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2009年3月10日 (火)

従来型の刑事裁判の問題点を改善する視点

1.4.12 従来型の刑事裁判の問題点を改善する視点

かなり前のパソコン環境からFirefox(ブラウザ)のブックマークをインポートしてあるのですが、たまたま目にとまったリンクがあり、訪問してみました。このブログ主とは過去にいきさつがあったのですが、私がブログを始めるきっかけにもなりました。そのブログがgooのブログであったこともあり、初めに gooのブログを開設しました。

そのgooのブログに江村正之検察官の論告要旨がアップしてあるので、お読みいただけたらと思います。どれだけの人が読んでいるのかわかりませんが、2007 年の6月30日に投稿したものです。gooのブログも管理画面でアクセスの件数は見ることが出来ます。最近は管理画面にログインすることも少ないので、アクセス状況もわかりませんが、ずっと前からずいぶん少ない数でした。
<論告要旨>
http://blog.goo.ne.jp/hirono_2005/e/e127bb1da4bece1b2094aff7f4efe52e

さきほどこれもずいぶん久しぶりに一通り読んでみました。以前とは違った印象があり、いささか新鮮にも感じました。やはりその時の気分や心理状態で、異なる見え方がするようです。

今回改めて感じたのは、これは被告訴人らの言い分の丸写しではないかと言うことです。告訴問題の本体や具体的な事実とは異なるので、いたずらに分量を増やさないため、簡潔に触れますが、次がさきほどご紹介したブログの記事です。

====引用開始====裁判員裁判において、被告人の権利を守るために。

裁判員制度における刑事裁判において、被告人の権利を守るためには、どうすれば良いだろうか。『法学セミナー』(日本評論社)の2009年1月号から2009年 3月号まで掲載されているK先生の連載記事「裁判員裁判と刑事弁護の課題」を読んで、私は考えた。

K先生は、連載記事において、今回導入されようとしている裁判員制度における刑事裁判における一番の問題点は、従来からの糺問的捜査による調書裁判という構造が存続されていることだとする。糺問的捜査による調書裁判という構造に対して、弁護人は公判前整理手続においては防御準備を完結させること、公判の形骸化を防ぐこと、予断排除原則を守ることが重要であり、公判における弁護活動においては、公判における白黒の決着をつけるための心証形成を行うことが重要だと論じる。

公判前整理手続において防御準備を行うためには、第一に検察官の主張の全容を把握すること、第二に検察官の有罪主張の証拠構造を弾劾する準備をすることが重要だと、K先生は示す。刑事裁判において挙証責任は検察官が負うため、被告人の有罪を立証するための証拠の構造を弁護人は打ち崩す必要がある。

また、公判の形骸化を防ぐためには、争点・証拠の整理が公判の迅速・効率化へ転化することに歯止めをかけることが大切である。あと、予断排除原則を守るためには、無罪推定の原則・被告人の黙秘権を維持する運用をすることが重要だと、K先生は論じる。

公判において弁護人は、第一に検察官による有罪主張の構造が成り立つか判断すること、第二に冒頭陳述において検察官の有罪主張を弾劾し、合理的疑いを投げかけること、第三に調書を排除した証拠調べを実現すること、の3点が重要だと、K先生は示す。また、自白調書の任意性・信用性の判断や、自白の証拠能力の有無の判断に裁判員を参加させることも重要である。

現代の日本社会における刑事裁判において、被告人の権利が十分に守られているとはいえない。このような状況において、弁護人や裁判員の努力によって、被告人の権利が適切に守られる社会を実現することが大切であると、私は考える。

私は裁判員制度には反対の立場である。しかし、従来型の刑事裁判を伝統主義的に守るのではなく、従来型の刑事裁判の問題点を改善する視点から、裁判員制度を批判する必要があると、私は考える。

http://blog.goo.ne.jp/ukonkmy/e/811168f89e7de332fa2b1ed1b898e506
====引用終了==== 

余計に改行を入れました。メールで送信するとき改行の間が長くなると文字化けを起こすためです。Emacsから直接コピーしたものだと問題は起きないのですが、いったん、htmlに変換したものをコピペしたときに問題が起こるのです。
関東学院大学の卒業生の方みたいです。共謀罪の導入に反対し、裁判員制度にも反対みたいですが、このような見解を示され、なかなかもっともな論理だと思いました。ただ、他にも言えるのですが、内容がとても抽象的です。他人のプライバシーも尊重される人なのかもしれません。以前、私が送信したトラックバックも、見つけ次第即刻削除していました。返事のような反応をもらうことも一度もありませんでした。

私のことなどすっかり忘れているのかもしれません。あとでこの記事からトラックバックを送ってみますが、まず反映されることはないと思います。法学部の出身で刑法を学んだ可能性の高い人ですが、以前ブログの記事を読んだところ、刑法や法律とは別の途に進まれているようでした。

メール送信の方も、法科大学院の方に送信させていただいておりますが、全国を網羅するかたちでアドレスを収集しました。現在のところ、ココログのアクセス解析の方で、大学からのアクセスはほとんど確認していません。どこかの検索サイトから飛んできたのが一件ありましたが他の記事を見ることはなかったみたいです。

江村正之検察官の論告要旨に戻します。私は自分以外の裁判を見たことがないのですが、もちろん、テレビドラマでは何度か見たことがあり、だいたいの雰囲気というのは人並みにわかっているつもりです。江村正之検察官は、終始下を向いて、ぼそぼそとつぶやいていました。一応かたちだけ、というのか義務的に仕方なくやっている感じで、私を正面から見つめることもなかったように記憶しています。

公判の記録を読むと、私に向かってきつい質問をしたようなことになっていましたが、正直、記憶になく思い出すことがありません。余りにぼそぼそのつぶやきがひどかったので、あるいは内容が聞き取れていなかったのかもしれません。

今考えれば、それも意図的な演技だったのかもしれません。裁判自体が初めての経験だったので、なんだかよくわからなかったのですが、あっけにとられていた一面があったのかもしれません。裁判も実にあっけなく終わりました。自白を得ているので、穏便に済ませたいと考えていたならば、とんでもない不意打ちを受けたような気がします。

いずれにせよ、自信なさげというか覇気がまったくありませんでした。取り調べの時は、「やれると思ったからやったんだろ」などと凄みも見せ、なかなか恰幅がよく、存在自体が大きく見えましたが、法廷で見ると思っていたより小柄で、まるで別人とは言えませんが、ずいぶんと雰囲気が違っていました。

まず初めに、動揺が見えたのは、2回目の公判の初めに、江村正之検察官から被害者の意識が回復したという報告があり、私が喜びを満身に現したときで、意外そうに驚いた様子で、不安にひるんだようにも見えました。裁判官の目に、それが映ったのかどうかわかりませんが、傍聴者の数もほんの少しだったので、気がついた人は少ないかもしれません。

よりはっきりしたのは、判決の言い渡しが終わった直後で、机に積み上げた調書をめくりながら、かなり落胆したような様子でした。

ちなみに、検察官は判断に迷う事件について、裁判所に判断を仰ぐためあえて起訴することがあるそうです。これは、当時の相場にもなるはずですが、近年は事情も変わっているという話を、数年前なにかで読んだことがありました。

もう一点は、起訴後の被告人の取り調べは、出来ないことはないもののかなり批判が強く、厳に戒めるべきだとされているそうです。これも10年以上の相場になりそうなので、現在のことはわかりませんが、理由が明確なのでおそらく変わっていないものと考えられます。

その理由とは、現在の訴訟構造が弾劾主義で、検察官と被告人は対等な立場の対立当事者とされるからです。弾劾主義に対置するのが糾問主義なのですが、おそらく一般のほとんどの人がイメージする刑事裁判はこちらの方になるのではと思われます。私もそのようなイメージを抱いていました。江戸時代のお白州のようなものです。

そういえば、平成4年より前の頃は、テレビのドラマ番組でよく江戸時代の裁判の場面をやっていましたが、今ではほとんど見かけたことがありません。もっとも自分の場合、ドラマを見ることも希ですし、時代劇を見ることはまずないので、たまたま見ていないだけかもしれません。

これも裁判を知らない人のためにお話ししておきますが、通常地裁で行われる一審は、罪状認否があり、他にも被告人自身の発言の機会が保障されているはずです。これが、控訴審となると、裁判所が認めない限り、発言することも出来ないはずです。もしかすると現在は変わっているのかもしれませんが、控訴審では被告人の出廷の義務さえありませんでした。

事実審や法律審という区別もありますが、一審で発言の機会を失ってしまうと、あとは極めて不利です。弁護人の活躍の場がそれだけ大きくもなるのですが、弁護人が協力してくれないと、どうにもなりませんでした。私の場合、弁護人が独自の方針を貫いたので、具体的な事実に踏み込むこともなく、これもまったく不本意のまま終わってしまいました。

具体的な事実は書面として提出していましたが、これは弁護人のアドバイスでした。書面に書いた内容は、法廷で話すのと同じとも言われました。

江村正之検察官のことで、書いておきたいことがあったのですが、金沢の運転免許センターの近くで運送会社を経営している被告訴人の供述調書の要旨を読み上げたとき、被害者は「はっきりしない」と言っていた、と聞きました。しかし、後日、その被告訴人の供述調書を読んだのですが、それらしい記載はありませんでした。

その「はっきりしない」という彼女の言葉は、私自身、確かにその被告訴人の口から聞いた言葉でした。平成4年の1月の終わりか、2月の初め頃だったと思います。

時刻は23時35分になっています。昨夜は1時半過ぎに寝ようとしたのですが、寝付きがとても悪く、2時間程度しか眠っていないと思います。割とよくあることですが、週末忙しくなるので、早く休んでおきたいと思っています。

しかし、ココログのアクセスは本当に少ないです。21時23分から2時間以上、一件も増えていませんでした。逆に考えれば、それだけ広まっているのかもしれませんが、不気味にも思える静けさです。少なかったですが、何件かメールを読んだと思われる人からのアクセスも何件かあったようです。

今日、派遣会社の人に話をして、仕事は木曜日までと言うことにしました。土曜日で車の車検が切れて乗れなくなるので、それまでに片付けや引っ越し作業を一人で全部済まさなければなりません。

本当は、こういうことを書くと身に危険の迫る可能性も高まるのですが、事情を把握しておいていただくために、あえて書いています。どういう危険なのかについては、最近になって私のブログを知った人にはわからないと思います。長い間、触れてはいないからです。

以前から存在を知っている人は知っている人も多いと思いますが、当時と状況が変わったわけでもありません。

初めて書きますが、正月1日の午前4時半頃だったでしょうか、急に玄関が開き、誰かが入ってきました。結局、酔っぱらった若者が家を間違えて入って来たのですが、一時は殴り込みが来たのかと覚悟をしました。私を痛めつけても、マイナスの方が大きく利益にならないので、やるとすれば命を狙ってくることでしょう。それだけリスクも払った上で、情報公開をしているということもご理解しておいていただきたいと思います。

最悪でも犬死にはしたくない、というのも情報公開やメール送信の目的の一つです。しばらくは、片付けなどでごたごたしそうですが、落ち着いたらまとまった記述も出来そうです。

今回は22時頃からテレビの報道番組を見ながら、書いたので、踏み込めず内容もまとまらなかったと思います。そういえば、モトケンブログの方で、「検察は弱い者いじめをしているのか?」というエントリがアップされていて、コメント欄に、検察の人員の規模などが具体的な数字で書いてありましたが、やはりというか、増えていないというか、ずいぶん少ないようでした。国民の関心も乏しいのかもしれません。
http://motoken.net/2009/03/08-232539.html#entry-2426

国策捜査で、久々に脚光を浴びたという感もありましたが、「金沢地方検察庁御中」を看板に掲げるココログフリーのアクセスもとっても少ないです。結構な数トラックバックも送信していて、そちらからの訪問も結構な割合で確認しているのです。やはり趣旨を明確にしておかなければならないのかもしれません。そのあたりも、あれこれ思案中です。
2 告訴に至る経緯
2.1 報道機関及び報道関係者の皆様に対する御案内 報道
2.1.1 はじめに 2008-10-28 火

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