« DNSサーバのテスト中 | トップページ | 報道の価値判断は報道機関が決める »

2009年3月19日 (木)

死刑の是非に議論殺到「死刑囚獄中ブログ」 ココログニュース:@nifty

リンク: 死刑の是非に議論殺到「死刑囚獄中ブログ」 ココログニュース:@nifty.

死刑が確定した当日、小田島死刑囚は「”人は死期を悟ると真実が見えてくる”と云われるが、いまだ私には何も見えてこない。真実を見極める能力そのものが欠落しているからだろう。しかしいま、処刑を待つだけの身になってからは見るものすべてが懐かしく思え、生きている小さな虫までがとても愛しく思えるようになった。この世のすべてのことに意味があり素晴らしいことに思えるようになった」と記している。

今年に入り、小田島死刑囚は「死刑囚が懺悔し、悟りを自覚して処刑されることは、犯人の自己満足にすぎず、遺族の方々にとっては不快極まりないことではなかろうか?」と自らの選択の意義を問う一方で、「死刑囚になり、死を確実なものとして考えるようになって初めて、生きていることのありがたさ、命の尊さが、わかってきた思いがする」とも語っている。

 このニュース、今日の昼過ぎ、ボ2ネタで知りました。すぐにリンク先の件のブログを見ましたが、できたてのほやほやどころか、記事をさかのぼるとブログのスタートが、2007年の10月になっていました。

http://knuckles.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_bc03.html#more

 そして、先ほどココログフリーの管理画面を見ていると、脇にあるココログニュースの中に、同じ問題を取り上げたと思える記事のリンクがありました。

 自分自身、拘置所や刑務所で獄中生活を体験しており、悔やんでも悔やみきれない、取り返しのつかない過ちを犯した身として、いろいろ考えるところがありました。

 控訴を取り下げ、刑が確定しているので普通は外部との連絡は親族か、特別に許可を受けた身元引受人に限られるはずです。判決が確定していない被告人は未決収容者と呼ばれ、比較的自由に外部と連絡がとれますが、判決が確定してしまうとその時点で、既決囚、受刑者という処遇になります。

 受刑者には累進処遇制度というものがあり、進級することで制限も緩和されましたが、初めの4級生では、親族であっても面会は月に一度、手紙も月に一通だけでした。この累進処遇は、同じ受刑者でも、工場出役者だけが対象であったと思います。

 死刑囚は執行されるまで拘置所に拘置されるはずですが、自分の想像で4級生と同じ扱いになるのかと考えていました。ブログ記事の数はかなり多いようなので、月に一度の手紙や面会で、これだけのやりとりが出来るというのも考えにくいところですが、それだけ処遇の制限が軽減されているのかもしれません。

 月に一度の手紙というのは原則でしたが、許可を受ければ特別発信をすることは出来ました。再審請求を行っている様子もなく、ジャーナリストのブログ記事のために、刑務官が特別発信を許可しているとも考えにくいところです。

 ちなみに平成12年頃までは、未決囚でも手紙は一日に2通だけで、土日祭日は行えません。一通に付き便せん7枚という制限もありましたが、枚数超過という願い出を出すことが出来、確か2通で40枚以上の便せんを出したこともありました。

 もちろん拘置所の検閲も受けているはずですが、死刑囚という遠い存在が身近に感じられ、法務省自体もオープンな方向に進んでいるのかもしれません。

 思い出すのは、平成5年頃か、確かアサヒ芸能という週刊誌に、死刑囚の手記が連載されていましたが、それも警視庁の元警部の死刑囚でした。死刑制度自体を批判する内容が少なくなく、確か死刑制度に対する抗議として自ら上訴を取り下げ、確定したはずです。卑猥な内容も散見されましたが、かなり赤裸々な記事でした。もう15年ほど前になりそうですが、既に執行されているのでしょうか。

 私自身、その週刊誌は拘置所の独居房の中で読んでいて、死刑囚というのはさぞかし大変だろうと想像していました。

 自分自身、今日になって初めて死刑囚のブログの存在を知りましたが、急に脚光を浴びたのも不思議な気がします。自分と同じココログのブログであることはすぐに気がついていましたが、2007年の10月といえば、もう一年ほど前になりそうです。

 本当に世界初なのかどうかもわかりませんが、今でもこれからも、マスコミがテレビにでも取り上げない限り、それほど知られる存在ではないような気がしました。

 多くの企業が広告や宣伝費に多大の投資をするとは、ずいぶん前から知っていましたが、そういう報道による影響力の大きさというのも、改めて感じました。自分自身、広告やCMを見て、商品を買った経験が乏しく、そういう気も起こらないので、以前は軽く考え、不思議にも感じていましたが、報道というのは想像以上に大きな特権ではないかと考える今日この頃です。

 今日は、どこかで「報道の価値は我々が決める。」というようなフレーズを見たのですが、後で探して、取り上げておきます。

|

« DNSサーバのテスト中 | トップページ | 報道の価値判断は報道機関が決める »

言及ブログ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1177043/28697185

この記事へのトラックバック一覧です: 死刑の是非に議論殺到「死刑囚獄中ブログ」 ココログニュース:@nifty:

« DNSサーバのテスト中 | トップページ | 報道の価値判断は報道機関が決める »