« 弁護人の意見(平成4年6月29日第二回公判調書) | トップページ | サイト内フォト蔵写真の閲覧方法 »

2009年3月22日 (日)

会社とわが子の問題という視点

リンク: 毎日・日野記者に問う:「わが子『使い捨て』できるか」を問うのは経営者ではなく、議員、有権者では? - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊).

アメリカのマサチューセッツ工科大学での調査によれば、在学生の40%がテレ ビを持っていないという。彼らが情報を得る手段はインターネットやネットテレ ビだという。

テレビ離れが進む中で、今、注目されているのがアメリカの独立系テレビ局「DEMOCRACY NOW」。9.11同時テロの時も巨大メディアがブッシュ政権のイラク侵攻を支持する中、疑問を投げかけ続けたテレビ局だ。その編集方針は「ニュースは個人から生まれる」「当事者の声にこそ真実がある」という「コミュニティ・ジャーナリズム」を重視していることだ。そのニュース番組は午前8時から全米 268の局で放送され、午前9時からは同じ番組が320のラジオ局で流れる。
そして、昼までには、動画とテキスト全文がネット上に発信される。発信したニュースに対し、視聴者は局のサイトに書き込みを行うことで双方向の放送が作られていく。番組では、主催者の女性ジャーナリスト、エイミー・グッドマンに密着取材を試み、ニュースを発信するまでの流れを追いかけ、巨大ネットワークでは拾いきれない、個人の意見がどの様にニュースに反映されるかを検証する。

一方、ネット大国・韓国では「個人発のニュース」が動画ポータルサイトを賑わせている。市民がパソコンを持って、事件の現場に出向き、その一部始終をサイトで生中継しているのだ。きっかけは昨年6月、「大統領退陣デモ」にまで発展したBSE問題。そのデモの引き金となったのがインターネットのポータルサイトに投稿されたリポート映像、つまり個人発のニュースだった。その影響力に驚いた韓国政府は、サイトへの発信者や運営者を逮捕、また、モニタリングを強化する新たな立法に走るなど、表現の自由をめぐり議論を巻き起こすことになっている。番組では、巨大メディアが報じなかった分野にも光を当てるとともに、個
人発ニュースによる新たなメディアの実態とその可能性に迫りながら、放送の未来はどうあるべきかを考える。

 いろいろ参考になりました。昨夜、ブログのタイトル名を「再審請求に向けて」に変更したところですが、私のブログも個人ニュースの配信という意味があると思います。やるべきことに取りかかっていない段階ですが、今日もこれからのことをいろいろ考えていました。

 これまでは告発、告訴事件として情報公開を行っていましたが、アクセス数は低迷するばかりで、問題に対する理解とは程遠い現実を受け止めるしかありません。告訴、告発問題と再審請求の問題は不即不離の関係にありますが、やはりよく考えてみると先行した不当判決の解決から始めるのが妥当という気がします。

 それでは、これまでの金沢地方検察庁の対応は何だったんだ、という疑問も起こりえますが、平成19年の4月から告訴状を提出すると言いながら、出さなかったのも私の方ですから、一方的に金沢地方検察庁に非があったとは言えません。もっとも期待の出来ない中途半端な状態に置かれたということはあります。

 具体的内容に触れないで、突き返されるのは堪えましたし、仕事上、生活上の不安も大きくなっていきました。そういうなかで、派遣社員の仕事をしていたのですが、記事の初めの方は、その派遣社員の問題を取り上げており、これも身につまされて考えさせられることが多々あります。

 アクセス数は低迷どころか、予想を超えてものすごく少ないです。これが現実だったんだなと、改めてしみじみ感じますが、そこに気がつくのも遅すぎたような気もします。記事は流れてゆくばかりで、誰の目にも止まらないかもしれませんが、立ち止まることなく先に進むしかないと今は考えています。

 元記者弁護士の記事を読んで、共感に近いものを感じたのは、これが初めてかもしれません。以前、「某氏ではないプライバシー云々」と言われたことがありましたが、それは被害者家族のことだと考えました。金沢中警察署刑事課長を通じて、その被害者家族に、理解と協力を求めて行くわけですが、それは18年近くも経て、ようやく振り出しに戻るようなものです。

 警察の不適切な捜査が、被害者家族の感情を不必要に逆立て、理解と解決からはるかに遠のかせたという一面も大きいような気がしています。そのあたりは、取り調べの可視化の問題にもつながるものが大きいと考えています。

 被害者家族の不満も、警察に対するものが大きく、根深いものなのかもしれません。少なくとも、お金の面では大きな損失を被っているはずです。公判にも何度か傍聴に来ていましたが、判決公判に姿を見せることは一度もありませんでした。最高裁を除いて4回の機会があったはずです。刑事裁判の記録を証拠に起こした民事裁判でも、平成7年に3600万円の勝訴が確定していますが、請求することは一度もなく、少しでも支払っていきたいので、振込先の銀行通帳を作って欲しいという、私の申し出にも、「気持ちは受け取っておく」と言いながら断っていました。

 父親との会話で、印象的に強く残っているのは、「再審が開始したら、その時は話を聞く」、「文句があるなら警察に言え」、「お前を一生苦しめてやる、どれだけ金を使ってもかまわん。刑事は終わった。今度は民事や」などですが、今度は民事、という言葉は平成11年8月8日の夜に出たものです。その直後に、私は父親に対する傷害事件を起こし、平成13年の12月31日まで、金沢刑務所で生活することになりました。このあたりの事情も詳しく書いておきたかったのですが、アクセス数の低迷で、見送り続けてきました。書いたところで、見向きもされず、理解されることもなく、流れてしまうと考えたからです。

 ブログのエントリというのは、時間が経つと流れてしまい、管理する本人でも探し出すのが困難になることがあります。タイトル名と内容が一致していない場合、特にそうなりますが、余り具体的なタイトル名にすると、トラックバックの受け入れにも支障が出そうで、中身を見ずに拒まれる可能性も高いと考えていました。それに個別にエントリを対応させていると、それだけ数も増えて、探しにくくなります。ブログを更新しなければ、エントリの数も増えず、状態もそのままになりますが、停止、停滞の習慣もそのあたりから始まったような気がします。

 「わが子『使い捨て』できるか」ということですが、被害者の父親とは義理の親子になっていたかもしれない関係です。使い捨て、と言えば、これまで裁判所や検察庁に膨大な資料を書き送ってきましたが、すべて無に帰すことも意味します。被害者本人やその家族の視点からの反応が全くなかったのも、残念です。それだけ警察や司法を信頼しているのかと、考えることもありますが、あり得ない理不尽をやりながら、誰も目もくれず、放置している現状に、もっとも危機感を募らせ、あきれているのは検察かもしれません。

 それほどの犠牲が必要とされるのかと、気がついたとき、弁護士はどれほどの信用を失い、蔑視の対象となるのかと想像することもありますが、あるいはそのための補充としての大幅増員だったのかもしれません。  はてなや、ココログのアクセスカウンターが正常に機能しているのであれば、そうとしか考えられない気もします。説明がまずかったのか、とか自分自身の原因もいろいろ考えてきましたが、ここまで少ないと、どうにもなりそうにありません。

 それは、ヤメ記者弁護士に代表されるように、被害者家族のプライバシーを尊重しているのかもしれませんが、ご本人らが、どう受け止めているのかも、気になるところですし、私に出来ることは正しく正確な情報、判断材料をご提供することです。

 派遣切りや使い捨て、というのも会社の問題ですが、私の告発、告訴の情報公開というのは、もともとそこから端を発しているのです。父親母親にすれば、無論、我が子の問題であるはずです。

 翻って、落合弁護士は検察と国民の問題について、次のように述べています。

感想めいた話になりますが、東京地検特捜部の「成功体験」というのは、やはりロッキード事件ではないかと思いますね。田中角栄元首相ほどの実力者を、逮捕、勾留の上、起訴し、政治の圧力をはねかえして、高裁まで有罪、実刑を維持し、元首相の死後、最高裁でも、他の共犯者の裁判で、元首相の共犯性が認められ、我々は腐敗、不正と闘うヒーローなんだ、大多数の国民は必ず指示してくれるはずだ、というのが組織を支配する、共有されている感覚でしょう。そういったヒロイズム、強烈なエリート意識、それらが次第に歪んだものになってくる過程における驕り、裁判所、弁護士、政治家等々、様々な人々を見下し馬鹿にして臨んで行くことによる危険性といったことが、現在の国策捜査批判へとつながっているという側面も見逃せないでしょう。
しかし、自民党による一党独裁状態が終息し、政治改革もある程度進んで、昔のような「巨悪」はなかなかつかまらなくなり、特捜部の存在価値をどこで見出すかを模索する中で、ある時はライブドア事件のような事件をやってみて「市場の守護神」を気取ろうとしてみたり、今回のように野党第1党の党首の秘書を政治資金規正法違反で捕まえて政治資金の不透明な流れに切り込んで見せようとしたりと、あれこれやってはみても、昔のように、世論は腐敗、不正と闘うヒーローとは見てくれず、むしろ、立件の背景に不透明、不明朗なものを強く感じ、国策捜査批判といったことが広く語られるようになってしまいました。いくら、そんなことはやっていないと強弁しても、そもそも、国民に対して捜査の正当性をきちんと説明する姿勢すらない以上、不信感は募るばかりででしょう。
今後は、ブラックボックス化した、内偵、立件、強制捜査にあたっての令状請求といった過程に、例えばアメリカの大陪審制度のように国民が関与し、立件の意味なり価値、といったことについて、例えば、政治資金規正法違反のような陳腐な形式犯を、今、この時期にやる意味なり価値があるか、といったことを、単に役人が密室で決めるのではなく、国民が審査し決める、といった制度の採用が真剣に検討される必要があるでしょう。捜査の正当性といったことについて、単に、エリート検事が政治とは隔絶したところで厳正にやっているから、といった点に求めるのではなく、国民も関与しつつ、全面的には無理としてもある程度の透明性を確保することによって担保する必要があるように思います。
成功体験に酔いしれるうちに失敗し破滅する、といった人や組織は少なくありませんが、東京地検特捜部にとっては、ロッキード事件によるそれが、今や大きな足かせとなっているという見方が可能かもしれません。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20090321#1237633749

 小倉弁護士のブログでは、モトケンブログに対する反論のエントリのなかで、「国民を欺く」という言葉が出ていました。

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/03/post-94d6.html

 まったく知らない顔で目もくれず、問題を放置してきたというのも、社会正義を使命とすると謳っている弁護士、という立場からすれば、それに近いものがあるのではと考えることもあります。

|

« 弁護人の意見(平成4年6月29日第二回公判調書) | トップページ | サイト内フォト蔵写真の閲覧方法 »

言及ブログ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1177043/28729271

この記事へのトラックバック一覧です: 会社とわが子の問題という視点:

» ブラックボックスを気にしない [時は金なり]
今、私たちの身の周りには 昔あった道具が高機能になっただけではなく、 全く新しい機能が追加された製品があふれています。 ●渋滞情報をリアルタイムに検知するカーナビ ●お財布替わりのケータイ ●ビタミンCを増やす冷蔵庫など それらを構成している技術が 多岐の分野にまたがり、 かつ階層が深いために 全体として実際にどのように動いているのか 理解するのは大変難しいものがあります。 そこで、... [続きを読む]

受信: 2009年4月 6日 (月) 22時59分

« 弁護人の意見(平成4年6月29日第二回公判調書) | トップページ | サイト内フォト蔵写真の閲覧方法 »