンダーが系譜のように確認できるという特徴があります。


私自身Hatena::Diaryの管理をやっていたので知っているのですが、知らない人や気づかない人が多いと思います。他のブログで見ない特徴ですが、日記スタイルの独自仕様になっているので、一般的なブログとは似て非なるところかと思います。


落合洋司弁護士(東京弁護士会)は2004年の6月からそのブログを始めたらしいことが確認できました。古い記事は検索処理の対象外になっているのかもしれないので、実際に本文中にある特徴のある文字列を使って試してみます。


告訴状の参考資料2014-05-0613:36:23_Screenshot.png pic.twitter.com/HXunBtjs8c


最初と思われるエントリの本文に含まれていた「ワークショップ」という余り聞きなれない言葉で検索をしてみたところ、上記ツイートの画像にあるような結果で、ぞろぞろとたくさん出てきて最初らしいツイートも含まれていました。すべての記事が検索の対象になっている様子です。


ブログ内検索を詳細と一覧のオプション選択で切り替えることが出来るのもHatena::Diaryの特徴ですが、他のブログでは不思議なぐらい見かけない機能であって、ほとんどは記事の本文を含めてぞろぞろと出てきます。本文の長いものが含まれているとページ送りにもなって甚だ効率の悪い検索。


改めて同じHatena::Diaryの現在プライベートモード中の自分のブログを確認したのですが、最初の投稿が2005年12月になっていました。次のブログです。


日暮れて途遠し http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/ target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/


当時はブログというサービスの存在自体を知ったばかりでした。最初に始めたのはgooのブログだったと思いますが、Hatena::Diaryのブログを始めたのは長くてgooのブログを始めてから一月後だと記憶しています。


2005年11月であった可能性はありますが、10月であったことはなりえないはずです。ちょうどブログというものを知り自分で始めた頃に、出会ったのが落合洋司弁護士(東京弁護士会)のブログでした。


元検事の弁護士がブログというかたちで個人的な情報発信をしていることには驚きましたが、2004年の6月から始まっていたとすると、少なく見て1年3ヶ月間は、その存在すら知らずにいたということになりそうです。草分け的な存在とも思いますし、現在も継続しています。


ツイッターとの掛け持ちでやっているということも一因かと思いますが、以前ほど記事の更新頻度は高くないと思います。私もブログの記事のことはツイートの紹介で知ることが多いです。ブログの方でTwitterとの連携の設定をしているのかとも思われます。


落合洋司弁護士(東京弁護士会)に関しては、私の3つのツイッターアカウントのすべてをブロックされていますので、どのアカウントを使ってもリツイートはできません。そんな不便もあって、ブログで記事として残し管理するようにもなりました。


ツイッターのブロックという機能については実際にアカウントを持って使っていないとわかりづらい部分もあるかと思いますが、ブロックに関するTwitterの仕様もこれまでかなり変遷してきました。今後も仕様変更がないとは限りません。


具体的なやりとりがあってブロックをされたわけではないですが、私の方からメンションは送ったことがあり、それを含めご本人の解釈と判断によって、ブロックという対応をしたのだと思います。視界から遮るという意味もあるのではと思いますが、解釈も運用も個人差が大きいという感じです。


ブロックというTwitterの機能に対する解釈や運用ということですが、落合洋司弁護士(東京弁護士会)に関しては、「田んぼの草刈り感覚でブロック」とツイートしているぐらいなので、推して知るべしところはあるかと理解しております。


ブロックをされたので逆恨み的に遠巻きに粘着していると、あるいは理解されているかもしれませんが、ブログをはじめその発言は現実的な理解を超えて看過しがたいものが多いです。とりわけ、警察、検察に対する批判は凄まじいとも言える内容が散見されます。


時刻は5月10日18時28分を過ぎたところです。今回もかなり長い時間記述の中断が続いていましたが、技術的な前進もあり理想的な態勢に近づけたと思っています。これまでは後々不便も出るだろうという不満もあり、中途半端な状態で進めて来ましたが、比較的早い段階で対処出来たと思います。


技術的な前進というのは、パソコンのスクリーンショットの自動化とデータの管理体制のことです。Twitterの写真付き投稿とも連動しているのですが、この辺りは前提に及ぼす影響もあるので、趣旨を理解してもらうためにも項目を分けて説明をしておきたいと思います。


この項目は次の金沢港の航空写真に関する説明から横道にそれたり中断を繰り返してきたと思いますが、書いておきたいことがまだいくつか残っています。横道にそれたといっても無関係なことを書いたわけでもありません。関連付けとしての説明ということも意識しています。


2014-05-02_13.10.58.jpg pic.twitter.com/ueQFQZfQCJ


非常上告-最高検察庁御中ツイッター(@shirono)の投稿として探したのですが見つからず、廣野秀樹(@hirono_hideki)の投稿になっていました。写真ファイルもスマホで撮影したものようです。


写真は5月2日の13時10分に撮影されたもので、投稿時刻は「13:15 - 2014年5月2日」となっているようです。10日も経過していないのに、忘れたというか勘違いしていたこともあり、探すのにも多少時間がかかりました。


写真をコピーして別名とし、それを非常上告-最高検察庁御中ツイッター(@shirono)の方に写真付き投稿しました。書式はスクリーンショットのファイルとはことなっており、スクリプトで定型的に書式を整えていますが、撮影日時はExif情報を使っています。


NHK石川県内ニュースでの金沢港の航空写真をテレビの画面として撮影_2014年05月02日13時10分58秒.jpg pic.twitter.com/6Fyhf6gyas


時刻は5月11日7時12分を過ぎたところです。昨夜は20時ころからずっとテレビを観ていました。久しぶりに2時間の刑事ドラマを観ましたが、そのドラマの内容に触発され、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に@付きのツイートをしました。


その関連情報をスクリーンショットとして保存したので、非常上告-最高検察庁御中ツイッター(@shirono)に投稿したものですが、次にTwilogから写真付きツイートの内容を転載しておきたいと思います。


2014-05-11-000708_アクセスしようとしたページは表示できませんでした。.jpg http://pic.twitter.com/AMe18Q17eH target="_blank">http://pic.twitter.com/AMe18Q17eH


2014-05-11-001024_弁護士矢部善朗のメインブログです。.jpg http://pic.twitter.com/ar9MtOZhjA target="_blank">http://pic.twitter.com/ar9MtOZhjA


2014-05-11-001249_http://yblabo。com/ 500 Internal Server Error アクセスしようとしたページは表示.jpg http://pic.twitter.com/Rm08uPn3NH


2014-05-11-001858_遠隔操作事件で最近警察のリーク報道が少ないのは、リークしたがる幹部連中が理解できないレベルの話で捜査が進ん.jpg http://pic.twitter.com/Ik490uXxXW


2014-05-11-055655_% locate 守秘義務.jpg http://pic.twitter.com/cMvxYFMYbP


2014-05-11-061426_モトケン (motoken_tw)さんはTwitterを使っています.jpg http://pic.twitter.com/JZWD9nHliD


思惑通りにTwilogからコピペしたものをそのまま流用出来たのですが、思わぬ処理も含まれていました。Twilogではhttp://がついたデータとして取得されるようです。


さらに、httpのプロトコルをつけたURLは、APIで投稿した告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(kkhirono)のタイムラインには表示されず、個別のツイートを開いてもhttp のプロトコルをは除去されていました。


あたかも告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(kkhirono)として写真付きツイートを行ったかのように見えますが、非常上告-最高検察庁御中ツイッター(@shirono)の写真のリンクを使っただけなのです。うまい具合に共有化が図られているようですが、たまたまの発見でした。


気になって調べてみたのですが、"expanded_url"という変数の値が、非常上告-最高検察庁御中ツイッター(@shirono)の画像データのURLになっているようです。


ブラウザからTwitterAPIを使ってツイートのデータを取得したのですが、初めて見つけたサービスを使って取得したもので、スナップショットをTwitterと共有することも出来ました。次のURLがそれです。APIで見ると一件のツイートにはこれだけの情報が本来あります。


Apigee Snapshot https://apigee.com/snapshot/twitter?snapId=apigee-console-snapshots-1398920400000_dbebf43b-af0a-4e5f-8a28-c43acb1c4f53


昨夜見たのは次の番組です。


5月10日「監察官・羽生宗一」土曜ワイド劇場 http://www.tv-asahi.co.jp/dwide/contents/nextweek/0308/


上記リンクですがこれはホームページの構造上、時間が経つとリンク切れになるか内容が違ったものになる可能性もあるかと思います。タイトルも本来「土曜ワイド劇場」しか取得できませんでした。


初めは余り見たい感じではなかったのですが、なかなか興味深い内容でした。


その前の夜つまり金曜日の21時からも2時間ドラマを見たのですが、こちらの方はほとんど偶然のような感じで、たまたまテレビをつけたところに気になる場面が出ていて、チャンネルを変えずにそのまま終わりまで観ました。全く知らなかったドラマで、タイトルも変わっていました。


お家さん|読売テレビ http://www.ytv.co.jp/oiesan/


上記はドラマ専用のホームページになっているようです。ただ、放送が終了した番組なのでいつまでホームページが公開され続けるのかも不明です。観た番組の雰囲気でも残しておきたいということでスクリーンショットを撮っておきました。


2014-05-10-095048_お家さん|読売テレビ.jpg http://pic.twitter.com/FqKBmYKddG


このツイートと画像のURLは次のようにコピペしました。


2014-05-11-101103_このツイートと画像のURLは次のようにコピペしました。.jpg pic.twitter.com/zDnIh3xLlG


ファイル名はaですが、次のようにコマンドを使って作成したファイルです。一時的に作成した作業ファイルのようなものです。


% tac s_hirono140511.csv |cut -d',' -f3 | sed 's/"//g'|grep jpg > a


ツイログ(Twilog)の元のデータは次のようになっているので、それを加工しています。tacは逆順、cutでコンマを区切りに3番目のデータを取得、余分は前後のダブルクオーテーションを除去、jpgをキーワードに絞りこみをしています。


2014-05-11-102427_ツイログ(Twilog)の元のデータは次のようになっているので、それを加工しています。.jpg pic.twitter.com/OseccbgKqa


ツイログはコンマで区切られた3つのデータにわかれていますが、例えば一番目の"465238691036676096"というデータはツイート固有のIDになっていて、次のようにURLとして扱うこともできます。


https://twitter.com/kk_hirono/status/465254528728563712


同じく2番目のデータは"140511 061522"という形式ですがこれは投稿日時だと思われます。つまりこの場合、2014年5月11日6時15分22秒になるはずです。3番めがツイートの内容ですが、一部にエスケープで違ったものに置き換えられる文字もあるようです。


特殊な記号の扱いというのは何かと問題になるもので、自分で作るプログラムでは留意も必要になりますが、全く同じ文字列ではいと検索が失敗する可能性があるということで、説明しました。問題になるのは半角の記号の一部です。プログラム言語によっても違いがあります。


「お家さん」という金曜日の夜に観たドラマについては、感想だけでなく本件事件に関する事実にも触れて書いておきたいと思います。


テレビをつけた時の時刻が21時01分だったのでほぼ最初から観ていましたが、食事の用意でテレビから離れることもありましたが、物語の筋を見失うようなことはなかったと思います。少しして録画も開始しましたが、録画はまだ再生していません。


なんの先入観もなく始まったドラマでしたが、観ながらインターネットで検索をして情報を得ることはありました。「鈴木商店」というのも知らなかったと思いますが、以前は日本で一番多い苗字でもあったかと思いますので、ありがちな名前とも思います。


このドラマで金子直吉という人物を初めてしりました。たぶん、何かの機会に名前を見ることはあったのではとも思いますが、取り立ててクローズアップするようなものには出会うことがなかったように思います。


同じ土佐藩の出身ということで岩崎弥太郎と比較される情報も調べて読むことが出来ましたが、一般的な知名度としても岩崎弥太郎とは大きな違いもあるのではと思います。


岩崎弥太郎で思い出すのは、被告訴人大網健二が漫画の本で見たという、交渉相手に若造だと侮られないため自分の髪の毛を抜いたという逸話を、ものすごく感動した手本にしたいと熱く語っていたことです。


私もその漫画の場面は見ていましたし、彼から話を聞く前に見ていたように思います。最近は名前も見かけなくなりましたが、本宮ひろし、という自分たちの世代にはお馴染みの漫画家で、子供の頃は少年ジャンプの連載が多い人気の漫画家でした。


私自身、成人になった頃には少年ジャンプや少年マガジンのような漫画は全く見なくなっていたのですが、コンビニにおいてあるような週刊誌のような漫画はよく目にしていました。例えばビックコミックスピリッツとか。


「本宮ひろ志 岩崎弥太郎」というキーワードでGoogleで検索をしてみました。「本宮ひろ志」という名前が正確だったということもこの検索で思い出しました。


猛き黄金の国 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%9B%E3%81%8D%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E5%9B%BD


全然記憶になかったのですが、上記のタイトルの漫画だったようです。「1990年から1992年まで、集英社「ビジネスジャンプ」に連載。」という記載もあったので、間違いはなさそうです。


平成2年のいつ頃から連載が始まったのか記載がないのが残念ですが、平成1年ではなく平成2年からというだけでも、とても参考になる情報です。岩崎弥太郎のことは最近でもちらほら思い出すことがありましたが、取り上げて言及することはなかったと思います。


はっきり時期の特定ができていないのも被告訴人大網健二の本陣不動産株式会社への入社時期ですが、仕事を初めてしばらくの間は、片町での接待で長時間運転手として車の中に待機をさせられているとか、愚痴のような話をしていました。


そのしばらくの間が、半年であったか長くて1年ほどであったか、そういうことも正確には思い出せなくなっていますが、俄然仕事に熱意をもって取り組むようになったのも、その漫画の岩崎弥太郎の話をした頃のことであったことは間違いないと思います。


彼の長女が生まれた時期についても思い出せないのですが、神戸から戻って金沢で生活を始めたあとであった可能性がはるかに高いと思います。


すでに触れたこともある被告訴人大網健二の結婚式ですが、そのとき長女は2歳以上にはなっていたはずです。式の中で長女の紹介もされていましたが、しっかり自分で立って歩き、周囲の状況も理解できるような年頃になっていた姿を記憶にしています。


結婚式があったのは平成2年の秋で、夜はけっこう寒かったという記憶もあるので冬に近い頃、それでも雪が降るような時期ではなかったような気もするので11月ころの可能性が高いと考えています。


その場に姫の出身で大網兄弟の父親と兄弟分という人物がいて、東京でヤクザをやっていると被告訴人大網健二から話を聞いていましたが、平成3年の春頃には被告訴人浜口卓也が事務所開きのお祝いだと言って、お祝い金を集めていました。


いくら出したか覚えていないですが、少なくとも1万円以上の金額で、それが相場にも近いような話だったと思います。しばらくして記念品というのかお返しとして灰皿をもらったように記憶しています。大きめのサイズで事務所のテーブルに置くようなものであったと思います。


ヤクザ者として事務所を開くということは、独立というか独り立ちして組長になるということ、というような説明も聞いたように思いますが、それは被告訴人大網健二の話であったかもしれません。


東京でヤクザというか暴力団をしているということは被告訴人大網健二から聞いていましたが、組の名前や系列については、なるべく関わりになりたくないということもあり、質問もせず聞いていなかったと思います。記憶にもありません。


被告訴人浜口卓也からの直接の連絡だったと記憶していますが、それは珍しいものでもあったので、よけいに印象的に記憶に残りました。


そういえばということで今思い出したのですが、被告訴人浜口卓也が市場急配センターで仕事を始める前、私のアパートに電話を掛けてきたらしいのですが、取り次いだ妻が姫のNKさんと勘違いして説明したのか、私はNKさんの電話と思い込みながら連絡方法も思いつかず放置していました。


思えば被告訴人安田敏からの電話に対する同じく伝言で妻から、「内灘の砂浜に車がはまって動けないので助けに来てほしい。」というのを聞いたこともありました。深夜の連絡だったと思いますが、これも放置したことを記憶しています。その場にいなくてよかったとも思っていました。


NKさんと勘違いした連絡のことがあってから、会社で被告訴人浜口卓也本人と会うまでは、けっこう間があったように思います。半月から一月ぐらいはあったように思います。


市場急配センターの仕事をするかどうか迷いがあって相談のために連絡をしたような話をしていたと思います。なるほどと理解しながらも、なぜ妻が勘違いして行き違いになったのかも合点がいかないとは思っていました。


妻は両者に面識があるものの、被告訴人浜口卓也の方により直近の面識があったとも思いましたし、声もタイプも印象もずいぶん違うはずなので、おかしな間違いはしないと思ったのですが、釈然としないまま追求することはなかったと思います。


平成3年の春というのは被告訴人大網健二の引っ越しを手伝った頃でもあったと思います。正直、事務所開きの祝い金の連絡とどちらが先であったか思い出せないのですが、どちらも天気の良い日ではあったと記憶には残っています。


引っ越しの手伝いは春でも5月か6月に入っていた気もするのですが、私がまだ市場急配センターに移る前であったとは思うのですが、どうも記憶のはっきりしないこともあります。


一つ印象に残っていることは2トンのトラックを金沢港の近くの倉庫の駐車場に被告訴人大網健二と一緒に返しに行ったことでした。往復ともに無量寺の被告訴人大網健二のアパートから向かったように記憶しています。


その倉庫というのはたぶん「ひまわりチェーン」という小型スーパーの物流倉庫でした。北都運輸の市内配達をしていた頃、そこにも荷物を運んでいた記憶がありましたが、近くにあるリョーショクとかいう倉庫の方が大きく、扱う荷物が多かったこともよく覚えていました。


「ひまわりチェーン」と似たものに「Kマート」というのもあったような気がします。どちらもコンビニのような小型のスーパーのチェーン店という感じで、記憶がやや混同しているところもあるかと思います。


2014-05-11-161448_北陸リョーショク本社.jpg pic.twitter.com/iMK9zqFjKu


Googleマップの画面をスクリーンショットにしましたが、リョーショクという物流倉庫の場所は変わっていないと考えられます。かなり大きな敷地で金沢港に前の道路に面していたので、簡単に移転もしないと感がられるからです。


トラックを返しに行った倉庫というか、配送センターと言ったほうがいいかもしれませんが、そちらはリョーショクの敷地の裏手のほうで、隣接していたかどうかも記憶にはないですが、上空からみて左手にあったように思います。


ざっとGoogleマップの地図をみたところ、次の地点の可能性が高いように思われます。広い道路に面した敷地であったようなこともおぼろげながら記憶に残っています。


2014-05-11-162540_石川県金沢市湊4丁目7.jpg pic.twitter.com/37s5GHSZUf


港のカナカンにも配達に行っていたような気もするのですが、ただカナカンとなると西金沢の大きな葬儀場の近くの倉庫での荷物の扱いの量が多かったことがより印象に残っていて、金沢港ではリョーショクがやはり扱う荷物の量が多かったという印象として残っています。


Googleマップの地図を見てもわかるとおり湊と無量寺は隣接しており、被告訴人大網健二のアパートともすぐ近くでした。


私の記憶には奇妙な点があって、引っ越しを手伝いに行ったことはその時の場面も含めて記憶に残っているのですが、引越し先であるはずの大場町東の一軒家での作業の様子というのがまるで記憶に残っていないのです。


ただ、荷物を運び入れる前か、ほとんど物がないような状況での大場町の一軒家の家の中や、家の周りの状況に関しては、割と印象的に記憶に残っています。


トラックを返しに行ったのは、引っ越しの作業が終わってからのことであったと思うのですが、午後だったとは思うもののまだまだ明るい時間帯でした。改めて考えると手伝いに車で向かった先が無量寺のアパートだったので、作業が終わったあともそちらに戻っていたのかもしれません。


借りた2トンのトラックは宇出津のK村さんのものだと聞いていました。青色の古いトラックだったと思います。初めに見た頃の2トントラックよりはポンコツではなかったような気もするのですが、塗装も純正のままのような当時でもかなり古いタイプのトラックと色でした。


荷物を運ぶので箱はついていたか幌がけだったとは思いますが、まるで2トンのダンプでよくみかけるような感じのもので、トラックとしてはけっこう珍しかったと思います。普通の緑ナンバーの運送会社であれば、それなりの塗装もしてあるのがほとんどだったと思います。


そういうタイプのトラックは市場急配センターでも他にいたとは思いますが、いずれも持ち込みのトラックだったと思います。持ち込みのトラックは通勤も兼ねていて、見かける機会というのもそう多くはなかったような気もします。


そのトラックを返しに行った時点で、K村さんと姫のNKさんは、春に市場急配センターをやめて直に仕事を請け負ってやっているとか、不義理なやめかたをしたとも聞いていたと思います。珠洲市大谷のYSさんも行動を共にしたと聞いていたように思います。


Kマート - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/K%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88


調べてみたのですが「Kマートは日本にかつて存在したコンビニエンスストアとスーパーマーケットのひとつ。」とありました。金沢市近郊に限ったチェーン店かと思っていたのですが、そうではなかったようです。ただ、長距離の仕事でも他県で見たという記憶はほとんど残ってはいません。


一方、「ひまわりチェーン」を調べたところ、こちらは現在も営業しているチェーン店のようです。ざっと見たところ、金沢市近郊というより金沢市内のみの店舗にもみえました。将来変動があるかもしれないのでスクリーンショットを撮っておきます。


金沢市 ひまわりチェーン - Google マップ http://bit.ly/RyVHvt


2014-05-11-170916_金沢市 ひまわりチェーン - Google マップ.jpg pic.twitter.com/typEalAv0o


前から思い出せないことがあったのですが、ようやくだいたいのところを思い出すことができたようです。それは金沢市長土塀3丁目の交差点から金沢駅方向の小路に入ったところであったと思います。


自分の記憶によるとその一角は田舎町のちいさな商店街のようになっていて犀川の方向のほうから小路に入ってくると、左の角にひまわりチェーンの店があったように思います。


余り行くことのない配達先だったので余計に記憶にも残っていたのですが、ある日、配達中にそのひまわりチェーンの近くで、NKさんかYSさんに出会ったと思います。それだけでなくM田かS田、あるいはその二人が一緒に仕事をしていました。


S田とM田についても前に書いていると思いますが、肝心要のことはまだ書いていないと思います。前に書いたのはS田がアルトワークスのことで被告訴人大網健二とトラブルになり、S藤を連れて金沢港のイワシの現場に来たということで、平成1年12月ころのことです。


車のトラブルの話は先に被告訴人大網健二から聞いて知っていたと思います。まだ雪が降りそうもない秋頃に聞いていた話のように思います。被告訴人大網健二はたいへんな不義理を受けたと大いに怒りまくり感情的になって、配達の仕事中のS田を追いかけまわしたような話もしていました。


なぜなのかよくわからないのですが、配達の仕事中のS田を追いかけまわしたという話を聞いた時、私はその場の状況として六枚交差点の近くの中橋陸橋の下の側道の辺りの情景を頭で思い描いていました。それに近い場所の話があったものと考えられます。


六枚の交差点は金沢駅に近く、その駅前からの道路と金石街道が交差する大きな交差点でした。交差点を横切って野々市方向にもう少し行くと、左手に職業安定所があって、その向かいに婦人会館とかいう割と大きな建物がありました。


その婦人会館からもう少し行った辺りで右に入って行くと大和町があって、被告訴人大網健二が昭和55年ころに住んでいたアパートの場所でした。長土塀の商店街のような一角というのも、そこから歩いても近い辺りと思われます。


なにか昔の記憶が重なって、六枚の交差点の近くのことを思い出しただけなのかもしれませんが、被告訴人大網健二が住んでいたアパートからは金沢駅までも歩いてそう時間はかからない距離だったと思います。実際に歩いて行ったような気もします。


近くに古い紡績工場かその跡地があったようなことも記憶に残っていますが、めったに通るような場所でもなかったです。


ついでに書いておくと中橋の陸橋にはもうひとつ思い出があります。さきほどGoogleマップのストリートビューで見たところ、陸橋は跡形もなくなり、高架下になっていました。


中橋の陸橋の付近というのも滅多にというかほとんど行く機会もなかったので、町並みの記憶も薄いのですが、S田を追い回したと聞いた情景では金岩方面に向かって陸橋の右側にその場所があったことになるかと思います。


もうひとつの方は、記憶も新しく具体的にはっきりしているのですが、夕方の遅い時間すっかり暗くなってから被告訴人松平日出男社長が、その場にいた10人ほどを食事に連れて行くと言い出したことがありました。あるいは7,8人だったような気もしますが、メンバーの顔ぶれはさほどはっきりしません。


人数からして最低2台の車には分乗して向かったと思いますが、その時最初に向かったのが、中橋の陸橋の真下付近、金岩方面に向かって左側の場所にある焼き鳥屋のような店でした。赤ちょうちんが出ているような店でしたが、店内の席に空きがないとかいう話で松平日出男は戻ってきました。


そのあと行ったのは、金沢駅東口のできたばかりの飲食店街の中の店でしたが、行きずりで適当に選んだような店でした。いろいろと気になるところはあったのですが、考え過ぎかとも思い。わからないまま引っ掛かりをを引きずるような出来事というか、その場の雰囲気でもありました。


平成4年の1月か2月のことでしたが、前後の状況に照らしても時期を絞り込むことができずにいます。その場には、被告訴人東渡好信の姿もあったように思いますが、東渡好信の精神病者を装うような不可解な行動が始まったのも、そのすぐあとであったように思われます。


まず東渡好信は会社に出てこなくなりました。会社をやめるような話もしていたようですが、東渡を親身に気遣い、心配する話もしながら、東渡好信に関する話を聞かせてくれたのも輪島のHさんでした。


輪島のHさんは平成2年の秋頃、東渡好信とほぼ同時に金沢市場輸送に入ってきた運転手でした。東渡好信の紹介というかたちでの入社とも聞いていました。会社で姿をみるようになったのは、ほとんど同じ頃だったと思います。


すでに書いているかもしれませんが、東渡とは運転手仲間で同じく材木を運ぶトレーラーに乗務していたという話でした。チューとも呼ばれたWも同じ仲間だったと聞きましたが、Wの場合はトレーラーではなく10トン車乗務だとも聞きました。


輪島のHさんは輪島でも海士町の人と言っていましたが、漁師という雰囲気は全くない人で、スナックのような飲み屋を経営していたこともあると話していたように思います。


よりはっきりと記憶にあるのは、本人が売春で刑務所に入ったことがあり、加古川刑務所に服役していたと話していたことです。1年か1年半という短い刑期だったと思います。なぜそんな話をするのか多少不思議には思っていましたが、ごく自然にに話していました。話は一階の休憩室が多かったです。


輪島のHさんのことで印象的だったのは平成3年11月25日の夕方のことでしたが、これはまだ本書では書いていないように思います。


Hさんは、東渡好信に同情的で、東渡好信の妻を批判することもあり「鬼のような女」と言っていたこともありました。平成4年2月の後半か同年3月中のことであったと思います。


私はその東渡好信の妻という人に会ったことがありました。休日の午後だったと記憶していますが、会社裏駐車場の一番奥、入り口から入って右側の位置で、声を掛けられました。七尾市から探しに来たものと思われましたが、なぜほとんど人のいない休日なのかとは不思議に思いました。


当時の休日というのは日曜日だけだったと思います。それに近いのが水曜日でした。中央市場の休日に定められた日です。たぶん月に一度かあるいは2度の水曜日だったと思いますが、第二か第三の水曜日という話だったと思います。


私の記憶にある中で初めのその中央市場が休日という水曜日は、平成3年9月のことでした。% cal 9 1991というカレンダーのコマンドによると11日か18日ということになるかと思いますが、休憩室の工事が途中ではありましたが、正直どちらか判断がつきかねます。


calコマンドの結果をスクリーンショットととして次に掲載しておきます。


2014-05-11-194350_ % cal 9 1991.jpg pic.twitter.com/Xlm4GZuIag


気になって調べたところ、次のような情報を得ることが出来ました。どうも金沢市市議会の公開資料のようです。PDFファイルになっています。


2014-05-11-200011_平成25年金沢市中央卸売市場の臨時休開市日について.jpg pic.twitter.com/m4N4cu8fyw


平成3年当時は月に1回だったように思うのですが、原則は第2,第3の水曜日となっていました。とても気になるところで正確な情報がほしいと調べてみたのですが、月に1回となると、事情も異なりそうです。


その水曜日は中央市場が休みということで、会社もずいぶんと暇そうで運転手の姿も少なかったですが、事務員の被害者AAさんと被告訴人池田宏美は出社していました。それでもずいぶんと暇そうで、早めに退社していたようにも思います。


東京都中央卸売市場 | 市場開場日・休業日年間カレンダー | 平成26年 http://www.shijou.metro.tokyo.jp/calendar/


平成3,4年当時、中央市場は土日が休みだったのか確認のため調べてみたのですが、上記リンクの東京の市場のカレンダーを見たところ、現在においても基本的に土曜日は休みではないようです。


市場急配センターで長距離の仕事をしていたのも平成3年8月の終わりから平成4年4月1日までと長くはなかったですが、その水曜日の市場の休みをはっきりと経験したのは9月と10月だけでした。会社内がいつもと違った雰囲気であったので、強く印象にも残っているのだと思います。


平成3年でも市内配達をしていた7月、8月というのは、水曜日の臨時休市という記憶は全くないので、たぶん9月から始まったものだと思います。


平成3年10月の水曜日の臨時休市では、けっこう多い人の姿がありましたが、市内配達の運転手の姿というのはなかったと思います。普段の退社時間は17時ということになっていたと思いますが、その日は16時ぐらいには退社というか解散していました。


印象的に覚えているのは、会社前から車に乗って出て行く、被告訴人池田宏美と被告訴人東渡好信の姿でした。計画が思いの外順調に進んでいるような満足そうな、それでいて注意深い顔に見えましたが、その顔を見たのもかなりの偶然で、二人とも私の視線があったことには気づいていない感じでした。


その日はまだ人の少ない時に、被害者AAさんに10色入りぐらいの油性のマジックペンをあげたことも覚えています。マジックペンを借りてかなり使ったことのお礼に買って、車かトラックに置いてあったものだと思います。


また、その時も車のフィルム貼りのようなことをやったと思います。あるいはトラックのフィルム貼りだったかもしれません。いずれにせよ、前回のようにAAさんは手伝いには来てくれず、なにかとても申し訳なさそうな顔をしていました。


ちょっと記憶が弱くなっているので自信が持てないのですが、解散という感じで会社に人がいなくなったあと、私は大阪府の高槻市の市場に向けて出発したように思います。積み荷は馬鈴薯だったと思います。当時多かった仕事ですが、高槻の市場というのは馬鈴薯では初めてだったように思います。


馬鈴薯と言ってもメークインなどの他の品種の芋も積んでいたと思いますし、あるいは玉ねぎを積むこともあったかもしれません。中央市場の裏口の、道路を挟んで向かい側にある倉庫でイモは積んでいました。


他の運転手が嫌がる仕事であったので余計に回ってきていたのだと思いますが、とりわけ平成3年の秋は多い仕事でした。初めの頃は、東京の市場にも3回ぐらい行くことがあったと記憶していますが、大田の市場ではなかったかと思います。そこから古河の市場に向かったことも記憶しています。


馬鈴薯の行き先として多かったのは名古屋の北部市場と大阪の本場(ほんじょう・福島区)市場と、北部市場でした。名古屋の北部市場は小牧市だったと思います。ほとんどが降ろしてすぐにとんぼ返りで夜中のうちに金沢に帰っていました。


時刻は5月12日10時を過ぎたところです。書いておくことが沢山あるので、とりあえず書いていきたいと思います。昨日の続きになります。


被告訴人東渡好信の妻のことから馬鈴薯の仕事について書いていたところでした。この馬鈴薯というのは石川県産ではなく、北海道から船で金沢港に運ばれてきたものを、中央市場の裏側にある倉庫で保管しているという話を聞きました。中央市場の敷地の中ではなく、道路の向こう側です。


平成3年10月6日、被告訴人安田敏のトラックに同乗して昼に名古屋の北部市場に行った時も、その馬鈴薯を積んでいました。


名古屋の北部市場よりは、大阪に運ぶことが多かったとも思います。名古屋で馬鈴薯を持っていくのは北部市場だけでしたが、大阪は北部市場と福島区の本場があって、どちらも同じぐらいの回数行ったように思います。北部市場は大阪市内ではなかったと思います。


近くには大きなトラックターミナルもあって、中西運輸商にいた頃は、九州西武運輸の荷物を運んでよく行ったという記憶もありました。結婚する前の妻を同乗させていたことも多かったです。


大阪も初めのうちは、名古屋の北部市場と同様に、空荷で戻っていたと思います。午後に馬鈴薯を積んで、夕方に出発、名古屋よりは多少時間も掛かったと思いますが、それでも夜中の2時か3時には金沢に戻ってきていたと思います。


そのうち大阪に馬鈴薯を持って行くと、決まって翌日に和歌山県の、かつらぎ農協からミカンを積んで戻るようになりました。このミカンの仕事は馬鈴薯の仕事以上に嫌われていたので、なおさら集中的に回ってきていたように思います。


私が初めて、かつらぎ農協にミカンを積みに行ったのは平成3年11月の17日か20日ぐらいではなかったかと思います。あるいは20日ころですが、以前は細かいことも具体的に記憶していたはずです。


それはちょうど、被告訴人浜口卓也が市内配達の仕事をやめて、市場急配センターで大型車で長距離の仕事を始めた頃でした。


同じく、津幡のYTも市内配達の仕事をやめ、大型車で長距離の仕事を初めていました。彼は市内配達の古参社員で頼りにされるような存在でもあったと思います。本人が長距離の仕事をしたいと言い出した時、会社からは反対されたそうですが、本人がそれならば会社をやめると突っぱねたと聞きます。


古参と言っても私が最初に市内配達の仕事をした庄和61年にはその姿はなかったと思います。年は私と同じでしたが寡黙な感じでもありました。それでも人当たりもよく笑顔で会話をする姿も見かけていました。被告訴人多田敏明とも仲良くしているという感じでした。


9月に被害者AAさんが2階から降りてきて私のフイルム貼りを手伝ってくれた時、その場にいたのも津幡のYTと被告訴人多田敏明でした。朝の9時か10時ころでしたが、二人は今から大阪府高槻市の市場に馬鈴薯を運ぶと言っていました。4トン車です。


津幡のYTが大型車に乗務したばかりの頃には、一度2台で能登の方に行ったことがありました。羽咋市内のもっと先で、当時は能登有料道路でしたが、余り降りた経験のないインターで降りて、その付近を走行していた一場面を記憶にしています。


能登で仕事によく行っていたのは七尾市ですが、七尾市には急ぎで行く時も能登有料道路の千里浜インターで降りて向かっていたと思うのです。これは羽咋市内の手前側になる場所だと思います。また二人で降りたインターは周りが少し山間になっていました。


能登有料道路は金沢からずっと海岸線沿いやその近くの平地を走り、羽咋市内の先の柳田インターを超えた辺りから、山間に入っていく地理になっていました。いずれにせよ記憶はそこで途切れています。


チューことWが市場急配センターに入ってきたのも同じ頃でしたが、被告訴人浜口卓也や津幡のYTが大型車に乗務するよりは、一週間から半月ぐらい遅れていたような気もします。あるいは11月の終わり頃ですが、同月の中頃からその月の終わりまでの間だったと思います。12月ではなく。


チューことWの姿を見たのはその時が初めてではありませんでした。それよりちょうど一年ほど前の平成2年の11月か12月ころも、しばらく金沢市場輸送のトラックに乗っていたからです。まだウィング車が入る前だったので平ボディ車に乗務したのだと思いますが、短い間でした。


その時は無口で目立たない存在で、一度も言葉を交わしたような記憶もなく、他の運転手と会話をする姿というのも見かけた憶えがなかったです。長くて半月もいたのでしょうか。もっとも長距離の仕事というのは運転手同士顔を合わせないことも多いです。長ければ半年合わないという話もありました。


市場急配センターには時期的にいくつかの区切りをつけることが出来るかと思います。もともとは石川日通、小林運送など数社の運送会社と共同で、金沢の中央市場の青果物の仲買の荷物を配達をするというところから始まったように聞いています。


数社と言っても私がその仕事に参加した昭和61年8月当時は、金沢市場輸送以外の運送会社は2トン車とそれに乗務する運転手が一人ずつだったと思います。それらのトラックは黄緑色に黄色のラインが入ったようなカラーであったと記憶しています。


中には塗装のない元からの紺色か青色のようなトラックもいたように思いますが、金沢市場輸送の大型車や4トン車と同じ、茶色とクリーム色のカラーの2トン車もけっこうな数揃っていたと思います。


昭和59年10月の時点では市内配達の仕事というのは全くやっていなかったので、昭和60年辺りから始まったものと思われます。


市内配達と長距離の区別というのもなく、事務所も同じでした。事務所は中央市場前の2階建てのテナントビルで、その2室が事務所で奥の半分ぐらいはアコーディオンカーテンのようなもので仕切られていました。その奥の方の部屋の事務所は丸ごと社長室で窓際に大きな机が一つありました。


実は、今日の昼に宇出津新港のアルプに行き、100円ショップでみつけたホワイトボードというのを買ってきました。これに簡単な図面を書いて、それをデジカメで撮影したものを説明に使いたいと思います。


昭和59年当時の金沢市場輸送の事務所の間取り_2014年05月12日15時04分42秒.jpg pic.twitter.com/so2OEJptPY


上記画像は、事務所内の大まかな間取りです。事務の机は向かい合わでで全部で6つではなかったかと思います。入って手前の左側の机には配車係の藤村さんが座っていて、入院後は被告訴人本恒夫が座っていたと思います。


左側の一番奥、窓際の机には小島という人が座っていた時期もありました。保険の事など担当しているという話でしたが、何をやっているかよくわからない人で、日通で事務員をしていたとも聞いたことがあります。見た感じ真面目なサラリーマンという人でした。


入って手前の右側の机には社長の奥さんが座っていましたが、常時いるわけではなかったと思います。いるときはメガネを掛けてうつむき、そろばんを弾いたり帳面をつけているような様子でした。周囲を見回すようなことも姿も見た記憶がありません。


ついでに書いておくと、昭和63年のクリスマスイブつまり12月24日だったと思いますが、被告訴人本恒夫の強い指示で、蛸島港にイワシのダンベを積みに行かされたことがありました。それが羽咋郡富来町の西海港での翌朝降ろしの仕事でした。


よく考えてみると次男も割と大きくなっていたと思うので平成1年のクリスマスイブだったかもしれません。いずれにせよ、その時私は具体的に本恒夫への不信感を持つようになりました。


他に年配で子供もいない運転手は暇そうにしていたのに、やたらと強く私に指示を出してきたのです。おまけに蛸島港の市場では、北浜太一さんに、いなくなるな、とか帰るなとか、かなり強く釘を刺されました。申し送りがあったような感じでした。


あえて家族関係に亀裂や波風を立てるような配車にしか思えなかったのです。そういうこともあったので、同じく年末に輪島のMYの代わりに九州に走れと本恒夫に言われた時も、私はきっぱり強く断ったのです。給料の差し押さえを被告訴人竹沢俊寿が小躍りするように喜んでいた時のことです。


私自身、クリスマスイブなどというのはずっと無関心でプレゼントをもらったこともあげたこともなかったのですが、子供も楽しみにする年頃になっていて、実際、戻った時は妻も平静を装いながらも、ショックを受けているような様子でした。


社長の婦人の隣の席には、配車係であった蛸島の北浜太一さんが座っていました。昭和59年のことです。その後やめて蛸島に帰り、浜田漁業の配車係になったと聞いていました。蛸島港にイワシを積みに行き、会ったこともあります。


被告訴人本恒夫は藤村さんが入院するため、代わりに配車係をやってくれと竹沢俊寿社長(当時。後に金沢市場輸送と市場急配センターの会長)と懇願されて、仕方なく引き受けた。給料も下がって大損だが、他にいないので仕方なく引き受けたと、何度も話していたのです。


被告訴人本恒夫が配車係をするようになったのは昭和61年の12月頃のことだったと思います。私は市内配達の仕事をしながら、東蚊爪の運転免許センターに大型免許の試験に通い、9回目だったかにようやく合格したのが11月27日だったのです。


日付をよく覚えているのは11月26日の誕生日の翌日だったからです。合格と同時に大型免許も即日の交付だったと思います。それ以来、受け持ちだった市内配達の仕事をすることはなかったと思いますが、2,3日は継続していたかもしれません。


受け持ちというのは、早朝のマルエーの配達とそのあとの青果の仲買の配達の片町・小立野コースでした。その時のマルエーの配達は魚だったと思います。松任店、根上店、寺井店の3箇所卸ではなかったかと思います。寺井が多少微妙ですが、たぶんです。


平静3年の時もほぼ同じ方面ではありましたが、朝のマルエーの配達は青果物で、寺井店がこれもちょっと微妙な記憶になっていますが、他は小松市内の、若杉店、今江店、本折店ははっきり覚えています。寺井がそうだとすれば4箇所卸だったことになりそうです。


その後の仲買の青果物の配達も、前と同じ片町・小立野コースでした。片町は金沢で一番の繁華街でもありますが、路地も狭かったり配達先も多いなど、もっとも難しい仕事という話も聞いていましたが、人の嫌がるコースということもあって、回されたようです。


仲買の青果物の配達は、午前と午後の2便がありました。平静3年の時は午前中と同じコースでしたが、昭和61年の時は全体的な荷物の量も少なかったので、コースに関わりなく荷物を運んで配達をしていました。例えば野々市や、羽咋郡の志賀町のスーパーに配達に行ったこともありました。


マルエーというのは金沢市近郊だけなく、石川県の加賀地方のほぼ全域に店舗があるようなスーパーでしたが、私は個人的に買い物に行ったこともほとんどなかったので、仕事だけのスーパーでしたが、たぶんテレビのCMも流していたように思います。


たぶん、現在もあると思うので検索で調べてみます。


各店案内 - スーパーマーケット マルエー http://www.s-marue.co.jp/tenpo.html


ざっとみたところ全部で27店舗ほどあるみたいです。私は平静11年の8月以来、金沢市内に住まいをしたことがなく、その当時でもスーパーで買い物をすることはほとんどありませんでした、子供や家族と一緒だった頃を思い出して気が重くなることもあり、足が向かなかったのです。


平静3,4年当時はもちろんインターネットなどあるはずもなく、このように店舗数を調べることも容易ではなかったですが、仕事で聞いていたような話では15店舗ぐらいと聞いていたようにも思います。住んでいる近くに店舗がなかったこともあり、利用する機会もなかったのですが店舗数は多いほうかと。


金沢市場輸送がマルエーの仕事をするようになったいきさつというのは聞いたことがありませんでしたが、一度取引を切られそうになった時、被告訴人竹沢俊寿が単身で乗り込んで、狂人のような振る舞いをやって危機を免れたというような話は聞いたことがありました。


狂人のような振る舞い、というのは適切な表現ではないかとも思いますが、要するにそれらしい非常識なことをなりふり構わずにやったという話でありました。誰から聞いたのかも思い出せないのですが、大げさに言えば自殺の道連れにするような脅迫的な行動をやったらしいです。


見方によれば体を張って会社を守ったということになるのかもしれません。また、マルエー側が取引を打ち切ろうとしたのは、おそらくですが腹に据えかねるだけの、運転手の素行の悪さや呆れ果てるミスが続いたことが考えられます。


これと似たような話は、被告訴人大網健二から被告訴人KYNについて聞いたことがありました。仕事の相手先に乗り込んで居直り暴れるようなことをやったと言っていましたが、被告訴人大網健二はそれを、気が弱いからだと不満そうにしみじみとした感じで、話していました。


被告訴人のうち考えるところもあって、被告訴人KYNに限っては実名の表記に切り替えず、当面匿名で行くつもりです。利用された被害者的要素も彼に限っては当てはまる可能性もあると考えるからです。具体的なことは折に触れても説明をしていきます。あちこちに飛ぶかと思いますが。


被告訴人KYNが乗り込んだ仕事の関係先について、被告訴人大網健二は津幡の会社と話していたような気もします。もっと具体的な話を聞いていたように思うのですが、どうもこの部分の記憶が薄れています。時期も今ひとつはっきりしませんが、Nテックのときの可能性が高いと思います。


時刻は5月13日9時52分を過ぎたところです。昨夜も夕方ころに記述を中断して、ほとんどなにもしないで寝てしまいました。書くことが沢山あるのに集中力も足らないようです。夕食もまともにとらず、袋に入った刻んだキャベツを少しと、メンチカツを一つ食べている間に寝ていました。


家の中の片付けもしたいところですが、書くべき予定のことが多すぎて気も滅入ります。少しでも前に進めるように、出来るだけのことを駆け足で書いていきたいと思います。


昨日はNテックのところにそれたところで中断になっていたようです、事実関係があちこちに飛ぶと、書いている方でも現状の把握が難しくなってしまいます。とりあえずNテックのことは後回しにして、市場急配センターの沿革について昨日の続きを書いておこうと思います。


昭和61年の12月ころのことを書いたと思いますが、これはちょうど被告訴人池田宏美や被告訴人梅野博之が入社してきた時期でもありました。当時の被告訴人池田宏美の名前は池田ではなく、少し記憶に自信がないですが吉村であったように思います。


私が金沢市場輸送に二度目に入社をして市内配達の仕事をするようになったことは、免許の点数がなく取り消し寸前であったこと、大型免許の取得のために運転免許センターに通っていたことなど、すでに書いていることだと思います。


その直前まで被告訴人安田敏と岐阜県海津町で山下工務店の仕事をしながらライスセンターの平屋の家で生活していたことも書いていると思います。


なお、そのライスセンターのの仕事というのは本来、9月から12月の10日ころまでと聞いていました。米の収穫時期です。ただ、ライスセンター側の要望があって、ライスセンターの仕事が始まる前の時期にも、工務店の仕事を手伝ってほしいという条件が出ていたと安田敏から聞いていました。


被告訴人安田敏が初めにその海津町のライスセンターの季節労働というか出稼ぎの仕事に行ったのは、昭和60年と考えられます。安田敏が金沢市場輸送で市内配達の仕事をしていると聞き、金沢市場輸送の事務所の前まで行って声を掛けたところ、やめて岐阜に行ったと聞きました。


これもすでに書いていると思いますが、窓から顔を出してそう教えてくれたのは、金沢市場輸送で配車係をしていた北浜太一の弟でした。「おっさま」と呼ばれることが多かったようにも記憶しています。


彼は私が昭和59年1月に初めて金沢市場輸送に入社した頃、大型車に乗務して長距離を走っていましたが、長期の免許停止が決まっていたらしく、すぐに免停になって、荷物の積み込み作業などやっていました。


当時20代の前半だったと思いますが、正確な年齢は忘れました。なんとなくの記憶になりますが、24歳と聞いていたような気がします。その後付き合いがあった可能性は薄いと思いますが、被告訴人大網健二も当時はよく知っている人物でした。


当時私は11月の誕生日前で19歳でしたが、平静1年の初め内浦町松波の港で岸壁から赤色の買ったばかりの軽四で飛び込んで自殺したという蛸島のTSさんとは、改めて考えるとやはり年が近いようです。


ちょっと思い出したのですが、北浜太一の弟の場合も、免停ではなく免許取り消しだったような気がします。その後、免許を撮り直して蛸島で4トンの保冷車を買って白ナンバーで魚を運んでいるというような、噂話のようなものも聞きましたが、これは平静1年頃のことかもしれません。


私が昭和59年の1月に金沢市場輸送に入った時点で、北浜太一の弟は、3,4年かけっこうな年数、金沢市場輸送で運転手をしていると聞いていたように思います。記憶は薄くなっていますが、それでも2年以上とは聞いていたように思います。


その辺りから逆算しても蛸島のTSさんが被告訴人安田敏と同じく石川県立水産高校漁業科を卒業して金沢市場輸送に入社したと聞く、昭和56年の時点でも同じ金沢市場輸送にいた可能性はあるかと思います。


まだ書いていないと思いますが、その金沢市場輸送に入社したてのころの蛸島のTSさんは、当時の内浦町越坂の出身と聞くKSさん(以降、越坂のKSさんとも書きます。)と、一緒にトラックを走らせていたと聞いたことがありました。


私もごく最近になってたまたま知ったのですが、本来の小木というのは思っていたより限られた範囲になっているようです。小木駅のあったあたりが市ノ瀬であることは知っていましたが、もっと小木の街に近いところも市ノ瀬になるようです。


2014-05-13-104213_石川県鳳珠郡能登町小木 - Google マップ.jpg pic.twitter.com/HqbknGv10r


小木は松波同様に、平静17年だったと思いますが、石川県珠洲郡内浦町から宇出津や姫、真脇、鵜川と同じ能都町、そして柳田村が合併されて鳳珠郡能登町になっています。


2014-05-13-104912_石川県鳳珠郡能登町越坂 - Google マップ.jpg pic.twitter.com/JCd0X57l5T


次が能登町越坂のGoogleマップの地図ですが、今度は小木との比較対象をわかりやすくするため、航空写真を使いました。越坂は数件のホテルと漁村があって、私も近年知ったことですがキャンプ場もあるようです。


越坂は市之瀬と同じく九十九湾に面していますが、遊覧船の乗り場があるのも市之瀬のほうです。小木駅もその市之瀬にありました。越坂の子供は例外なく小木中学校に通っているとも聞いていました。地理的にも近いですし、地元でも小木の一部のような感覚でいる人が多いのではと思います。


越坂のKSさんは昭和59年当時、中西運輸商の大型保冷車に乗務していました。珠洲市三崎のHMとは中西運輸商の同僚でもあったはずです。


一度私は金沢市場輸送の4トン保冷者で珠洲市三崎のHMを同乗させ、一緒に山形県酒田市に行った帰りだったと思います。柿崎町から新潟県上越市の境辺りの国道8号線沿いに小さな中華料理店があって、そこで3人で食事をしたことがあったと記憶しています。


新潟市内方面から上越市内に向かっていると右側にある店でした。小さな店で本来はトラックが停められるような店ではなかったのですが、国道沿いの路肩に寄せて駐車していました。どちらかが脇に駐車をしていて、見つけたほうが後で店に入ってきたように思います。


それは保冷車の箱に「中西運輸商」と大書きした2台の10トン保冷車のうちの1台でした。その保冷車には私自身昭和62年の3月ぐらいに、一時乗務したこともありました。


2台はどちらも日産ディーゼルのトラックでしたが、1台は改造車で10トン車にトレーラーのエンジンとミッションがつけてあるというトラックでした。ギアは10速とも聞いていましたが、ギア比が低いため最高速度が80キロとか90キロしか出せないとも聞いていました。


保冷の箱の方も通常よりかなり補強した作りになっていると聞いていましたが、中が丸く膨らんでいたような記憶もあります。


それは中西水産輸送の社長ならではのこだわりで作られたトラックでした。主に宮城県の石巻港から養殖ハマチ用の餌(たんにエサと呼ぶことが多かったです。以降もそのように)を四国の宇和島市や九州の大分、宮崎、鹿児島の養殖場のある場所に運ぶ仕事のための特別仕様のあつらえでした。


このエサという仕事については前にも説明をしていると思うので、なるべく端折りたいと思いますが、昭和60年ぐらいまでは金沢市場輸送でも中心的な仕事であると聞いていました。私自身は昭和62年の4月に金沢市場輸送で大型保冷車に乗ってから一度も経験したことのない仕事でもありました。


私が大型車に乗務した頃は、雑貨と鮮魚が中心になっていましたし、保冷車の作りもかなり簡素というか薄っぺらいものになっていました。鮮魚が中心と言っても、それは九州や東北から積んでくる方の仕事が多く、定期便にもなっていました。


今はどうかしりませんが、当時、石川県の港から大型車でまとまった鮮魚を運ぶのは、例年6月から7月ぐらいの間の正味一ヶ月もなかったぐらいの期間で、それもスルメイカでした。最近人から聞いた話ですが、漁をする船も九州や東北から集まってくるそうです。


富山県氷見市に掘安という小さな運送会社があって、鮮魚を運ぶ会社でしたが、被告訴人本恒夫の傭車として金沢市場輸送の仕事をすることが多く、たまに仕事をもらって氷見港から魚を運ぶこともありました。東京が多かったですが、九州に行ったこともありました。


この傭車というのもひとつのキーワードですが、中西運輸商もその傭車を使って仕事を差配するのが中心のような会社でした。前にも書いているはずですが、自社のトラックの運転手は中西運輸商ではなく、中西水産輸送の社員だと聞いていました。なにか税金対策の目的だとも聞いていました。


昭和59年ころというのは社会全体としてもまだ不景気な時代で、雇用の条件とかも厳しいものがあったと思います。仕事内容でも経費削減のため高速道路の使用が大きく制限されたり、遥かにきついところがありました。加えて未開通の高速区間も多くて道路事情遥かに悪かったです。


関越道の関越トンネルが開通したのも昭和60年ころだったと記憶していますし、昭和59年の時点では富山県の朝日インターから新潟県の上越インターまでの高速区間がなく、国道8号線を通るしかない上、親不知付近ではなにかあったときの迂回路もありませんでした。


会社が強気で運転手が弱い立場という一面もあったかと思います。普通免許で乗れる4トン車では、求人での募集と採用も次々の入れ替わりがあり、大型車の方はトラックに乗務する運転手も決まっていて出入りも少なかったので、募集自体もあまりしていなかったようです。


まもなく訪れたのがバブル景気という時代ですが、それは過去を振り返った形で聞くようになった言葉だと思います。当時の自分は新聞もテレビもまともに見ていなかったので、なおさら無知ではあったのだと思いますが、余り意識しないままに仕事が増え、それなりに給料もよくなっていきました。


体感的な世の中の変化としては、ひょうきん族のようなバラエティ番組の登場や、おニャン子クラブの登場があったと思います。食に関する関心も高まっていき、グルメという言葉を聞くようになったのも、同じ過程かと記憶しています。


エサの仕事に関してはいい時はキロ20円の運賃と聞いていました。30トン積んで運べば60万円の運賃になるという計算だったと思います。昭和59年ころになると相場がずいぶんと安くなって割が合わなくなっていると聞いていました。


トラックの性能自体、現在とは比較にならないほど劣っていたと思います。4トン車でも昭和59年に私が乗務した頃の古いトラックというのは、昭和60年当時の新車に比較してもずいぶんと性能に違いがありました。


トラックのメーカーによる個性的な違いというのもありましたが、イスズ車はブレーキが強く、日野のトラックは弱いというのもありました。4トン車でも重量を積んでブレーキを踏んでいると焦げ臭くなって煙が上がり、とても危ない思いもしたものです。


10トン車の場合、ブレーキはエアーになっていましたが、重量を積んで余計にブレーキを踏んでいると、コンプレッサーのエアーがなくなり、ブザーが鳴るとともにブレーキの効きが極端に悪くなって、とても怖い思いをしたものです。


エサなど30トンも荷物を積んでいると、下手にブレーキが効き過ぎるのも恐ろしいことで、急ブレーキを掛けると保冷車の積み荷が箱を突き破って運転席(キャビンとも)に雪崩れ込んできて、運転手が圧殺される事故もあると聞いていました。


なお、丸太をワイヤーで留める木材の運搬の場合、そういう危険ははるかに高くて、死亡事故も多いとも聞いていました。現在では当時のように丸太を山積みにしたトラックというのも規制が厳しくなって走ってはいないのかもしれないです。


余談になりますが、北関東の方では栃木県の山の方から土砂などを山積みにして走る一発屋のようなダンプがいると聞き、60トンぐらい積んでいるとか信じられないような話を聞いていましたが、それらしい山盛りのダンプは、早朝に走っていました。平地でも超低速で。


昭和59年ころというのも、ちょうどトラックの性能が飛躍的に良くなりだした時期であったことも考えられます。チューブレスのタイヤが出るようになったのも昭和60年代だったように思いますが、4トン車にエガーブレーキがつくようになったのも昭和59年でした。


石巻から積むエサの仕事では、仙台港から名古屋港までフェリーに乗り、国道を走って大阪の南港や神戸港の方から南九州までフェリーに乗るとも聞いていました。フェリーに乗っている間は、運転をすることもないですが、名阪国道の天理の坂を下るのは神経が磨り減るとも聞いていました。


今はどうなっているのか知りませんが、平成3年の11月の終わり頃にも私は名阪国道を走ったことがあり、そのころも反対車線は急で長い下り坂が続き、止まるような超低速で坂を下る大型保冷車を見かけていました。


かつらぎ農協からミカンを積んで帰るのに時間帯的に近畿道辺りが渋滞しているかと思って、試しに西名阪、東名阪を走ってみたのですが、明らかに遠回りという感じで、それ以来は素直に近畿道を通って名神高速から戻っていました。


その時は関ヶ原インターから名神高速に乗ったのだと思いますが、北陸道に向かう米原ジャンクションの手前に伊吹パーキングエリアがあって、そのパーキングの公衆電話から被害者AAさんの自宅に電話を掛けたのです。


平成3年11月26日の夕方遅くには輪島のHさんと被告訴人多田敏明と一緒に会社を出発して北陸道に乗り、福井県の武生インターの近くのサービスエリアで落ち合い、そのあと私は大阪の市場に向かいました。馬鈴薯を積んでいたはずです。


翌日にはかつらぎ農協でミカンを積んだはずで、この日だとすると11月27日の夜にAAさんの自宅に電話を掛けたことになります。時刻は19時半ころだったと思います。


なお、今、武生インターの近くのサービスエリアをGoogleマップで調べたのですが、南条というサービスエリアがありました。そういえばそんな名前だったかと思ったのですが、武生インターの手前にあったと記憶にあるサービスエリアが、武生インターの先の位置になっていました。


改めてGoogleマップを見なおして気がついたのですが、手前に当たるインターは武生ではなく、今庄インターでした。国道365号線に通じるインターということは記憶にあったのですが、確かに武生の街からはだいぶん離れていました。


近道ではなかったですが、たまに気分転換で武生市から国道365戦を走って山越えをし琵琶湖の近くの国道8号線に出ることがありました。Googleマップで確認したところ、木ノ本インターのことも思い出しました。ずっと長い間忘れていたのに、スーッと自然に思い出した地名です。


% cal 11 1991というLinuxのコマンドで確認したところ、平成3年11月27日は水曜日になっていました。これも正確性を担保するためコマンド実行のスクリーンショットを撮っておきます。


2014-05-13-125806_% cal 11 1991.jpg pic.twitter.com/l7Grewj9LL


伊吹パーキングからの電話で私は休みの日に彼女をドライブにでも誘おうかと考えていました。それで休日の予定についても尋ねたように思います。


27日が水曜日だとすると翌日にはもう一度、大阪に向かっていた可能性も高いです。そうすると28日の金曜日の夜に伊吹パーキングから電話をしたという事実が成立しますが、そちらの可能性の方がはるかに高いと思います。


電話を掛けた時、彼女は少し困ったような様子ですぐに電話を切ろうとしていました。今から出かけなければならないと言っていたようにも思えます。


数日前の25日の夜の電話では、初めて電話を掛けてきても構わないというか、「だいじょうぶや」という返事をもらっていたのにです。この平成11月25日のことについても詳しく書いておく必要がありますが、日付をよく覚えているのは自分の誕生日の前の日ということもありました。


そしてその伊吹パーキングからの電話を最後に彼女はまったく自宅の電話に出なくなりました。次に電話に出たのは年が変わった平成4年1月12日の日曜日の夜のことでした。これも日付をよく覚えているのは、片山津温泉「せきや」であった泊まりがけの新年会の翌日のことであったからです。


地理的なことはさほど重要ではないと思いますが、地理的な位置関係も分かっていた方が理解も進むかと思うので、Googleマップでルートを表示してみました。伊吹パーキングに行った時は、三重県の桑名市から関ヶ原インターを経由しているはずかと思います。


2014-05-13-140409_Googleマップ 和歌山県かつらぎ町〜滋賀県伊吹パーキング.jpg pic.twitter.com/tZpQpdIQqx


時刻は5月15日23時20分を過ぎたところです。また中断をしていましたが21時30分過ぎに家に戻りました。その10分ほど前でしょうか、考え事をしていると、これまで以上に大きなこと事実を紐解くキーワードと思える問題が頭に浮かんできました。言葉を変えると認識の程度が違ってきたのです。


今夜は疲れていて、他にやることもあるので多くは書けませんが、それは平成4年の事件に置いて、初公判前の弁護人選任のことです。すでに岡田進弁護士が国選弁護人として決まっていたのではないか思うのですが、現在の記憶を手繰ると微妙なところもあるかという感じです。


私の母親は金沢西警察署にいる間に、13回面会に来たと聞いた覚えがあります。誰に聞いたとなると、裁判所の広汎に置いて聞いたように思うのですが、これも現在の記憶では正確に思い出すのが困難です。公判調書では記載を見かけていないようにも思います。


そもそも岡田進弁護士が国選弁護人として選任されたという通知がいつ頃届いかのかも思い出せないのですが、その前に弁護人選任の問い合わせのような通知が金沢地方裁判所から届いていたはずです。これは既に公開済みの書面で日付が確認できるかもしれません。


極めてはっきりしていることは平成4年5月28日に金沢刑務所の拘置所に移送されたということです。本来初公判という日にちでもあったので、これはしっかりと記憶しています。


時刻は5月16日9時30分を過ぎたところです。思ったほどぐっすりとは眠れなかったのですが、疲れはけっこうとれました。天気は良いですが風が強い様子です。昨夜の続きを書いていきます。昨日は気分転換もでき、帰り道では閃きのようなものを得ることもできました。


金沢西警察署での取り調べですが、自分の感覚としては全体の4割程度の間に調書の作成をともなった取り調べが終わり、あとは取り調べがないか、あっても短い時間の雑談のようなものではなかったかと思います。


その時は多少不思議にも思っていたのですが、起訴されると弁護権の侵害にもなるので取り調べはほとんど行われることがないとずっとあとになって知りました。たぶんですが、10日間の勾留延長を経た上での起訴であったと思われます。


起訴状の撮影写真も添付資料の中には含まれていたかもしれません。事件を起こして金沢西警察署に出頭したのが4がu1日の20時23分ぐらいと聞いたように思うので、4月の23日ぐらいに起訴されたものと思います。


おおざっぱに考えますと、起訴されてから一週間ほどで弁護人選任の商会があって、国選を選んだところ、次の一週間ぐらいで岡田進弁護士に決まったという通知が届いたのかもしれません。


早い段階から私は国選でいいと言っていました。肝心の被害者が意識不明の状態で、私選弁護人をつけることは被害者家族をいたずらに刺激し、不信を招き兼ねないと判断したことが大きかったと思います。とにかく被害者の意識が戻ることが当時は最大の関心事でした。


過去に何度も書いてきたことで以前はインターネットでも情報を公開してきたことと思いますが、谷内孝志警部補は取り調べをしながら今後の見通しとして、被害者の意識が戻れば執行猶予と言っていたように思います。


よりはっきりと印象に強く残っている谷内孝志警部補の話は、1年2,3ヶ月ぐらいの実刑で、2年以上行って来いということはまずない、ということでした。妙に自信たっぷりで軽快に話をしていました。


金沢西警察署における留置場の生活では藤井さんと坂井さんという看守のような担当が二人いて色々と話をする機会も多かったですが、運動という時間がありました。金沢西警察署では15分ずつの午前と午後の2回であったかもしれません。


平成11年8月の金沢中警察署の時は、30分で一日一回だったように思うのですが、どちらもずいぶんと前のことになるので、あまりはっきりとは思い出せない状態です。


この運動の時間というのは実際のところ体を動かすというよりタバコを吸うための時間でした。専用の外の景色もほとんど見えず、日差しもまともには入らない場所で運動は行われていましたが、必ず一人の立会の警察官はいました。


その運動の立会の警察官は藤井さんや坂井さんに限らず、他の警察官であったことが多かったように思います。なかには派出所勤務から応援に来たと話す警察官の人もいました。


金沢中警察署で暴力団の係をやっているという人もいました。ずいぶんと胸板が厚く屈強そうな人でしたが、森と名乗られていたことも覚えています。ブスの方がひねくれて性格が悪くなり、美人のほうが素直で性格の良い人が多いと、一般とは異なるような持論も展開されていました。


藤井さんは定年間近だとも話していたように思いますし、かなり年配の人でした。坂井さんは私より年下で当時25歳と言っていたと思います。一人旅で中国旅行に行ってきたとか、筆談でなんとかなるとか話をしていたことも憶えています。


坂井さんの方はまだ50前のはずなので、現在でも石川県警察で警察官をしている可能性は高いと思います。


主に運動の際の立会の警察官だったと思いますが、ほとんどが執行猶予の判決になると予想しているような口ぶりでした。相場も何もわからなかったのですが、初犯であったことと自首したことが大きかったようです。殺人罪でも事情によれば執行猶予になるということも全く知らない状態でした。


そもそも執行猶予という言葉も聞き慣れないもので、警察の人に何度も説明を受けながら、なっとなく理解したという感じだったと思います。実刑の方に傾いていたのは谷内孝志警部補ぐらいでしたが、緊張感を持たせるために厳しい見通しを示しているのかとも考えることはありました。


被害者の意識が戻るということは刑が軽くなるという意味もありました。なにより厳しい見通しを示す谷内孝志警部補ですら、意識さえ戻れば実刑のはずはないというような言い方もしていたように思いますが、執行猶予の可能性以上に、意識の戻る可能性は低いという態度でもあったと思います。


改めて思うと、谷内孝志警部補を含め金沢西警察署の警察官のほとんどは、意識が回復することはないという大前提で、捜査と取り調べをしていたと思います。それが杜撰でおざなりの対応になったのだと思いますが、それもガソリンをまいたが火はつけていない、という状況だったと言えそうです。


別の言い方をすれば、魂の入っていない人形のような状態と言えたかもしれません。国選弁護人となった岡田進弁護士は、公判において江村正之検察官が被害者の意識が戻ったと述べても、そのあと接見にも来なかったし、なんの話し合いもないまま判決が出ました。


その岡田進弁護士の弁護がどのようなものであったか、一言でいえば恫喝です。まさに形だけの話をして、「反省、後悔するぐらいなら初めからするな」と言い放って、睨みつけて帰って行きました。それは悪夢のような光景でもありましたが、まだ被害者の意識が戻らない絶望的な状況下でした。


岡田進弁護士の弁護に関してもこれまでに何度も書いていると思いますし、インターネットでも情報を公開していたはずです。今でも検索すればなにがしかの情報は出てくるものと思われます。正味10分程度の接見時間だったでしょうか。とても完結で短かったので、もれなく記憶し書いていると思います。


私も気弱になっていましたし、迷いもありましたが、弁護士との接見となると話を聞いて立場を理解してほしいとは思いました。そのような切り出しで話を始めようとしました。どんな言葉での切り出しだったのか、ちょっと思い出せませんが、それはボクシングで言うカウンターパンチのような対応に。


そういうことは弁護士としての経験からも場数を踏んでわかりきっているという態度で、すかさず言葉を遮られ、主導権を握られました。そして切り出したのは次の2点の確認のみだったと思います。


一つは、事件を起こす前被害者との間に合意のセックスはありましたか?、という質問。もう一つは、犯行時お酒を飲んでいてアルコールの影響はありましたか、というような質問。どちらも質問というよりは確認だったと思いますし、そのようなことは供述調書にも記載のある事項かと思います。


そのあと、5,6年は言ってくるでしょう。という言い方をしました。突き放すような結果の突きつけという感じでした。量刑を左右しうるのは、先の2点の事項のみという判断であって、他は全く問題にする余地もない全くの無駄という感じが、極めて強く言葉と態度に現れていました。


弁護士というのはすさまじい仕事、商売なのだと改めて思います。はっきり言って私は岡田進弁護士の姿を目の前にすると、自制の自信がありません。躍りだして殴りだしたら止まらず、本当に殴り殺してしまう可能性すらあるとずっと思ってきました。


しかし、それとは裏腹にずいぶんと感情を抑えて岡田進弁護士のことは控えめに書いてきたつもりです。感情論という弁護士がお家芸的に利用する印象操作で、むしろ希釈化される実際のことが伝わりにくくなるだけと考えたからです。歴史的に弁護士が作り上げてきた社会基盤の一つだと現在は考えています。


また、これは岡田進弁護士という個人の人間の問題だけではなく、刑事弁護というものに根ざす反復継続性の高い問題だとも思いました。言い換えれば広汎的に出来上がった市場相場のようなものです。私の問題に目を向けた弁護士はゼロではないかもしれませんが、ほとんどいないという現実もあります。


そういう意味では諦める部分もあったと思います。岡田進弁護士は信じられないような必要最低限の接触しかしなかったので、それ以上のなにかをつかむという取っ掛かりもなかったのです。判決という結果を出したのも裁判所。それもまた弁護士という伝統と文化でしょう。神格された無謬性です。


弁護士が過去にいささかなりでも非を認め、謝罪し、見直しをはかった例があったでしょうか。私は寡聞にしてしりません。相当の情報量を得て注意深く観察してきたつもりですが、どうな問題でも非があるのは裁判所か検察、警察というのが一貫した弁護士のスタイルです。


私にとって弁護士というのは魑魅魍魎というのか悪霊的な妖怪のたぐいです。そう解釈する他ないのが、岡田進弁護士、木梨松嗣弁護士による対応の実体験です。とにかく想像を超えていました。言葉で尽くせない卑劣さと厚かましさです。それは社会に対する背信でもあると私は信じます。それ故の告発です。


客観的にみれば、一審の国選弁護人であった岡田進弁護士と控訴審の私選弁護人であった木梨松嗣弁護士は、同じ金沢弁護士会所属の弁護士であるという以上の、つながりを見つけることはできませんでした。おそらく探偵にでも頼まないと知ることのできない事実かもしれないという諦念もありました。


探偵に頼んだとしても地元であれば、弁護士の利益になるように動く可能性が高いとも考えました。


そういう雰囲気は、被告訴人大網健二に紹介された若杉幸平弁護士にも見て取れました。あの初対面の時の居合の気合をも漂わすただならぬ雰囲気は、岡田進弁護士のそれとも似ていると感じました。


岡田進弁護士の場合も、初対面なのにどうしてあそこまで攻撃的だったのかと、あとあと考えましたが、金沢西警察署の谷内孝志警部補が作成した供述調書の人物像によれば、そうなのかという諦めもありました。


その表現はおかしいと言っても、薄ら笑いを浮かべ同じ意味や、と言ってまともに取り合わなかったのも谷内孝志警部補ですが、当時は取り調べにおける問題が社会問題として表面化するようなこともなかったと思うので、戸惑いと諦めしかなかったです。


そろそろ昨夜、小木港からバイクで帰る道すがらひらめいたことを書きますが、木梨松嗣弁護士が一審での私選弁護人を断った真の理由のことです。


京都の母親の兄弟の親戚がお金を工面してくれるので弁護士をつけろということは、わりと早い段階から説得を受けていたと思います。当時は起訴という言葉も知らなかったので、その意味することの大きさの認識もなかったのですが、刑事裁判となれば弁護士ということは世間並みに理解していました。


やったことに間違いはないので言い訳など必要ないとも考えていましたが、そもそも私は理由を被害者に求めて事件を起こし、それでも満足な答えをもらえないまま、被害者は話のできない意識不明の状態となって、自分は留置場に囚われの身となったのです。


同時になにより事実を知るのは被害者の家族であって、その理解を得ることが最善の方向性だと考えていました。


伊吹パーキングからの電話以来、彼女つまり被害者AAさんが、まったく自宅の電話にでなくなったことは2,3日前にも書いていると思います。平成3年11月30日の土曜日が事実上の始まりだったと思います。


伊吹パーキングからの電話はその前日のことであったと思いますが、会社において不思議な光景を目にしました。午後であったとも思いますが、その場面だけは印象的に記憶に残っています。初めはまた何かの工事が始まったのかと思っていました。


自宅の電話に出なくなったことと同時に始まった会社で彼女が車を会社の裏にあるトラックと運転手の車を停める駐車場(以降、単に裏駐車場とも)での駐車のことです。


彼女が裏駐車場での駐車をやめたのは平成4年2月3日のことでした。ちょうど私が24トンのミールを積んで九州の福岡市に向けて出発した日のことです。


その日は月曜日でしたが、ミールの荷物は土曜日の2月1日に積み込んでいました。休日前に荷物を積むことは「積み置き」と呼んでいましたが、よくあることです。ただ普通、この場合、荷降ろしまでの時間的な余裕が大きいので、経費削減のため一般道を多く利用するのが普通でした。


九州への運行は金沢市場輸送の時に多く経験していましたが、積み置きではなくても翌日降ろしではない中一日の余裕があると、一般道を走り、福井県の敦賀から国道27号線、京都府の福知山で国道9号線、鳥取、島根と一般道を走って、山口県の山口インターから高速道路に乗るのが普通でした。


金沢市場輸送では山口インターか小郡インターから九州の高速道路の利用が認められていました。他の運送会社だと関門トンネルを走って全線下道の会社もあると聞いていたので、その点はまだ恵まれていたとも言えそうです。


下関で重量オーバーの冷凍物を積むと、台貫に引っ張られて捕まる可能性を避けるため、島根県の益田市まで海沿いの国道を走ることがありましたが、一部でも高速道路を使うのとでは倍ぐらいの時間が掛かったような感覚があります。時間帯にもよると思いますが。


市場急配センターでは金沢市場輸送より高層道路の利用も緩やかに認められてはいましたが、全く長距離の経験のない松平日出男社長が指示を出すこともあったので、そのあたりもかなり緩やかだったと思います。本恒夫とはしばしば衝突することもありましたが、自腹で高速を使うことはほぼなかったです。


その時も会社の指示に従ったのですが、土曜日に積んだ荷物を月曜日の朝に会社に出社してから出発しました。大阪か神戸の夕方のフェリーに乗船することが決まっていました。


その時は考え事が多かったので気が付かなかったのですが、敦賀から高速を降りて一般道を走るつもりでいました。それが時間的にかなりキツイかもしれないということに気がついたのです。会社を出たのは10時ころになっていたようにも思います。


大阪のフェリー乗り場といえば南港だと思いますが、たぶんその時は神戸の魚崎からフェリーに乗ったのだと思います。敦賀から一般道を走るのは、米原バリアでの検問を避けるためでした。


フェリーの時間に遅れて国道2号線で一般道を走ることになれば、重量違反で捕まるリスクも高まるし負担も大きいので、そのまま北陸道で米原バリアを通過したのですが、ちょうど検問をやっていて重量違反で反則切符を切られました。


一度捕まると、社名やトラックのカラーを記憶されて狙い撃ちにされる可能性もあるので、なおさらへこみました。反則切符を切られたのも数年ぶりだったと思います。


冷静に普段通りに考えていれば、昼間に敦賀から国道161号線や京都市内を通って、フェリーの時間に間に合うことがきついことは計算できていたのですが、その時は仕事にも集中できず、現実的に物事を考えるのが難しくなっていました。


そういう経験というのはそれまでにも多少はありましたが、自分一人で運転するしかないので、判断ミスの負担も大きく自分に跳ね返ってきます。


取り乱すほどではなかったですが、集中できない状態になっていたのは、出掛けの彼女の駐車のこともありますが、2月1日の夜に被告訴人安田繁克に会ったことが大きかったです。彼女に対する不信感というより得体の知れない恐怖心のようなものを感じる状態になりつつありました。


どれだけ手紙で頼んでも話にすら応じなかったのが控訴審での木梨松嗣弁護士の態度でしたが、上告審になるとあっさりと東京で国選弁護人になった斐川雅文弁護士から郵送で差し入れられてきたのが、被告訴人らの甲号供述調書でした。


縮小版でした。とにかく選任されてすぐに送ってきたと思うので、木梨松嗣弁護士から申し送りがあったのかとも考えました。木梨松嗣弁護士の場合は控訴審の判決が出る前も出てからも、さっぱり連絡がなくなって事実上の音信不通になっていたので、理由を考える取っ掛かりも見出だせない状況でした。


出たのは公訴棄却という判決だけでしたが、拘置所に戻ってすぐに問題を起こしたので、そのまま保護房に入れられ革手錠を付けられました。49時間ぐらい革手錠を付けられ、外されたあともまる一日ぐらい保護房に入られていました。物凄い判決に対する不服がありましたが、挑発的な母の言葉が原因でした。


「人権擁護委員を呼んで来い」と言って、アクリル板を拳で殴りつけたことは憶えています。母の言動は前々から誰かに指示を受けているようなところがあり、頭が混乱するので本当にやめて欲しかったのですが、それは事件の時の被害者に対する行動にも共通する苦痛の余りの反応でした。


その後も母親とはまともな話をすることもなく、母親は正気を失っていきました。認知症とも聞きましたが、体も付随になって寝たきりの状態が続いています。


本当は聞きたいこともありましたが、どこまで本当のことを話してくれるかもわからず、事実を聞き出すには相応の説明も必要かと思いましたが、そうすれば取り乱して危機を煽り、不則の事態を招くことも考えました。世話にもなっていた被告訴人大網健二や被告訴人KYNの関与が大きいからです。


プライバシーの強い問題なので書こうか迷いもあったのですが、私が福井刑務所にいる間に、頭がおかしくなった父方の親戚の人がいました。宇出津で被告訴人大網健二、被告訴人大網周一の大網兄弟とは同じ大橋組という町内でもあったので、小さい頃からよく知る間柄でもあったはずです。


大橋組は中町という町内と並んで宇出津の中心部の商店街のある場所で、今は昔のような賑もなくなってはいますが、以前は商売をやっている家の多い町並みでもなりました。地図には書いてない町内なので地元以外の人には極めてわかりにくいとは思います。


町内が一番の意味を持つのは宇出津のあばれ祭りの時かもしれません。小学校の頃までは父方の親戚とも多少の付き合いはありました。宇出津の祭りも大橋組のその親戚の家に行っていました。親戚であることは被告訴人大網健二もよく知っていたはずです。


平成9年の1月18日に私が福井刑務所にを満期出所したことはこれまでにも何度か書いたと思います。そしてその年の7月の1日か2日の夜に、宇出津まで出向いてくれた被告訴人大網健二と被告訴人KYNの二人に手伝ってもらって、金沢の北安江の借家に引っ越しをしました。


引っ越しをするまでの間、何度か金沢に行ったこともありましたが、ほとんどは宇出津の家にいましたし、車もバイクも自転車もなかったので、家から出るということも少なかったと思います。


そんな時に、ときどき家に来ていたのが頭のおかしくなった親戚の人でした。疑いもなく精神病のような状態でしたが、人が誰かもほとんど認識ができていない様子で、会話も成り立たない感じでした。


私が母親から聞いた話では、なにか選挙の運動員のようなことをやっていて、選挙違反のような問題で警察の追求を受けたところ、深刻に悩んでいるような様子が続いて、そのうち壊れたような状態に発病したとのことでした。


その後、少し小耳に挟んだ2件ほどの地元の人の話では、そのような選挙の話もなく、真偽の程もわからないのですが、とても気になり引っかかることがあるので、事実の確認も私には難しいですが、この事実は他に被害を及ばさないためにも、明らかにしておこうと思います。


それは控訴審の公判における小島裕史裁判長の一言でした。軽く笑ったような感じで、親戚に精神病の人はいませんか?と私に質問をしてきたのです。それは木梨松嗣弁護士が一方的に請求した精神鑑定の実施が決まった直後の発言だったようにも思います。それ以外は考えにくいです。


その時の公判は始まってまもなく3人の裁判官が出てきた法廷の机の後ろのドアの向こうに引っ込み、2,3分か長くて5分、やはり2分もないような短い時間だったと思いますが、もとの机の席に戻ってすぐに、小島裕史裁判長が精神鑑定の採用を決定として告知したのです。


控訴審では被害者の兄が傍聴席で暴れて以来私は弁護人の席の前に長椅子をおかれてそこに座っていました。テレビなどをみていると現在はそれが主流になっているようにも思えるのですが、以前はテレビのドラマでも被告人は傍聴席の前で、裁判官に真正面で向き合うのがごく当たり前になっていたはずです。


自分で決めれるようなことでもなく、また説明もなかったのですが、付き添いの刑務官に連れられるままに弁護人席の前で長椅子に座るようになりました。長椅子では隣に刑務官が座るのは同じです。


傍聴人の前に座っていると、裁判官は正面になりますが、傍聴人席は真後ろになるので、着座や離席の時以外は傍聴人席の様子というのはわかりにくかったと思います。横に刑務官もいるので、後ろを振り向くわけには行かず、公判が始まっていれば裁判官から注意を受ける可能性も意識するものかと。


なんであれ被害者の兄が暴れたことで、座る場所が変わったのですが、おかげで法廷の全体を見渡せるようになりました。そのための演出だったのかと考えることもありましたが、木梨松嗣弁護士の指示、采配であるということも可能性としては考えることもありました。


前にも書いたことがあると思いますが、被害者の父親はずっと公判の傍聴に来ていたわけではありません。控訴審の初公判の時も姿はなかったと思いますし、一番印象に残ったのは、本来関係者が最も関心を寄せるはずの、判決公判にその姿がなかったことです。


その前回の公判では父親だけではなく、母親らしい人の姿もあり、ずっとすすり泣いているような様子でもありました。


判決公判に姿を見せなかったのはあえて解決を先送りにしたとも解釈出来ましたし、それが面会にも説明にも来なかった木梨松嗣弁護士の態度にも歩調を合わせるように重なってみえることもありました。


木梨松嗣弁護士の面会というか弁護人としての接見については、前にも記憶をまとめ整理するようなことをしたように思います。ただ、その内容に関しては触れないままお流れにしてしまったように思います。


木梨松嗣弁護士の接見というのは一度も事前の連絡がなく、いきなりの訪問だったと思います。時間的にも短いものだったと思います。ただ、初めての接見に関しては、事前に今日あたりに弁護士が来るということは、聞いて知っていたと思います。


たぶん面会に来た母親から聞いていたのだと思います。ちょうどお盆休みの終わりの頃だったとも記憶しています。


8月18日ではなかったかと思います。カレンダーで確認すると17日は月曜日なので、その可能性もあるかもしれません。


同じ日だったように思うのですが、京都の親戚の人が面会に来て、その前に別の面会がありました。拘置所の規則として面会は一日1回という決まりがあったので、事前にしっかり調整をして連絡を入れておくようにと、刑務所の職員からきつい注意を受けたことでもよく憶えています。


遠く京都から来たということでしぶしぶと許可を出したらしいのですが、その前に別の面会をやっていたのです。午前中のことであったのかもしれません。今の記憶でははっきりというかすっきりと思い出せないのですが、松平日出男の面会があったのもお盆過ぎの同じ頃だったと思います。


拘置所への面会はそれが最初で最後でした。すでに何度か市場急配センターの会社に手紙を送り、被害者AAさんの意識が戻ったらしいということも伝えてあったはずです。


金沢西警察署の留置場にいる頃は、3回か4回ぐらい面会に来ていました。終わりから2回目の時は、被告訴人浜口卓也と二人で一緒に来ていました。他に会社から面会に来たのは、被告訴人安田敏が一回だけでしたが、本人の意思ではなく、周りからあれこれ言われて仕方なくやってきたという感じでした。


時刻は5月17日7時31分を過ぎたところです。昨夜は,PC遠隔操作事件の真犯人からメールがあったというニュースを21時前のEテレの手話ニュースで知って、それに関する情報を見て回ったりして、そのまま眠ってしまいました。


自称真犯人からのメール(本日午前11時37分に送付されてきた) - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 (id:yjochi / @yjochi) http://d.hatena.ne.jp/yjochi/ target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20140516#1400218482


上記は落合洋司弁護士(東京弁護士会)のブログのURLと記事のタイトルですが、普通には取得できないものです。ツイートのボタンをクリックして、送信用のウィンドウに出てくる文面をコピペしました。


落合洋司弁護士(東京弁護士会)本人が理解した上であえてそうしているのかも不明ですが、Hatena::Diaryの設定を日記形式にしているため、日付形式のタイトル名しか取得できないはずです。ブログ設定を選択すれば、普通にブログの記事としてのタイトル名を取得できるはずなのですが。


他に気になる反応もありましたが、いずれも弁護士、ジャーナリストの姿勢としてとても参考になるものです。次はジャーナリスト江川紹子さんの気になるツイートを3つまとめてスクリーンショットにしたものです。これは自称真犯人のメールではなく、当日の公判に関したコメントでした。


2014-05-16-224106_【PC遠隔操作事件】江の島の監視カメラ映像を解析した警察官が証言。.jpg pic.twitter.com/buLTmnON6s


自称真犯人からのメールに関しては、意外な弁護士からの意外な反応もツイートで見るとが出来ました。本音という感じかと思いますが、本職の弁護士の見解、分析として参考になるもののいずれも一つです。


2014-05-16-223524_本当に真犯人からのものだとしたら、検察は赤っ恥。.jpg pic.twitter.com/7zhDdawUBU


2014-05-16-223402_私が真犯人なら、もう少し裁判所や検察官を泳がすな。日本の裁判所や検察官の事実認定能力が白日の下にさらされる。.jpg pic.twitter.com/JjzOJqr0vT


谷山智光弁護士のツイートですが、かねて注目している弁護士のお一人です。まめにチェックをしているわけではないですが、ツイート数も多くないのでたまに気がついた時にブックマークを開いて見ています。


京都弁護士会の所属ということも注目理由の一つですが、刑事弁護に熱心に取り組まれ、司法修習生の指導のようなこともされているそうです。次の世代の弁護士に影響を与えうる存在としても、それなりに注目していますが、刑事弁護の本質に関わるようなツイートも散見されます。


次は初めての試みになったかと思いますがTwilogでの検索結果をスクリーンショットしたものです。ツイートの日付もわかりやすく、全体と流れを把握しやすいので、これは好都合だと思いました。Twilogの新たな活用法の発見です。


2014-05-17-075249_弁護士 谷山智光(@taniyama)/「お茶屋」の検索結果 - Twilog.jpg pic.twitter.com/MQwEfgdZuu


今私が使っているノートパソコンは15.6インチの画面ではなかったかと思いますが、Twitterの画像をクリック拡大しても余り大きくはならず、正直文字の判別がしにくいです。


ディスクトップパソコンの大きな画面だと、Twitterの画像の拡大表示は横幅で1024ピクセルになっていたように思います。それだけあれば文字の判別に困ることは少ないように思います。


参考までに私はノートパソコンのディスプレイを1920x1080(16:9)の設定にしています。


参照にURLを指して提示しているのはツイッターの非常上告-最高検察庁御中ツイッター(@shirono)のアカウントの写真付きツイートですが、同時にGoogleの写真サービスPicasaウェブアルバムにも同じ写真をアップロードするようにしています。


細かく言えばPicasaウェブアルバムにアップロードしてからツイートしています。自分が作ったスクリプトの関係で、Picasaウェブアルバムのアップロードに成功すると、ファイルのタイムスタンプが変更されて、ファイルブラウザでのファイルの並び順が変わってくれるので、確認にしています。


「お茶屋」というのは私自身、割と最近まで余り馴染みのなかった言葉で、余りピンとこなかったのですが、たまたまテレビで見た番組や特集のこともあって、金沢の茶屋街のことを意識するようになりました。


谷山智光弁護士の指す茶屋街というのは、京都のことで有名な先斗町のような花街で、舞妓さんとか芸子がいる古い伝統的なスタイルのお店のことかと思います。


LinuxでMozcという日本語変換ソフトを使っているのですが、先斗町と変換できず、確認も兼ねてネットで調べたのですが、どうも自分は北斗町と書いて「ぼんとちょう」と読むものと軽く勘違いしていたようです。詳しいことはしりませんが、知名度は高くイメージも共有されているはず。


本書においても金沢の茶屋街のことは被告訴人竹沢俊寿の家があるらしい(あったらしい)野町や、その周辺の石坂(いっさか)のことで書いていることがあると思います。石坂の周辺は市内配達の仕事でも通ることがありましたし、割と馴染みはありました。


増泉一丁目ではないかと思いますが、町から外れた通り沿いに、小さな漬物の工場があって、そこに野菜を運んだことが何度かあったのです。石坂とも近いので、花街と漬物の組み合わせというのも妙なものだと考えることはありましたが、漬物も金沢の名物の一つでもありました。


予定外の方向にずれてしまいましたが、白紙の状態の人にはわかりようもないことなので、私が体験した金沢市場輸送の実態に関する説明に、横道ですが舵取りをしたいと思います。それがより多くの人に影響を与え、対応の判断にも資するところがあると考えるからです。


本書においても何度も繰り返してきたように思いますが、本件事件の舞台となった市場急配センター株式会社の前身は金沢市場輸送株式会社です。


改めて整理をすると平成1年の秋頃ぐらいに、金沢市場輸送の市内配達が独立して市場急配センターが出来たと聞きます。新会社の設立というのは具体的な実感を伴うものではありませんでした。事務所もそれまでと同じ場所で全く同じように共有をしていたからです。


より大きな感心事は、会社が2つにわかれたことで、被告訴人竹沢俊寿が金沢市場輸送の社長から金沢市場輸送と市場急配センターの会長になったという話でした。


ここで気がついたのですが、「被告訴人竹沢寿俊」と単語登録したものを使っていたところ、「被告訴人竹沢俊寿」の間違いを登録していたようです。告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(kkhirono)にツイートしたものは変換できませんが、本書の前行までは正しいものに置換します。


ここで手違いで失われた部分を告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(kkhirono)のツイートからコピーします。同時にこの直前の行が、ツイートされていないあるいは投稿に心配したことに気がついたので、さきにそちらをツイートします。以下はコピペの内容です。


念の為開いていたEmacsのファイルをいったん終了して、viエディタでファイルを開いて、次のコマンドを使って文字列置換を実行しました。


:1,.s/竹沢寿俊/竹沢俊寿/g


置換の方法はsedと同じですが、1,.の部分はファイルの一行目から現在カーソルのある行まで、という指定になっています。そのあと現在行の後方にも意図せぬ間違いがないかは確認しました。


重要なファイルの変更にはEmacsを使わず、viを使うようにしています。一般的には常識かと思いますが、キーボードを打てばボタンに対応した文字が入力されます。これで意図せぬ文字が入ってしまうことを回避する癖がついています。


vimだと文字の挿入モードとコマンドモードが明確に分かれています。置換にはコマンドモードのみを使い、編集後は保存をしてファイルを閉じています。


Mozcの単語登録の方も修正しましたが、ATOK X3 for Linuxの辞書から引き継いだものから間違いを重ねていたようです。相当前からと思われますが、気がつくにも時間がかかったようです。


ついでの説明になりますが、本人は被告訴人竹沢俊寿の俊寿を「しゅんじゅ」と読むと私に話したことがありました。平成2年下3年ころのことだったと思います。それまでは「としひさ」と思い込んでいたので、ふざけた冗談で言っているのかと半信半疑のままでいました。


それに似たことがあったので、ついでにそれも書いておきたいと思います。これは検察官の対応としても考えさせられる要素があるのですが、常識からは外れると思うものの、なにが正しいのか本人でなければわからないとは思います。


それは告訴か告発のことで、検察事務官を一人伴い、金沢刑務所に聴取に来た浜崎はじめ(漢字が不明なので、ひらがなにしておきます。以降同じです。)検事の発言でした。


発言というよりは多分、私が郵送で提出した書面を読み上げていた時ではなかったかと思われます。被告訴人安田敏の敏を浜崎検事は「びん」と読み上げたのです。今の段階ではわざとらしい間に合せの対応しかできないですよ、という暗黙の意思表示にも理解されました。


ところが最近になって昭和の時代の右翼の活動家、赤尾敏という名前の瓶の字が、「びん」と読むとしったのです。なにかのニュースか話題に触れて、検索をしている時のことだったと思います。


以上でコピペで復元した部分の記載は終わりです。最後の行で「名前の瓶の字が」となっていたことも気がついたのですが、これは「名前の敏の字が」の間違いです。


本当はTwilogからコピペをしようとしたのですが、そこで一つの問題に気が付きました。プログラムで使われる特殊記号の文字が欠落した状態でTwilogに保存されているらしいということです。これも怪我の功名のようなたまたまの発見でした。


わかりづらいところもあるかと思いますので、端末の画面をスクリーンショットにします。


2014-05-17-110500_% tac kk_hirono140517。csv |cut -d’,’ -f3 | sed ’s/”//g’ | tai.jpg


jpgのスクリーンショットのファイル名は、自作のスクリプトの中で特殊記号のサニタイズ処理をしています。手っ取り早く全角記号に変換しました。今思えばサニタイズ用の関数でも探して処理したほうが良かったかもしれなかったです。


サニタイズのことをサニタライズとか思っていたのですが、間違いを書いてもいけないので、いつのもように確認のためネットで調べたところ、サニタイズは消毒という意味があることも新たに知りました。


まだ説明は書いていなかったように思いますが、このスクリーンショット用のスクリプトは、事前にマウス等で範囲選択した文字列の初めの31文字分だったかを、自動で抜き出してスクリーンショットの取得時刻と拡張子の間に挟むという仕様というか書式にしています。


なぜ日付時刻を先頭にしたかというと、ファイルの並び順をわかりやすくするためです。更新日時などで並び替えをすると、ちょっとした編集をしたことでも並び順に齟齬が生じてしまいます。


スクリーンショットということで初めはデジカメの写真ファイルとも区別するため、pngのファイル形式にしたのですが、ファイルサイズが大きすぎて一つ2MBを超えるものまで散見されたので、jpg形式に変更しました。


その前にpngのファイルサイズを縮小するためのソフトを使ってみたのですが、大して小さくならなかった上に処理に時間も掛かり、おまけにファイルの更新日時が変わってしまって収拾がつかなくなってしまいました。jpgに戻してからは問題ないと思います。


ちょっと勘違いしてスクリーンショットのファイル名だけにしていたようです。改めて掲載をやり直します。ファイル名から大体の意味はつかめる文字数にはなっていると思います。


2014-05-17-110500_% tac kk_hirono140517。csv |cut -d’,’ -f3 | sed ’s/”//g’ | tai.jpg pic.twitter.com/4TMj0CUJ97


ファイル名の文字数を控えめの数にしているのは、このように写真付きツイートのURLを、告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(kkhirono)のツイートに含めるためです。


画像ファイルは非常上告-最高検察庁御中ツイッター(@shirono)に投稿したものですが、文脈の流れでの引用は告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(kkhirono)のツイートになります。


httpなどは含まれていませんが、Twitterの仕様としてリンクになるだけではなく、写真・画像ファイルそのものも、あたかもそのアカウントで投稿したのと同じように表示されます。


これもスクリーンショットとしてお見せしたほうが、ごちゃごちゃ書くよりわかりやすかと思います。文字列もファイル名の一部として利用します。


2014-05-17-114212_これもスクリーンショットとしてお見せしたほうが、ごちゃごちゃ書くよりわかりやすかと思います。文字列もファイル名の一部として.jpg pic.twitter.com/uzBZUIizD6


なお、意識してパソコンを使っている人は多くないと思いますが、ファイル名の長さには制限があります。私自身最近までOSの違いかと思っていたのですが、どうもファイルシステムのフォーマットで違ってくるようです。


Windowsパソコンの一般的なフォーマットはNTFSだと思いますが、Linuxではext4が主流のようです。古いWindowsパソコンやUSBハードディスクではFAT32でフォーマットしている例もあるかと思いますが、ざっと調べたところ、文字数制限に大差はないようでした。


DVDに焼くとき、Windowsパソコンでは扱えないファイル名が含まれています、などという警告が出ることもあるので、その時はファイル名を変更するなどの対応をしたいと思っています。


またファイル名の文字数の制限にはファイルの絶対パスの文字数も制限があるので、フォルダをコピーする際のパスの階層の深さにも注意が必要かと思います。さらに言えばWindowsによくあるフォルダ名に半角スペースが入るフォルダの階層は避けたほうが無難かと思います。


次は写真付きツイートをクリックで拡大した場面のスクリーンショットです。慣れていない人だとそういうことに気が付かないかもしれないので、念の為にご紹介しておきます。元の画像部分のマウスでのクリックになります。


2014-05-17-115735_次は写真付きツイートをクリックで拡大した場面のスクリーンショットです。慣れていない人だとそういうことに気が付かないかもしれ.jpg pic.twitter.com/kcB3flavSM


拡大した画像は右上のバツ点マークをクリックしても元に元に戻せますが、画像以外の余白の部分をクリックしても同じかと思います。またこの種のブラウザでの画像の拡大はボタンもない全画面表示になることもありますが、ESCキーを押せば元に戻ることがほとんどかと思います。


そういえばPicasaウェブアルバムのURLをまだご紹介していなかったと思います。間があくと操作方法も忘れ面倒なので「参考資料」は使わずに、タイトルとURLを掲載します。なお、これに限っては後日変更の予定もあるので、それもご説明しておきます。


告訴状の内容に関連したスクリーンショット - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/DgRfAJ


Picasaウェブアルバムでは一つのアルバムに2000枚までの写真・画像ファイルをアップロードできるという情報も見かけてはいるのですが、余り数が増えすぎると管理も取り扱いも面倒になると思いますので、一定の期間の区切りで別のアルバムにするつもりです。既に作成さたのが次です。


告訴状の内容に関連したスクリーンショット/2014年4月27日から同年5月8日分 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/201442758


「写真: 71 枚 – 45 MB」という説明があるのもわかりやすくて助かります。比較的データサイズが大きいのは、先ほどご説明したところのpngファイルが含まれているためです。


他でもだいぶん前に説明したようにも思いますが、全角スラッシュで区切られているのはDVDにも保存する予定のフォルダの階層です。実際私のパソコンの中では次のようなパスになっていますが、これはUNIXのパスなのでWindowsユーザには馴染みがないかもしれないです。


/home/a66/kk_hirono/告訴状の内容に関連したスクリーンショット/2014年4月27日から同年5月8日分


kk_hironというフォルダを丸ごとDVDに保存して添付提出する予定ですが、そこからの相対パスをPicasaウェブアルバムのアルバム名に対応させていることがお分かりいただけると思います。スラッシュの記号は半角のままだと問題を起こすことがあるので全角に置き換えています。


なお、Linuxを含めたUNIX環境ではWindowsパソコンで言うフォルダのことをディレクトリと呼ぶのですが、ディレクトリという言葉も最近は見かけなくなったので、一般的にフォルダとも呼びますが、違いがあるといえばあるかもしれないです。


ついでなのでLinuxのフォルダブラウザについても、スクリーンショットでご紹介しておきたいと思います。見た目はWindowsのそれと大差はないと思います。種類がありますが、これはnautilusというアプリです。


2014-05-17-123855_ついでなのでLinuxのフォルダブラウザについても、スクリーンショットでご紹介しておきたいと思います。見た目はWindow.jpg pic.twitter.com/NngSW2NoVj


さきほどファイル名名やパスの文字数に制限があると書きましたが、正確には文字列のバイト数だったと思います。WindowsパソコンとLinuxでは使用される文字コードも違っています。LinuxはUTF-8です。文字コードの問題は奥が深くてかなりややこしいです。


Picasaウェブアルバムだとファイルがファイル名を含めてアップロードする前と同じ状態で保存されておりますし、Exif情報も残っているようです。元のファイル名のままダウンロードすることも出来ます。


Googleにログインしていない状態だと、Google+の写真として表示されるかもしれません。同時に「Picasaウェブアルバムに戻る」というリンクが表示されることもあります。写真自体はGoogle+の写真として見たほうが見やすいかもしれません。


ほとんど見かけないので知られていないことかと思いますが、Google ChromeやFirefoxといったブラウザだと、Picasaウェブアルバムの場合、日本語を含むファイル名のファイルが拡大表示できないようです。出来ないというか画像のあるべき部分が真っ黒に表示されてしまいます。


どうもGoogle+だとそういう問題もないようです。アルバムの管理をする場合はPicasaウェブアルバムを使っていて慣れてもいるのですが、写真の閲覧に関してはGoogle+をそのまま使ったほうが良さそうです。


時刻は5月18日9時34分を過ぎたところです。昨日は14時ぐらいかに電話があって、パソコンの調子がおかしいので見てほしいと頼まれて、結局それ以降、中断になりました。


昨日はいろいろと書いて、あちこちに飛んで、ごちゃごちゃになったかと思いますし、私自身、把握が普段以上に難しくなっています。金沢市場輸送と市場急配センターの成り立ちとその周辺事情について書いておきたいとも思っていたところではありました。とりあえずそのあたりから再開です。


<<>> [[#LINK-ID_6]] 金沢市場輸送:西念の元事務所_2013年09月05日作成 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム


やはり重要なところは「[[*参考資料]]」を使おうと思います。一覧的なまとめがあったほうがわかりやすいと思ったからです。ちょっと使い方を忘れていて、調べるのに時間が掛かりました。結局調べても見つからなかったのですが、C-c cとやってみるとうまくいきました。


URLのリンクを探すためにページ内アンカーを辿るのも非効率と思いますので、さいどタイトルとURLのみを掲載しておきます。「参考資料」は索引的なものとして、ご利用いただければと思います。私自身も作成の過程で、重複の内容に活用したいと思います。


金沢市場輸送:西念の元事務所2013年09月05日作成 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/20130905


あらためてPicasaウェブアルバムのアルバム名を見ると昨年の9月5日の作成となっているようです。今年のはじめの方だったかとは思っていたのですが、それよりかなり前のことで、けっこう意外でした。Googleマップのスクリーンショットだったと思います。


Googleマップの紹介だけでは年月の経過で内容が変わってしまうということも考えたからです。きっかけは前波の堤防であったかもしれません。


石川県鳳珠郡穴水町前波 - Google マップ : http://bit.ly/1gdF0RD


上記Googleマップの前波港ですが、今から3年ほど前に何度か魚釣りに行っていました。漁港の入り口の海に向かって右側の方に割と新しい堤防があったのですが、私が初めに行った時から地続きでした。


ところがGoogleマップで見ると、その堤防が付け根の部分が陸と繋がっていない、いわゆる離れ堤防だったのです。今日見たGoogleマップの航空写真では私が見たのと同じ地続きの堤防にはなっていました。


そんなこともあってGoogleマップやストリートビューの撮影日についても検索で調べたのですが、思うような情報は見つかりませんでした。


一月ほど前でしょうか、テレビでたまたまGoogleのストリートビューにヒストリー機能がついたというような情報に接したのですが、大都会や観光地あるいは東北の被災地から手始めというような話だったので、一般的になるのはまだまだ先と思われました。


私が2010年の12月20日ころから魚釣りに行くようになった小木港でも、姫側の一番大きな堤防は、数年前まで離れ堤防だったという話を聞きました。


小木の地元の人に何人か聞いたことがあるのですが、その堤防の名前もはっきりしないようです。方角としては西側にはなるはずです。また、私は1年ちょっと小木分校の高校にも通いましたが、ほとんど小木の海を見たという記憶が残っていないのです。


町の中の港の方はなんとなく憶えていますし、当時は船の数も多かったです。特に12月の後半から春に遠洋漁船が出漁するまでは、沢山の船が港にいましたし、船の姿で港の海も記憶に残らなかったような気もするぐらいです。


その港も港のは入り口の右側に白い灯台のある堤防がありました。この堤防は今もあります。出漁を見送る際、ホーク2というバイクで、足場板一枚になっていた堤防に駆け上がったことを覚えているのですが、港の外側の風景というのは不思議と記憶にありません。昭和57年のことです。


海に行っていろいろと話を聞いていると、小木でも自分の住む宇出津でも、かなりの場所が以前は海であったり、埋め立てになったと聞きました。昔は聞いたこともない、話題になったこともない話だったので、身近でもわからないでいることが多いものだと思いました。


私の中で小木港というのは昭和59年に金沢市場輸送にいた頃、当時の中央市場の風景とも重なるところがあります。関係者の多くが小木の遠洋漁船に乗り組んでいたことも、これまでに何度も説明を書いていると思います。


GoogleマップではなくGoogleストリートビューの画面をスクリーンショットした先ほど紹介のPicasaウェブアルバムですが、スクリーンショットを実行した時の感想としては思った以上に昭和59年当時と変わっていないという印象でした。作業に集中していたのでよくはみていないですが。


Picasaウェブアルバムでは個別の写真・画像ファイルの説明もしにくいと思うので、同じファイルをTwitterに投稿して、それで説明を行いたいと思います。


金沢市場輸送:西念の元事務所_2013年09月05日01時43分36秒.jpg pic.twitter.com/X5PhOLDLrs


上記画像のほぼ中央正面の2階建ての建物が金沢市場輸送の事務所のあったテナントビルです。ペンキが塗り替えられたのかもしれないですが、駐車されている車に注意でもしなければ、昭和59年当時と見分けがつかないようにも思えるぐらいです。


2階に窓が見えますが、右側から3番目か4番目が金沢市場輸送の事務所のあった部屋です。右から1番目や2番めの部屋というのは昭和59年当時も使われているのかいないのかもわからないような部屋でした。隣に社長室の部屋があったことも説明済みと思いますので、繰り返しはしません。


この画像の中の写真を見ても、商店とか市場という雰囲気が伝わるかと思います。当時の金沢市場輸送もそんななかに溶け込んだような雰囲気はあったと思いますし、活気のようなものも感じられる時代でした。


金沢市場輸送:西念の元事務所_2013年09月05日01時45分47秒.jpg pic.twitter.com/egpEFadijn


上記次の画像は、もう少し範囲を広げて左方向へとずらした状況です。車の数が多いので午前中の過能性が高いと思います。午後になると車の数も減り、夕方になると車も人の姿もほとんどないということが多かったと思います。


金沢市場輸送の事務所のあった建物と道路を挟んだ向かい側にも似たような建物がありますが、その裏側は中央市場の敷地内になります。先に説明をしておきたいと思うのは、その左側の建物の手前辺りのことです。自販機という文字も見えるかと思います。


時刻は5月19日8時20分を過ぎたところです。再開します。


建物の2階の正面から見て3番目か4番目の窓ガラスの部屋が金沢市場輸送の事務所であったことは昨日も書きました。左隣の部屋がアコーディオンカーテンで仕切られた社長室であったことも前に説明していると思います。


その社長室の左隣ではなく、私の記憶の感覚では間に1つかあるいは2つ挟んだ部屋が、市内配達の事務所のようになっていた時期がありました。全体の建物の真ん中よりは右側の方に部屋があったようにも思いますが、そんなに長い建物ではないので、だいたい中央付近だったのかと思われます。


いつ頃にその市内配達の部屋が出来たのかもはっきりとは思い出せませんが、市内配達の責任者のような立場で現場をしきっていた高田が、姿をくらました後であったと思います。会社かなにかの金を持ち逃げしたような話もありました。


昭和63年の7月と思われる時期に、二口町に金沢市場輸送の新しい事務所ができるまで、市内配達の事務所も継続していたはずですが、私は一回か二回ぐらいしか、気まぐれでその部屋を見物に入ったことがあるだけでした。


金沢市場輸送の長距離の仕事と市内配達のの仕事というのは接点もほとんどなかったと思います。強いて言えば春のたけのこの時期に、同じ中央市場内からタケノコを積み込んでいたぐらいかと思います。もともと別会社が同居しているような感じでした。


ついでに書いておきますと、被告訴人浜口卓也が2トン車で新潟県内にタケノコを運んでいるという話を聞いた時期がありましたが、タケノコを積む現場では顔を合わせていなかったように思います。


今、とくダネ!という朝の情報番組を横目で観ながら書いているのですが、「YAH YAH YAH」という曲が1993年の夜のヒットスタジオとして流れていました。平成3年の終わりか平成4年の初めころに、よく耳にしていた曲だという印象が強いです。


チャゲアスという歌手はほとんど関心がなく自分でカセットテープに録音した記憶もないのですが、歴代の楽曲の売上枚数の変化が紹介されていて、その激減ぶりに驚きました。市場急配センターは右肩上がりに急成長したはずなので、対照的にも思われました。


「あなたが泣くことはない」という曲は1万9千枚だったという。


ちなみに平成4年当時も、トラックも軽四も音楽を聴くのはCDではなくカセットテープでした。家にCDはあったので、レンタルレコード店から借りてきたCDをカセットテープに録音していたと思います。


「YAH YAH YAH」(1993年発売)というような文字がテレビの画面に出てきました。これはテレビの間違いではないかと思います。


CHAGE and ASKA - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/CHAGE_and_ASKA


上記ホームページなどで調べたのですが、たしかに平成5年の発売のようです。ドラマ『101回目のプロポーズ』の主題歌の方は私の記憶とも一致し、平成3年だったようです。


「YAH YAH YAH」という曲を耳にすると決まって平成3年の終わりから平成4年4月1日までの被告訴人多田敏明との関係を思い出すのですが、どこかに記憶の混同があったのかもしれません。たまにあることですが、自分の記憶に不安を感じることもあります。


「YAH YAH YAH」という曲を耳にしていたのは長渕剛の「しゃぼん玉」という曲がヒットしていた時期と重なると思っていたのですが、長渕剛のアルバムの方は、カセットテープに録音してトラックで聴いていたと思います。


「YAH YAH YAH」の方は録音もしていなかったはずですがよく耳にしていたという憶えがあり、それは「愛は勝つ」というヒット曲にも似ていました。録音はしていませんでしたが、よく耳に入ってくる曲でした。ラジオが多かったとも思われます。


長渕剛 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B8%95%E5%89%9B


で確認したところ、「10月25日、シングル『しゃぼん玉』リリース。ミリオンセラーとなる。」となっていました。思っていたよりは1,2ヶ月先に出た曲だったようです。ドラマもあったようですが、ドラマのことは記憶にありません。


そういえば平成9年の2月か3月ころに、長渕剛が主演の2時間ドラマをテレビで観たことがあり、数年ぶりに刑務所から出てくるような話ではなかったということを思い出しました。


同じホームページですが、どうも「1月24日、『とんぼ』の続編に当たるテレビドラマ『英二ふたたび』が放映。」の部分のようです。1997年になっているので、平成9年です。


あるいは首都圏と石川県では放送日が異なっていたということも、ありえないことではないのかもしれません。私が福井刑務所を出たのは1月18日なので、これでは早すぎるという気もします。


また、その長渕剛が主演の2時間ドラマを観た日の前後に、突如被告訴人KYNとK君が宇出津の家に来て、越坂の天国に行ったということも、自分の記憶の感覚としては残っているのです。


よく考えてみると、たしかに被告訴人KYNが訪ねてきたのは、福井刑務所に迎えに来てから一週間ぐらいあとだったかもしれません。配管の仕事で宇出津に来ていると話していました。


他にも宇出津の方で配管や水道の修理のような仕事を請け負うことがあると話していましたが、私が一緒に仕事をしているときは、一度もなかったと思います。


同じ頃と言いますが、平成9年の前半ですが、被告訴人大網周一ともちょくちょく宇出津の新村の銭湯で顔を合わせていました。彼もこちらに仕事に来ていると話していましたが、柳田中学校の体育館の工事とか、より具体的な話はしていたち思います。


この新村の銭湯というのは2年ほど前にボイラーが壊れたらしくいきなり店じまいになりました。新村というのも住所ではないので普通に調べてもわからないと思いますが、数馬酒造の斜め向かいです。建物は今も残っています。


市場急配センターの話に戻します。高田がいなくなってから、市内配達の別の部屋ができたと思うのですが、現場を管理する責任者が不在になったようなかたちでもあり、臨時代行のような立場になったのが被告訴人梅野博之という話も小耳にはさみました。


長距離運転手の間で、市内配達のことが話題になることはほとんどなかったと思います。接点自体がなかったので、話題自体が出にくかったとも思います。被告訴人梅野博之の名前も聴くことはなかったですが、たぶん小林健一あたりから聞いたのではとも思われます。


被告訴人梅野博之に関しては、顔を合わせると彼の方から愛想よく一言二言、言葉を掛けられることはあったと記憶していますが、目立たない存在でもありました。


前にも書いていると思いますが、初めに会社で姿を見るようになったのは、被告訴人本恒夫が配車係をするようになった頃で、昭和61年の12月ころと思われます。被告訴人池田宏美とも同じ頃ですが、思えば竹林も同じ頃だったと思います。


いままでいずれもたまたま偶然に入社時期が似たような時期になったものと考えていたのですが、改めて考えると偶然ではなかったという可能性もあるかと思いますし、竹林の存在というのも今一度気になってきました。


被告訴人梅野博之に関しては市場急配センターへの入社時期を、金沢西警察署の供述調書において、昭和ではなく平成と述べたのか、そういう記載になっていたように思います。初めに見た時にすぐおかしいとは感じていました。


被告訴人梅野博之に関して他に記憶に残っているのは、山中温泉の慰安会に参加していたことです。着いてすぐに大浴場に入ったのですが、そこで姿を見たという場面の記憶だけが残っています。


その慰安会は一泊でしたが、私には金沢市場輸送で初めての慰安会でした。新年会などもなかったですが、強いてあげれば昭和61年か62年の年末に、片町の居酒屋のような場所で飲み会のようなものがありました。雪国という曲が、巷で大ヒットしていた時期だと思います。


雪國 (曲) - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%9C%8B_(%E6%9B%B2)


によると「「雪國」(ゆきぐに)は、歌手・吉幾三が1986年に発表した作品。」ということで、昭和61年のようです。ロングヒットにはなったと思いますが、それほど耳には馴染んでいない時期だったと思うので、やはり昭和61年の可能性が高そうです。


片町でも昔、相撲茶屋輪島という店があったときく辺りの店で、バナナビーチというディスコもあったのと同じビルではなかったかと思います。


2次会のような感じでそのビルか、左隣のビルの上の方の階にあるスナックに行ったような場面も記憶しているのですが、HとUの姿があったことは記憶に残っています。Uに関しては長野からリンゴを積んで一緒に滋賀県大津市の市場らしい場所で夜中に荷降ろしをしたということでも既に書いていると。


時刻は5月28日9時29分を過ぎたところです。長い間中断していました。10日近くで10日までは経っていないように思っていましたが、連携投稿しているTwitterで確認したところ、ちょうど9日目だったようです。


2014-05-28-092656_告発-金沢地方検察庁御中_ツイッター.jpg pic.twitter.com/XnTY4WLsIL


フォロワーの整理もしたところです。廣野秀樹(@hirono_hideki)と告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(kkhirono)は基本的に相互フォローをすることにしています。


PC遠隔操作事件の真犯人が自供をしたか、その前に警察が河川敷でスマホを埋めるという不審な行動を見つけて検察が保釈の取り消しを請求するというニュースを見たのが5月の20日ころではなかったかと思いますが、様子見も兼ねてお休みをしていました。


現実的な問題として参考になる反応があり、それは期待を大きく超えた収穫であると同時に、自分が取り上げる告発等の問題はいっそう理解が難しいのかもしれないという気分にもなりました。客観性の記録としてのことを重視しました。いくつか挙げておきます。


社会・世相・時代の参考情報/落合洋司弁護士(東京弁護士会)/自称真犯人からのメール(本日午前11時37分に送付されてきた) - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム


https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/1137


142文字ということで一つのツイートにはおさまらなかったので、タイトルとURLを別々のツイートとして分割しました。短縮URLを使えば済む話でもあるのですが、永久保存版的な意味を感じてのご紹介なのでURLもそのままに。


社会・世相・時代の参考情報/落合洋司弁護士(東京弁護士会)/遠隔操作事件で、被告人が全面否認から全面自白へと転じ、弁護人も嘘をつかれて騙されていたと赤裸々に語って - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム


https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/vTCsYC


社会・世相・時代の参考情報/PC遠隔操作事件/そんないい加減な男に騙されて裁判を続けていた自らの責任についてはどう取るのか/かつて佐藤弁護士、片山についてこう語っていた - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム


https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/PC04


こまかいのはすべて非常上告-最高検察庁御中ツイッター(@shirono)に写真付きツイートをしています。かなりの数になっていると思いますし、いちいち言及は出来ませんが、後日のための記録でもあります。刑事弁護、刑事司法の歴史的な資料としても参考になるのではと思っています。


まず第一に言及したいツイートのスクリーンショットがあるのですが、比較的早い段階だったと思うものの、探し出すのに少々手間が掛かりそうです。9日以内というのは確実なのですが、情報の数が多いからです。とりあえず次のようにコマンドを使うことにしました。


2014-05-28-095653_kk_hirono/告訴状の内容に関連したスクリーンショット.jpg pic.twitter.com/XgYvOSPFJZ


lsというのはファイルやディレクトリの一覧を表示させるコマンドです。普通にlsと使うと名前順に並ぶのではと思います。先頭に日付データを使っているので意図したとおりになるようです。更新日時順にするときは-rtというオプションを使うことが多いです。


2014-05-25-072305_「真実の犯人は自分だが無罪を主張してくれ」と言われたときに、無罪主張に最善を尽くさなければならないのが刑事弁護の倫理です。.jpg 、というファイル及びそれに関連した情報であることは見つけました。


日付がわかったのでTwilogで、まとまったというか塊になっているはずの情報を確認しておきたいと思います。カレンダー的なデータの検索や表示はTwilogの得意とするところです。


非常上告-最高検察庁御中ツイッター(@shirono)/2014年05月25日 - Twilog http://twilog.org/s_hirono/date-140525


自分の活用が不十分なのかもしれないですが、Twitterだけだと日時的な横のつながりを調べるのが不可能だったりします。Twilogでもツイートの日付の部分がTwitterの固定URLへのリンクになっているので、そちらから開いてご紹介をしておきたいと思います。


2014-05-25-085956_刑事弁護人の責務(義務)、そして倫理.jpg pic.twitter.com/WhAOmKE7Lf


2014-05-25-085249_江川さんの報道は警察批判が目的でなく、警察・検察の立証が十分かどうかの反証を試みていたと思います.jpg pic.twitter.com/rr6BAgWekH


2014-05-25-084932_まれに弁護人が有罪意見を述べて懲戒されるのはそういうケースです.jpg pic.twitter.com/BN08deXJM1


2014-05-25-084536_弁護人が漠然と公正を考えて反証を加減するなどということがあれば、却って公正が害されるのです.jpg pic.twitter.com/SA47W6n7fC


2014-05-25-081539_非常上告-最高検察庁御中_ツイッター.jpg pic.twitter.com/OtRR8p8AJF


2014-05-25-081025_片山被告人にだまされた格好の佐藤弁護士について、「意味不明な弁護人批判(非難?)が出てくるのは必至だし可哀想過ぎる・・・」.jpg pic.twitter.com/kPimPVPbqw


2014-05-25-080957_櫻井弁護士は「鍛えられた刑事弁護人はマスの評価は気にしないから大丈夫だと思いますよ」と記し、佐藤弁護士への信頼を示していた.jpg pic.twitter.com/BgbtISBqz2


2014-05-25-080349_法律は、「ばれなきゃ罪にならない」と定めているのではなく、「証拠がないと有罪にできない」と定めています.jpg pic.twitter.com/lc2fAYzBM8


2014-05-25-074403_佐藤弁護士が被告人の無罪獲得のために全力を尽したことは、刑事弁護人として「見込み違い」「軽率」等と批判や揶揄されたりする理.jpg pic.twitter.com/F30Gn4FwJl


2014-05-25-072305_「真実の犯人は自分だが無罪を主張してくれ」と言われたときに、無罪主張に最善を尽くさなければならないのが刑事弁護の倫理です。.jpg pic.twitter.com/HefMHol0xV


以上になるかと思います。Twilogは写真のサムネイルをクリックすると、Twitterのツイートがブラウザの新しいタブで表示されるようです。今までもそうやって使っていたような気もしますが、改めて仕様を確認できました。よく出来ているサービスです。


もう一週間は経っていると思っていたのですが、5月25日だったとは意外です。3日前ということになるのでしょうか。それに朝の8時前後にスクリーンショットを投稿していたようです。画像の保存と投稿は同時に自動でやるようにスクリプトも変更しています。


櫻井光政 (okinahimeji)さんはTwitterを使っています https://twitter.com/okinahimeji


名前がなかなか覚えられなかったのですが、ツイッターアカウントを自分のFirefoxのブックマークに登録しました。けっこう注目している弁護士ではあったのですが、これまではブックマークもしていなかったし、ツイートはリストのTLに流れてくるものをたまに見ていた程度です。


弁護士名の確認とブックマークの登録が目的だったのですが、気になるツイートを2つ目にしたので、ご紹介しておきます。


2014-05-28-105100_ブレーキがなければもっと速く走れるのにって感じですねRT@avocadosk 会社に法務部があると業務効率悪化する旨の発言.jpg pic.twitter.com/Ny9jnXh5xT


2014-05-28-105137_・・・PC遠隔操作事件、STAP細胞の件から考える弁護士のPR問題 http://.jpg pic.twitter.com/vlRMOu4iRG


櫻井光政弁護士のTwitterのプロフィールは次のようになっています。140文字でおさまらなければ2つのツイートに分割します。


渋谷・桜丘法律事務所の所長弁護士。認証保育所「きらきら保育園」理事長。会計人コース/中央経済社と季刊刑事弁護/現代人文社にコラムを連載中。季刊刑事弁護のコラムをまとめた単行本「刑事弁護プラクティス」,好評発売中。


自分のスクリプトの文字数のカウントでは106字と出ました。少なくとも1年以上前から見てきたプロフですが、とりわけ私が注目をするのは「渋谷・桜丘法律事務所」の部分です。


H12-05-22_上告審国選弁護人山口治夫の手紙_01.jpg pic.twitter.com/vXBsmZVwCX


改めて確認しましたが東京都渋谷区桜丘町で南渋谷法律事務所でした。一時は同じ事務所なのかと思ったこともありますが、東京だと同じ住所の町内でも沢山の法律事務所があるのだろうと想像します。


金沢市でも法律事務所がある町内は尾張町、大手町,小将町などが多いと思いますが、いずれも金沢地方検察庁、金沢地方裁判所の近くです。有名な兼六園も近く、金沢の中心部の一つです。


渋谷区桜丘という思い出深い共通点もありますが、櫻井光政弁護士の場合、Twitterのプロフィール写真の見た目が、小堀秀行弁護士(金沢弁護士会)に似ていると感じたことも大きいです。運命的とまでは思ってこなかったですが、とりわけ個人的に記憶に結びつく色濃いイメージがありました。


廣野秀樹(@hirono_hideki)/「okinahimeji」の検索結果 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=okinahimeji&ao=a&order=allasc


2014-05-28-121008_廣野秀樹(@hirono_hideki)/「okinahimeji」の検索結果 - Twilog.jpg pic.twitter.com/jDpo9DCRoH


確認したところ、2012年06月25日(月)に私が初めて櫻井光政弁護士のツイートをリツイートしたようです。アカウントの存在を知ってからリツイートするまでは時間的にかなり近接していたものと思われます。


17時57分になりました。午後はいろいろあって中断していました。昨夜の次のブログ記事に対するコメントが原因です。結果的に久しぶりに珠洲警察署に電話かけて相談することにもなったので、それはそれで良かった面もあるかと思います。


佐藤弁護士赤っ恥。(花田紀凱) - 個人 - Yahoo!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/hanadakazuyoshi/20140524-00035636/


一時はFacebookのアカウントにペナルティを課されたのかとも思ったのですが、どうもブログ主が私のコメントを非表示にして、コメントを拒絶する設定にした可能性が高そうです。一連の経過は、次のスクリーンショットとしてPicasaウェブアルバムにまとめました。


経緯及び社会の反応/坂本正幸弁護士/FBのほうだが、刑事弁護を泥棒神社のこと?とか書いてきたやつがいたのでブロック - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/FB


結構前にTwitterの方でブロックされているのと同姓同名の弁護士だったのですが、本能を示していたことに昼ころになって気が付きました。


刑事弁護を泥棒神社のこと?とか書いてきたやつがいたのでブロックFBログインなし2014年05月28日15時04分54秒.jpg pic.twitter.com/yiSZL80aLh


上記があとで撮ったスクリーンショットですが、次のような刺激的なコメントをしていたので、ちょっと黙っていられなかったのです。


引用)→ これを赤っ恥といってしまうあなたは刑事事件をそして刑事弁護を全く理解していない。恥をさらしたのはあなただ。


ありがちな弁護士の発言なのでそれほど驚きはしなかったのですが、真剣な取り組みを自覚させてくれたことが、珠洲警察署に電話をしたきっかけにもなりましたし、今後もすばやい対応で連絡を入れるという話にもなりました。


佐藤博史弁護士やPC遠隔操作事件に関しては、言いたいことも沢山ありますが、その都度、廣野秀樹(@hirono_hideki)でツイートをしたり、別の形でも記録を残しているので、必要に応じそちらの客観的な資料を参考にしていただければと思います。


櫻井光政弁護士に関してはNHK連続テレビ小説あまちゃん、のことでも書く予定がだいぶん前からあったのですが、中途になっていたと思います。まだ、櫻井光政弁護士の名前を出していない段階だったかもしれません。


告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(@kkhirono)/「あまちゃん」の検索結果 - Twilog http://bit.ly/1k1r6lp


上記のTwilogで確認したところ、「10:18 - 2014年5月6日」に「あまちゃん」というキーワードがありました。全部で今日の分を含め3件の該当でしたが、昨年の8月27日となると、本書の連携スイートなのか確認を要します。


今一度、廣野秀樹(@hirono_hideki)のTwilogで「あまちゃん」に言及した部分を調べてみます。前回の5月6日にも検索をしたのですが、別の方向に筆が走ったまま、中途になっていたようです。


廣野秀樹(@hirono_hideki)/「あまちゃん」の検索結果/Page 3 - Twilog http://bit.ly/1k1t1GC


2014-05-28-183820_廣野秀樹(@hirono_hideki)/「あまちゃん」の検索結果/Page 3 - Twilo.jpg pic.twitter.com/kxCl1cUzxo


私のTwilogでは2013年06月19日(水)のリツイートになっているので、これを見た時、自分の記憶違いかとも思ったのですが、どうもこの時刻は私がリツイートをした時点での時刻のようです。本来のツイートは残っていると思いますので、次にご紹介します。


Twitter / okinahimeji: 「あまちゃん」を見るたびに小泉今日子演じる母親の言動に激しい ... https://twitter.com/okinahimeji/status/345364182486634496


2014-05-28-184306_「あまちゃん」を見るたびに小泉今日子演じる母親の言動に激しい不快感を抱いてしまう。.jpg pic.twitter.com/FvrcuwCdmR


ご本人のツイートは「11:16 - 2013年6月14日」になっています。再度自分のTwilogを確認したところ、つぎのように初めて「あまちゃん」をみたというツイートの日付が6月12日なっていました。


2014-05-28-184826_NHKの連続ドラマ「あまちゃん」、初めてみた。印象的なオープニングの音楽。.jpg pic.twitter.com/X8ZpvM0hsG


これが正しいとすると、私は重ねて記憶違いをしていたようです。櫻井光政弁護士のツイートをたまたま見たのが、視聴のきっかけという趣旨のツイートは、別の機会にも行っていました。次のように。


2014-05-28-185454_HKの連続テレビ小説を見るようになったのは、「あまちゃん」の途中から、弁護士のツイートで母親役を批判していたのがきっかけ。.jpg pic.twitter.com/4qLHdziOit


問題のツイートは「0:59 - 2014年4月18日」が投稿日時になっていました。割と最近のことで、やはりどこか勘違いしたままツイートしていたのかもしれません。


まあ、そういうこともありうるということが勉強にもなったので、テキストのコピーよりスクリーンショットの撮影を多用するようになりました。


問題のツイートの内容は次のとおりです。


引用)→ 「あまちゃん」を見るたびに小泉今日子演じる母親の言動に激しい不快感を抱いてしまう。少年事件扱っている他の先生方は平気なのだろうか。


私自身、昭和56年の8月28日の事件で、金沢少年鑑別所に入って、その時に担当になった家裁だと思いますが調査官の人の対応が、その後の岡田進弁護士の対応の理解に、相当の影響を受けたという経緯もありました。


昭和56年夏の終わりことで影響を受けたのは調査官のことだけではありません。けっこう前に書いていると思いますが、当時17歳だった七塚の少女MKと東金沢の少女MSのことです。その二人と被告訴人大網周一の4人で行った、加藤整形外科病院へのお見舞いに付き合ったときのことです。


ちょっと長い説明にもなるかと思いますし、ストレートに掛けない分、多少ややこしくなるので後回しにしてきましたが、ついでもあるので先にこの説明を行っておきたいと思います。被疑者、被告人という立場で十分な弁解が出来なかった、大きな理由の一つでもあります。


まず、加藤整形外科の場所ですが現在も同じ場所にあるのではと思います。割と最近Googleマップで少し見た覚えがあります。神田か新神田にあった自動車学校がなくなっていたのに気がついた時とお名瀬だったと思います。


加藤整形外科の道路を挟んで向かい側には高中(たかちゅう)こと高岡中学校がありました。そこに中学校があるということも知らないでいたと思いますが、被告訴人多田敏明の話を聞いて初めて知ったようにも思います。


2014-05-28-192435_加藤整形外科 金沢市.jpg pic.twitter.com/YdId8Wz3EY


あらためてGoogleマップの地図を見ると、かなり斜めにずれた場所に高岡中学校はあるようです。ほぼ真向かいと思っていたのですが、確かに大豆田大橋の大きな通り沿いに住宅らしい建物はありました。


被告訴人大網周一ら4人で加藤整形外科に行ったのは昭和59年の10月ころだと思います。当時私は16歳で車の運転もしていなかったので、金沢の地図には明るくなかったのですが、覚えやすい病院名だったということもあり、あとになってその場所があの病院だと思い返したように思います。


病院にお見舞いというか面会に行った相手は、少女二人の知り合いで面識はなかったのですが、本人ではなく乗っていたというバイクには印象に残る記憶がありました。次の辺りの増泉の借家のような家の前によく停まっていたバイクだったからです。


2014-05-28-195628_第一島崎アパート - Google マップ.jpg pic.twitter.com/VqYWLUobPk


Googleストリートビューの使い勝手が悪くなっていて、バッテンマークが出て前進が出来ず、クリックをすると真っ黒な表示になっていました。それで場所の確認にも手間取ったのですが、この第一島崎アパートという辺りが、ちょうど昭和56年当時の被告訴人大網周一のアパートでした。


2014-05-28-200631_石川県金沢市増泉1丁目の昭和56年当時の記憶に残る風景.jpg pic.twitter.com/wgbbBuURER


次はGoogleストリートビューです。マウスホイールの拡大で確認したのですが角にあるのは「山上美容室」となっていて、唯一記憶に残る建物です。右手の小路が突き当りになっていて、その右側の一番奥に被告訴人大網周一のアパートがあったと記憶しています。


「山上美容室」の前の並びの通りですが、その美容室から参考画像に見える奥行きで、だいたい50メートルはどのところに問題の借家のような家がありました。暴走族のたまり場になっている家でしたが、ずいぶんと古い建物でまるで江戸時代の怪談を思い起こさせるような雰囲気の建物でした。


たぶん平屋だったのだと思いますが、それもずいぶんと天井が低そうな建物でした。江戸時代の武家屋敷は屋内で刀を振り回しにくいようにあえて天井を低くしていたとは聞きますが、民家らしい建物でそれらしいものをみたのは、後にも先にもその建物だけです。


二方向の通り道(反対方向は石坂(いっさか))の一つなので、よく前を歩いていましたが、その民家の前ではホンダのCB400Fがよく停まっていました。昭和56年の当時既に幻に近いような名車という感じになっていたと思います。


ホンダ・ドリームCB400FOUR - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0CB400FOUR


上記ホームページに情報がありましたが、1974年の発売だったというのは私自身初めて知りました。「生産台数はFOUR-Iが約1,000台、FOUR-IIが約5,500台とされている。」というのも知らなかったのですが、もともと数に限りがあって希少性が高かったようです。


当時はバイク好きの誰もが憧れるような、実際に見かけることも少ないバイクだったので、なおさら印象に残っていたというのもあります。


ある夜、その民家の前を通りかかった時、少女MKら6,7人が外に出ていて、民家を追い出されるとかなんとかと話をしていたのです。細かいことは憶えていないですが、それならという感じで、そのメンバーが被告訴人大網周一のアパートに転がり込むことになりました。


男というのは当時19歳だった岐阜の少年、私とは同い年だった羽咋郡富来町の当時16歳だったYYという少年。岐阜の少年に関しては現在名前も思い出せなくなっていますが、けっこう年上に見えていました。


少女というのは松任市の同い年のSKが同じく16歳だった他は、全部が17歳になっていたかは不明ですが、学年で私より一つ年長だと聞いていたように思います。七塚のMKと東金沢のMSをあわせて少女は全部で6人だったように思います。


転がり込んでから連日連夜の大騒ぎで3日目ぐらい8月28日の早朝に、通報を受けた金沢中警察署の警官が来て補導されました。新聞には13人と出ていたように記憶しています。ちょっと前にたまたま来た当時21歳かあるいは24歳ぐらいの穴水町出身の男も補導というか成人なので逮捕されていたと。


岐阜の19歳の少年は警察が来るとすぐにトイレに入って、そのまま逃走しました。それも10月ころだったと思いますが、入江のアパートで被告訴人浜口卓也に警察を装った訪問で、肝を冷やしていたのも記憶にありますが、その時は彼女と二人固まった感じで逃げようとはしませんでした。


その時付き合っていた彼女とは松任市の少女SKでした。他の少女はみな金沢市内と聞いていたように思いますが、七塚のMKは中村町の姉のアパートにも住まいをしていて、鑑別書を出てからはその姉のアパートにも遊びに行った記憶があります。


前にも少し書いているように思いますが、入江のアパートというのは七塚のMKが服役中の暴力団員に、鍵をもらって自由な出入りを許されているというアパートでした。何度かそのアパートで鑑別書を出た後もシンナー遊びをやっていた頃に、加藤整形外科病院に行ったのです。


8月28日、金沢中警察署に連れて行かれたのは男女13人で、小立野の少年鑑別所に家裁から連れて行かれたのは、少女一人のほかは、私と被告訴人大網周一、それと伽のYY,それと私より1つ年上のTAで、少女一人の全部で5人だったと思います。


午前中には金沢中警察署で取り調べを受けていましたが、午後になってバスに乗せられ、連れて行かれた先が家裁で、その後にはバスで鑑別書に連れて行かれました。まったく想像にもしない急展開でした。


私は全くの初犯でしたが、自分以外のシンナーの吸引を認めず、また警察が連絡をした母親がたまたま不在だったということで、一緒に鑑別書に送られたようです。独房に入れられた時は、正直涙を流しました。


鑑別所では28日以内に審判があって処分が出ると聞いていたと思います。私は母親が面会に来た時の態度が悪くて職員を驚きもさせたようです。それにニグロという細かいパーマの髪型にしていましたが、不利になるとは聞いていたものの髪型も変えず、切りませんでした。


少年院に行くことになるかもしれないと言われていたのですが、確か26日目に審判があり、試験観察という処分が出て、釈放というのは鑑別所を出されて自由の身になりました。当日の夕方遅くには宇出津に帰っていたと思います。


時刻は5月29日11時36分を過ぎたところです。再開します。


2014-05-29-112559_金沢家庭裁判所 Google マップ.jpg pic.twitter.com/L8sn1DSPhM


上記は金沢地方裁判所の建物をGoogleストリートビューでスクリーンショットしたものです。中程に見える3階建ての建物がそうだと思います。左手にみえる仮設の建物は新築工事中だった金沢地方裁判所の一部と思われますが、工事はだいぶん前に終わって新庁舎になっているはずです。


どうも2つまえの写真付きツイートを含むツイートが、投稿に反映されていないようです。


直接、ブラウザからTwitterに投稿をやってみたのですが、サーバ内部エラーが出ました。なにか問題のある文字列が含まれているのかもしれません。URLだけで試してみます。これでエラーがでるようならが、Twitterの仕様変更が考えられます。


pic.twitter.com/L8sn1DSPhM


なぜか今度はうまくいったようです。


2014-05-29-112959_金沢地方検察庁の周辺 - Google マップ.jpg pic.twitter.com/wdptJdWeml


今度は問題なくうまくいったようです。前回の「2014-05-29-112559_金沢家庭裁判所 Google マップ」の投稿では、たまたまエラーで失敗をしたものの、投稿が成功したのと同じ情報が残されていて、重複した投稿と判断されたのかもしれません。


「金沢地方検察庁の周辺」をみれば一目瞭然かと思いますが、金沢地方検察庁と金沢地方裁判所は近くにあって、その間に挟まれるようなかたちで金沢家庭裁判所もあります。


金沢地方裁判所の前の建物と金沢家庭裁判所の建物の間には、お堂のような古い建物があって、それが金沢弁護士会の建物だったのですが、数年前の取り壊しになったようです。陪審員裁判が最後に開かれたとか、はっきりは忘れましたが、歴史的な意義もある建物だったと何かで見ました。


それと、昨夜のGoogleストリートビューで画面が黒くなるという現象ですが、Firefox固有の問題で発生していたようです。今日はGoogle Chromeでやってみたところ、以前通りにクリックで前進することができました。


金沢弁護士会の古い建物ですが、私はそこに出向いて相談する弁護士の紹介を受けたことがありました。平成9年の秋だと思いますが、その時に紹介を受けて事務所を訪問したのは、「畠山美智子弁護士」だったと思います。


2014-05-29-123921_畠山美智子法律事務所.jpg pic.twitter.com/lpSvZNxvfx


今度も投稿がうまくいったようでよかったです。尾張町に近い場所ということで私の記憶とも一致するような場所ですが、住所が大手町になっているらしく。これはいささか驚きました。大手町というのは自分が思っていた以上に範囲が広いようです。木梨松嗣弁護士の事務所も大手町だったかと。


当時は同じ頃に、西村依子弁護士、小堀秀行弁護士にも相談に行きました。西村依子弁護士に関しては、本書において既に記述をしているかと思います。畠山美智子弁護士と同様に、受任を断れたものの、相談料もいらないと言われました。


畠山美智子弁護士には主に民事裁判としての損害賠償請求について話をしたという記憶がありますが、なにか驚いた様子で、「あなたの方が詳しい」などとも言っていました。厄介払いに必死だったという印象もその場の場面として記憶にあるのですが、午後の時間で薄暗い状況だったようにも。


昭和56年の話に戻します。


2014-05-29-131538_告訴状の説明に伴う昭和56年当時の場所.jpg pic.twitter.com/LwbPFPdM5c


告訴状の説明に伴う昭和56年当時の場所 https://mapsengine.google.com/map/edit?hl=ja&mid=zFhFi3M9JKtg.kl83clWFiHL4


Googleのマイプレイスという地図サービスを使って目印を作成しました。風船のようなマークが出ていると思いますが、見出しの部分にある色分けとマークの位置が対応しているはずです。加藤整形外科に関しては検索結果の住所位置から自分の地図に追加をしました。より正確かと思います。


マイプレイスのレイヤーを別にして「主に平成4年以降に関連のある場所」というマップを作成しました。以下はスクリーンショットとマップのURLです。


2014-05-29-134853_主に平成4年以降に関連のある場所.jpg pic.twitter.com/AeOzl6BXuA


告訴状の説明に伴う昭和56年当時の場所 https://mapsengine.google.com/map/edit?hl=ja&mid=zFhFi3M9JKtg.kl83clWFiHL4


どうもレイヤーの表示の仕方を別にしても、URL及びリクエストパラメータの値は同じようです。ページのタイトルも同じです。


URLとタイトルのすべてが同じだったので、Twitterの投稿に失敗していたようです。面倒ですが、マイプレイスを別に作成しておいたほうが、あとあとの誤解や混乱を避けれるかもしれないです。


19時11分を過ぎたところです。しばらく中断していました。マイプレイスのコピーを試みたのですが、十分にはうまくいかず、そのあと母親の入院している病院に行く用事があったのでそれを済ませてきました。


マイプレイスというのはマイマップを新しくしたGoogleの地図サービスのようです。kmlファイルとして保存したり、それをインポートしたような経験はあったので簡単に出来ると思っていたのですが、マイプレイスではkmlの情報をそのまま読み込むことが出来ないようです。


マイプレイスの作り直しも考えたのですが、作成したマイプレイスのタイトル名とレイヤーの名前を変更することにしました。結果は次のスクリーンショットとWebページのURLのようになりましたので、今後はそちらの方を前提に説明を進めていきたいと思います。


2014-05-29-190840_告訴状の説明に伴う主に金沢市内の当時の場所.jpg pic.twitter.com/WrluPbwBWK


告訴状の説明に伴う主に金沢市内の当時の場所 https://mapsengine.google.com/map/edit?hl=ja&mid=zFhFi3M9JKtg.kl83clWFiHL4


少し話題を変えますが、直近のこととして少し書いておきたいと思います。母親のいる病院の帰りに私が住む宇出津に一件だけのコンビニに立ち寄ったのですが、週刊文春はありませんでした。しばらくは他の週刊誌を眺めていたのですが、斜め向かいにある書店に行くことにしました。


コンビニの道路を挟んで斜め向かいにある書店は、梶川の橋の工事に伴って更地として撤去され移転した千間書店なのですが、現在は「千間啓文社」というお店の看板になっていました。移転してから一年以上は経つと思いますが、店に入ったのは今日が初めてでした。


「週刊文春 5月29日号」ではなかったかと思いますが、あるいは5月30日号で、開いてみたのですが、佐藤博史弁護士をタイトルにした記事は見当たらず、グラビアの一部としてPC遠隔操作事件に関する記事がちょっとだけ載っていました。


ここで調べ直したところ、自分の勘違いに気が付きました。千間書店には置いていなかった最新号が、佐藤博史弁護士に関するタイトルの記事を掲載したものであったようです。次のWebページです。


週刊文春2014年6月5日号 | 最新号 - 週刊文春WEB http://shukan.bunshun.jp/articles/-/4006


私が注目し、普段支払い以外には滅多に行かないコンビニに立ち寄った目当ての記事のタイトルは「社会 片山被告PC遠隔・佐藤博史弁護士の拝金主義」です。いつ発売なのかわからないですが、ぜひこの記事には目を通しておきたいと考えています。


宇出津のコンビニでは、以前より沢山の種類の週刊誌が置いてあるように感じました。中には売り切れでたまたま見ていなかったというのもあるのかもしれません。


コンビニでは見かけなかったのですが、千間啓文社では週刊文春が2冊程度だったのに、週刊新潮は6冊か7冊ほど置いてあったので、これも少々意外に感じました。宇出津でもそれなりに社会の問題に関心を持っている人がいるからこそ、相応の数の雑誌の入荷があるものと想像されたことです。


週刊現代、週刊ポスト、アサヒ芸能、週刊朝日、他に名前は忘れましたが1冊か2冊の週刊誌にざっと目を通しましたが、PC遠隔操作事件の真犯人自供に関する記事の扱いは概ね小さく、そういうものだったのかという確認と納得が自分なりに出来たことを、書くておくというか報告しておきます。


宇出津の梶川の橋のたもとに千間書店があった頃、千間書店の真向かいには被告訴人大網健二と被告訴人大網周一兄弟の家がありました。中学生の頃までのことです。向かい合う道路に面した2階の部屋が被告訴人大網健二の部屋だった頃のことです。


夕方にその千間書店で漫画の立ち読みなどをしていると、被告訴人大網健二が顔を出し、話をしたり、そのまま彼の家に遊びに行ったような断片的な思い出も印象的です。昭和56年にも近い時期でした。


昭和55年ぐらいではなかったかとも思いますが、大網プロパンとしてガス器具の販売の店にもなっていた千間書店の真向かいの家の部分は、父親の借金のかたに売却されたらしく、スポーツ用品店になっていました。


裏の方にある大網自動車の整備工場を含めた家の敷地全体では3分の1か4分の1の部分だったと思います。数年後には自動車工場を含めた家の全体が売却され、整備工場のあった部分は解体のうえパチンコ店の駐車場になっていました。


そのパチンコ店は千間書店の隣でしたが、梶川の橋の工事に伴う移転の対象にはならなかったものの、2年ほど前に閉店し、そのあと解体され、現在はパチンコ店の経営者の住宅が新築されさほど日数が経過していないところです。


何年か前までは被告訴人である大網兄弟の家の建物の一部が現存していて、なにか選挙事務所のような看板が出ていたと思いますが、いつの間にか取り壊しになっていました。宇出津にはいたと思いますが、解体の工事の現場は見ていなかったようにも思います。


昭和59年の話に戻します。


新聞には一番大きな記事で、「シンナー吸って大騒ぎ」というような見出しになっていたと思います。昭和56年8月28日の早朝に金沢中警察署が踏み込んで補導された事件でした。


その数時間前だったと思いますが、たまたまという感じで、当時、金沢高校の学生だった被告訴人大網健二が寿司屋の出前持ちをしていた同級生と二人で、増泉の被告訴人大網周一のアパートに遊びに来て、被告訴人大網健二もシンナー遊びを始めたのです。


被告訴人大網健二にしてみても間が悪かったというか、それで人生の軌道が大きくずれたとも思えます。金沢中警察署が踏み込んだ時、その場にいたので被告訴人大網健二も補導されたのですが、私が鑑別所を出ておよそ一月ぶりに再開した時には、金沢高校を退学になったと聞いていました。


頻繁に被告訴人大網健二の家に遊びに行くようになったのもそれからのことです。金沢高校を退学になったことで被告訴人大網健二も宇出津に戻って家で生活するようになっていました。被告訴人大網周一も私が鑑別所を出た2,3日後には同じく試験観察という処分で自由の身となり宇出津に戻りました。


被告訴人大網健二は保護観察の処分になったと聞きましたが、その保護観察は被告訴人大網健二が二十歳に近くなる頃まで続いたようで、保護司のところに行ってくるという話は、昭和59年ころにも聞いていました。


被告訴人大網周一と同じ試験観察という処分でしたが、私の場合はその昭和56年の12月ころには再度審判があって、不処分という結果が出たので保護観察になることもありませんでした。


調査官の人の名前は忘れてしまいました。割と近年までは記憶にしていたようにも思いますが、今現在は少しも思い出せません。初めはずいぶんと厳しく熱のこもった対応を受けたのですが、終わりには優しい言葉も掛けられ、不処分ということにもなったのです。


その調査官とは試験観察後の審判が出る前、七尾市の家庭裁判所で面接したことも憶えています。より印象的だったのは被告訴人安田敏とその母親と、待合室で顔を合わせ話をしたことです。


その時、様子がおかしいとは感じたのですが、2ヶ月ほどあとかと思いますが、シンナー遊びで発狂して松原病院に入院したと聞きました。待合室であった時は、やせ細って青白い顔色で幽鬼のような様相を漂わし、言動にもおかしなものを感じていました。


七尾市の家庭裁判所の待合室での被告訴人安田敏の母親の姿も、友だち関係に敵意を向けるようなものが感じられ、母親に会ったのはそれが一回限りでしたが、複雑に印象に残っていました。本当はとても優しそうな母親というイメージもありました。


その被告訴人安田敏の母親のイメージというのは、活字以外にまったく情報が無いですが、私の中ではPC遠隔操作事件の片山祐輔被告の母親のイメージに重なるところがあり、佐藤博史弁護士に人生を翻弄、利用されたというイメージも強いです。


私の家裁の調査官はいろいろと情報を得た上で、私に面接していたのだと思いますが、厳しいだけではなく大仰とも思える態度でした。心底驚いているようにも見えましたが、それは当時の宇出津近辺の私を取り巻いた環境というのも大いに影響していたのではと思われます。


簡単に説明は出来ませんが、時代の変化という意味でも昭和56年当時の宇出津近辺と現在の宇出津近辺とは隔世の感があります。つくづくどうなのかと考えるぐらいの様変わりでもあります。


他にも、昭和56年に取り調べを受けた金沢中警察署の取調室は机や壁の一面が傷だらけで、物凄いものがあったと強い印象が残っています。鑑別所も似たようなところがあって、独房は主に彫刻刀で掘られたような落書きだらけでした。


「ドテチン、瀬戸少にいく」というようなものもあったと記憶に残っていますが、つまり愛知県の瀬戸少年院に行くということと思われます。他にも山口組系一会北友会というような所属と思われる暴力団名も多かったと記憶にあります。


初めは独房に入れられて涙も流した鑑別所での生活でしたが、10日ほどで雑居房に撮され、けっこう楽しく過ごしたという思い出のほうが、正直強くもあります。丸ごと骨付きのサバの唐揚げには驚きましたが、週に一回の白米のカレーライスがとても美味しかったという思い出もあります。


いきなりですが、先ほど次のようなことをやりました。


2014-05-29-211135_その人権ということで、私はモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)ことあなたを名誉毀損で石川県警に告訴する必要性を感じ、.jpg pic.twitter.com/lPUhFPuUmZ


現在の時刻は5月31日の14時05分を過ぎたところです。買い物のついでに立ち寄った新しく出来た宇出津の図書館でノートパソコンの持ち込みが許可された聞き、早速持ち込んでみたところです。インターネットにはスマホでWi-Fiデザリングというのをやってみました。


家のほうが午後になると西日が強くてかなり暑くなります。昨日も輪島で31度を超えたとか話が出ていました。


Aコープ能都店での買い物の前に立ち寄った時には北國新聞の縮小版で昭和56年当時の記事を見ました。一つは昭和56年8月28日の夕刊になっていました。記事の内容も自分が見たものとは少し違ったような気もしたのですが、左側の方に2番めに大きい扱いという感じになっていました。


いずれにせよ私がその記事を見たのは鑑別所を出た後のことで、誰かから見せてもらったのだと思います。あるいは北陸中日新聞の記事を見ていたのかもしれませんが、個人的には北國新聞しか読むことがなく、家で購読していたのもずっと北國新聞だったと思います。


ただ、夕刊というのは家で購読したことが一度もなく、他にも夕刊を目にする機会というのは少なかったと思います。


もう一つの記事というのは少女の暴走族の摘発のものでした。これは自分が見た記事とも一致する感じでしたが、やはり9月の終わり頃の記事になっていました。顔から下の少女の写真が七塚のMKだと説明されながら誰かに見せてもらった記事でした。


その記事の内容には河北郡出身で金沢市中村町に住む少女がリーダーで、同じアパートの住む同じ河北郡出身の少女がサブリーダーということになっていました。同じアパートに住んでいるような書き方になっていましたが、MKがサブリーダーという話は仲間内でも聴いてはいました。


MKも中村町のアパートには住んでいたようですが、姉のアパートに居候しているという話だったので、少し記事に間違いがあるような気もしましたが、リーダーと思われる少女は少女の中でただ一人、私達と一緒に鑑別所に連れて行かれた少女だと思いますが、河北郡という話は聞いていなかったかと。


鑑別所を出た後もそのリーダーという少女には一度も会うことがなかったと思います。うわさ話は少し耳にしていたようにも思いますが記憶にはありません。また、記事によると鑑別所を出てすぐに暴走行為で補導されたような書き方もされていて、これも記憶にはなかったことです。


本当は他にリーダーという少女がいるようにも聞いていたのですが、実際会ったことはなかったです。ただ、私が鑑別所にいる間のたまり場では、顔を出すことも会ったと聞いたように思います。


8月28日の夕刊には高校生が一人含まれていたと書いてありましたが、これは被告訴人大網健二のことだと思います。本人から金沢高校を退学になったとは聞いていましたが、かなり早い時期に学校に行かなくなり宇出津に戻ってからも、宇出津の友人を連れて、金沢のたまり場に遊びに行っていたようです。


告訴状の説明に伴う主に金沢市内の当時の場所 https://mapsengine.google.com/map/edit?hl=ja&mid=zFhFi3M9JKtg.kl83clWFiHL4


上記のマイプレイスに「鑑別所を出た後たまり場になっていた古いアパート」という印をつけましたが、これは私が鑑別所を出た後に何度か遊びに行ったアパートでした。


その古いアパートは金沢中警察署が踏み込んだ時に便所の窓から逃走した岐阜の19歳の少年の友達のアパートのようでしたが、近くの自動車修理工場か板金工事に通っているらしく真面目に仕事をしているような人でした。


たまり場がそこに移る前も、被告訴人大網健二らは頻繁に金沢に遊びにゆき、他に補導されたメンバーらと遊びまわっていたような話でした。細かい話を聞いたようにも思いますが、記憶にあることは少ないです。


その金沢のたまり場に被告訴人大網健二が連れて行ったというのは、HMや神野のKMです。神野のKMに関してはこれまでも何度か書いていると思いますが、山水運輸にも働いています。私は昭和60年の5月ころまで付き合いがあったのですが、ちょっとあって絶縁関係になりました。


神野のKMはUTという少女と付き合うようになり、そのうち金沢市大額のアパートで同棲するようになっていました。UTは宇出津の私の家の近所でもありますが、被告訴人大網健二の妹や妻となったOMとは同級生であり、仲の良いグループでした。


被告訴人大網健二の結婚式でUTの姿を見ましたが、姿を見たのもそれが最後だったと思いますし、神野のKMの話も聞かなくなっていきました。UTと結婚したとか、子供が生まれたような話も聞いてはいたように思います。


HMも私の同級生ですが小木分校に通っていた昭和55年当時もよく遊んでいました。ほとんどの場合一緒にいたのがHSでした。二人とも小木分校の受験に落ちて水産高校の本校の方に通っていたのですが、乗船実習に行くのが目的だから実習に行ったらすぐに学校をやめるとは話していました。


その言葉通りに実習から戻るとすぐに水産高校をやめたようですが、時期ははっきり思い出せません。水産高校の機関科と漁業科には加能丸での乗船実習があり、3ヶ月ほどハワイやシンガポールに行くことになっていました。成績の良い生徒がハワイと聞いたようなこともありました。


二人とも初めに小木分校の無線通信科を受験していたはずなのですが、無線通信科と本校の製造科には乗船実習はありませんでした。製造科は9割以上のほとんどが女子という特徴もありましたが、無線通信科は4分の1ぐらいの割合で女子がいました。


HMとHSはいつも一緒に行動していましたが、被告訴人大網健二が連れて行った金沢のたまり場に入り浸りになって、家出のような状態になったと聞きます。実際に、心配した父親と母親があちこち探しまわっていました。


HMもHSも水産高校をやめたのはほとんど同時期だと思うのですが、金沢で遊びまわるHMにHSはついていけなくなった感じで、愛想も尽きたようです。他にもなにかあったのかもしれませんが、その辺りを境にHMとHSが一緒にいる姿も見かけなくなりました。


両親がとても心配してあちこち探しまわったことで、周囲に迷惑を掛け、またそれに対する態度も悪かったのかと思いますが、HMの姿自体を見かけなくなり、話も聞かなくなっていきました。結果的にかえって真面目な生活をするようになったのかもしれないですが、情報もなかったのでわからないです。


今年の2月ころに、宇出津で仕事をしているという話を聞きましたが、海に近い仕事場と聞きました。前を通りかかることも多いですが、確認しようと考えてこともありません。ヤリイカ釣りの堤防で同じく昔の知人から聞いた話です。


HSとはその後も付き合いは続きました。免停の講習に観音堂の運転免許センターに行き、講習中の態度が悪いと注意を受け、乗ってきていた車に乗って帰ろうとしたところを、無免許運転として摘発され免許取り消しとなりました。


さらに金沢市馬替の従兄弟のHSさんのアパートで、HSさんの車ではなかったかと思いますが、その車の運転を始めて蛇行運転をしていたところ、民家の車庫に突っ込んでそれを突き破り、となりのブロック塀にぶつかって車を大破させたのです。その時私は助手席に乗っていたのですが怪我はなかったです。


そんな事故とかで車のローンなどの借金がかさみ、嫌々ながらやむなく小木港の遠洋漁船に乗ることになったのです。漁師になってから友だち関係も正確もだいぶん変わったとも思いますが、被告訴人浜口卓也との関係も親密になっていたのが、特に印象的でした。


その後、2,3年は漁師をしていたのだと思いますが、昭和61年のはじめぐらいを境に、会うこともなくなっていたと思います。それまではたまにアパートに訪ねても来ていたのですが、私の方の付き合いが悪かったので、そのうち来なくなったようにも思います。


久しぶりに会ったのが、本書において既に書いていると思いますが、従兄弟のHSさんの結婚式の会場の外でした。建物の2階で、私は長男だけを連れていた場面を記憶しているのですが、被告訴人大網周一の姿も記憶に残っています。


その時、従兄弟のHSさんと結婚したのが姫のDMで、被告訴人大網健二の妹や妻の同級生であり仲の良いグループのメンバーでした。


被告訴人大網健二がお盆休みに神戸から来た時も、夜に初めに会ったのは金沢市八日市のHSさんとDMが同棲しているアパートでした。そのアパートの建物には、他にも年の離れた宇出津の先輩が住んでいると聞いていたようにも思います。


あるいはMSさんがそうだったかもしれません。アウディが何とかという話も少し頭に残っています。MSさんは今でも宇出津で顔を合わすことがありますが、平成9年の2月ころか、被告訴人大網周一や被告訴人大網健二と家に遊びに行ったのが、印象に残っています。


平成9年になると同級生のHSは、金沢の被告訴人大網周一の鳶職の会社でナンバー2のような立場になっていました。被告訴人大網周一とはそのかなり前から親密な関係が続いていたようです。


金沢市内の上荒屋に家を立てて住んでいると聞きましたが、それも被告訴人大網健二がかなりの世話をしたような話でした。


それより前で、あるいは平成4年より前だったという気もするのですが、従兄弟のHSさんも被告訴人大網健二に不動産か住宅のことで世話になったような話を聞いたように思いますし、ほかにもそういうのがけっこうな数あるように聞いていました。


告訴事件と関連のある金沢市内の場所 https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zW8zvRyoSBg4.kcVzYakZOUcc&hl=ja


2014-05-31-155457_被告発人HTNの運送会社の駐車場.jpg pic.twitter.com/n7oNmP1Mk3


だいぶん前に作成したものですが、マイプレイスのURLと該当箇所のスクリーンショットです。被告訴人大網健二からその駐車場の話を聞いたのは平成9年7月に金沢に出てから、だいぶんあとのことでした。その前は一緒に何度も車で通っていたはずなのですが、教えられるまで全くしらなかったです。


被告訴人浜口卓也が市場急配センターで配車係をしているという話は被告訴人大網健二の口からも聞いていたと思いますが、トラックの駐車場があるということはすでに独立していたことにもなるはずです。


そのトラックの駐車場は周りのほとんどが空き地だったので、けっこう目立っていました。保冷車か冷凍機付きと思われるトラックが多い時で5台以上はいたような気がします。2トン車と4トン車がいたと思いますが、いずれも塗装をしていないのか白い色のトラックでした。


双葉湯のすぐ近くでもありましたが、その辺り一帯は昭和59年ころにくらべるとすっかり様変わりしていました。双葉湯自体は、一度、松浦さんと愛知県のK村さんの3人で風呂に入った思い出があるぐらいなのですが、すぐ近くには金沢市場輸送のつけもきく、飛鳥食堂がありました。


松浦さんというのは今までMなどと実名を書かずに来たと思いますが、事案解明の重要度の高い人物なので実名ということにしたいと思います。下の方の名前ははっきり思い出せないのですが、漢字2文字で上のほうが健だったようには思います。


初めに金沢市場輸送でイワシのダンプに乗るようになった人物です。平成9年の11月の20日ころの会見で、労務の担当者として話を聞く必要があると同席した堂野さんも松浦さんの紹介だと聞いていました。


その松浦さんの愛人という女性の息子で、金沢市場輸送に入社し市内配達の仕事をするようになったのが、重大なキーマンの一人である被告訴人安田繁克です。被害者AAさんの元彼氏という話にもなっていましたが、事実自体を捏造していた可能性がすこぶる濃厚です。


K村さんに関しては匿名にしておきます。私が金沢市場輸送に2度目に入社した昭和61年の8月の時点には既にいたように思いますが、長距離運転手として大型車に乗務していました。


イスズの7180号という10トン保冷者に新車で乗務したのもK村さんだったと思います。イワシのダンプよりはだいぶん前に入っていたように思いますが、同じくイスズの新型車でした。ただ、その前となるとK村さんがどのようなトラックに乗務していたのか思い出すことが出来ません。


松浦さんに負けないぐらい暴力団というかヤクザものらしい感じの人物でしたが、彼も被告訴人竹沢俊寿がヤクザをやっていた頃の組員だったとも聞きました。もっとも松浦さんは少年にも近いような若者で、すぐにいなくなったような話も聞いたことがありました。


K村さんは運転手の間でも評判が良くなかったですが、キレやすいタイプであるだけではなく、異常な行動もちらほら耳にしていました。福井県の敦賀市から京都府の舞鶴市にかけて国道27号線というほとんど対面通行の国道があるのですが、反対車線で追い越しを掛け続け対向車が反対側に出て避けるとも。


K村さんはイスズの新車に乗務していましたが、高速道路の走行ではクラッチを踏まないでギアチェンジをしているとも聞きました。この話は山田さんに聞いたと思いますが、万一ギアが壊れてエンジンにロックが掛かったらどれほどの惨事になるものかと、想像してみたこともありました。


金沢の市場の鮮魚の売り場で、上半身裸になって入れ墨を見せ暴れ、大勢に袋叩きにされた挙句、市場の人の仮設の小屋のような建物を、フォークリフトで持ち上げたというような話も聞きました。これで出入り禁止になったという話も聞いたかもしれません。


大きな犬を連れて事務所にいる姿も見かけていました。テレビ化何かで見たフランダースの犬のような大人しそうな救助犬のような犬でしたが、長距離のトラックにも同乗させ、本当かどうかわかりませんが、気分が悪くなってくると憂さ晴らしで殴りつけているというような話も聞きました。


そのうち会社で姿を見かけなくなって、なにやら会社や被告訴人竹沢俊寿らともめているような話は聞いていたのですが、そのうち事件を起こし新聞にも出たようです。


その事件というのは、金沢市場輸送の駐車場に停まっていた多数のトラックか乗用車のタイヤを千枚通しのようなものでパンクをさせたというものでした。トラックと乗用車どちらが多かったのかも思い出せないですが、私の車かトラックのその場に駐車されていたものの被害はなかったのです。


なにか逆恨みの犯行のような話にはなっていましたが、耳に入ってくる情報を吟味しても不可解さの残る腑に落ちない話でした。その頃にはずばりトラックを運転しながら覚せい剤をやっているという話も耳にしていましたが、覚せい剤に関しては不思議と大きな話にはなっていませんでした。


その金沢市場輸送の駐車場というのは、丸北青果の道を入った後に金沢市場輸送の事務所が出来た辺りにあった駐車場です。


告訴事件と関連のある金沢市内の場所 https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zW8zvRyoSBg4.kcVzYakZOUcc&hl=ja


2014-05-31-165519_金沢市場輸送の事務所があった場所.jpg pic.twitter.com/SFHaTaTlh3


ちょっとTwitterとの連携に齟齬が生じ、順序が入れ替わってしまいました。投稿したつもりがしていなかったのかもしれません。


上記のスクリーンショットを見ていただければわかると思いますが、丸北青果の間の道に入ると、現在は十字路の先が左斜めの鋭角になっていてその角が金沢市場輸送の新しい事務所になっていました。建物自体は現在もそのまま残っている可能性が高いと思います。


以前はその十字路がまっすぐに伸びていて、左右が田んぼか畑になっていて、畦道という感じもするぐらいでした。その十字路の先の左手に金沢市場輸送の駐車場があったのですが、舗装もされていないような駐車場でした。砂利がしいてあったような気もしますが、水たまりもあったような。


時刻は17時56分を過ぎたところです。図書館は17時まででした。またAコープ能都店で少し買い物をして帰ってきました。家にいるよりは集中できると思いましたし、暑さもましでした。まだ本格的に冷房の入る時期にはなっていないようですが、温度調整はされているのではと思います。


家の方も天気が良い割には、昨日、一昨日とくらべると暑さはだいぶんましなように感じます。さほど気温は上がらなかったのかもしれません。テレビでは大分県で35度以上の猛暑日になったとか、NHKで行っているところです。


熱中症の疑いで2人が死亡とも出ていました。5月としては記録的な暑さとのことですが、冷房のない生活なのでこの夏も体調に気をつけながらなんとか乗り越えないと思います。


さて、ぼちぼち続きを書きたいと思います。


K村さんに関しては姿を見なくなってだいぶん経ってから、また金沢市場輸送に復帰知るかもしれないという話を聞きましたが、それは実現せず、その後忘れられた存在になっていたと思います。


そんな頃になって初めて、愛知県の瀬戸市にいるということを聞きました。それまでは名古屋の人とか愛知の人という話は聞いていたと思いますし、普段からかなり訛りの強い名古屋弁のような話をしていました。私自身、昭和57年にしばらく名古屋で生活したことがあったので、馴染みもある方言でしたが。


そういう話は被告訴人池田宏美の口から聞いたような気もしています。池田といっても当時は違った名前だったと思います。初めは吉村と名乗っていたように思いますが、本人が4度目の結婚で池田という姓になったと話していたぐらいですから、あるいは私が知る間にも3回変わっているのかもしれないです。


K村さんが戻ってくるかもしれないという話を聞いたのも、まだ西念町の中央市場前に金沢市場輸送の事務所がある頃で、その2階の事務所の中で話を聞いたという記憶が残っています。二口町に事務所が移ってからは、話題にすら聞いていないような気がしますが、特異な存在感がありました。


金沢市場輸送の事務所が移転する前だったと思うのですが、一時期50メートル道路の一部を臨時の駐車場のように使っていた時期がありました。会社から指示が出てそうしていたのだと思いますが、なぜなのか深く考えることもなかったと思います。


告訴事件と関連のある金沢市内の場所 https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zW8zvRyoSBg4.kcVzYakZOUcc&hl=ja


2014-05-31-183354_臨時の駐車場だった場所.jpg pic.twitter.com/2E5UIm0cIe


上記のスクリーンショットは、久しぶりにログインして編集で追加した印のものです。重なっていてわかりづらいと思いますが、交差点の名前は「駅西本町一丁目」となっています。金沢駅の西口から国道8号線バイパスに伸びる一直線の広い道ですが、50メートル道路とも呼ばれていました。


「駅西本町一丁目」という名称は記憶にないですが、中央市場の方向から来ると十字路ではなくT字路の交差点になっていました。バイパスの方から来るとその交差点の手前で、道路が半分か3分の1ぐらいに分かれ、左側の部分が臨時の駐車場のようになっていたのです。


道路の車線との分岐点はガードレールで仕切られていたようにも思います。道路全体が拡張工事の途中だったようにも思うのですが、詳しい状況は記憶に残っていないです。


中央市場の方角から来たT字路の突き当りには6階建てか7階建てぐらいと思われるマンションがありました。けっこう古い建物に見えましたが、一階には喫茶店のような店があって、夜は飲み屋になっているような話も聞きましたが、竹林が常連にしているとも聞いていました。


私も一度、その喫茶店には入ったように思うのですが、竹林に連れて行かれたもののそれは昼間のことであったと思います。そこで酒を飲んだという記憶はないですし、夜にも入った記憶がありません。


その店では金沢市場輸送の社員同士のトラブルがあって竹林が殴られたような話も小耳にはさみましたが、詳しいことはわからず、誰かに尋ねるようなこともしませんでした。


あるいは竹林以外の、二人の間での諍いであったかもしれません。SSとYTが心当たりの人物ではあるのですが、ずいぶんと前のことで思い出すこともあまりなかったので、ちょっと思い出せなくなっています。やはり竹林が殴られたという話だったとは思うのですが、相手がはっきりしないです。


YTに関しては竹林のことを「ちくりん」と呼んでいましたが、特に折り合いが悪かったとも思えません。SSも同じイワシの運搬の仕事で金沢港で仕事をしていたので、そう折り合いが悪かったとは考えにくいのですが、この二人以外には該当者がなかったようにも思います。


時刻は6月2日10時54分を過ぎたところです。ここ2,3日長めの中断をしていたと思いますが、ようやく期待以上の収穫を得ることが出来ました。それはプレゼンテーションの活用です。URLの紹介とともに内容のテキストの部分は本書と連携させたいと思います。


告訴状の説明に伴うプレゼンテーション/市場急配センター編 - Google スライド


https://docs.google.com/presentation/d/1paR5XyQxpFQe3Gv_lLX5przUwzyo2bNwcdQOxqIhGJk/edit#slide=id.p


あと二文字の142字でエラーが出て告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(kkhirono)に投稿できなかったので2つに分割をしました。大事なところなので短縮URLと併せたタイトルも掲載しておきます。


告訴状の説明に伴うプレゼンテーション/市場急配センター編 - Google スライド http://bit.ly/1okxUdk


Google スライドというプレゼンテーションのサービスを使います。初めは同じGoogleの表計算のサービスでいろいろやっていて、行き詰まりもあり悪戦苦闘していたのですが、プレゼンテーションの方をやってみたところ、しばらく勉強すると予想以上に活用できそうだと思いました。


画像や写真、動画、それにURLリンクを交えた説明に特化したのがプレゼンテーションだと思います。裁判員制度でも活用されているという情報は見かけていました。


本書においてこれまで主にTwitterの写真投稿を活用してきましたが、画像の表示サイズとファイルとしての保存にも難があります。


それ故にPicasaウェブアルバムを併用してきたのですが、本格的なGoogleサービスの活用となればいっそのことGoogleドライブに含まれる他のサービスにも目を向けたのです。


初めにとりかかっていたの次の表計算です。同じGoogleドライブの表計算を使って公開をしています。ついでなので先にご紹介しておきたいと思います。


「2014-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中」の記事一覧リスト - Google スプレッドシート


https://docs.google.com/spreadsheets/d/1Eb0nNzmolB0WmPzK7ULhFSc1qMhWqu00npLwnF3Xlfk/edit#gid=32882546


「2014-告訴事件に関する司法・社会・世相・時代の参考情報/金沢地方検察庁御中」の記事一覧リスト - Google スプレッドシート http://bit.ly/1okALTE


現在985件の記事のリンクデータがあるようです。ブログの記事のリンクの一覧ですが、こういうのは情報として入手がしづらいものです。


Googleclのコマンドや何か他の方法でもタイトルとURLの組み合わせを取得できるのですが、どちらも最近の500件までという制限があるようです。


初めはLibreOfficeのcalcという表計算ソフトでGoogleclコマンドで得た情報を読み込んだのですが、URLの部分が自動でリンクにならなかったのです。マクロやlibreoffice basicというプログラム言語を使ってなんとかしようとしたのですが、自動処理はうまくいきませんでした。


プログラムの自動処理としてリンクを生成する関数のコードも生成したのですが、コードとしては実行評価されず、単なるテキストになっていました。


LibreOfficeでURLに自動でリンクをつけるのはオートコレクトという機能なのですが、マクロを含めた自動処理では適用されないようでした。ちょっとした編集を加えるとリンクがつくことを発見したのですが、調べたネットでの情報も少なく、たまたま幸運な発見のようなものでした。


1000件弱のデータに一つ1秒も掛からない処理でも、相当の手間と時間がかかるということも再認識しました。効率の悪いことは他にもやっているなと考えながら、プレゼンテーションの活用に本気で取り組んでみようという気持ちにもなったのです。


LibreOfficeのcalcのデータはGoogle スプレッドシートでインポートしました。本当は同じLibreOfficeのプレゼンテーションソフトのImpressのデータもインポートするかたちにしようとやってみたのですが、画像ファイルが読み込まれていませんでした。


パワーポイントという有名なプレゼンテーションソフトのpptxというファイル形式に保存したものをインポートとしたのですが、ローカルの画像ファイルだとリンクが切れるのかもしれません。プレゼンテーションのファイル本体に埋め込まれるのではないことが考えられます。


時刻は15時55分を過ぎたところです。天気は良いですが余り暑くはないので助かります。この時間、Google スライドでいくつかのスライドを作ってみたのですが、そのスライドのURLをスライドのタイトル名とともに取得する方法を作り出しました。次のような感じです。


※ マイ フォト>資料写真/市場急配センターと金沢市場輸送のGoogleマップ


https://docs.google.com/presentation/d/1paR5XyQxpFQe3Gv_lLX5przUwzyo2bNwcdQOxqIhGJk/edit#slide=id.g3489f7d54_4336


※ マイ フォト>資料写真/市場急配センターと金沢市場輸送のGoogleマップ http://bit.ly/1u7oWDQ


URLが長いので今回もTwitterの一つのツイートには文字数がおさまりませんでしたが、URLというのは意味のある情報なので、なるべく短縮URLは使いたくないのです。


一つのリンクの紹介に3行、3つのツイートを要してしまいましたが、これも無駄があるのでこれからは短縮URLを使った場合、補助的に次のツイートに本来のURLだけを掲載していきたいと思います。


Google スライドではGoogleアカウントにログインしていて編集可能な状態だと、スライド内の文字列を範囲選択していると、キーボードの操作で文字が置き換わってしまいます。これは困るのでいったんクリップボードにコピーした文字列をタイトルとして使うようにしました。


ブラウザでの処理を行うのはJavaScriptというプログラム言語です。これにキーボードのショートカットを割り当てています。具体的には<F12>cがクリップボードの内容を使ったものです。プログラム中には次のような部分があります。


var txt = "※ " + pasteText + " " + d.location.href;


変数に値を設定しているのですが「※ 」という二文字と取得したクリップボードのテキスト、それに半角スペースをはさんで、取得したURLを加えています。肝心なのは「※ 」の部分ですが、本来のWebページのタイトルとは区別するため、このような印を使うことにしたのです。


Google スライドを使っていて気がついたのですが、スライドというのはプレゼンテーションにおける一つのページになっていて、それが固定URLになっていて、スライドの順番を変更しても変わらないようなのです。本来は変更を加えるとURLも影響を受けることが多いかと思います。


これは実に好都合かと思いました。事実上独立した一つのWebページのような扱いができるからです。一枚のスライドには先にも説明したとおり、写真や図形、動画、リンクなどテキストはもちろん、さまざまな形式の情報を詰め込むことができるからです。


告訴状の説明に伴うプレゼンテーション/金沢弁護士会編 - Google スライド http://bit.ly/T6HaYY


https://docs.google.com/presentation/d/1BbD4rowIMfMugZGBRxRJmI7y_Wygl_9G9Xvxs8__fWY/edit#slide=id.g3894a05f1_2_18


※ マイ フォト>告訴に至る経緯と資料及び社会の反応/金沢地方検察庁御中/金沢弁護士会 http://bit.ly/1kAkGVR


https://docs.google.com/presentation/d/1BbD4rowIMfMugZGBRxRJmI7y_Wygl_9G9Xvxs8__fWY/edit#slide=id.p


時刻は6月3日10時45分を過ぎたところです。いろいろと起訴を固めた上で取り掛かりたいと調べたり考えたりしてきたのですが、その一つとしてPicasaウェブアルバムの活用の一部を次のように変更をすることとしました。


告訴状の内容に関連したスクリーンショット - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/DgRfAJ


これまで上記のアルバムに非常上告-最高検察庁御中ツイッター(@shirono)の写真付きツイートと同時に対象ファイルのアップロードをしてきました。このやり方自体は変えないのですが、なるべく早い時点でアルバムの移動をすることで固定的な整理することにしました。


そっそくですが、次の2つのアルバムを作成し、そちらにデータの移動を行いました。各ファイル名には頭の部分に年月があるので、それに他意をした形で振り分けを行います。これはPicasaウェブアルバム上での手動の作業になります。


告訴状の内容に関連したスクリーンショット 2014年5月分 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/20145


告訴状の内容に関連したスクリーンショット 2014年6月分 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/20146


何年何月分というアルバムに移動させた時点でウェブ上でのデータの位置を固定された扱いにすることにし、URLを参照したいと思います。それに伴い、次のような形式でデータを参照したいと思います。これもURLの取得際にプログラムの処理を施したものです。


Picasaウェブアルバム) ファイル名: 2014-06-03-102225_無料でやってる事件で、被害者から「弁護士に払う金があるんならこっちに払え」とか言われることがありますが.jpg https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/20146#6020507137007680082


これにともない、これまでとは違う告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(kkhirono)への投稿法を採用することにしました。上記のタイトルとURLは172文字あって、編集中のEmacsから呼び出している自作のプログラムでは文字数オーバーのエラーが出て投稿できません。


本来Twitterは140文字という制限があってそれ以上の文字数の投稿を受け付けないのですが、URLに関してはここ一年ほどの間かとも思いますが、大きな仕様の変更があったらしく、ツイート上の文字数とは別の扱いとして、処理することになったようです。


以前はTwitter独自の短縮URLのようなものもありましたが、詳しいことはわからないものの内部で紐付けのような処理が行われているのか、実質的に短縮URLの文字数のような扱いで投稿が出来るようになったのです。


2014-06-03-110943_実質的に短縮URLの文字数のような扱いで投稿が出来るようになったのです.jpg pic.twitter.com/nJYdNfWtAi


言葉では説明しにくい部分もあるので、上記にスクリーンショットをご紹介しました。マウスオーバーをすることで、本来のURLが確認できるという仕様にもなっているようです。


次にPicasaウェブアルバムでの説明をします。先ほどの例で「Picasaウェブアルバム) 」という冒頭の部分が私がプログラム的に自動で付加したものです。Emacsでは「行頭接頭辞」という言葉も見かけた経験がありますが、そんな辺りも参考にしています。


次に「ファイル名: 2014-06-03-102225_無料でやってる事件で、被害者から「弁護士に払う金があるんならこっちに払え」とか言われることがありますが.jpg」という部分ですが、Picasaウェブアルバムで範囲選択した文字列の内容をプログラム的に使っています。


2014-06-03-111721_ファイル名: 2014-06-03-102225_無料でやってる事件で、被害者から「弁護士に払う金があるんならこっちに払え.jpg pic.twitter.com/hHErG48mEl


これも説明のため上記にスクリーンショットを用意しました。右上の方に文字列が反転している部分が、範囲選択の状態です。スクリーンショットのスクリプトも範囲選択中の文字列を利用しているので、そのまま使われています。


ちなみに利用者が圧倒的に多いWindowsパソコンではコピーした文字列はクリップボードとして管理されますが、Linuxではクリップボードとは別に、範囲選択した文字列をセレクションとして、扱うことが出来ます。中ボタンクリックで貼り付けとかですが、プログラム的にも利用できます。


時刻は6月11日11時31分を過ぎたところです。またしても長い中断になりましたが、作業環境としては大きな進歩改善がありました。


改めて確認したのですが、この項目は5月1日からの記述になっているようです。このあたりも改める必要があるかと思いますが、今後はブログとの連携も強化し、全体的な見通しを良くしたいと考えています。


項目をブログの一つの記事に対応させるわけですが、その項目の数も一日に2,3以上を目標にしたいと考えています。項目の数が増えるということは自ずと、内容の細分化にもなるかと思います。方針の転換ですが、他にも色々と考えており、すでに実行していることもあります。


連携している告発-金沢地方検察庁御中ツイッター(kkhirono)で確認したところ、6月3日以来の再開のようでした。どうもアカウントの切り替えを忘れたままリツイートしていたものもあったようです。


突然ですが、「ガラス張りの庁舎に感動 地裁を小学生が写生」をいうのをテレビでやっています。石川県内ニュースのようです。新庁舎を正面から見たのはテレビでの映像でも今回が初めてでした。


6月6日の午後に光通信の工事がありました。住んでいる能登町で開設、工事費等が無料ということで申し込んでいたものです。


それまでのADSL回線と比較してさほど大きな違いは感じてはいないのですが、アップロードは劇的に早くなりました。特にYouTubeでの動画のアップロードでは大幅に速くなりました。アップロードよりその後の動画の処理に時間がかかるので、閲覧できる状態になるまではそこそこ掛かりますが。


偶然ですがさらなる特典のような感じで、パソコンの画面を録画するソフトで、すごく使い勝手のよいものをたまたま見つけることが出来ました。以前はかなり時間をかけて調べても見つけることができなかったものです。


それまではずっとrecordmydesktopというソフトを使っていたのですが、ogvとかいうファイル形式でしか保存できず、それも処理にずいぶんと長い時間が掛かり、ファイルサイズも大きなものでした。ごく短いものでも60MB以上はありました。


さらにogvだとYouTubeでは扱えないので、ffmpegというコマンドを使ってflvのファイルを別に作って、それをYouTubeにアップロードしていました。ファイルサイズはogvの半分程度で、処理の時間も割と早くはありましたが、手間とパソコンへの負担も気になる作業だったのです。


新しく見つけた動画キャプチャのソフトではほとんど時間も掛からずmp4のファイル形式として保存でき、mp4だとそのままYouTubeにアップロードすることも出来ます。ただ、アップロードしたあとの処理に時間がかかるので、flvにしてからアップロードした方がいいのかとも考えています。


以前のものを含めると次の動画を3つめのGoogleアカウントにアップロードしています。URLと文字数の関係で、直接、Twitterに投稿します。


2013-10-13_PythonスクリプトでPicasaウェブアルバムにアップロード,http://www.youtube.com/watch?v=hmXEm-Nkor8&feature=youtube_gdata


スクリーンショットを作成して写真付きツイートするスクリプトの実行の動画,http://www.youtube.com/watch?v=YPjMi9evglg&feature=youtube_gdata


金沢弁護士会_Google検索\2014年6月3日,http://www.youtube.com/watch?v=RNIIawJ7DJ0&feature=youtube_gdata


刑事司法の基本を少し勉強された方がいいでせう/ジャーナリスト江川紹子,http://www.youtube.com/watch?v=eFJy50TnNJA&feature=youtube_gdata


今朝の朝日が佐藤博史弁護士のロングインタビューをやっているが、このインタビュアーが酷い/ジャーナリスト江川紹子,http://www.youtube.com/watch?v=2YDSMb_tA3M&feature=youtube_gdata


取材(初めての場合)、各種相談申込専用電話(基本的に留守番電話対応)/落合洋司弁護士(東京弁護士会),http://www.youtube.com/watch?v=iy4ggg3VC4w&feature=youtube_gdata


自作スクリプトを使ったツイッターの埋め込みコードを含む内容ののBloggerのブログへの投稿状況 2014年6月8日,http://www.youtube.com/watch?v=5ROMFyXtEZ4&feature=youtube_gdata


落合洋司 (yjochi)さんはTwitterを使っています、 で「アッコにおまかせ」をキーワード検索_2014年6月8日,http://www.youtube.com/watch?v=5nN_1dB722U&feature=youtube_gdata


落合洋司 (yjochi)さんはTwitterを使っています、 で自分の3つのTwitterアカウントのブロック状態を確認,http://www.youtube.com/watch?v=qLbjJ5OmUGI&feature=youtube_gdata


弁護士による法律サービスに市場原理が導入されると需要者の側も淘汰されることは、当初から指摘してきたことです。、という小倉秀夫弁護士の一連のツイート,http://www.youtube.com/watch?v=xJeSjIdkasY&feature=youtube_gdata


Emacsでキーバインドした自作のコマンドを使って、googleclコマンドで取得したブログの記事リストを個別にツイートする一連の作業_2014年6月9日,http://www.youtube.com/watch?v=3pEL5PI4hB8&feature=youtube_gdata


木梨松嗣弁護士   Google 検索   2014年6月9日,http://www.youtube.com/watch?v=t-bF6NM_tQw&feature=youtube_gdata


PC遠隔操作事件の真犯人全面自供に関連した刑事弁護、刑事裁判に関する小倉秀夫弁護士のツイートのまとめ 2014 06 09 14:30:09,http://www.youtube.com/watch?v=pKD-tpLl41I&feature=youtube_gdata


廣野秀樹(@hirono hideki)/「週刊文春」の検索結果 2014 06 09 22:23:16,http://www.youtube.com/watch?v=wapWSOUueQQ&feature=youtube_gdata


岡田進弁護士  Google 検索 2014 06 09 23:01:33,http://www.youtube.com/watch?v=9PfFIJSeNQE&feature=youtube_gdata


Shoko Egawa(@amneris84)/2014年05月22日   Twilog 2014年5月19日から22日のツイートの記録/ジャーナリスト江川紹子_2014年06月10日15時54分50,http://www.youtube.com/watch?v=iXoc2CzXoSE&feature=youtube_gdata


名誉毀損での告訴の検討対象であるモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)とのやりとりをTwilogから探し出し調べた作業の記録_2014年06月11日10時24分06秒,http://www.youtube.com/watch?v=Hd5a0H7zoh0&feature=youtube_gdata


最後の2件以外は文字数制限に掛からず、APIから投稿できました。その2件だけタイトルの書式が異なっていると思いますが、スクリプトを使った処理で作成したファイル名から拡張子が除かれたものです。


ソフトで保存するときデフォルトで「Screencast 2014-06-11 10:24:06.mp4」という書式になっているものを、スプリクトで変換処理しています。初めのファイルへの保存時間が記録されているのだと思います。


最近のLinuxではスクリーンショットの画像保存でも使われている書式なのですが、プログラム的に処理するとエラーが出る半角スペースとコロンの文字が含まれています。


実際に端末で自作のスクリプトで処理をする際にも、引数と指定する際、次のようにエスケープをしています。→ h-filename-date-format.sh Screencast\ 2014-06-11\ 10\:24\:06.mp4


あとあと面倒も起こりうるので、日本語の日付を使ってファイル名に含めるようにしました。なお、この動画ファイルに関しては、パソコンのディスク領域や処理に伴う負担もあるので、保存はしない方向で考え、すでに削除したものもあるかと思います。


ひとつので動画ファイルでも再生時間が11分14秒で665.7 MB となっているので、添付資料のDVDへの収録は見送るつもりです。必要があれば提出しますし、YouTubeからダウンロードする方法もあるかと思います。


試しに58Mのmp4のファイルをflvに変換したところサイズが82Mになって、それをYouTubeにアップロードしてみたのですが、やはりアップロード後の処理に結構な時間がかかっていました。


時刻は6月12日10時26分を過ぎたところです。記述の方針を大幅に変更することにしました。


「拘置所の接見室のアクリル板に張り付けて見せた平成4年4月2日付北國新聞夕刊の事件報道」という項目名だったのも「拘置所の接見室のアクリル板に張り付けて見せた平成4年4月2日付北國新聞夕刊の事件報道、という内容を書く予定だった項目」に変更しました。


<2014-06-12 木 10:33> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]


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