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2015年6月29日 (月)

平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年03月04日

平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年03月04日
金沢刑務所の拘置所ではすべて2階で生活していました。ずっと独居ですが、雑居房というのは3つかあるいは2つしかなかったので、ほとんどの未決囚は独居で生活していたと思います。


拘置所の建物の入り口にはわかりにくい感じですが小さく「拘置舎」という看板のようなものがついていました。同じ金沢刑務所の敷地内ですが、正門に近く、正門から左手に唯一見えるのも、その建物だけではなかったかと思われます。


病舎の次には2階建ての建物がありました。2舎と呼ばれていたような気もしますが、通常の受刑者が生活する場所ではありませんでした。すべて独居だったと思います。


まず、未決で判決が確定した受刑者が、拘置所から連れてこられて分類審査を受けるための生活をする場所でした。他に、受刑者が取り調べや懲罰を受ける場所でもあったと思います。懲罰の場合は、わかりやすく札のようなものがつけられていたと思います。


他に、満期で出所するまでの間、生活する場所でした。他に「昼夜独居」という札のついている居房もありましたが、分類審査で通常生活が適切でないと判断された受刑者が、昼夜を問わず一日中、独居房で生活していたようです。


禁固刑と異なり懲役刑は労役刑なので、工場出役が大原則でした。工場にて刑務作業をすることで累進処遇制度の対象となり、居房内でテレビを視聴できたり、慰問に参加することも出来ました。昼夜独居の場合はそういう処遇もなかったようです。


私が金沢刑務所における受刑中に生活したのは3階建ての建物の3階でした。3舎3階とも呼ばれていたように思います。建物の長さは敷地の状況から拘置舎とほぼ同じだったと思いますが、浴場などなかった分、部屋数は少し多かったのかもしれません。


ただ、3舎3階の場合は、突き当たりに特別なスペースの一区画がありました。「新生寮」か「復帰寮」というような大きな看板が掲げられていたと思いますが、はっきりした名前は忘れてしまいました。説明の都合上、以降、仮に復帰寮と書くことにしたいと思います。


私はずっと、その復帰寮の出入り口から二つ手前の独居房で生活をしていました。


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