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2015年6月29日 (月)

冤罪と再審請求に関する弁護士の対応及び責任に関する疑問点の再確認 2014年12月4日 :POST:

冤罪と再審請求に関する弁護士の対応及び責任に関する疑問点の再確認 2014年12月4日 :POST:
<2014-12-04 木 00:07> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]


日付が変わったので昨日になりましたが、被告訴人安田繁克と被告訴人多田敏明そして被告訴人梅野博之の3人の供述調書をブログの記事として公開しました。昨日のURLの紹介はWordPressのブログになっていますが、写真に関してはBloggerのブログの方が見やすいです。


どちらも写真の画像をクリックすれば拡大されますが、WordPressの方は単体のリンクとして移動先のページが表示されます。Bloggerだと拡大された同じページの写真がグループ化されており、キーボードの矢印キーを使ったりマウスのクリックでもページめくりのように次へと開けます。


ブラウザでJavaScriptが有効になっている必要などあるかと思いますが、写真のPicasaウェブアルバムとブログのBloggerは同じGoogleのサービスなので、連携の機能が強化されているようです。リンクのhtmlコード自体をBloggerの編集場面から取得しています。


2014-木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)に対する告訴状(被疑事実殺人未遂)のブログ版: 【写真資料】一件記録・写真/2014年作成/被告訴人安田繁克の供述調書縮小版 (2014年9月21日撮影) http://hirono2014k.blogspot.jp/2014/12/2014-2014921.html


2014-木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)に対する告訴状(被疑事実殺人未遂)のブログ版: 【写真資料】一件記録・写真/2014年作成/被告訴人多田敏明の供述調書縮小版 (2014年9月21日撮影) http://hirono2014k.blogspot.jp/2014/12/2014-2014921_3.html


2014-木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)に対する告訴状(被疑事実殺人未遂)のブログ版: 【写真資料】一件記録・写真/2014年作成/被告訴人梅野博之の供述調書縮小版 (2014年9月21日撮影) http://hirono2014k.blogspot.jp/2014/12/2014-2014921_57.html


上記3つがBloggerの方の記事のURLです。ページのタイトルの取得にブログ名が含まれていますが、これもBloggerならではの仕様のようです。


偶然的なところが大きいのですが今回は3人の被告訴人の供述調書に絞っています。他に被告訴人松平日出男、被告訴人池田宏美、被告訴人安田敏の供述調書もあるのですが、9月21日に撮影したのはこの3つの被告訴人だけです。


実はそれも付随的な成り行きで撮影したものでした。他に思いがけない大きな発見があって、そちらの撮影が目的だったのですが、たまたまその場に3つの被告訴人の供述調書もあったので、ついでに撮影したものです。


大きな発見というのは被害者AAさんの母親の供述調書です。2年から3年ぐらい行方がわからなくなっていたのですが、思いがけない場所から見つけ出すことが出来たのです。それも掃除機の故障でドライバーを探しまわっている時に、偶然見つけることが出来たのです。


被害者AAさんの母親の供述調書は金沢西警察署のものと金沢地方検察庁のものの2部です。こちらは公開の仕方に決心がついていなので、公開は未定の先送りにしました。被害者家族の立場としても極めて重要な意味を持つ書面です。より慎重に然るべき機会を選んで判断することになります。


小早川隆景の「小事の思案は重くせよ。大事の思案は軽くせよ。」という言葉を座右の銘としておりますので、軽く素早く高度することもあれば、動かざること山のごとし、ということもあるかと思います。同じく座右の銘で中国の方ですが「運用の妙は一心に存す」です。


本書で繰り返し何度か説明をしていると思いますが、供述調書で縮小版とあるのは、平成5年の12月に上告審の国選弁護人となっていた斐川雅文弁護士から郵送されてきたものです。


私の記憶では11月の終わり頃に郵送での差し入れを受けたという通知があり、房内所持の仮下げの手続きが土日の免業日でも挟んだためか、比較的時間がかかって手元に入ってきたように思っているのですが、それでも長くて通知を受けてから4,5日後だったように思います。


事件の関係者の供述調書に関しては、控訴審の私選弁護人だった被告訴人木梨松嗣弁護士に何度も差し入れや閲覧を頼んでいたのですが、まったく相手にされず返事もなかったので、すっかり諦めかけてもいたように思います。


平成5年は9月7日に控訴審の判決があったのですが、判決を受けて拘置所に戻った直後に問題を起し、3日ほど保護房に入れられ、そのうち49時間ほどの時間は革手錠をつけられていました。革手錠の使用は現在禁止されているとも聞きます。


拘置所というか刑務所の判断として最も強硬な処置をしたのだと思いますが、保護房を出てからも自殺防止用らしい特別な房に入れられていました。突起物のない部屋とも聞かされていましたが、特別な構造の部屋です。その場で自殺防止とは説明されなかったと思いますが後になってそれらしいと知りました。


拘置所や刑務所で規律違反の問題を起こすと、懲罰審査会とかいう刑務官会議にかけられます。雰囲気的にも昔の映画に出てくるような軍法会議のようなものでしたが、処分が出るまでは「取り調べ」ということで、独居房で生活させられます。


その時の私の場合は、懲罰に関する知識もなにもなかったのですが、取り調べの間を突起物のない部屋で過ごしたことになります。これが10日から2週間ぐらいではなかったかと思います。


母親に郵送で差し入れてもらった本をその突起物のない部屋で読んでいたことを憶えているのですが、自分の趣味ではなく何でもいいから適当に選んだ小説を送ってくれるように、その時だけは頼んでいました。


それで送られてきたのが夏目漱石の「こころ」という本と、「私は忘れない」という本でした。どちらも単行本でした。他にもあったのかもしれないですが、記憶に残っているのはこの2冊だけです。


http://Amazon.co.jp : 私は忘れない (新潮文庫): 有吉 佐和子: 本 http://ow.ly/FizlM


「こころ」の方は難解でほとんど理解も出来ないという感じでした。「私は忘れない」の方も本の内容はほとんど記憶に残っておらず、なんとなく離島が舞台の作品だったようにイメージがあるだけです。


懲罰は25日間だったと思います。突起物のない部屋にいるときは裁判のことはしないで、のんびりと読書をして過ごしていたと思います。特別な監視下という雰囲気もあり、じたばたしても仕方がないという心境でいました。


懲罰になると本を読むことも出来なくなりました。強いて読むことが出来たのは備品である「所内生活の手引」という冊子ぐらいでした。仮就寝という時間になると、通路側の正面に向かった正座または安座という懲罰から開放されたので、その手引を読んだりして過ごしていました。


食事の量が減ったり風呂にも満足に入れなくなるということもありましたが、とにかく懲罰の間は、本を読むこともラジオを聴くことも出来ず、ほとんどの一日を座って過ごしていました。筆記用具の持ち込みも出来ないので手紙を書くことも出すことも出来ません。


懲罰が始まった時期については余りはっきり憶えていないのですが、終わって開放されたのは10月の中頃だったように思います。ようやく普通の未決囚として拘置所での生活が出来るようになったわけです。


受刑者だと懲罰を受けた場合、等工が下がったり、作業賞与金が没収になったり、累進処遇の級が下がったりと失うもの不利益が多かったのですが、未決囚の場合、そういう処遇上のマイナスというのはなかったです。


ただ、裁判をするための時間というのはまるまる奪われたので、その時間的労力的な損失がとても大きいことは自覚していました。


革手錠もきつかったです。昼の12時か13時頃につけられて、外してもらったのは翌々日の13時か14時ころのことでした。いっときでも耐え難い苦痛が49時間ほど延々と続くわけですから、それはきつかったですが、そちらの痛みに集中できたおかげで、大きな気晴らしと気分の転換が出来ました。


当時の状況を改めて細かく書くのは、木梨松嗣弁護士の目的と狙いの一つが、私を精神的に追い込むことでの精神と記憶の破壊、事実関係の隠蔽であった公算のあることです。それを殺人未遂の実行行為とまで評価することは出来ないはずですが、廃人にしても殺人と同様の効果はあったはずです。


本書の作成を中断する前に書いていると思いますが、木梨松嗣弁護士からは説明も面会もないままに、いきなり判決期日の知らせが届いて、それで刑務官とももめていいたのです。


拘置所の建物は金沢刑務所の敷地の中にあり、入り口には「拘置舎」という札のようなものもありました。3階建ての建物で直線構造、建物自体はちょっと古い公営住宅や校舎の一部にも見えましたが、2階と3階は独居房が26室ずつならんでいたはずです。


各階の敷地面積は同じはずで、2階と3階にも手前の方には物置のようなスペースや個室の浴場、それに小さい理髪室もありました。独居房以外のスペースが4分の1ぐらいでしょうか。独居房の並びは一直線で、反対側は一本の通路になっていました。


独居房の部屋の長さというか奥行きと、通路の幅が同じぐらいだったとも思います。小木分校の校舎より直線が短かったような気もするのですが、小木分校は一学年40人定員の一クラスで、3年生まで教室が並んでいたように記憶しています。


拘置舎の一階の方は、手前から女子区、職員室、小さい取調室、集団用の浴室があって、その先に雑居房が3つかあるいは4つ並んでいました。


とても小さい建物だということがわかると思いますが、それでも金沢刑務所の拘置所は名古屋高裁金沢支部の管区なので、石川県内だけでなく、富山県内、福井県内の拘置所からも控訴をした被告人が移送されてくると聞いていました。上告審もそのままです。


居房は手前の方から2階なら201という風に順番に番号がふってあり。最後が226になっていたので26室と思っています。今のことは知らないですが、以前、病院では4や9という死や苦しみを思われる番号は使わないという話になっていましたが、拘置所ではそういう欠番はなかったと思います。


先ほどの突起物のない部屋というのは201号になっていましたが、隣の202号も同じ構造と後になって小耳に挟んだようにも思います。番号の小さい手前側の居房ほど、担当台から近いので監視をされやすいという特徴もあったという感じです。通路の行き帰りでも目に触れる機会が多くなります。


拘置所というのも生活を経験した人、する人はごく少数だと思いますが、ドラマや映画に見るものと基本的には違いは少ないと思いますが、実際に生活してみると倉庫や収納ケースというイメージが強く、機能的に良く出来た構造になっています。


拘置所と刑務所の生活の違いというのも想像を超えたものがありましたが、拘置所では刑務官というか職員との接触自体が最小限という感じでした。中には例外的に立ち話の長話をする場面もありましたが、伺い難い個別の事情もあるという感じでした。


私は平成4,5,6年、平成11,12年の金沢刑務所での拘置所生活は、すべて2階での生活でしたが、基本は担当と副担当の二人で2階の収容者全ての管理、世話をするという感じでした。


拘置舎では担当の上に二人の上司がいるという感じでした。一番上と思われる人がたぶん区長と呼ばれていた人です。初めのうち私は「ふちょう」と聞こえ、当時は看護婦の婦長という言葉を思い浮かべたのですが、「ふ」で別の漢字の見当がつかず、注意深く聞いているとそのうち「くちょう」ではと。


拘置所の生活ではどんな些細な疑問でも尋ねる相手がいませんでした。情報も人との接触もごくわずかです。干渉もほとんどなかったですが、それが法律上の配慮とも思えました。


区長と呼ばれた拘置舎で一番の上司と思われる人物のことは今でも顔の方はよく憶えているのですが、名前の方は一度も見る機会、聴く機会がなかったように思います。


強面だけど普段は優しそうな顔や話し方をしていたと思います。ほとんど名古屋弁という感じでもありました。判決期日のことで私が繰り返しごねていると、最後は獅子舞が頭を震わすように凄い形相で怒っていました。


刑務官に裁判のことでごねたり苦情を言っても始まらないのですが、木梨松嗣弁護士が全く面会にも連絡にも応じない以上、私としても切実な問題で外との接触は刑務官しか相手はいなかったのです。


革手錠と保護房、そして懲罰の印象が記憶にも強く刻まれていて、その前に刑務官ともめていたときの状況が、余り具体的鮮明には思い出せないのですが、とにかく私としても焦りと戸惑いが大きい状態でした。


拘置舎は金沢刑務所の敷地内の一画でしたが、拘置所で生活している時と受刑者の生活では全く別世界のような想像を超えた違いがありました。刑務官は巡回や面会や出廷時の連行で見覚えのある顔が多かったのですが、まったく違いのない人員で顔ぶれであることも、受刑生活になって強く感じました。


受刑生活では同じ刑務官の顔も違って見えることが珍しくなかったのですが、必要以上に刺激や警戒心を与えない場を和らげる雰囲気作りというのも、刑務官としての役割なのかと思いました。説明しきれないところが大きいですが、ドラマや映画ではおそらく見ることのない世界だったかと思います。


金沢刑務所は暴力団関係者の多い再犯刑務所でもあったので、受刑者との関係を含めて、複雑なものがあるのだろうという印象は受けていました。初犯刑務所である福井刑務所とは、いろいろな面で、想像を超えるような違いを感じることが多かったです。


また、金沢刑務所の拘置所では刑務官と弁護士との対立というのも全く感じることがなかったです。面会室は受刑者と同じだったと思うので、面会は拘置所というより金沢刑務所の管理だったと考えられますが、刑務官の言動振る舞いからは、弁護士に対する配慮、尊重という感じしか受けなかったです。


今思い返してみると、あえて私にはそういう態度を見せていたのかもしれませんが、というのも今夜書いているうちに、木梨松嗣弁護士の対応を刑務官としても問題視していた可能性が高いように思えてきたからです。


刑務所の刑務官が弁護士と衝突するという話は刑事弁護の専門的な本において早い段階から目にしていました。なので、まったく弁護士と対立のないようなほのぼのとした雰囲気の金沢刑務所の拘置所では、その点でも専門書の弁護士サイドの話との違和感は感じていたのです。


別冊ジュリストでも弁護士が接見のことで警察署と激しく対立したという事例が紹介されていて、それも富山県の魚津警察署となっていたような記憶が印象的に残っています。国賠のような裁判を弁護士が起こしたような話にもなっていたかもしれませんが、そこまでは至っていなかったような気もします。


3冊の別冊ジュリストについては本書でも既に触れたような気がしますが、はっきりとは思い出せません。パソコンで編集中のファイルなので検索をすればすぐに確認は出来そうです。


別冊ジュリストは、私の手紙での頼みに応えて、被告訴人大網健二が書店で購入をして差し入れてくれたという話になっていたかと思いますが、当時から法律の素人が選べる本とは、とても思えない点が不信にも近いわだかまりのようになっていました。


被告訴人大網健二本人には、柿ノ木畠の宇都宮書店で買ったと、直接聞いたことがあったようにも思います。今もあるのか知りませんが、当時は金沢市、さらには石川県で一番に品揃えの多い大型書店だったと思います。片町や竪町という金沢市の中心部に近いです。


うつのみや - 知性と情操をお届けして135年。金沢を本店に石川、富山、福井のネットワークを通じ、本・文具・CD・DVD・楽器の販売とカルチャー教室の運営をしています。 http://www.utsunomiya.co.jp/


初めて調べたように思うのですが、柿木畠本店という情報がありました。ずっと栃木県の宇都宮市をイメージしていて、関東の方に本店でもあるのかと思っていたのですが、そうでもなかった感じです。


ネットですぐに情報が見つかったところを見ると、今でも存続していそうですが、石川県内では王様の本という大型書店がいきなり一斉に全滅的な倒産をしたこともあったので、どうなのかとは思っていました。


その宇都宮書店の柿木畠店に関しては、金沢刑務所の本の購入先とも聞いたことがありました。長い間金沢市には行ったことがないので、最近の事情はわかりませんが、専門書の品揃えのある大型書店は他にもあるものの、柿木畠が階数が多いことを差し引いても、やはり品揃えは一番だったかと思います。


柿木畠店は金沢市内の中心部で金沢市役所にも近いですが、他の大型書店は郊外の方に多いという気もします。香林坊の109の方にも大きな書店はありましたが、法律事務所の多い裁判所の周辺でも書籍の御用達は地理的にも近い柿木畠店が多いという気はします。


差し入れをしてもらった別冊ジュリストは3冊あって、刑法総論、刑法各論、刑事訴訟法に分かれていたかと思います。その辺りも法律の素人が選べたとは考えにくいところですが、ただ単に被告訴人大網健二が木梨松嗣弁護士に相談をしてアドバイスを受けたという可能性はあるかとも思います。


別冊ジュリストに関しても母親が選んで差し入れてくれたという可能性も現在の私の記憶の状態では否定しきれないところですが、やはり具体的に被告訴人大網健二との間にやりとりがあったような憶えもあるのです。母親であればアドバイスを受けても選ぶことがかなり難しい選択であったとも思えます。


被告訴人大網健二にしろ私の母親にしろ、木梨松嗣弁護士が書店に同行までしたとは考えられないところですが、言葉でのアドバイスで選べたものか、それも引っかかるところです。


grepコマンドで調べてみたのですが、只今の記述以外に過去に本書のファイルで「ジュリスト」と書いた箇所はなさそうでした。なさそうというか検索では見当たらなかったです。もはや目視では確認が不可能に近いデータの分量にもなっているかと思います。


ジュリストに関しては、それほど前でもない時期に言及した記憶があるので、Twilogの方で調べてみようかと思います。


意外なことに廣野秀樹(@hirono_hideki)のTwilogでも「ジュリスト」に言及したツイートは見つかりませんでした。別冊ジュリストは写真にも撮影してインターネットで紹介した記憶があるのです。


腑に落ちないところがあるのですが、パソコンのファイルシステム内で検索しても、Googleで検索をしても私が言及した情報は見つかりませんでした。数年前はファイル名にも日本語の利用は避けていたので、その辺りも見つけにくい要因にはなっているのかもしれません。


2009年の9月にプライベートモードにしたHatena::Diaryのブログで検索したところ、ようやく別冊ジュリストに関する記事とそこにある写真を見つけたのですが、記事の日付が2006年8月13日になっていました。思っていたよりずいぶんと前のことでした。


プライベートモードのブログでの写真を含めた記事は、一部をスクリーンショットに記録しました。次のものです。


非常上告-最高検察庁御中ツイッターさんはTwitterを使っています: "2014-12-04-052059[写真資料]写真資料についての説明 .jpg http://t.co/8wCr1EROOM" https://twitter.com/s_hirono/status/540239337313406976


<2014-12-06 土 18:21> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]


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