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2009年3月12日 (木)

ジャーナリストが規範の臨界に立つ

 今日は、触れておきたい内容の記事がいくつかあったので、一つの記事としてまとめて書いておきます。記事のタイルとは「ジャーナリストが規範の臨界に立つ」にしました。正確に言えば違うのかもしれませんが、ジャーナリストというのはマスコミに含まれるように思っています。一匹狼の個人のライターのようなイメージもありますが、不景気でもとっても高給がささやかな問題になっている大手のマスコミ各社とは、やはり異質のイメージがあります。

 聞き慣れた言葉で何となくわかっているつもりでしたが、正確な意味がよくわからないので、Googleで少し調べてみました。あらゆるメディアに記事や素材を提供する人、または職業のことだそうです。

 改めてジャーナリストについて考えるきっかけになったのは、元記者弁護士ブログの次の記事がきっかけでした。

強い「番犬」を飼う覚悟がありますか?〜政権からの圧力に耐えるメディアを!

 駒村圭吾教授慶応大学・法科大学院教授(憲法学)が2001年に著した「ジャーナリズムの法理」の59頁に、いまの市民に向けた強烈なメッセージが掲載されている。

【批判精神・真実究明という使命を果たそうとするジャーナリストの緊張感を社会一般が理解することがどうしても不可欠になる。強い「番犬」を飼おうとすれば、飼い主にもそれなりの覚悟が必要になる。】

 ここでいう覚悟とは、何だろうか?

 駒村教授は、前提となるジャーナリズムの役割について次のように語っている。

【批判精神・真実究明という使命は、ジャーナリストを規範の臨界に立たせる。善と悪、真実と虚偽、正統と異端などの判断の臨界に位置する機能であるからこ そ、ジャーナリズムは「強い」のである。しかし、ジャーナリストが規範の臨界に立つということは、社会規範の破壊者として振る舞うことを意味しない。 ジャーナリズムが規範衝突・義務衝突を来したとしても、それは批判精神・真実究明の観点から正当化されなければならない。一見すると市民感情を逆なでし社 会通念を破壊するような報道を、ジャーナリズムは批判精神・真実究明という使命から正当化する責務を社会に負っている】

 そして、駒村教授は、それゆえにジャーナリストは、説明責任を引き受けなければならないという。

 ただし、社会が冷静に対応せず断罪し続ける場合があることを指摘し、そのような場合には、同業のジャーナリストが冷静に見守る必要があるという。

 【説明責任の遂行、ひいては批判的精神・真実究明の使命の貫徹に不可欠なのは、ジャーナリズム全体がそのような使命を共有しており、そのような使命の遂行の努力を相互に尊重するという信頼なのではないか。
 義務衝突のなかでも放棄版との衝突の場合、公権力は強制力を持って迫ってくるわけで、ジャーナリズムの相互信頼と結束が特に重要になってくる。しかし、法令という実定化された明確な社会規範に対する審判行為を擁護するのはなかなか難しい】


 いまのマスメディアは、果たして、説明責任を果たしているだろうか?権力に襲いかかられる同業者につぶてを投げていないだろうか?

 そして、私たち市民は、ジャーナリストの義務衝突の意味を考え、それが番犬の「強さ」につながることを理解することができているだろうか?

 ひるがえって、今回の小沢問題を理解することの難しさと重なるようにも思う。

 形式的とはいえ違法な献金を受けること、その金額から漂う利益誘導の臭い…それらを批判することは極めて容易だ。

 しかし、たとえば、日本経済団体連合会の2004年度の会員企業団体の政治献金は、自民党向けが22億2000万円であったのに対し、民主党向けはわず か6000万円、2006年の献金額でも、自民党向けの25億3000万円に対し、民主党向けは8000万円にとどまっていること、などを十分に理解しつ つ、今回の事件を冷静に眺めることは、単に批判することよりもはるかに難しい。

 私たちがその難しい道を意図的に選ばない限り、私たちは表だけでも20億円以上を寄付する団体に支えられている政党を政権から引きずりおろし、透明度の高い政治を実現することはできない。

 いま、私たちの「飼い主」としての覚悟がまさに問われているし、報道機関にも番犬たり得る資格があるのかが、問われている。

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/a68bdf10571e25ef15a96c9eaeb6e147

 報道機関にも番犬たり得る資格、と書いてあるので、個人的な記者やライターを指すものではないみたいです。なんか士気を鼓舞して、扇動しているようにも感じられたのですが、その前の記事を見ると、似たようなことが書いてあり、相手方は日本全国の検事さんでした。

検察官は抗議の辞職を!〜民主主義を破壊する検察庁を許してよいのか?

 小沢代表秘書に対する強制捜査が形式犯を理由としたもので、民主党つぶしであることは、検察庁内部で働く者 にとっては、あまりに明白なことだと思う。行政庁とはいえ、司法の一角を担う機関が、政権交代を阻止するために恣意的な捜査をすることが許されるだろう か?当然、許されないことは、検察庁で働く2000人近い検事の皆さんはよく分かっているはずだ。検察庁がここまで露骨に自らが与党の僕であることを明ら かにしたことは最近では例がないのではないだろうか。

 あなたは、それでも検察庁に身を捧げますか?

 検事は辞めても弁護士として食っていける。

 いま、内部から非難の声を、ムーブメントを起こさなければ、検察庁の下僕化はさらに進むことになるだろう。

 検察庁に奉職したことを自分の子どもたちに誇ることができるようにするためにも、いま、検事であるあなたの行動が必要ではないだろうか。  

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/c78f62c80353e1f051fb05868fd486f2

 確か検察官というのは検事と副検事を合わせた数だったと思います。2年ほど前の情報だったと思いますが、検察官の数はおよそ2500人で、そのうち検事はおよそ1500人と聞いています。現在は少し増えているらしく、検事の数は1600人を越えているようです。

 自分の子どもたちに誇れるとか、特定の権力者のいいなりに盲従すべきでない、というような呼びかけにも聞こえます。政治家や政党の利権に与すべきではなく、全体の奉仕者として国民の利益のために奉仕すべき、というようにも聞こえます。


 次の記事も検察をテーマに取り上げていますが、なかなか参考になります。元検事さんでもありますし、当然と言えば当然だと思います。

正面から捜査機関からの捜査情報のマスコミ提供を考えてみる

            

 旧館ブログ当時からの読者の皆さんは、私がこれまでたびたび捜査機関による捜査情報リーク問題について批判的なエントリを書いていたのをご存知だと思います。

       
       
            

 今回の違法献金虚偽記載事件においても検察によるリークの問題が議論されています。

 まず最初に、検察は捜査情報をリークしているのか? という問題がありますが、報道機関が報道している情報の全てとは言わないまでもある程度は検察側からの情報が入っていることは間違いないだろうと推測しています。

 そうなりますと検察庁内部の人間による守秘義務違反の問題も生じ得るのですが、このエントリの趣旨は守秘義務違反の犯人探しではありません。
 もっと開き直ったエントリです。

 検察・警察を含めて捜査機関により捜査関係情報がマスコミに流されることを完全に禁止したらどうなるだろうかという問題です。
 結論的には、国民は事件に関する情報をほとんど得ることができなくなりそうです。

 事件のニュースソースは捜査機関だけではありません。
 被害者がいます。
 しかし、警察などが情報を提供しないと、いきおいマスコミは被害者から詳細な情報を取ろうとしますから、被害者に対する取材攻勢が度を超してしまうおそれがあります。
 また、特定の被害者のいない事件においては、当然ながら被害者はニュースソースになりません。

 目撃者がある事件もあります。
 しかし、目撃者に対してマスコミ関係者の拙劣な取材攻勢がありますと、公判における真相解明に支障が生じる可能性があります。
 これは被害者に対する取材攻勢についても同様に問題になります。
 また、目撃者の情報というのは通常限定的で曖昧です。

 被疑者も当然ニュースソースですが、被疑者が真相を語る可能性は前二者に比較してかなり低いですし、逮捕・勾留されてしまえばマスコミとしては接触の機会も失います。

 いわゆる事件関係者というのもありますが、関係の程度や濃さはいろいろですし、話の信憑性の確認も容易ではないでしょう。

 弁護人というのもニュースソースの一つだと思いますが、弁護人の持っている情報はほとんど被疑者の話に依存しますし、弁護人自身が守秘義務を負っています。

 結局、事実確認のプロであり強制捜査権も持つ捜査機関が持っている情報が質量ともに最大の情報であることは否定できませんから、マスコミの情報入手が捜査機関に大きく依存することはやむを得ないところです。

 国民が事件の内容なんか知りたくもないというのであれば、「捜査機関は沈黙せよ」というのもありだと思いますが、事件に関する情報を国民が知りたいというのであれば、捜査機関に完全な沈黙を求めることはできないことになります。

 国民の多数はどのように考えているのでしょうか?

http://motoken.net/2009/03/11-160449.html

 数日前から、モトケンブログの方で、検察をテーマに議論が活発になっているようです。コメント欄の盛り上がりを見たのも、けっこう久々な気もしました。政治問題が絡んでいるので、なおさら関心も高いのかもしれません。

 



TBSドラマ「スマイル」(4月スタート)の監修状況

 細かい質問が矢のように浴びせられていて、ドラマに登場する刑事事件の起訴状を添削し、そこに出てくる公訴事実(起訴の対象となっている犯罪事実)を、検察庁にいた時のことを思い出しながら作成したり、ドラマ内に出てくるらしい弁論要旨(弁護人が、法廷で被告人の刑事責任等について主張を述べる書面)を、ドラマの内容に併せて本物そっくりに起案したりと、監修だけでなくスタッフ化しつつ協力しています。 もし、ドラマの中で、いかにも弁護士、いかにも刑事事件といったリアルさが感じられたら、その一部には、私の涙ぐましい(?)協力も入っていますので、細部のこだわり(私がこだわっているわけではありませんが)にも目を向けていただければうれしく思います。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20090311#1236703157

 どちらかというと、こういうテレビドラマの方が、影響が大きいのかもしれません。私自身も20代の前半の頃は、ニュース番組よりドラマを観ていました。まだ調べていないので、どういうストーリーの番組かぜんぜんわかりませんが、始まったら観てみたいと思います。こういうドラマを放映するのもマスコミの一部分のように思われますし、現実問題とどこかつながっている部分もあるような気がします。

 そういえば、まだ元検弁護士のブログにコメント投稿をしていた時分、何度か「ホカ弁」という女性弁護士のドラマのことを書いたのですが、まるで無反応でした。空気を読んで、誰も反応しなかったみたいですが、空気を読まなければ、ならないというのも堅苦しいですし、知りうる情報も狭まりそうです。それが自己主張の場であるブログというものなのかもしれません。

 次の意見とも通じるものがあるのかもしれません。

日本でも、ホリエモンも批判するように「検察関係者」の話として一方的な情報が流され、メディアが犯罪を作り上げる傾向が強い。ただ匿名の情報源をすべてやめると、逮捕されるまで何も報道できなくなるので、むずかしいところだ。

しかし今回のような「記者懇」の話は、複数の記者の前で話したことだから、もともとbackgroundではありえない。どこの社も同じ話を引用して公然 の秘密になっているのに、本人が誰か報じることができないという滑稽な状況は、世界のどこにも見られない。記者クラブと政府が癒着して無責任な情報操作を 助長する「2ちゃんねる」的な報道はやめ、オフレコは記者の個別取材に限るべきだ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/e0eb17f22880ede66df1f7f27b91d254

 経済学者のブログのようですが、書籍などもけっこう出版されているみたいで、影響力も小さくなさそうです。報道機関そのものが2チャンネル的で、恣意的な情報操作をしているような印象を受けます。というよりストレートな指摘と読むべきでしょうか。個人的には率直なところ、半信半疑です。

 その池田信夫氏に、病理的に面白いと言われた弁護士さんが、小倉秀夫氏ですが、今日初めて、中央大学の先生をしていると知り、印象もちょっと違ってきました。

11/03/2009

Wanna-be-slave系の人々Add Star

 はてなブックマークで私のエントリーに対して延々とネガティブコメントやネガティブタグを付け続けている一群の人たちがいます(一群,といってもそんなに数はいませんが。)。

 権力(国家権力に限らず,大企業等の社会的権力を含みます。)に逆らわず,これにおもね,屈し,その理不尽に耐えることこそ下々のあるべき姿だと考えている人々と,私のような生粋系の弁護士がそりが合わないのはある意味仕方がない話かも知れません。

 それにしても,インターネットの裾野が広がるに付けて,Wanna-be-slave系のネットワーカーが増えてくるというのは面白い現象です(Dreaming-himself-as-eliteなだけかも知れませんが。)。

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10/03/2009

法・情報・社会Add Star

 これまでも中央大学の法学部で3・4年生対象のゼミをもってきたわけですが,今年は明治大学の法学部で1・2年生向けに「法・情報・社会」という講義ももつことになりました。

 で,今日,2009年度の法学部(和泉校舎)の授業時間割がとどきました。和泉校舎なので並行して行われるのは語学と一般教養科目が中心なので(法律科目は,津田重憲先生の刑法総論くらいでしょうか),ちょっと新鮮です。

 とはいえ,4月なんてすぐに到来してしまいますので,確定申告の書類を作り上げたら,すぐにでも教材の作成に取りかからなければいけないのが辛いところです。

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 意味のわからない英語が書いてあったので、調べてみると奴隷という意味が含まれているようでした。

 小倉弁護士は、モトケンさんとも池田信夫氏ともそりが合わないと言うだけでなく、病的な嘲笑の的として評価されているみたいです。2チャンネラーのような人々の間では、「ご本尊」とも呼ばれているみたいでした。どちらがより正しく、正当で、まっとうなのか私には判断もつきかねますが、お堅いイメージもある中央大学の先生とはずいぶん意外でした。客員教授ということになるのかもしれません。あるいは非常勤講師なのかもしれませんが、大学で生活したこともないので、書いてある以上のことはわかりません。

 今回は、自分自身の目もかねて取り上げておきました。昨日、今日とテレビで報道ステーションとZEROを観ていたのですが、検事総長の喚問については、触れていなかったみたいです。ZEROの方は、チャンネルの切り替えで、初めの方を見落としているはずですが、朝の番組でも観ておらず、テレビでは取り上げていないのかもしれません。

 喚問とか尋問とか聞けば、検察の悪印象や権限の卑小さが誤解により印象づけられかねないので、テレビが自粛したのかもしれないと考えました。民主党にしても、反感、反発を買って火に油を注ぎそうです。

 しかし、検事総長を証人喚問というのは発想自体が尋常でないという気がしますs。こういう政党が国政を握れば、検事総長でも呼びつけて、意のままに動かしかねない、という懸念を持った人も少なくないのかもしれませんし、そのような受け取り方をされかねないとか、思い上がりが甚だしく、国会を私物化している、というような批判を招きかねないとは、考えなかったものなのでしょうか。目の前のことにとらわれすぎ、と言うような気もしますが、検察軽視の風潮というのも根深くなっているのかもしれません。

 利権のからまない問題には目もくれず、全く関心のないという人も多いのかもしれません。検察官は公益の代表者のはずなのですが、一面的一部分だけクローズアップされ、影が薄く、存在意義自体が理解されていない、という気もします。マスコミの報じ方にも原因があるのかもしれません。気がつかないほどに浸透しているのかもしれませんが。

 

 

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コメント

wanna-be-slaveのエントリについては、mohnoさんの指摘に対しては、さすがのご本尊さんもグゥの音も出なかったようですね。。bearing

投稿: yooyoo | 2009年3月18日 (水) 18時13分

yooyooさん。
 コメントありがとうございます。ご紹介の指摘とは、エントリに入っていたトラックバックのことですね。そういえば、一通り読んでいました。斜め読みでしたが、確かに現実的なお話しという感じを受けました。
 小倉弁護士は、あちこち海外旅行に行ったり、ブログのトップに掲げた写真のような優雅な生活をされているようなので、やはり感覚的にも世間の一般的な人とはずれがあるようには思っていました。
 そういう感覚の視点も有用なのかもしれませんし、いろいろと参考程度にさせていただいております。

投稿: 廣野秀樹 | 2009年3月19日 (木) 03時01分

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