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2015年6月29日 (月)

平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年02月25日

平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年02月25日
石川県の小松市と行っても他県の人は全くわからない人が多いと思われます。石川県では金沢市が有名で人口もその周辺に集中していますが、小松市は金沢に次ぐぐらいの規模で距離にして30キロほど離れていると思います。


私がよく知る平成4年以前とは道路事情も含め随分と様変わりしているとは思いますが、以前は普通に小松市内の国道8号線を通過していました。市内の中心部は片側2車線の広い道でしたが、まもなく対面通行になり、もう少し行くと加賀市の看板が見えてきました。


その加賀市の境あたりの国道8号線沿いにトナミ運輸はあったと思います。福井方面に向かって国道の左側でした。自分の記憶では加賀市の看板を過ぎていたような気もするので、あるいは小松市内ではなく住所は加賀市内なのかもしれません。


金沢の会社からだと時間帯にもよりますが余裕を見て1時間の所要時間であったかと思います。福井から関西や九州方面に向かう場合は、福井の県境に近い加賀インターから北陸道に乗っていたはずです。金沢市場輸送では滅多にない経路だったと思います。


やはり小松で荷物を積んでから金沢に戻り、西インターの近くのトナミ運輸で追加の荷物を積んでいたはずです。この金沢のトナミ運輸からは、一時期、仙台か九州の福岡便もやっていたような気もするので、記憶があいまいにもなっています。


雑貨の仕事というのは夕方からの積み込みがほとんどでした。だいたい18時頃にはホームにトラックをつけて、積み荷が出来る状態にしていたように思います。高岡や富山の方が多かったと思いますが、よくあるパターンの仕事でした。


石川県金沢市神野町東202 トナミ運輸(株) 金沢支店 - Google マップ http://bit.ly/1hNepv3 ← 現在も同じ場所にあるようです。住所は森戸かと思っていたのですが神野町になっているようです。そういえばそういう地名もあったかと思いました。


その金沢のトナミ運輸で事故を起こした社員の運転手が、幌車の荷台で首吊り自殺をしたという話を聞きました。これも内浦町新保のKOから聞いたように思うのですが、現在の記憶では判然としません。


ただその話を聞いたとき、私は具体的に金沢のトナミ運輸のホームで、ホームの前の方に駐車してあるトナミ運輸のトラックのことを、頭の中で具体的に想像していたことを、割と鮮明に記憶しています。


金沢の西インターのトナミ運輸がある敷地は、結構広く、今考えると石川県では一番広い運送会社の敷地だったような気もします。そこはトラックターミナルとも呼ばれたか、そのような看板が出入り口の辺りについていたような気もします。


他の運送会社も数社入っている敷地で、ちょっとした工業団地に近いものだったと思います。入り口左側に若松梱包があって、そこにも金沢市場輸送の仕事で一時期、何度か行ったように思いますが、その辺りの記憶も曖昧になっています。


一番行くことが多かったのも印象に残っているのもトナミ運輸だと思いますが、その金沢のトナミ運輸に行くようになったのは、私が大型車で長距離の仕事をしていた終わりの方であったと思うのです。定期便の仕事も増えた時期でした。


なお、トナミ運輸の雑貨は、九州の北九州と福岡ではいずれも西武運輸のホームに荷下ろしし、福島県の郡山と宮城県の仙台はいずれも第一貨物のホームに荷下ろししていました。


これとは別に、中越運送の定期便があり、これも郡山と仙台おろしだったと記憶していますが、砺波の雑貨のどちらかが、仙台市の手前の名取市おろしだったとも記憶しています。仙台の方は4号線沿いのとても大きなホームの第一貨物でした。


中越運送の定期便というのも雑貨でしたが、こちらは私が大型車で長距離を始めた初めの方にやっていて、その後いつの間にかやらなくなっていた仕事のように記憶しています。昭和63年の1月の時点ではまだやっていたと思います。


その後、仙台市内の国道4号線から塩釜方面に向かう広い道沿いの左側の運送会社ホームに雑貨の荷物をおろしていた記憶もあるのですが、それは日通の仕事で高岡市からのホームから積んでいた雑貨の仕事であったように思います。


その近くにはアルミサッシをよく持って行く倉庫もありました。アルミサッシの仕事も多かったですが、高岡市だけで新日軽、三協アルミ、館山アルミの仕事がありました。黒部市の吉田工業へも行きましたが、回数は少なかったと思います。


メイホグループ|明穂輸送株式会社 http://www.meiho-group.jp/meiho_yuso/ からもらうアルミサッシの仕事が特に多かったように思います。必ず付き添いで荷積みを手伝ってくれる人がいましたが、当時でも高齢に近かったと思います。パチンコ好きの人でした。


アルミサッシの仕事は九州が多く、福岡県内の他、鹿児島県の隼人町にも行っていました。明穂の仕事であったかどうかは記憶にないです。そのうち新日軽の仕事がアルミサッシでは多くなってような気もします。比較的小矢部市に近い辺りの工場での荷積みでした。


アルミサッシで思いだしたのですが、関東に行く仕事も多かったです。毎日かどうかは忘れましたがそれに近い感じで持ち回りをしていたと思います。おろし先ははじめ埼玉県の桶川市の古い倉庫のような場所でした。


それがその後、水海道市に変わりました。新社屋の配送センターという感じだったと思います。住所は茨城県になっていたかと思いますが、千葉県にも近いところで、かなりの町外れに配送センターはありました。


東京ストアの定期便は、このアルミサッシの仕事と組み合わせになることが多かったと思います。まだ、神田市場の頃でした。東京ストアの仕事は週3回と聞いていたように思います。丸二とヤマリという仲買から荷物を積んでいました。どちらかが野菜で他方が果物だったと思います。


秋葉原にも近い神田の市場はいつも混雑していて、ほぼ積み荷の時間に合わせて昼間に現地に入る必要もありました。都内だと待機する場所を探すのもままならず、豊海あたりに待機することも。その点、大田市場だと時間を問わずトラックを駐車できたので、ずいぶんと気も楽になりました。


東京ストアの荷物は金沢の市場の近くの古くて小さい倉庫に、早朝ずいぶんと早い時間に荷下ろししていました。ほとんどが暗い時間に荷下ろしを始めたことしか記憶にないぐらいです。東京ストアは金沢市内にチェーン店のあるスーパーです。


そのうち市場の近くの倉庫では荷下ろしをしなくなったように思います。一方で、都内の外れ高島平の近くにある板橋の市場から深夜に荷物を積む仕事が増えていきました。昼間から時間をつぶして、周辺で食事などしていたことも憶えております。


深夜の何時頃であったか憶えていないですが、板橋の市場で積み込む荷物というのは多くはなく、大半は早朝の8時ぐらいかに、長野県の山奥みたいなところまで行き、高原野菜を積み込んでいました。上田市の山の方であったと思います。


そのおろし先は新しくなった東京ストアの配送センターで、松任市の旭丘工業団地の中にありました。これは冷凍機付きの必要もあったと思うので、108号に乗務していた時期かと思います。ちなみに野菜の場合は、冷凍機の温度が5度指定になっていました。


早朝に長野で荷積みを終わって、午後には松任市の配送センターで荷下ろしをしていました。出来たばかりのような新しい建物だったと記憶しています。私としては野菜をおろす場所と言うより、カマボコ工場のようなイメージが拭えない建物でもありました。


七尾市のスギヨの仕事をしていたのもそれに近い時期かと思います。スギヨはカニかまを初めて製品にしたことでも有名かと思いますが、最近でもテレビのバラエティ番組で見ることがありました。全国的にも割と有名かと思います。私は、カマボコの類は滅多に食べないのですが。


七尾市は能登半島で一番大きな町ですし、歴史的には奈良時代から開け金沢より歴史があるとも聞いています。全国的に一番有名なのは、和倉温泉の加賀屋かもしれません。ずいぶんな記録を持っている老舗旅館ですが。テレビで見る以外、入ったこともないです。


七尾市は漁業の町でもありますが、それ以上に木材の港という印象が私としては強いです。魚を積むような保冷車で目立っていたのは共栄運輸でした。このトラックは1年ほど前にも、小木の漁協で見かけていますし、トラックのデザインも昭和の時代から変わっていない感じでした。


同じ保冷車か冷凍車ばかりの大きな運送会社に小林運輸があり、トラックの数も多いのか見かける機会が多かったですが、その小林運輸がスギヨの専属だと聞いていましたし、トラックの箱にもスギヨと書いたり、カニかまをイメージするカニの絵が描かれていました。


Gooleで「七尾市 小林運輸」と検索してみたのですが情報は少なかったです。会社自体は現在も存在しているようですが、ホームページは公開していない様子で、見覚えのあるカラーのトラックの写真を見つけたものの、スギヨの文字は入っていないようです。


金沢市場輸送でやったスギヨの仕事は、宮城県塩釜市の宮城陸上の請負ではなかったかと思います。私が大型車に乗務した頃は、宮城陸上の荷物の福井分とか一部を、東北陸運の荷物と積み合わせで積んでいたような記憶があり、4トン車でまかなえる荷物も多かったと記憶しています。


その頃は宮城陸上の自社便の大型車が金沢まで荷物を運び、帰りに七尾のスギヨから荷物をもらって塩釜に帰っていると聞いていました。塩釜市はカマボコだけでなくおでん種のような練り製品の本場のような土地柄でもありました。


私が昭和59年に金沢市場輸送にいた頃は、宮城陸上の仕事も東北陸運の仕事もなかったです。石巻には行きましたが、興勝運輸から仕事をもらっていました。立派なトラックのある会社でしたが、まもなく昭和62年頃には倒産したように聞いていましたし、トラックも見かけなくなっていました。


その興勝運輸の仕事で石巻の魚市場から生のマグロを積み、翌々日おろしで名古屋の市場まで運んだことがありました。被告訴人OKNと一緒にマグロを積み、彼の荷物の行き先は山梨県の甲府ではなかったかと記憶しています。


国道4号線を東京に向けて走り、翌日の午前中に栃木県の小山市で別れたと思います。私は国道50号線から前橋方面に向かいました。途中、福島県の二本松あたりのセブンイレブンの前の公衆電話から、東京の板橋に住むという同級生に電話を掛け話をしたことも記憶に残っています。


板橋で郵便局に勤めていると聞いたようにも思いますが、その年の夏のお盆に行われたと思う成人式で会ったのが最後ぐらいで、噂話を聞くこともなくなったように思います。なお、案内が来たこともありましたが、私は一度も同窓会などに出席したことはありません。


昭和61年の8月に2度目に金沢市場輸送に入社して市内配達をしていた頃も、何回か臨時で頼まれて、4トン車で石巻に行ったことがありました。その頃には宮城陸上の仕事も東北陸運の仕事も始まっていたと思います。


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